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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第二章 八年前、始まりの日
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捏造

 あの後、王女の看病をアイザックにお願いして母親と変わってもらい、お腹が空いたという当初の目的を告げるととても喜んでくれた。久しぶりに母親の心からの笑顔を目にしてユリスも嬉しかった。

 そうして食事をとり薬を飲み、再びウトウトと微睡んでいた時に小屋の扉が開く音でユリスは目覚めた。

 深夜にはまだ少し早いが侍医が到着したのだろう。この暗闇の中だというのに、余程馬車を急がせて駆けてきたようだ。


 急に小屋の中が騒がしくなり、声をあげながらユリスの部屋の外を人々が行き交い出す。ユリスもベッドの中で僅かに上半身を起こした。


『……ああ、起きていたのか』


 不意に部屋の扉が開かれ、アイザックが入ってきた。予想外のことにユリスが驚いていると、アイザックはそのままいつも通りベッドの横に膝を付いた。


『騒がしくしてしまったから、起こしたか?』

『……一日中寝ているから、たまたま目が覚めただけよ』


 前回と同じように近くなった顔の距離が恥ずかしく、顔を背けながらユリスがぶっきらぼうに答える。アイザックはやはり何も気にした様子もなく、そうかとだけ呟いた。


『予定より早く侍医が到着した。これから王女を診てもらうところだ』


 やはりこの騒がしさは侍医が到着したためだったようだ。ということは、これからアイザックは王女の元に行き一緒にその診察を見守ることだろう。

 だがその大事な診察の前に、部外者であるユリスのところにアイザックが顔を出しに来た理由が分からなかった。普段ならユリスはすっかり寝ている時間だ。様子を見に来る理由も侍医の到着を告げる必要も無い。


 だがユリスは、せっかく来てくれたのならと、ここぞとばかりに生まれて初めてに近い我儘を言ってみることにした。


『私も一緒に行きたい。……すごく申し訳ないんだけれど、また私を抱っこして連れて行ってくれない?』


 我儘など記憶にある限り言ったことがなかった。小さい頃から病弱だったユリスは、病気を抱えていることが母親の負担になっていると理解できるようになってからは、それこそ要望的な事すら言ったことがなかったのだ。


 そんな子供時代を過ごしてきたはずのユリスだったのに、アイザックには素直に我儘を言ってみようという気持ちになったのだ。見ず知らずの人で、死期が近いユリスなら次に会うこともないだろうから強気に出られた、というのもある。

 だがそれだけではなく、アイザックなら言われた我儘が出来ないことなら、ユリスに同情して無理に叶えようとするのではなく、駄目なら駄目とはっきり言ってくれると信じられるから我儘を言えるというのもあった。

 アイザックならユリスを一人の人間として対等に扱ってくれる、そう信じられるのだ。


 ユリスの我儘に驚いて一瞬言葉を失ったアイザックだったが、ニヤリと笑うとユリスの背中と膝裏に手を差し入れ軽々とその身を抱え上げた。


『言うようになったじゃないか。では、一緒に行こう』


 駄目だと言われても食い下がろうと策を巡らせていたユリスは、二つ返事で了承されると思わず急に抱え上げられて固まった。


『……ダメって言われると思った』


 予想外だったと暗に告げれば、アイザックは面白そうに声をあげて笑う。


『ははっ。置いて行ったら、自力で這ってでも来るのでは?』


 つられてユリスも笑う。人との会話が愉しいと思ったことなど、本当に久しぶりだった。


『ふふっ。そうかも。それで力尽きて死んだらアイザックさんのせいね』

『そうして恨まれても困るので、一緒に行きますかね』


 アイザックに抱えられて緊張もするが、こうした軽口を叩きあえるのがユリスには心地良かった。

 

 ユリスから『死』という言葉が出るだけで、大体の人は困った顔をする。それは母親であっても同じで、寧ろ母親が一番見ていられないぐらい動揺を見せるのだ。

 それなのに、目の前のアイザックはユリスの言葉にも全く動揺しない。こんな風に冗談を言い合える人など、今までユリスの傍にはいなかった。

 だからユリスも、アイザックになら言いたいことも我儘も言える。アイザックは他の人とは違って、特別だと感じていた。


 ユリスは不思議な感覚にふわふわとした気持ちでいる自分を律し、王女が大変な時なのだと自分に言い聞かせながらアイザックに抱かれて隣の部屋へと向かった。


 

 部屋の中ではすでに、侍医が苦しそうに呻きながら眠っている王女を診察しているところだった。侍医と共にやってきた第二騎士団の面々が小屋の外の見張りに就いているため、室内にはゼアンも控えていた。


『んっ、……っ!』


 侍医が王女の口元に手を当てて口内を確認したり下瞼を引っ張って眼球を診ていると、眠っていた王女が眉間に皺を寄せその目をゆっくりと開けた。


『……』

『気分はどうですかな?』


 初老の侍医が王女の顔を覗き込む。目の焦点が合わなかった王女が徐々に覚醒していき、その目に侍医を捉えた。

 先程目を覚ました時は、王女は目覚めるなり半狂乱で泣き叫んでいた。何を言って聞かせても聞く耳を持たず、アンナが抱きしめて宥め漸く落ち着いてそのまま再び眠りについたのだ。

 目覚めたらまたそうなるのではと思っていたのだが、どうやらその心配は必要なさそうだった。


『……はい、……問題ありません』

『どこか痛むところや辛いところはありませんか?』

『……はい、ありません。大丈夫です』


 問いかけに対しても、丁寧な言葉遣いで答えている。錯乱していた先程とは比べ物にならないくらい、話が通じていた。


(……記憶が戻ったのか?)


 まだ分からないが、少なくとも先程とは異なり王女は落ち着いた様子だ。受け答えもしっかりとしており、何かしら思い出していてもおかしくはなかった。


『では、ここが何処だか分かりますかな?』


 診察を続ける侍医が、記憶に関する質問を始める。すると、僅かに王女の眉間に皺が寄り表情が曇った。

 横たえていた身体を起こしてベッドの上に座ると、ゆっくりと周囲を見回す。その瞳が扉の方を見た時、アイザックと王女の視線が重なった。


(初めて、瞳を見たな)


 ウィレンツィア王国で王女を託された時から王女は魘されて苦しそうにしており、その目をずっと閉ざしていたのだ。

 初めて見た王女の瞳は、本当に新緑のような翡翠色をしており、とても綺麗だと感じた。


 アイザックと視線が重なったのはほんの数秒で、王女はそのまま視線を動かし部屋の中をぐるりと見回すと、再び侍医と向き合った。


『……分かりません』

『では、あなたのお名前は?』

『……分かりません』


 どうやらやはり記憶はないようだ。けれど先程のように取り乱したりはせず王女は淡々と侍医の質問に答えている。

 名前、歳、住んでいる場所、家族など、聞かれたことに短く、どれも分からないと答える。


 診察と問診を終えた侍医はくるりと向きを変えると、アイザックを真っ直ぐに見据えた。その表情が険しい。アイザックはここでは離せない内容だということを察して頷きを返すと、部屋を一旦出た。


 そのアイザックの行動を見て、侍医が王女に一言二言声を掛けて同じく席を立って部屋の外に出て来た。ゼアンによって扉が閉められたことを確認すると、侍医は扉の奥を気にしながら話し始めた。


『どうやら報告にあったように、本当に記憶を失われているようです。熱を出したのも記憶を失っているのも、おそらく恐怖や不安、危機的状況に心が耐えられず、一時的に心を閉ざしたからでしょう。少しずつ記憶は戻ると思うので、無理に思い出させず自然に思い出すのを待つ方がいいでしょう』


 やはり一時の記憶の混乱ではなく、記憶を喪失しているようだ。

 抱えたままのユリスが心配そうにアイザックを見上げている。それに大丈夫だと言うように頷いて見せると、アイザックはゼアンに合図を送り扉を開けさせ再び室内に戻った。


 開けられた扉に反応し、ベッドに座った状態の王女がこちらを振り返った。

 不安を隠しきれてはいないが、その佇まいは凛としており、弱みを見せまいとしているようだった。

 記憶を失っていても、身に付いた言葉遣いや所作というものは失われないものなのだろう。何処からどう見ても、王女はその辺の子供とは一線を画していた。


(記憶がないことを、どう思っているんだろうな)


 侍医との質疑応答で、自分に一切の記憶がないことは分かったはずだ。そのことを王女はどう思っているのだろうか。

 元々現実を受け止められなくて心を閉ざしたのに、その上記憶喪失だなど、十歳の少女が受け止められる気がしなかった。


『……私の事と、……皆様の事を教えては戴けませんか?』


 王女は部屋の中に居る人物を一人一人見つめながら、しっかりと自分の考えを口にした。

 大人だって自分が記憶喪失だと知ったのならば、先程の王女と同じように取り乱すことだろう。だが一度は錯乱状態になったものの、再び目覚めた王女は現実をその小さな身で受け止め、受け入れようとしている。

 その並大抵ではない精神力の強さに、アイザックの心も決まった。


 ふと視線を感じて下を見れば、王女の質問に対してどう答えるつもりなのだろうとユリスが心配そうにアイザックを見上げていた。そんなユリスに、アイザックはニヤリと一つ笑って見せてから王女を見た。


『君は、この人の一人娘だよ』


 一瞬、アイザックが何を言ったのかユリスには分からなかった。

 「君」で王女を見てから、「この人」でユリスを見降ろしたのだ。

 徐々にその言葉の意味を理解するも、ユリスは開いた口が塞がらず反論の言葉が咄嗟には出てこない。


 だがそんなユリスにはお構いなしに、アイザックは続ける。


『名はイリス。歳は七つ。普段はここで、母のユリスと祖母のアンナと三人で暮らしているんだよ』


 淀みなく答えるアイザックの胸元を、ユリスが必死に引っ張って無言の抗議を表す。

 しかしそれには一切目もくれず、アイザックは王女――イリスを見つめて微笑んだ。


『さぁ、でも今日はここまでだ。さっき部屋の外で医者にも言われたんだが、失くした記憶を無理に思い出すことは良くないんだそうだ』

『そう、……なんですね』


 イリスは俯いて何か思案しながらも、頷いてアイザックの言葉を受け入れた。

 そんなイリスの様子を見て満足したように微笑むと、話は終わりとばかりにアイザックが部屋を出ていこうとする。それを見て、イリスは慌ててその背中に訊ねた。


『では!……あなた様はどなたなのですか?』


 投げ掛けられた質問に、ゼアンに扉を開けて貰っていたアイザックは振り返って飛び切りの笑顔で答えた。


『もちろん、イリスの父親だよ』


 アイザックの腕の中でユリスが一瞬にして身体を固くしたのが分かり、アイザックは愉しそうに喉の奥でクツクツと笑う。

 ユリスはこの時、自分の心臓が止まってしまったのではないかと錯覚するほどの衝撃を受けた。本当に冗談ではなく、このまま死んでしまうのではないかと思ったぐらいだ。



 最初こそ愉しそうだったアイザックも、ユリスが息を止めて固まっていたために顔は呼吸困難で真っ赤になり身体は硬直して動かせなくなっているのを見て大いに慌てることになる。


 ユリスはこの後久しぶりに物凄く体調を崩し、アイザックに平謝りされることになるのだった。

 侍医がいて本当に助かったことは、言うまでもない。






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