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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第二章 八年前、始まりの日
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過去から届いた手紙

 アイザックの言葉に、返す言葉が見つからずイリスは押し黙る。


 自分がウィレンツィア王国の王女ではないなど、イリスとて思ってはいない。しかし僅かでもその可能性があるのならば、もう少しだけその希望に縋っていたかっただけなのだ。

 王女ではなく、ただのサンスタシア帝国民であり、アイザックとユリスの子供でいたかった。


「父さん……私……」


 自分の思いを言葉にしようとして顔をあげるが、何と言っていいか分からずイリスは再び下を向く。

 

「イリス。お前はサンスタシア帝国の立派な騎士だ」


 頭上から、低く重みのある声が掛けられる。なぜ今アイザックがそんなことを言ったのかが分からず、イリスは伏せていた顔を上げてアイザックを見た。


「お前は八年前、ユリスの死を機にこの帝都に戻ってきてすぐ、私に剣を教えてくれと言った。それは覚えているか?」

「……はい」


 事実だった。イリスは帝都にきてすぐ、自分からアイザックに剣を教えて欲しいと懇願した。


「私が何度駄目だと言っても諦めずに食い下がった。そうだな」

「はい」


 実は当初、アイザックはイリスに剣を教えることを嫌がった。

 女子供に剣を教えるものではないという理由で断られているものだとばかりイリスは思っていたが、それだけではなかったのだろう。今なら別の理由も分かる。アイザックとしては、王女が剣など握るべきではないと考えていたのだ。


「私はそのことを皇帝陛下と宰相に相談した。ちなみにイリスの真実を知っているのは、私の他には皇帝陛下と宰相、そしてゼアンとアンナの四人だけだ。そして私の相談を受けた皇帝陛下と宰相の結論は、予想外にも剣を教えて良いというものだった。イリス自身が望んでいるのならば、()()()がきた時に、力がないよりはあった方がいいだろうという判断だったんだ。だが私は……」


 アイザックはそこまで言って、何故か気まずそうにイリスから視線を外した。

 

(……父さんは本当は、どう思って、何を言いたかったんだろう)


 視線を外したアイザックだったが、一つ息を深く吐き出し呼吸を整えると、再びイリスに向き直った。その顔にはもう迷いがなく、いつもの軍総司令官としての顔が貼り付いていた。イリスはアイザックの真意を、量りかねていた。


「お前には八年前以前の記憶が無い。どうして記憶もないのにお前は、剣を覚えることを望んだんだ?」

「どう、してって……」


 そう言われて初めて、その理由を考える。イリスはあの当時、アイザックに剣を教わらないといけないという焦燥感にも似た思いに駆り立てられていた。それはいったい何故だったのだろうか。

 

 自身では答えの出ないイリスの疑問に答えをくれたのは、質問をぶつけたアイザック本人だった。


「お前は記憶が戻っていなくても、心の何処かで八年前以前の事をずっと覚えているんだ。そして、あの日のことも。だからこそ、自分に力を付けなければと無意識に思っているんだろう。あの日亡くなった人達の為に。そして……国を取り戻すために」


 ドルシグの乱が起こったあの日、実際には何が起こったのか記憶のないイリスに真実は分からない。記憶を封じ込めてしまうくらいの出来事が起こったということだけは分かる。凄惨な現場と耐えがたい現実を目撃したことは間違いないだろう。

 しかしもうそれに蓋をして、記憶を奥底に追いやったままではいけないのだろう。イリスは覚悟を決めなければならないことを感じていた。


「お前は心の何処かで分かっているはずだ。これまで騎士としてずっと力を付けてきたのは、この時のためだったと」


 アイザックの言葉に、そうかもしれないと思う。

 まだ王女であることやウィレンツィア王国奪還を目指すことに自覚は持てないが、自分がこれからやるべきことは分かったような気がした。


「分かった。父さん、……私……頑張ってみるよ」


 イリスの言葉を受けて、その背中を押したはずのアイザックはどこか寂しげに笑った。


「……?」


 アイザックの寂しそうな顔の意味が分からず、イリスは首を傾げる。

 だがそんなイリスの様子には全く気付かずに、アイザックは上着のボタンを二つほど外して徐にその内側に手を差し込むと、上着の内ポケットの中から折りたたまれた紙切れのような物を取り出した。

 目の前に差し出されたその紙を見て、それとよく似た物を知っていることに気付いた。


「これを」


 黙って差し出された紙切れとアイザックを交互に見返す。

 それはノートを切り取って作られた封筒だった。この中には同じノートを切り取って作られた便箋が入っていることを、イリスは知っていた。


「母さんからの、手紙……」


 ユリスの死後、イリスに渡されたユリスからの手紙だった。だがそれは、自室の机の引き出しの中に、大事にしまってあるはずだ。だからこれは絶対に、イリス宛の手紙ではないと断言できた。


(じゃあこれは、あの時の父さん宛の手紙?)


 あの時、同じ紙に書かれた手紙をアンナも受け取っていたが、イリスよりも前にアイザックも受け取ったと聞いていた。


「……っ!」


 疑問に思いながらも手を伸ばし受け取った手紙の宛名を確認して、イリスの手が震えた。

 宛名として封筒の中央に書かれた名前は、「真実を知ったイリスへ」だったからだ。


 震える手で慎重に封筒を開き、中に入っていた便箋代わりのノートの切れ端を広げる。自分宛の手紙を何度も読み返していたために、最早見慣れたユリスの字でそこは埋め尽くされていた。


 イリスは焦る気持ちを抑えながら、恐る恐る文面に目を走らせた。


『イリスへ

貴方がこの手紙を読むのが何日後になるのか何か月後になるのか、もっと長くかかって何年後にもなってしまうのか私には想像もできないけれど、立派に成長したでしょうね。きっと、優しくて素敵な女性になっていると思うわ。でも帝都に行って、アイザックさんに剣を教わっているかもしれないわね。そんな姿も素敵ね。見てみたかった』


 ユリスにはイリスの未来が見えていたのだろうかと思うような書き出しに驚く。でもそれは未来視でも何でもなく、ユリスの観察眼故だったことが次に書かれていた。


『貴方もアイザックさんが剣を振るのを遠くから真剣に見ていたものね。花冠を作る手が止まっているのを何度も見たわ。きっと、記憶が無くてもその力が自分には必要だと思っていたのかもしれないわね』


 イリスには八年前以前の記憶は無いが、記憶力はいい方でそれ以降の記憶は鮮明に覚えていた。だからこそユリスの告白に驚かされる。自分ではそんな時からアイザックの鍛錬の様子を見入っていた自覚がなかったからだ。


『全てを知った今、貴方は苦しんでいるでしょうね。貴方が記憶を取り戻した時、アイザックさんがどんな説明をしたのか私には想像もできないけれど、苦しんでいる貴方に追い打ちをかけたのではないかと思っているわ。でも、これだけは知っていて欲しい』


 実際のところ、イリスは記憶を取り戻したわけではない。ユリスはイリスが真実を知るのは、イリスに記憶が戻った時だと思っていたのだろう。

 何を知っていて欲しいのかと、イリスは先の文章を急いで目で追った。


『でも、これだけは知っていて欲しい。アイザックさんは恥ずかしがり屋なのよ。だから、貴方に言った言葉が全部、アイザックさんの真実じゃないって分かってあげていてね』


 予想外の言葉に驚く。アイザックが恥ずかしがり屋だなんてイリスは思ったこともなかった。およそアイザックを形容するのに相応しくない言葉に疑問が広がる。


『アイザックさんは、使命感から貴方を育てたとか、王女としての自覚を持てとか、ウィレンツィア王国を取り戻すために動けとか、この時のために剣を教えたとか、いろいろ言ったかもしれないけれど、どれも本心じゃないわ。これは絶対』


 ユリスは本当に未来視でも出来たのではないかと思う程の内容に驚きを隠せない。

 イリスとしてはウィレンツィア王国の王女ではないかもしれないという一縷の望みに縋っていたかったのだが、先程アイザックにそんなことはありえないと否定されてしまい、王女としての自覚を持てと言われたように感じて落ち込むということがあったばかりだ。

 

(あの言葉が、真実ではない?では、何が本当なのだろう)


 ユリスはイリスの疑問に対して、答えを用意してくれていた。


『どのくらいの期間、貴方とアイザックさんは一緒に過ごすのかしらね。でも過ごした期間の長さに関係なく、アイザックさんは貴方が思っているよりもずっと貴方のことを想っているわ。信じられないのなら、聞いてごらんなさいね。きっとちゃんと答えてくれるから』


 ユリスは、アイザックがイリスのことを想っているという。それが伝わっていないわけではないが、イリスはそれを、今は心の底からは信じきれなくなっていた。


『今までは傍でアイザックさんが護ってくれていたでしょう。今度は私の番。アイザックさんの手を離れても、これからは私が遠く空の上から見守っているから安心して。貴方が許してくれるのなら、これからもずっと母親として貴方の事を見守っているわ』


 手紙の最後は「大切な娘イリスに愛を込めて」と締めくくられていた。

 アイザックもユリスも、イリスが真実を知って尚、父と母として接したいと言ってくれることがイリスには嬉しかった。



 イリスは読み終えた手紙をそのまま、目の前に居るアイザックに差し出した。

 手紙を差し出されアイザックは一瞬戸惑ったが、黙って受け取ると文面に目を走らせた。

 途中アイザックは、苦笑して頭を掻いたり項垂れたりしながら手紙を読んでいた。きっと、ユリスに心を読まれていたことが恥ずかしかったのだろう。


 読み終えて手紙から顔を上げたアイザックに、イリスが尋ねた。


「母さんが、父さんに直接聞くようにって」


 皆まで言わなかったが、その言葉で全てを察したらしい。アイザックが項垂れ溜息を吐きながら答えた。


「……そうだよ。私個人としては……お前にウィレンツィア王国になんて行って欲しくないと思っている。今更王女になんて戻らなくてもいい。こうなるだろうから……剣なんて教えたくなかったんだ」

「っ!!」


 イリスはこれ以上ない程驚いて、向かいに座ったまま項垂れて顔を伏せたアイザックを凝視した。


 アイザックは軍総司令官という責任ある立場にいるため、そこに一切の私情を挟まない。イリスよりも任務や立場を慮る行動や言動が普通だった。だからこそ、今まで一緒に過ごしてきてこれほどあからさまに本音を語るアイザックを、イリスは見たことがなかったのだ。


「……父さんにとって、母さんってすごい人だったんだね」


 イリスの口から、思わず言葉が零れ落ちていた。

 あの手紙にはいったい、どんな魔法が掛かっていたというのだろうか。イリスが読んだ限りでは、アイザックは本音を言わないから、聞いてみなさいと書かれた普通の手紙だった。それなのにアイザックがこれほど素直に胸の内を教えてくれるとは思っていず、ついそんなことを呟いていた。

 

「ああ、そうだな。だがそれは、イリスにとっても同じじゃないのか?」


 力なく顔を上げながら、アイザックがイリスを見た。

 言いたくないことをわざわざ言わされて恥ずかしさが勝っているが、だがその表情は、どことなくすっきりとしたもののようにも見えた。


「そうだね。母さんは魔法使いみたいだ」


 イリスは素直に同意した。八年前ユリスが亡くなった時に受け取った手紙も、罪悪感に苛まれるイリスをどん底から救い上げてくれたことをイリスは片時も忘れてはいない。

 そして今もまた、このユリスの手紙がイリスに父親としてのアイザックの本音を聞かせてくれたのだ。


 本当はこのまま一緒にいたいというアイザックの本音こそが、今のイリスにとって一番嬉しかった。

 それを胸に、これからどんな運命にも立ち向かっていけそうな気がしたのだ。


(自分には、帰る場所がある)


 そう思うだけで、これから呑み込まれようとしている運命の大きな潮流の中でも、自分を見失わないでいられる気がした。


「父さん……そして母さん。本当にありがとう」


 イリスは握りしめていたユリスからの手紙を、そっと胸に抱いて呟いた。






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