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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第二章 八年前、始まりの日
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「イリス」に込める想い

『母さん!大丈夫?』


(……血は繋がっていないはずなのになぁ)


 入室するなり心配そうにユリスの横たわるベッドに駆け寄り、膝を床に付いて目線を合わせて話すイリスのその仕草がアイザックにそっくりで、ユリスはまじまじとイリスを見つめた。


 ユリスにそうするように、イリスにもアイザックがそうやって接していたのかもしれない。それを見て自然とこうするものだと覚えたのだろう。元々の心根が優しいのもあるだろうが、それ程までにそっくりでユリスは思わず声をあげて笑ってしまった。


『ふふっ、もう大丈夫。すっかり熱も下がったから、この通り元気よ』


 何だか可笑しくて、ユリスが笑いながら手を伸ばせば、イリスがその手を両手で優しく握ってくれた。自分より小さな手に触れることが初めてで、ユリスはくすぐったい気持ちになった。


 

 侍医がこの小屋に到着してイリスの診察をしてから、四日が経っていた。

 あの夜以降三日間熱を出して寝込んでいたユリスだが、漸く回復したと思ったらまたもや熱を出し、こうして直接イリスと会うのは初めてだった。

 

『本当に?無理していない?』

『本当の本当に大丈夫。心配かけてごめんなさい』


 握る手に力が込められていくのが分かる。イリスの不安な気持ちがきっとそのまま行動として表れているのだろう。記憶はまだ戻っていないと聞いていたが、家族を目の前で失うという経験をしているだけに、心の何処かで人が亡くなることへの絶対的な恐怖を感じているのかもしれなかった。


 ユリスは少しでも大丈夫だということが伝わるように、身を捩って横向きになるともう片方の手でイリスの小さな手を撫でた。


『本当に、今日は気分がいいのよ』


 安心させようと精一杯の笑顔を作って見せれば、漸くイリスもユリスに笑顔を返してくれたのだった。



 イリスが面会に訪れる前に最初にアイザックがやって来て、またもやユリスの心身に負担をかけたことへの謝罪と共に、ユリスが伏していた間の出来事を教えてもらっていた。


 イリスはアイザックが語った作り話を信じたようで、疑問を抱くことなく過ごしていたのだという。

 あの夜以降錯乱状態に陥ることもなく、普通に過ごしていたのだそうだ。

 夜中に魘されて目覚めることはあるようだが、アンナが一緒のベッドで寝ているので抱きしめて背中を擦ると直ぐに落ち着いて再び眠ることができているらしい。

 侍医はイリスの状態が安定しているので、一旦この小屋を離れたそうだ。

 ユリスの死期が近いためにアイザックが連れてきた医師ということにしてこのまま滞在させる案も出たそうだが、どんなに死期が近くてもずっと医師が常駐している状況というのはおかしい。イリスに疑念を抱かせないためにも、その案は却下になったそうだ。

 そしてこの小屋に護衛の騎士がいるのもおかしいので、侍医と共に来た第二騎士団の面々は麓の集落近くで野営をしながら警戒を続けているそうだ。ちなみに侍医も、何かあったらすぐに駆け付けられるようにとそこで待機しているらしい。



『母さん、何か私にして欲しいこととか私にできることはない?』


 けれど大丈夫だと口でどんなに言っても心配なようで、イリスが不安げにユリスを見つめていた。

 どう言えばイリスが納得するのか分からず、困ったユリスは視線を扉の所に立つアイザックに向けて助けを求める。

 そんなユリスの視線を受けてその意図を正確に汲み取ると、アイザックがイリスに声を掛けた。


『イリス、昨日アンナと作った花冠を母さんにも作ってやったらどうだ?母さんもあの花が好きなんだ』

『っ!分かった。じゃあ私、行ってくる!』


 四日前目を覚ました直後はとても丁寧な言葉遣いをしていたイリスだが、アイザックとアンナと過ごす中でその言葉遣いが周囲と合っていないと自分で気づいたそうだ。今ではすっかり、周囲と同じような口調で話している。元々その辺の子供とは一線を画していたが、順応性も高いのだろう。


『昨日も言ったが、この窓から見える範囲でだ。イリス、約束だぞ?』


 今にも部屋を飛び出していこうとしていたイリスを、アイザックが呼び止める。扉の前でアイザックが仁王立ちしているので行きたくても出ることが出来ずイリスが渋々足を止めるが、不服そうに頬を膨らませていた。


『分かってる。大丈夫よ、昨日だってちゃんと約束を守ったでしょう』

『……』


 イリスから不満顔を向けられ、アイザックは根負けして扉の前を退いた。するとイリスは軽やかに扉をくぐって、あっという間に駆けて行ってしまった。


『……はぁ。意外と行動派で困ってるんだ』


 独り言を呟き溜息混じりに苦笑したアイザックは、扉を閉めて部屋の奥まで歩みを進めるとベッドの横にある窓を開け放った。

 寝ているユリスの位置からだと窓の外の景色は見上げる空しか見えないのだが、アイザックには小屋の西側に回ってきたイリスの姿が見えたのだろう。窓の外に向かってにこやかに手を振っていた。


『あんまり遠くまで行くなよ!』

『分かってるー!』


 そうは答えたものの、聴こえてきたイリスの声はもうだいぶ遠かった。アイザックがそんなイリスの様子を眺めながら、笑みを溢し溜息めいた息を吐く。仕方がない、といった感じだろうか。


『父親が板についているのね』


 ユリスが声を掛けると、アイザックが微笑みながらユリスを見下ろした。アイザックは窓の下にある机のところから椅子をひょいっと抱え上げると、ユリスの顔の近くに置きそこに腰掛けた。


『イリスにすっかり手を焼かされているんだよ』


 困っていると言いつつどこか愉しそうなアイザックが、ユリスにこれまでのイリスの様子を語ってくれた。

 その話によると、どうやらイリスは深窓の令嬢ではないらしく、何でもやってみたがる性質なのだそうだ。

 これまでの三日間、料理や洗濯などはまだ可愛いもので、アイザックが薪割をしているのを見た時はそれもやりたがってアイザックを困らせたのだという。

 

『誰に似てお転婆なのかしらね?』

『それは間違いなくユリスだろうな』


 皮肉のつもりで言ったのにアイザックからまさかの返しを受けて、ユリスの眉間に皺が寄った。


『私あんな風に動けないし、何もできないわ』

『実際に行動を起こすことだけが全てじゃないだろう。行動力があるんだよ、ユリスもイリスも。そういう意味でそっくりだよ。……全く、二人には手を焼かされっぱなしだよ』


 声をあげて笑うアイザックを見上げながら、ユリスはずっと気になっていたことを聴いてみることにした。


『ねぇ……「イリス」って、どうして?』


 イリスの名前は、明らかにユリスの名前から連想して付けられたと分かるものだった。その理由をユリスは聴いてみたかったのだ。


『……名前ってことか?そりゃあ単純に、「ユリス」だから「イリス」かなと』

『お城にいるお偉いさんが考えたの?』

『いや、私が考えたよ。勝手に決めていいと言われたからね』


 てっきり偽りの家族という作り話を考えた人達がその時一緒に考えたのだと思っていたのだが、そうではなかったようだ。

 アイザックが考えてくれたのだと知り、ユリスは嬉しくて思わず口角が上がってしまった。


 にやけた顔を見られるのが恥ずかしくて、ユリスは慌てて掛け布団を引き寄せながら口元を隠した。幸い、アイザックは窓の外のイリスの動向を優しい眼差しで見守っており、ユリスのにやけ顔は気付かれなかった。


 だが名付けの話には以外にも続きがあったようで、アイザックがユリスを振り返るとニカッと歯を見せて悪戯っぽく笑って見せた。


『私とユリスの子だから、お互いの名前から取って「アリス」とも思ったんだ。でもアリスだとそのまんまだろう?だから、それは諦めた』

『!』


 王女の本当の名は「アリスティア」であり、その愛称は「アリス」である。アイザックとユリスの両方から文字を取ってアリスと名付けたら、王女の愛称と同じになってしまうのだ。それでは名前を変えた意味がない。


『じゃあ、なんで「イリス」にしたの?』

『私の名前で、アの次がイだったから』


 その単純で明快な理由に、ユリスが目を見開いて驚く。

 名前をイリスと名付けたと聞いた時、母親役のユリスと似た名前を付けたのだなとは思ったが、それがまさか父親役のアイザックの文字も入れて名付けられていたとは思わなかったのだ。


 ユリスは掛け布団をさらに引き上げて、顔をすっぽりと覆う。掛け布団の中で、ユリスの肩が小刻みに震えていた。


『安直だって言いたいのか?』


 それをユリスが笑いを堪えていると取ったアイザックが、わざと声色を低くし怒った風を装いながら掛け布団に手を掛けてそれを一気に捲った。


『ユリ……スっ!どうした?どこか痛むのか?』


 布団の中でユリスは両手で顔を覆っていた。だがよく見ると、ユリスの手の隙間からは涙が零れていたのだ。笑っていたのではなく、ユリスは肩を震わせて声を殺して泣いていた。


 アイザックはユリスの両手を掴んで顔から除けさせると顔色を確認する。先程と変わりなく見えるが油断は禁物だ。アイザックが視線で問えば、ユリスは僅かに首を振り、震える声を絞り出した。


『違うの……嬉しくて』


 どうやら体調が悪いわけではないようだが、何が嬉しいのか分からずアイザックは首を捻る。だが考えても分からないので、アイザックは大人しくユリスの次の言葉を待った。

 ユリスは掌で未だ涙に濡れた目尻を拭うと、ゆっくりと言葉を紡いだ。


『……この先イリスが記憶を取り戻して本当の自分の名前を名乗るようになっても、アイザックさんと私の名前もそこに入っているんだなと思ったら、何だか嬉しくて』


 もちろんそれはこじつけでしかない。元々の王女の名前に自分達の名前と同じ部分があった、というだけの話だ。

 けれどそれが、この先も王女の名前としてユリスが死んだ後も残るのである。

 ユリスという人間が生きて存在していた証が、そこには確かに存在しているような気がした。


 ユリスの言葉を黙って聞いていたアイザックは、話を聴き終えると微笑み、ユリスの頭を優しく撫でた。


『そうだな。私達は王女の命の恩人であり第二の両親でもある。王女の名前に自分達の名前が入ってるってこっそり思っていたとしても、誰も咎めないさ』

『ふふっ……そうね』

 

 二人で見つめ合い、笑い合う。


 王女の名前が、自分達に所縁があるなんて思うのは本当は不敬なのだろう。

 けれどイリスは今この時だけは、間違いなくアイザックとユリスの子供だった。

 


『父さーん!母さーん!見てー。出来たよー!』


 その声に窓の外に視線を向ければ、丘陵をこちらに向かって手を振りながら駆け下りてくるイリスが見えた。

 あっという間に小屋の窓までやってきたイリスが、小屋の外から窓枠にしがみついて中に向かってひょっこりと顔を覗かせた。漸くベッドに横たわるユリスもその姿を視界に捉えることができて、イリスを見るなり嬉しそうに微笑んでいた。


 アイザックがユリスと出会った当初は、口角を僅かに上げて笑みらしきものを作ってもその痩せこけた頬に皺が刻まれるだけで見ていて痛々しいだけだったが、今ではすっかり笑顔が板についているユリスをアイザックも微笑ましく見つめた。


『そんなところから危ないわよ』

『大丈夫。ね、それよりもこれどう?母さんに』


 掲げられたその手には、小さな白い花で造られた花冠が握られていた。


『昨日よりも上達したんじゃないか?』

『ふふっ!そうでしょう?私もそう思うの。ね、父さん、母さんに付けてあげて』


 伸ばされた手から花冠を受け取ると、アイザックはそれをそのままベッドに横たわるユリスの頭に乗せた。


『ちょっと小さかったかな?』

『いや、いいんじゃないか?よく似合ってる』


 乗せられた花冠から花弁の華やかな匂いがしてユリスの鼻腔を擽る。この部屋の中から出ることのないユリスには久しぶりに感じる感覚だった。


 見上げれば、快活な笑顔を向けるイリスと、優しく微笑むアイザックと目が合う。


『ありがとう』


 精一杯の感謝を込めて、言葉を紡ぐ。


 ユリスが今まで感じたことのない、穏やかな時間がそこには流れていた。

 この時間が永遠に続けばいいと、ユリスは願わずにはいられなかった。





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