理想の王女
「町が見える……」
俯きがちに歩いていたリュカがふと顔をあげて前を見ると、虚ろな目にもはっきりと小さく町並みが見えた。
慣れない長距離移動に加えて連日の剣術訓練があり、リュカの身体は明らかに悲鳴をあげていた。
しかしそれでも、日中の移動は三人の歩みに遅れることなく何とか食らいついてきており、その点は皆に評価されている。
だがそんな日々も今日で五日目ともなればリュカの身体は限界だった。また宿でしっかり休めたのは初日だけで残りの三日間は野宿だったし、難なく対処したとはいえ道中二回程襲撃も受けており、リュカ以外の三人も体力に自信があるとはいえ疲労の色が濃くなってきていた。
行く手の先に見える町並みを目にして、先程まで衰弱しきっていたリュカの顔に分かりやすく歓喜が浮かぶ。
しかし今は昼を過ぎたばかりで陽が沈むまではまだかなり時間がある。町で食料などの必要物資を揃えてもう少し先まで距離を稼げる時間帯ではあるのだが、リュカのこの喜びようを見ては今日はあの町で一泊せざるを得ないだろうと、苦笑しながらレオンは肩を竦めた。
レオンがリュカの隣を歩くイリスを振り返る。それだけでレオンの意図を汲んだイリスは深く頷いて同意を示した。
イリスの事を思えば少しでも先に進んでおきたいと思ってくれたのだろうが、イリスとて疲労が蓄積している。今日は皆無理をせず、あの町で休んだ方がいいだろう。
「先を急いだところでそんなに距離は変わらないよ。それより、私達も今日はしっかり休もう」
「そうだなー。俺もさすがに疲れたわー」
イリスの言葉を聞いて、ロイも後方から賛同する。
(ロイは本当、優しいよね)
ロイであれば疲労が蓄積していても、まだまだ弱音を吐く程ではないだろう。にも関わらず、自分が疲れたからと言ってリュカが気に病まないように配慮するあたりがロイらしかった。
「……」
イリスは再び、隣を歩くリュカに視線を向ける。先程まで惰性で何とか歩いていた時よりは生気を取り戻したようで、少しだけその歩みは力強く感じられた。
(やっぱり、私の我儘に付き合わせたのは申し訳なかったな)
この旅は、イリスが自身の記憶を取り戻すために医療大国であるオートレア王国を目指している。
ウィレンツィア王国の生き残りの王族を探しに来たリュカにとっては、必要ない旅に同行している状態だ。
本来であれば、革命軍はドルシグ帝国が『世界の力』の封印を解くことがないように、探し出した生き残りの王族を匿うつもりだと言っていた。
例えイリスに記憶がなく生き残りの王族かどうか定かでなかったとしても、生き残りの王族かもしれないイリスがドルシグ帝国の手に渡らないことが重要なのだ。
だから革命軍にとっては、言ってしまえばイリスが本物の王女かそうでないかは、実は重要ではない。革命軍の目的が、『世界の力』の封印を解くことではないからだ。
しかしイリスにとって記憶を取り戻すということは、どうしても譲れない事柄だった。
記憶が無い今の状態で自分が王女として担ぎ上げられた時に、果たして王女として王国の奪還を願う人々と同じ気持ちでいられるのか、イリスは日に日に不安を募らせていた。
帝のように人の上に立って国を治めて行くことができるのか。アイザックのように下に仕えるものを纏め上げることができるのか。レオンのように迅速に物事を判断して指示を出すことができるのか。
考えれば考える程、切りがなかった。
この五日間ただ黙って歩くだけという作業は、余計にイリスにそうしたことを考えさせ悩ませる時間を与えていた。
だからこそ、イリスは自身の記憶を取り戻すことを最重要視していた。自分に足りないものが覚悟だと、自分自身よく分かっていたのだ。
今持っているような半端な覚悟ではない。自分が正真正銘、真にウィレンツィア王国の王女であると判明した暁には、腹を括るしかないと思えるような気がしていた。
「ごめんね」
「……何が?」
心の中で呟いたはずの言葉は口に出ていたらしい。イリスの謝罪の言葉を聞いて疑問を投げかけたリュカを、イリスは思わず動揺して振り返ってしまっていた。
適当に答えて受け流せば良かったのかもしれないが、どう答えたらよいか分からずに言葉を考えあぐねているうちに、二人の間に微妙な沈黙が流れる。
しかしリュカは疲れ切った虚ろな目でありながら真っ直ぐにイリスを見つめ、問いの答えをじっと待っているようだった。
その視線に嘘は吐けないと息を一つ吐き出すと、イリスは観念して今の気持ちを正直に伝えた。
「私って、王女として本当にちゃんとやれるのかなぁって」
「!」
イリスの言葉にリュカが目を見開く。そんなに驚かれるようなことを言ったつもりがなかったイリスも、あまりにリュカが驚いた顔をするので急に不安に駆られた。
「……なんだ、そんなことか」
何かまずいことを言ってしまったのかと心配になっていたイリスを余所に、リュカは安心したように小さく呟いた。
「そんなことって……私は結構悩んでいるんだけど?」
あまりの言い草にイリスが抗議の眼差しでリュカを軽く睨むが、リュカは疲労が濃い表情ながらふっと表情を和らげイリスに微笑んだ。
「王女だったとしてさ、王女ってちゃんとしてなきゃいけないわけ?」
逆に問いかけられイリスは面食らう。そんなことは当たり前だろう。
「ちゃんとしているのが当たり前?」
リュカがイリスの思考を読んだかのように、首を傾げ顔を覗き込んでくる。
「じゃあさ、ちゃんとしている王女ってどんなの?」
リュカが更に問いを重ねる。追い詰められ、イリスはリュカの視線から逃れるように顔を逸らすと、ちゃんとしている人物像を思い描きながら一つ一つその特徴を挙げていった。
「正義感があって、誠実で、正しくて、公平で、優しさがあって……それでいて謙虚な?」
「ふはっ」
思わず、といった感じでリュカが噴き出したかと思うと声を上げて笑い出した。真剣に答えたのに笑われ、イリスは眉間に皺を寄せる。
「人が真剣に答えているのに」
「あははっ……あぁ、悪い悪い。けどさ、『ちゃんとした王女』に限らず、そんな大層な奴なんて世の中いないんじゃないの?」
そうだろうか、と思考を巡らせる。イリスが思い描く人物は皆、イリスの思うちゃんとしたに当てはまっている気がした。
「だって帝は皇帝として正しく国を導いている。父さんだって厳しくも公平に騎士を纏めていて、それにレオンとロイだって……」
「まぁそれを言うのなら、イリスも、だよね」
最後尾を歩いていたロイが距離を詰めてイリスのすぐ隣まで来ると、顔を覗き込むようにして微笑んだ。
「イリスも十分、『ちゃんと』してるよ」
「違っ……。私が言いたいのはそういう事じゃなくて!」
足を止め抗議を続けようとした次の瞬間、ロイを振り返っていたイリスの頭にポンっと大きな掌が乗った。その手に優しく頭を撫でられ振り返ると、先頭を歩いていたレオンがいつのまにかイリスの近くまで来ていた。
「あんまり気負うな。帝だって隊長だって一人の人間だ。良い所もそうでない所だってあるだろう。完璧な人間なんていない。イリスだって同じだろう?」
「……子ども扱いされる王女なんていない」
ここまできてやっと、イリスは皆に励まされていたことに気付く。
自分が溢した不安や愚痴に対して、皆それぞれの言葉でイリスを叱咤激励してくれていたことに気付かず、一人で声を荒げて言い返していたことが恥ずかしくなりイリスは俯いてしまった。
「何はともあれ。ほら、もう町がすぐそこだよ。早く行こうよ。今日はゆっくり椅子に座って昼食が取れそうじゃない?」
イリスの肩に優しく手を置き、ロイが行く先を指差しながら視線を促す。遠くに小さく見えていたはずの町並みは、大分その全景が見渡せる程近付いてきていた。
「俺飯食った後、ちょっとだけ休憩していい?ちょっとかなり限界」
重い足を再び前に向かって動かしながらリュカが前方に向かって訊ねる。声を掛けられレオンは振り返ると、片側の口角だけを上げて不敵に笑った。
「まさか。まだまだ陽が高いのに今日はあの町で宿を取るんだ。午後に時間がある分、鍛錬するだろ?」
「っ!」
「レオンは鬼だなー」
前方からの容赦ない宣告と後方から楽しそうな笑い声が響く。もう二人にツッコむ余裕のないリュカは、言い返すことなくがっくりと肩を落とした。
しかし直ぐに顔をあげると、レオンを鋭く睨みつける。
「絶対一撃入れて休憩を勝ち取ってやる」
毎朝の剣術訓練の際、ある程度打ち合ったら休憩を挟んでいるのだが、もし仮にリュカが相手に一撃でも入れられたら休憩を五分伸ばすというルールがこの五日間で出来上がっていた。しかし未だに誰が相手でも、リュカが一撃を入れられたことはない。
そのルールを持ち出してきたリュカに対し、レオンは不敵に笑う。
「やれるものならな」
「いいねー青春だねー」
リュカとレオンの真剣なやり取りに、ロイが変わらない調子で茶々を入れる。
なんだかんだいい感じになってきた三人を眺めながら、イリスにも笑みが零れた。
旅はまだ始まったばかりで不安なことも多い。自分が王女であることや、最終的にウィレンツィア王国奪還という目的を達成しなければならないことを考えると、まだまだ気持ちも身体も竦むことがある。
しかしイリスはこの三人と一緒なら、何とかなりそうな気がしてきていた。
長い長い旅路の果てに、自分が何を掴むのか。
何を失い、何を成し遂げるのかはまだ分からない。けれど先の目的に向かって、先ずは目の前の事を一つずつ確実に成し遂げていこうと決意し、イリスは前を見据えて再び歩き始めるのだった。
今回「ちゃんと」を何度も書いていたら何だかおかしな気分になりました。
よくよく考えると、ちゃんとって変な言葉だな。ちゃんとって何だ?しっかり?きちんと?え、ちゃんと、って言葉おかしくない?
もはやゲシュタルト崩壊。




