襲撃
一同が宿屋の二階に取った部屋から一階に降りると、まだ夜の早い時間帯という事もあり、食堂では食事や酒を愉しんでいる客がまだ何組かおり、昼間とは違って楽し気な会話が繰り広げられているところだった。
階段を降りきったところで昼間注文を取りに来た彼女の姿を見つけると、ロイは気安く手を挙げて声を掛けた。
「やあ、賑わってるね」
ロイに気付き彼女は一瞬肩をビクリと震わせたものの、何気ない態度を装い持っていた料理を注文した客のテーブルに置いてからこちらに向かって声を掛けてきた。
「さっき食事は終えたのに、今度は夜食でも食べに来たの?」
気持ちを持ち直した彼女がロイに嫌味を返す。しかしそれに怯むことなく、ロイは笑顔で会話を続けた。
「いや、これからこいつと二人で帝都まで戻らないといけない用事ができてね。急ぎなんだ。馬を貸してくれる処があれば教えて欲しいんだけど」
ロイがレオンを親指で指し示しながら説明すれば、警戒心を抱いていた彼女はロイがここを離れると聞いて明らかに安堵の表情を見せた。余程、昼間ロイから急に手を取られたことを根に持っているらしい。
普段なかなかお目にかかることのない旅人であるイリス達に、今や食堂中の視線が集まっていた。愉し気な会話は止み誰も言葉を発せず、こちらの会話に聞き耳を立てている。
ロイはそんな様子に気付き、わざとはっきりよく通る声で会話を続けた。
「どうしてもこれからすぐ出立しなければならないんだ。あ、部屋はキャンセルせずそのまま三部屋利用するよ。もう一人の連れが体調を崩して寝込んでいるから、この子と共に置いていくからね」
リュカは昼間に食堂を利用した時疲労困憊でテーブルに突っ伏していたので、その姿を見ていた彼女は体調が優れないというロイの話をすんなりと信じたようだ。
「そうなんだ、大変ね。馬は、町の南側の端に乗合馬車があるから、たぶんそこで貸してくれるわ。お連れの方は大丈夫?何か必要なものはあるかしら?」
「大丈夫。ある程度の薬は持って来ているからね。心配してくれてありがとう」
彼女が気遣わし気な視線を向けてくる。心から心配してくれる様子にイリスは罪悪感を覚えたが、そんなことも言っていられない。彼女の良心に漬け込むようで悪いが、イリスも後で彼女から情報を聞き出そうと腹を括った。
「また帝都から戻ってきたら、ここの料理をご馳走になるよ」
「もちろん。気を付けていってらっしゃい」
ロイが笑顔で手を軽く振ると、彼女も片手を挙げてそれに応えた。
◇◇◇ ◇◇◇
「……ふぅ」
宿屋の自分の部屋に戻って来たイリスは、一つ大きな息を吐き出した。
時刻は夜半近くになっている。宿屋に戻ってくる際、往来は人っ子一人いなかった。
宿屋を後にした三人は町の南端にあるという乗合馬車の場所に向かった。
もう乗合馬車は終わっている時間帯だったので、乗合馬車を営んでいる店主の家まで行って交渉し、やっと馬を二頭借りられることになったのだ。
本来であれば相手に迷惑が掛かる行為をすることに気が引けるところだが、逆に騒ぎ立てることで周囲に自分達の行動が知れ渡り効果的だというレオンに説得され、イリスは申し訳ない気持ちになりながらもその行為を止めずに見守っていた。
そんなこんなでやっとレオンとロイを無事に町の外に送り出し、漸く宿屋に戻ってきたところだ。
人に迷惑を掛けるというできればあまりしたくないことをしたせいで、イリスには精神的にどっと疲れが押し寄せている。
しかし二人がいない今、今日の見張りは自分が行わなければならない。本当に帝都まで戻る訳ではないのでレオンとロイも町の近くで野宿しながら町の様子は見張ってくれる手筈になっているが、何かあった場合直ぐに対処できるように警戒を怠るわけにはいかない。イリスはそっと窓越しに外を見遣った。
町の南端から宿屋に戻る道中も周囲に気を配っていたが、これと言って特に変わった様子は見受けられなかった。
もしイリスを襲撃するつもりであるならば、レオンとロイが不在の今が絶好の機会であることは間違いない。けれど、襲撃しやすい屋外で何の接触も無かったことを考えれば、今日はもうこのまま何事も起こらないかもしれないと、イリスも警戒を緩め椅子に腰を降ろそうかという時だった。
「!」
通りに面した宿屋の入り口の扉が開く音が、微かに耳に届く。イリスは直ぐに窓際の壁に張り付いて外から姿が見えないようにしながら通りの様子を窺った。
何人かの人影が蠢く様子が見えたが、それらは瞬く間に扉の中に消えたために、正確に何人かまでは分からなかった。
(どうしよう。リュカを起こすべきかしら)
彼らの狙いは十中八九、イリスだろう。隣の部屋のリュカと合流すべきかと一瞬迷ったが、相手の狙いがイリスなのであれば、逆に一緒にいない方が安全だ。
イリスは扉の前まで音を立てずに移動すると、二階へと上がってくる数人の足音に耳をそばだてた。
(でも、どうしてかしら?)
この狭い宿屋の一室は戦闘に向いていない。イリスを狙うのであれば先程一人道を歩いていた時が最良であり最善だ。今この時を狙う意図がイリスには分からなかった。
そしてもう一点、一番不可解なのがこの点なのだが、二階に上がってくる人物等からは一切の殺気が感じられなかった。
ドルシグ兵だった場合、ウィレンツィア王国にある封印の扉を開けるための鍵としてイリスの存在が必要なので、もちろんイリスを殺す気はないのだが、それでも殺伐とした気配が漂うものだ。
しかし今まさにイリスの部屋の前にいるであろう人物等からは、そうした殺伐とした空気が一切感じられない。
イリスは戸惑いながらも背中に背負った鞘から剣を抜き取ると、扉の脇にしゃがみ込み身を潜めた。
コンコン、というノックの音が静かな部屋の中に響く。どうやら不意打ちをするつもりはないようだ。
イリスがそれに応えずにいると、暫くしてしびれを切らしたのか、ギィッという蝶番が軋む音と共にゆっくりとイリスの部屋の扉が開かれた。イリスは開けられた扉の後ろに身を隠す。
「あれ、いない?さっき入って行ったっすよね?」
扉を開けた人物が部屋の中に足を踏み入れながら後ろにいる人物に声を掛けていた。警戒心のないどこか間の抜けた喋りに、イリスは眉を顰める。
扉の蝶番の隙間から窺うに、どうやらイリスの部屋に来た人物は二人らしい。部屋の中に入って来た人物が武器を持っている様子は見受けられない。とりあえずイリスとリュカの命を今すぐ奪うつもりではないことが分かり安堵しながらも、イリスは尚警戒を強めた。
「宿からは出ていないだろう。隣の連れの部屋かもしれない。行くぞ」
後方の人物が部屋の中の人物に声を掛ける。小声であるにも関わらず、低音でよく通る声だ。その言葉に部屋の中にいた人物が従い踵を返した。
(まずい!)
このままリュカの部屋に行かれてしまうと厄介だ。いくら相手が武器を持っていないようであっても、リュカは何も知らずに寝ているため無防備すぎる。
咄嗟に判断を下したイリスは持っていた剣を床に突き刺すと、身を隠していた扉の裏から勢いよく飛び出した。
そして今まさに扉から出ようとしていた人物の片腕を後ろから捻り上げる。訳も分からず不意に襲った痛みに、その人物は悲鳴をあげながら床に倒れ込んだ。
「いだだだっ!」
「あっ、お前っ!」
イリスは身体から剣の鞘を固定させるためのベルトを外すと、捻り上げた腕の手首ともう一方の手首に巻き付けて拘束した。そして鞘をその拘束の間に差し込んで外せないように固定する。
「いだだっ!ちょ、痛いっ!!」
僅か数秒の出来事に、拘束された人物は呻き声をあげるばかりで抵抗もできない。
部屋の外にいた人物も同様で、あっという間の出来事に呆気に取られ、廊下でただ立ち尽くしてこちらを見ているだけだ。イリスはその隙をついて身を低くしたまま廊下にいる人物のふくらはぎに蹴りを入れる。
「お、あぁっ!」
不意に蹴りを食らい、廊下にいた人物はバランスを崩して後方に倒れ込みそうになった。イリスは素早く立ち上がってその腕を取ると、背負い投げるようにして室内の床に男を転がした。
ドンッという大きな物音が鳴り、一瞬他の客の迷惑にならないか懸念が過ったが、イリスは何事も無かったかのように優雅に立ち上がると二人から視線を逸らさずに後ろ手に扉を閉めた。
「ボスっ、大丈夫っすかぁ」
皮ベルトで拘束した男が、同じく床に転がされた男を心配そうに見ていた。
拘束した男は二十代後半といったところだろうか。言葉に焦りは感じられるものの、独特の間の抜けた話し方をするので緊迫感が薄れてしまっている。
一方ボスと呼ばれた男の方は、四十代ぐらいだろう。どうやら床に転がした時、背中から落ちるようにイリスが配慮したにも関わらず抵抗したため床に頭をぶつけてしまったようだ。呻き声をあげながら両手で後頭部を擦っていた。
「ひでぇ……。坊主、俺達はまだ何もしていないだろう」
低音の掠れた声が静かな部屋に響く。ボスは転がされた身体を起こすと、床に胡坐をかいて座り込んだ。
「まぁ、これからしようとは思ってましたけどねぇ」
拘束した男が全く緊張感なく笑う。その様子に、イリスは眉を顰めた。
(この状況であっても、自分達の方が有利だという確信でもあるのかしら)
確かにボスの身体をイリスは拘束していない。まだ何かしら策があるようならば、ボスの身体も拘束すべきなのだろうが、目の前の二人からは全く敵対心が感じられず、これ以上の制限が必要だとは思えなかった。
その上先程の攻防で分かったのだが、この二人に戦闘力は微塵も感じられなかった。
「私をどうするつもりだったんですか?」
状況を確認しようとイリスが声を掛ければ、話し出したイリスの声と言葉を聞いてボスが目を瞠った。
「……驚いた。坊主じゃなくて嬢ちゃんだったのか?」
その言葉に、扉を背に立っていたイリスは息を一つ吐き出すと、閉めた扉をまた僅かに開けて念のため退路を確保してから二人に近づいた。
イリスのことを男だと思っていたということは、この二人はイリスのことを知らずにここに乗り込んできたということに他ならない。ドルシグ帝国からの差し金でもなければ、ウィレンツィア王国がらみでもないだろう。
イリスは拘束した男の後ろに回り込み、差し込んだ鞘を抜き取るとベルトを解いて拘束を外した。
おそらくではあるが、この二人に害意はないだろう。何のためにイリスの部屋をこんな夜半過ぎに訪ねてきたのか、対等に話をするためにもイリスは相手の拘束を解くことにしたのだ。
「ありがとっす」
間の抜けた感謝に苦笑しつつ、イリスは立ち上がるとベルトを身体に斜めに掛けて装着し床に刺した剣を抜いて背中の鞘に収めた。
その時、雲に隠れていた月が雲間から顔を覗かせた。窓の外から柔らかな月の光が部屋の中に静かに差し込むと、イリスの横顔を明るく照らす。
「!!」
「……ボス?」
イリスの動作をずっと視線で追っていたボスは、何を思ったのか急いで立ち上がるとイリスの正面に立った。
何か仕掛けてくるのかと一瞬警戒したものの、ボスが驚愕の表情を浮かべイリスを見ているだけだということに気付いてイリスも警戒心を緩める。
床では拘束されていた所が痛むのか、手首を擦りながらもう一人の男が怪訝そうに眉を顰めていた。
遮る雲が無くなったようで、部屋の中には煌々と月明かりが差し込んでいる。誰も何も言葉を発せず、耳が痛い程の静寂が流れたその時だった。
「……アリスティア、王女……」
「!!」
ボスの口から驚愕の一言が発せられる。
イリスは自身の心臓が止まったのではないかと思う程、身体が一瞬にして硬直したのが分かった。
アイザックの話では、アイスティア王女はまだ未成年の王族ということで公務には携わっておらず、その顔を知る者はほとんどいないという話だった。
だが今目の前にいるこの男はイリスを一目見て、アリスティア王女だと言ったのだ。
イリスは自身の心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つのを聞きながら、ただ黙って立ち尽くすことしかできなかった。




