師匠と弟子
イリス達一行はサンスタシア帝国の帝都を出て直ぐに敵と一戦交えたために、出発直後は大した距離を進むことができなかった。
このままだと今日中に最初の目的地であるニールの町まで辿り着くことが出来ない。しかし初日から野営というのも旅慣れていないリュカには辛いだろうと思われ、とりあえず今日中にニールの町まで着こうという結論に至り一行は道程を急いでいた。
歩きながらもレオンはサンスタシア帝国に向けて無線で連絡を取っており、先程敵対した男達の回収を依頼していた。ほぼドルシグ帝国からの刺客で間違いないが、尋問して身元や目的を洗い出すのだとイリスはリュカに説明していた。
遠目から見ただけのリュカには敵対した男達は皆死んだように見えていたが、どうやら生きていたらしい。しかし動くこともままならない程の傷を負い、これから尋問にかけられるとなると、果たして生きていることの方が幸せなのかという感情がリュカの中に生まれる。
だがその考えを、リュカは即座に否定した。先程も嫌という程自分の甘さを思い知ったばかりだ。
この旅は遊びではないし、帯刀は飾りではない。これはウィレンツィア王国を取り戻すための戦いであり、腰に佩いた剣は人を傷付けるための道具に他ならない。
自分の剣は国や人を救うためのものだなどと偽善を述べるつもりは、リュカにはもうなかった。そんな理想論を掲げられる程、己に剣の腕があるわけでもない。相手を殺さなければ逆に自分が殺されることだってあるだろうし、味方が危険に晒される場合もあるのだ。
リュカはまだまだ甘っちょろい自身の考えを振り払い、覚悟をその胸に刻んでいた。
◇◇◇ ◇◇◇
陽はすっかりと西の稜線に沈んでしまったが空を覆い尽くす闇が濃くなる前に、何とか一行は最初の目的地であるニールの町に辿り着くことが出来ていた。
意気揚々と出発したものの朝から歩き通しだったため、リュカの疲労の色は濃い。
何しろ普通に歩くわけではなく、騎士として日々鍛錬を積み重ねている三人に後れを取らないようにして歩くのだ。普通の人の早足の速度で歩く三人に文句を言うことなく、リュカは必死でその速度に食らいついていた。ただ、後半は無駄口を叩く余裕もなくなり、黙って自分の足が出る先の地面だけを見つめて歩いていたのだが。
イリスとロイはそんなリュカを心配し時折声を掛け励ましながらも、その歩みのスピードを緩めることはなかった。急がなければ今日中にニールの町まで辿り着けないという事もあるが、別の意味合いもあった。
――剣を教えて欲しい。
イリスはリュカに、過去の自分を重ね合わせていた。
理不尽に対して対抗する術を持たず、全てを奪われたのであろう王女としての過去の自分。そして記憶を失くし無意識下でも力を求めた数年前の自分がリュカに重なって見えていた。
剣をアイザックに習い始めた当初、イリスにとって剣の稽古は辛く苦しいだけものであり、何度剣を放り投げようと思ったか知れなかった。しかしその苦しかった日々を乗り越え騎士として皇帝に認められる程の実力を付けた今、イリスは自分自身の力で運命に抗うことができる。
それを思うと、今は何の力も持たないリュカがウィレンツィア王国奪還を成功させるために力をつけることは、イリスと同じように自身の手で運命を切り開くことに繋がると思えた。
運命にただ流されるだけでなく、自分で選び取ることが出来るという点は大きい。無論、積極的に人を殺める罪を背負わせたいわけではないが、リュカにも選択の余地を与えてあげたい気持ちの方が勝っていた。
しかしおそらく剣をまともに振ったこともなければ基礎体力も平均並みだろうリュカが、一朝一夕で戦えるようになることはない。先ずは何よりも体力や筋力をつけることが重要だ。そのためにも、この旅は良い体力作りになるとイリスは考えていた。
騎士である自分達と同じ速度で毎日長距離を移動することになるのだ。それだけでも基礎体力は飛躍的に向上するだろう。
しかも今回の旅路はその行程にストレアル山脈越えが控えている。高所運動で肺も鍛えられそうだ。
そうした基礎体力作りと並行して剣の基礎を叩きこむことで、リュカを一端の騎士ぐらいには育て上げようとイリスは意気込んでいた。
「……なんだよ。その顔、ちょっと怖いんだけど」
レオンが宿を取るために一旦離れ、ロイが何か食べるものを見繕ってくると言っていなくなり、町の中央で植栽の脇に備え付けられたベンチに腰を下ろして息を整えていたリュカが、目の前に立つイリスを見上げながら眉間に皺を寄せた。
脳内でリュカの体力向上計画を練っているうちに、イリスはどうやら楽しくなっていたようだ。真剣な表情で考え事をしながら口角だけが上がっていたようで、不自然に上がった口角を隠すようにイリスは頬に手を添えながらも正直に胸の内を吐露した。
「弟子が出来たみたいで嬉しくって」
イリスにはこれまで、騎士団内で自分の下に後輩が付いたことはない。
異例の速さでインペリアルガードに選抜されたこと、女であるということ、軍総司令官であるアイザックの娘であることなど様々な理由でイリスは騎士団内で誹謗中傷されたり差別的な扱いをされることが多かった。
騎士団の誰もイリスを騎士として認めていないわけではないのだが、己の矜持や自尊心故、その実力を認めたくないという思いが彼等のそうした言動に繋がっていたのだ。
そのことをイリス自身よく分かっていたので仕方のないことだと割り切っていたのだが、寧ろレオンとロイがそうした他からのイリスに対する言動や態度に立腹してトラブルになることがあり、イリスが止めていたくらいだった。
そうした理由もありイリスは騎士団の何処かの部隊に所属するよりは独立した部隊にいた方がいいということになり、皇帝が新たに創設したフラッデル隊に身を置くことになったのだ。そのためイリスに後輩がいたことはなかった。
今回、そんな自分が教える立場になり自分より下の者ができるということは、自分が認められたような気がしてイリスは純粋に嬉しかったのだ。
けれど笑顔でそんなことを言うイリスに、リュカは項垂れこれ見よがしに大きな溜息を吐いた。
「……俺は弟子じゃない」
「でも、剣を教えて欲しいんでしょう?」
「それは……そうだけど」
再び項垂れながら「何か違う気がする」とリュカが溢しているが、教えを乞う以上弟子は弟子だ。これからどうやって指導していこうかとイリスは思案を巡らせる。
そんなイリスにこれ以上何を言っても無駄だと悟ったリュカは、弟子の件は一旦諦め話題を変えた。
「そういえばさ、今朝の敵対してきた男達ってどのぐらいの強さだったんだ?」
イリスは返答を考える素振りをしながら、できるだけリュカを傷付けない答えを模索した。
「うーん。弱くは無い、ってところかな」
「……弱くは無い、か」
実際はレオンとロイと、敵対していた男達との力の差は歴然だった。二人は数人を相手にしながらその実、全員を生かしておくという加減までしていたのだ。
だがそれをそのまま伝えてしまうと、リュカは二人との力の差を思い知ることになる。もう思い知っている部分もあるだろうが、今は他と自分を比べるよりも自分の実力と向き合う方が大事だ。イリスは言葉を選びながら、相手もそこそこだったのだと嘘のない範囲で伝えた。
「それでもおそらくはドルシグ帝国の兵士だからね。その辺の破落戸とは比べ物にならないぐらい強いよ」
今朝対峙した男達はおそらく、ドルシグ帝国から新たにイリスを狙って送り込まれた者達だろう。我流の剣捌きではなかったし、連携も取れていた。
「ふぅん……ん?」
ふと、リュカは重大な事に気が付いた。
「っていうか!ドルジグから襲われてるじゃんか!!『不可侵の掟』に反してる!!ドルジグを叩く絶好の理由だろ!!」
「しーっ!!」
興奮したリュカの大声が町中に響き渡る。夕食の時刻はとうに過ぎているためまばらな人通りではあるが、突然の大声に人々が振り返りイリス達に視線が集まった。
だが突然の大声に反応したものの、人々は誰も会話の内容までは聞き取れなかったようだ。興味を失くすと、再び歩いてその場を通り過ぎていった。
イリスとリュカは身を縮こませながら、誰へともなく頭を下げた。
「……あのねリュカ、エルヴィン皇子がそんなヘマすると思う?」
人々が通り過ぎたところで、リュカの隣にイリスが腰を下ろしながら小声で話しかけた。
「……ドルジグだって分からないようにして、襲撃してるってことか」
「今までもそうだけれど、尋問したところで真実を吐くことはないわね」
実際、尋問する前に口内に仕込んでいる毒を飲んで自害する者がほとんどだ。今朝対峙した男達も、連絡を受け派遣された騎士が到着するまでに生きているとは思えなかった。
「俺は最終的には、今日戦った奴等ぐらいとは渡り合えるようにならないといけないってことだよな」
リュカは膝に置いた両方の掌を、じっと見つめる。その手にはまだ何も掴めていない。しかし、これから確実に掴んでいかなければならないのだと感じていた。
「俺は、その域まで強くなれるだろうか」
顔をあげ隣に座るイリスを見つめる。リュカのその真剣な眼差しを受けて、イリスは穏やかに答えた。
「どんな世界でも努力した時間というものは裏切らない。……自分と他人を比べなければね」
声色は穏やかで優しいが、その言葉は一切の希望的観測を含まず事実のみを告げていた。
そのことがかえって言葉の信憑性を高めており、リュカはその言葉をすんなりと受け止めることができていた。
(要はここから努力を重ねても、その域までは到底及ばないって事か。でも、努力をすれば今の自分は越えられる、と)
リュカはもう一度己の掌を見つめる。そしてその掌をぐっと握りしめ拳を作ると、ふーっと深く息を吐き出し再び顔をあげてイリスを見た。
イリスは自分の言葉でリュカを追い込んでしまったのではないかと若干心配していたのだが、リュカの瞳に落胆の色は見てとれず一先ず安心する。
そんなイリスに向かって、リュカは悪戯っぽく口角を上げて笑った。
「これからよろしく。師匠?」
リュカの言葉に目を見開いて驚いたイリスだったが、直ぐに顔を綻ばせ拳をリュカに向かって突き出した。
「容赦しないから覚悟しなさい」
「ははっ、お手柔らかに」
差し出された拳に、リュカが同じように拳を突き出す。
二人は拳を突き合わせながら、顔を見合わせて笑った。




