偽りの家族
『本っ当に!申し訳ないっ!!』
ユリスはベッドに横たわったまま、床に座して頭を擦り付けんばかりに下げているアイザックを見下ろす。
その平身低頭っぷりに、ユリスは一つ深い溜息を吐いた。
侍医が到着して王女――イリスの診察をしてから三日が経っていた。
アイザックから衝撃の作り話を聴いたあの夜からユリスは熱を出して体調を崩してしまい、漸く会話ができるまでに回復したのが今日だったのだ。
あれ以降そのままイリスを診るために滞在してくれている侍医がユリスのことも診てくれていたらしく、侍医からの面会許可がおりてアイザックがユリスの元を訪れたのだ。
そして入室するなり、この状態である。
『……事前に教えていて欲しかったわ』
『本当申し訳ない。それは俺の判断ミスだ』
アイザックはイリスに、とんでもない作り話を語った。
王女はイリスという名前でこの小屋で母親のユリスと祖母のアンナと暮らしており、イリスの父親がアイザックである、というものだ。
だがこの作り話はアイザックによる独断ではなく、サンスタシア帝国との相談の上決まった設定なのだそうだ。
王女をこの家で匿うにあたって、記憶がないならば王女ということを本人にも隠しておこうということになったらしい。
だがドルシグ帝国の動きが落ち着き次第、イリスの身柄は帝都で匿うことが決定している。あくまでユリスの小屋で匿うのは、ドルシグ帝国の目を欺く間だけなのだ。
けれどそうなった場合問題になってくるのが、王女であるが故に聡いイリスにどう説明するかだ。この小屋から帝都に移る理由に矛盾があれば、記憶がないだけに怪しむだろう。適当な言い訳は通用しない。
結局サンスタシア帝国でお偉いさん方が考えた設定は、小屋で母親と祖母と暮らす娘と、普段は帝都で騎士として働いている父親、という設定だったようだ。
これまでは辺境の山奥で母と祖母と暮らしていたが、今後は帝都で教育を受けるために父親と帝都で暮らす、という筋書きにするそうだ。
(すごい、全然違和感がない)
頭のいい人が考えることは凄いんだなと、素直にユリスは感心した。
その筋書きであれば、イリスも全く疑問に思うことなく今後は帝都に移り住むだろう。
『ちょっと驚かそうと思って黙っていてしまったんだ。それがあんなにもユリスの負担になるとは思わなかった。……本当、申し訳ない』
依然床に頭を付けたままのアイザックを見つめる。ユリスはベッドに横になっているので、この位置からだとアイザックのつむじしか見えない。
(別に、悪気があったわけじゃないのよね)
友達や同僚を揶揄うのと同じように、アイザックはちょっとした悪戯を仕掛けただけなのだ。それに病弱なユリスの身体が過剰に反応してしまっただけだ。
(けど……それは驚くわよ)
イリスが娘で、アイザックが父親。母親はもちろんユリス。無論そんなことは偽りでしかないのだが、ユリスは嘘と分かっていてもその設定のことを考えただけで何だかとても心が落ち着かなくなった。
幼い頃から病気に苛まれていたユリスは、外で遊ぶこともできなかったため友達がいなかった。それ故恋なんてしたこともない。
だが声を掛けてくれる人が皆無だったわけではない。優しくしてくれようとする人は今までもいた。だが、深い仲にはならなかった。
その理由は明確で、自分の方に壁があったのだ。どうしても、人の善意が同情や憐れみからくるものに思えてしまい自分から距離を取って接してしまうし、いつか死んでしまう自分と仲良くしても無駄だと考えてしまうのだ。
だからユリスには、心を寄せる人がいたことはなかった。
それなのに今、母親のアンナ以外にユリスに「家族」ができているのだ。イリスの中ではユリスが母親と認識されていると思うだけで、何だかくすぐったい気持ちだった。こんな気持ちは初めてだった。
いつもは昼間にぐっすり寝ていても、夜だって結局病気と体力のなさで寝てしまっている。このまま眠って二度と目が覚めなかったらどんなにいいだろうと思ったことも数知れずだ。起きているだけで身体が苦しくて辛い。ならいっそ、眠っているうちに苦しまずに死ねたらどんなにいいだろうと思っていた。母親にも最期くらい、迷惑を掛けずに逝きたかった。
それが今は逆で、眠ることが出来ない。眠ってしまって、もう二度と目が覚めなかったらと思うと怖かった。まだ、生きていたい。皆の顔を見て、その声を聴いていたかった。
(すっかり我儘になったものだわ)
ユリスはそんな自分も何だか悪くないと思えて、ちょっとだけ肩を竦めて笑った。
『でも……アイザックさんは父親でなくても良かったと思う。イリスが私の娘だとしても、遠征先で怪我をしてこの小屋にたまたま来た騎士とかでも辻褄は合ったんじゃないかしら?わざわざこんな死期が近い女の夫にならなくても良かったはずよ』
ユリスの言葉に驚いて、アイザックは床に付けていた顔をあげた。
『そうだな、その話でも辻褄は合う。無線で相談してた時、城の誰もその線は思いつかなかったよ』
アイザックは感心したように呟いた後、腕を組んで考え込んだ。
『でもそれだと、今後私がこの小屋に残るための言い訳が必要になるんじゃないか?この通り身体もピンピンしてるしな。でも父親であれば、病に伏せる妻と娘のために暫く休暇を取ってきたと言っても、何も疑問を持たれないだろう?……私が夫では不満かい』
アイザックがニヤリと意地悪な笑みを浮かべながら聞き返すので、ユリスは寝たまま顔を背け壁の方を向いた。
『アイザックさんの本当の妻や恋人に申し訳ないと思って!』
思いの外大きな声が出て、声を出したユリスの方が驚いてしまった。感情のままに声を荒げるなど、記憶にある限り一度もなかったのだ。
だが所詮はユリスの出す精一杯の大声だ。大して大きくはないがその懸命な叫びに対して、アイザックはクツクツと喉の奥で笑った。
『私に妻や恋人はいないので、問題ない』
『本当!?』
その言葉に、壁を向いたはずのユリスは結局すぐに勢いよく振り返った。
『本当』
『この設定で、アイザックさんに迷惑をかけていない?』
『全く。元々この設定を考えたのは城の者だし、その時点で私は了承しているしな』
ユリスはほっとして胸を撫で下ろす。ほっとしたのがこの設定でアイザックに迷惑をかけなかったことなのか、妻や恋人がいないことなのか、どちらかなんてユリスにはもうとっくに分かっていた。
『さっきの話だと、暫くここにいるのね?』
『そうだな。引き続きドルシグの動きを警戒しながら王女の記憶が戻るのをここで見守るよ。帝都の方が安全ではあるが、ドルシグの動きもまだ気になるし、また環境を変えるのも王女の心の負担になるだろうとの侍医の見解もあってね。静かに暮らしたかったユリスに迷惑を掛けてしまうのだけが申し訳ないが』
『迷惑だなんて……。でも、そうね。もう一つだけ心配なことがあるの』
ユリスはこの偽りの役割を果たす上で、どうしても気になっていたことを訊ねた。
『私はきっと間もなく死ぬわ。その時、またイリスに身近な人の死を体験させることは大丈夫なの?』
イリスが今回の作り話を信じて、ユリスが死を迎えるまでに記憶が戻らなかった場合、イリスは母親の死を体験することになる。
本当の家族の突然の死を受け入れられず心を閉ざしたイリスに、さらに追い打ちをかけることになるのではないかという懸念があった。
どうやら痛い所を突いてしまったようで、ユリスの話を聴いていたアイザックはみるみる顔を顰めた。
『まったく……ユリスに隠し事はできないな』
アイザックは諦めたように溜息を一つ吐くと、真っ直ぐにユリスを見据えた。
『侍医からは、ユリスの死という類似体験をきっかけに記憶が戻るかもしれないと言われてるんだ。……我々は、ユリスの死を利用しようとしているんだよ』
アイザックの言葉に驚いて、ユリスは目を見開いたまま固まる。そういう反応になるだろうと予想していたアイザックも、どう声を掛けてよいか分からず視線を落とした。
室内に、痛いくらいの沈黙が流れる。二人共微動だにせず、何の音も聞こえない。あまりの静けさに、窓の外で煌々と輝く星々の瞬きが聴こえてきそうな程だった。
不意にユリスは身体を捩り横向きになると、アイザックに向けて自身の手を伸ばした。
俯いていたアイザックは伸ばされた手を視界に捉え、伏せていた目を上げてユリスを見た。伸ばされた手に驚きつつも、その手をそっと取る。
『最初に言ったはずだわ。アイザックさんが現れて、神様は最後に私に何か役割を与えたのだと思った、って。祈ることしかできないと思っていたのに、私の死が役に立つのなら、こんなに嬉しいことはないわ。最初から、誰かのために何かの役に立ってから死にたかったんだもの』
『……だがっ!』
『そうね、それだとアイザックさんが気に病むというのなら……』
握られた手を放し、ユリスは指を一本立てた。
『一つ私のお願いを聞いてくれるのなら、許してあげる』
『私にできることなら何でも』
食い気味で即答するアイザックに、ユリスは時々見せる悪戯っ子のような表情で笑んだ。
『じゃあ、ここからは設定通りに生活して欲しい。家族ごっこでいいの。誰かの母親になれるなんて思ってもみなかったから』
ユリスとしては、普通に生活すらできない自分が誰かの母親になるなど夢のような出来事だったのだ。その上、自分を理解してくれる夫もいる。それは紛れもなく、自分には分不相応な願いだった。
だがお願いと聞いて構えていたアイザックにとってはそれは願いでも何でもなく、こちらから申し出た要請に他ならなかった。
『それはこちらからお願いすべきことだ。それではユリスの願いを叶えたことにはならない。何か他にはないのか?』
『ええ?……うーん、じゃあ……』
願い事や我儘を言い慣れていないユリスには、何が正解か分からず唸りながら目を瞑って思案する。
だが急に閃いて、ユリスは名案だとばかりに声を弾ませた。
『アイザックは、死期が近い妻にとことん優しくするの。妻の最後を見届ける優しい夫、素敵じゃない?』
『……』
言い切ってから、ユリスはアイザックを敬称無しで呼び捨ててしまったことに気付く。アイザックからの返答はなく、怒っているのかと不安になりユリスは恐る恐るアイザックの顔を窺った。
アイザックは最初こそ目を見開いて驚いていたが、ユリスの言葉の意味を理解すると口元を押さえて押し殺した笑い声を溢していた。
『くくっ』
『……もうっ。笑わないで!』
憤慨するユリスを見ても尚笑っているアイザックを見て、馬鹿にされていると感じユリスは身体を捩って背を向けた。
アイザックは必死に笑いを堪えながら、身体を捩ったために捲れてしまった掛け布団をユリスに掛け直してくれる。さっそく、「妻にとことん優しくする」をしてくれているらしい。
だがそんなアイザックの行動が何となく面白くなくて、ユリスは更に不貞腐れた。
『もういい。さっきのは忘れて』
先程からの自分の言動が酷く滑稽なものに感じて急に恥ずかしくなり、ユリスは布団の端を手で掴むとそれを頭の上まで引き上げ、布団の中にすっぽりと隠れた。
アイザックはそんなユリスを見降ろしながら、笑みを深める。
『悪い悪い。つい可愛らしくて』
『っ!!……』
冗談でも可愛いなどと言われ、ユリスは頬に一気に熱が溜まるのが分かった。
(布団に包まっていてよかった!)
自分でも今変な顔をしている自覚があるだけに、その顔を誰にも見られないことに安堵する。
だがそんなユリスの想いとは裏腹に、掛け布団を引き上げたままちょっとだけ覗いていたユリスの手を、アイザックが優しく掴んで引っ張ったのだ。
そんなに強く引っ張られたわけではないが、腕が引かれたことに合わせて布団が捲れ掛け布団から顔も出てしまう。
『!』
慌てて顔を隠そうとするユリスに構わず、アイザックは掴んだ手を目の前まで持ってくると、流れるようにその甲に唇を落とた。
『では、妻におやすみの挨拶を』
『!!』
楽しそうに笑っているアイザックを見上げたまま、ユリスは開いた口が塞がらず完全に固まってしまった。
先程、漸く面会許可がおりて部屋に入ってきた時、ユリスを驚かせて体調を悪化させたことを平身低頭謝罪していたことはすっかり忘れたようで、アイザックがまたもや愉しそうに笑っている。
今回は前回のことでユリスにも抵抗力と免疫力が多少なりとも付いたのか、熱を出して寝込んだのは一日だけだった。
だがこの後アイザックが侍医にこっぴどく怒られたことは、言うまでもない。




