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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第二章 八年前、始まりの日
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別れ

 外はもうすっかりと陽が昇り、起き出した小鳥達が軽快に囀り新しい一日の始まりを告げていた。

 

 ベッドに座りユリスの右手を握っていたアイザックは、ユリスの左手も取ると両手を組み合わせてそっと胸の前に置いた。

 そして立ち上がり、横たわるユリスを見つめる。

 その目は固く閉ざされたままで、もう二度とアイザックを映すことは無い。その口が遠慮しがちにアイザックの名を呼ぶことも、もう永遠に無い。


 受け入れがたい現実が目の前に横たわっているが、アイザックは目を逸らさずに見つめ続けた。

 ぐっと拳に力を込めて握り、一つ息を吐いて気持ちを奮い立たせる。ユリスは自分が死んだ後のアイザックの心配までしてくれたのだ。ユリスの為にも、アイザックが現実を受け止めきれずに立ち止まったままでいるわけにはいかなかった。


 アイザックは手に持っていた手紙をノートを折って作られた封筒の中に戻すと、上着の内側のポケットに丁重に仕舞い込んだ。

 手紙を入れた左胸の部分を、上着の上から掌で押さえて存在を確認する。手紙のある場所がほんのりと温かい気がして、表情が緩んだ。

 

 ユリスに護られている。そんな気がした。

 

 アイザックはユリスから入り口脇に置いてある机に視線を向けると、ゆっくりと歩み寄りそこに置いていた他の手紙を手に取った。先程、自分宛の手紙を読む際に一旦置いた物だ。

 残りの手紙は四通。一番上の手紙の封筒に書かれた宛名は『アンナへ』だった。二通目の宛名は『イリスへ』だ。


(残りの二通は、誰宛だろうか)


 アイザックが知る限りユリスに他に親交がある人物など、ユリスを診てくれていた侍医ぐらいだ。

 他にもアイザックが知らないだけで体調が悪化する前に親交があった人物がいるのかもしれないが、手紙を残すほどの人物ならもっと交流があっても良さそうなものだが、アイザック達がこの小屋に来てから誰かがこの小屋を訪ねてきたということはない。


 訝しみながら重なった手紙をずらしその宛名を確認する。そこに書かれた宛名は、予想だにしない意外な人物だった。


 ――『真実を知ったイリスへ』『イリスが全てを知った時のアイザックへ』


 宛名を目にした瞬間、鼻の奥がツンとし目頭が熱くなる。

 先程溢れるままに涙し、もう泣きつくしたと思ったにも関わらず、今もまた涙は後から後から溢れてくる。自分はこんなにも弱い人間だっただろうかと思わずにはいられなかった。


 いったい、ユリスはどれほど皆を想い、救ってくれるのだろうか。

 自分が死んだ後に、誰も悲しまないように、苦しまないように、自身の事よりも心を砕いて準備していたのだと思うと胸が痛んだ。

 アイザックはぐいっと乱雑に腕で涙を拭うと、アンナとイリス宛の手紙を机の引き出しに戻し、未来に宛てられた二通の手紙を自分宛の手紙をしまったのと同じ懐のポケットに大切に仕舞い込んだ。


 横たわるユリスを振り返る。アイザックはできるだけ優しくユリスに向かって微笑んで見せた。


『もう、心配しなくていい。泣くのは終わりだ。君の想いは確実に私が未来に届けるよ』


 今は強がりでもいい。悲しむのは今この時で終わりにしようと決意する。

 そしてこの先、ユリスの心残り……イリスとアンナは何としても守り抜くことを心に誓った。




 その後どのぐらいの時間がたったのか曖昧だったが、隣の部屋の扉が開く音が聴こえてアイザックはユリスの部屋を出た。

 居間に出ると、アンナが自室から出てくるところだった。アンナの表情は喪失感が色濃く悲嘆に暮れていたが、アイザックの姿を認めると気遣わし気になんとか笑顔を取り繕って見せていた。

 アンナに続いて、部屋の扉からはイリスが顔を出す。その表情もまた、悲痛な面持ちをしていた。


 だがそれも仕方がないのではないかとアイザックは思った。両親と双子の兄を亡くすという経験をしたばかりなのに、また身近にいる人が亡くなるという場面に遭遇したのだ。しかも、前回はあまりの出来事にショックで記憶も失くしている。そんな状態で、再び人の死を受け入れることは酷だし無理なことの様に思われた。


(そうだ、記憶は……)


 だがそれは、イリスの表情を見れば聞くまでも無い事だろう。

 アイザックは今イリスに、そんな野暮な質問をすることは止めた。



 その後、食欲も湧かなかったが三人で簡単に遅い朝食をとった。

 三人共誰も口を開くことなく、ただ黙々と食事を口の中に押し込んでいた。温かい湯気のあがるスープも焼きたてのパンもどれも美味しそうではあるのだが、味も食感も何も感じられなかった。

 確かに食事を口にして栄養を摂取しているのだが、食べているのは自分ではないような、どこか他人事のような気がしていた。


 味気ない食事を終えて、再び三人でユリスの元に集まる。

 埋葬を前に、アイザックはユリスからの手紙を預かっていることを二人に伝え、机の引き出しからそれを取り出すとそれぞれに手渡した。


『私宛にも、あったのね』


 悲しみの中に僅かに喜色を滲ませた表情のアンナを見て、アイザックの知らなかった二通の未来への手紙を机に入れた人物がアンナであると気付く。

 おそらくアンナは、手紙を机の引き出しに入れるようユリスから頼まれた際、その宛名を見たのだろう。そして手紙が、未来のイリスとアイザックに向けられたものだと知った。だから、自分宛の手紙はないと思っていたのだろう。


 急いで封を切るアンナとは対照的に、イリスはどうしたらいいのか迷っているようだった。

 手紙を持ったままイリスは固まっている。どんなことが書かれているか、不安なのだろう。


 イリスにはここ数週間より前の記憶がない。今はそれを利用して、ウィレンツィア王国の王女であるという事実を隠し、ユリスとアイザックの子供と事実を偽って教えている。

 しかしそんな真実を知る由もないイリスにとって、この手紙は実の母からの手紙に他ならない。病気で余命幾許もない母親に対して、子供である自分が一切の記憶を失っていたら。そして自分の記憶が戻らないうちに母親が亡くなってしまったら。――子供は罪悪感しか抱かないだろう。

 親が子供に忘れられるなど、母親の心痛は如何程かと思うのが普通だ。イリスは今、母親を苦しめたまま死なせてしまったという罪の意識に囚われていることだろう。

 

 しかし実際は、イリスがそんな罪悪感を抱く必要など全くない。ユリスとはつい数週間前に会ったばかりの他人で、イリスとは何の関係もない人物だ。しかし今、それをイリスに言うわけにはいかない。

 イリスの心情を知っていて尚真実を告げることが出来ず、アイザックがどうしたものかと思い悩んでいると、イリスの方から声を掛けられた。


『ねぇ父さん……私の代わりにこの手紙、最初に読んでくれない?』


 イリスはアイザックとは目を合わせずに、手紙を差し出していた。自分で最初に読むのは不安なのだろう。

 アイザックはできるだけ優しく微笑み、安心させる様にイリスの頭に掌を置いてゆっくり撫でてやりながら、反対の手で手紙を受け取った。


 ゆっくりと封筒を開いて、中から同じノートを切って作られた便箋を取り出した。便箋は三枚あった。

 二つに折られていたそれらをゆっくりと開いて、中に書かれた文字を目で追う。アイザックへの手紙同様、病床で書かれたそれは所々震えた文字ではあったが、丁寧に綴られていた。


『イリスへ

あなたはとても優しい子。そして、他の人の事を思い遣れる子。私は貴方の事が大好きよ。

もしかしたら貴方はきっと、今とても苦しんでいるかもしれない。けれど、それは違う。貴方の記憶が無くなって辛いのは、私じゃない。貴方自身なのよ。それを忘れないで』


 ――ああ。君は本当に、どこまで皆を救ってくれるのだろう。


 イリスに対して、記憶が無いことを責めるような言葉を残すとは微塵も思っていなかったからこそ、アイザックは安心してユリスの手紙を手渡した。イリスが直接読んでもきっと害はないだろうと判断したからだ。

 けれどユリスは責めるような言葉どころか、自分が死ぬことでイリスが感じるであろう罪悪感を的確に予測し、それに対してこんなにも温かい救いの言葉を遺していたのだ。


『貴方と一緒に過ごせた時間はとても短かった。出来るのであれば、もっとずっと一緒に居たかった』


 この言葉を読んで、冒頭から今まで、嘘が無いということに気付く。

 実際にユリスとイリスが一緒に過ごしたのは数週間ととても短い時間だ。けれど、母親と子供という立場で考えても、母親が十歳の子を遺して亡くなるというのは一緒に過ごせた時間はとても短いという表現が適切だ。


 おそらく、ユリスはわざとそういう風にとれるように留意して書いたのだろう。

 そこには、イリスに対して嘘を吐きたくないというユリスの切実な思いが見え隠れするようでアイザックは知らず微笑んでいた。


 手紙の続きには、今後の事が書かれていた。

 アイザックは死期が近い自分の事を案じて長く休みを取っていたから、自分の埋葬などが終わって一段落したら、イリスはアイザックと一緒に帝都に行くようにという事。自分がいなくなるから、アイザックの事をよろしくという事。たまには自分のお墓参りついでにアンナの顔を見に来てやって欲しい事などが書かれていて思わず苦笑が漏れた。


(ユリスが亡くなってから不意を突かれて笑ったのは、これが初めてかもしれないな)


 そのどこまでもユリスらしいお願いと言い回し、そして気遣いに、アイザックは笑うしかなかった。


 内容を確認し、無言で手紙をイリスに手渡す。きっとこの手紙が、イリスの心を救ってくれることだろう。

 イリスは恐る恐る手紙を受け取ったが、アイザックが中身を確認した上でそれでも自分に返したことで、この手紙は自分が読んでも大丈夫なものだと判断したようだ。少し安心したような表情を見せ、ゆっくりと手紙に目を落とした。

 

 途端、ボロボロとイリスの目から涙が零れ落ちる。アイザックはその気持ちが痛い程分かって胸が締め付けられた。今朝方自分も、自分宛の手紙を読んで同じ気持ちになったことを思い出す。

 イリスは途中で耐えきれずに床にぺたんと座り込むと、天を仰いでわんわんと声を上げながら泣き始めた。気付くと、手紙を読み終えたらしいアンナも、ユリスの脇に膝を付いてその体に寄り添いながら大声で泣いていた。

 アイザックは泣いている二人を部屋に残し、そっと部屋を出て扉を閉めた。今下手に慰められるよりも、気が済むまで泣いた方がいいと判断したからだ。アイザックがそうであったように、その方が気持ちの整理がつく。


 アイザックは二人が落ち着いたら何か温かい飲み物を入れてやろうと思い、湯を沸かしに台所へと向かった。




 二人が号泣しながらも、自分の気持ちとユリスへの想いの整理がついたところで三人でアイザックが入れた温かいお茶を飲んだ。

 朝食時のどこか作り物めいた空間とは異なり、悲しみは未だ癒えないものの、今は悲しみを受け止めて共有できる温かい空間がそこに広がっていた。


 お茶の後は、三人でユリスを埋葬した。

 家のすぐ裏手の大きな樹の下に埋葬用の穴を掘った。一度だけアイザックとイリスがユリスを外に連れ出したことがあったのだが、その時ユリスが座っていた木陰だ。

 あの日、綺麗な三葉を見つけてアイザックに差し出してきたユリスを思い出す。つい数日前の出来事なのに、もうずいぶん遠い昔の事の様に感じられた。


 ユリスを埋葬した後、そこにイリスが作った花輪を飾った。

 アイザックとアンナが作業をしている間中イリスが花輪を作っていたので、ユリスを埋めた土の上は花輪だらけになってしまい三人で笑い合う。

 いくつもの色とりどりの花輪に囲まれ、そこだけ別世界のように美しかった。

 

 ユリスに最期の別れを告げて三人で家に戻る。

 イリスは『先に行くね』と夕日を背に笑顔を見せ家に向かって駆け出した。その背中を見て、イリスはきっともう大丈夫だと確信する。そして、そんな風にイリスを大丈夫にしたのはアイザックでもアンナでもなく、今はこの世界に居ないユリスその人だった。


 駆けていくイリスを眺めながら、アイザックは心に決めていたことをアンナに告げた。


『アンナ。ユリスの墓石に、ヴェリールの名を刻む許可をくれないか』


 横並びに歩を進めていたアンナが驚いてその歩みを止める。それに気づいてアイザックが振り返ると、アンナは大粒の涙を零していた。


 ヴェリールはアイザックの姓だ。死人と戸籍上婚姻関係を結ぶことはできない。だがアイザックは自身の気持ちと決意を、何らかの形で示しておきたかったのだ。

 アンナはアイザックの気持ちを察し、涙ながらに微笑んだ。


『ありがとう。娘を想ってくれたこと、感謝します。でも、いつかその想いを別な人に向けることが出来た時は、娘の事を気にせず、その気持ちに素直に従ってくださいね』


 アイザックもアンナに微笑み返した。

 とても辛いことがあった一日だったが、それをそれぞれに乗り越え、悲しみと共存しながら、最後は温かい気持ちに包まれた一日だった。






 サンスタシア帝国の帝都から南に下ったデダルス山脈麓の丘陵に、裏手に大きな樹が一本立っている小さな小屋がある。

 その木の根元にはお墓がある。気持ちの良い木陰に作られたそのお墓には、いつも可愛らしい野の花で作られた花輪が手向けられていた。


 『ユリス・ヴェリール』


 若くして病気で命を落としたが、幸せな最期を過ごした女性の名がそこには刻まれていた。






これにて過去回終了です。

主人公不在のほぼアイザックとユリスのお話にお付き合いいただきありがとうございました。

長すぎるな、と筆者も思っておりました(反省)。けれど、どうしても今後のためにユリスという人物の為人を書いておきたくて……これでも削ったんです(言い訳)。書いては消し、書いては消し、結局丸々お蔵入りにした一話もあります(今回の話にあった、ユリス外に出るの巻です)。

そんなやりとりもあったんだな、と補完して読んで下さい。

どうしても載せたくなったら閑話にして投稿するかもしれませんが、(主人公不在過ぎて)しないかもしれません。


明日から現在にお話は戻ります。漸く主人公が活躍(?)しますので今後もどうぞよろしくお願いします。

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