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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第一章 回り始める運命の歯車
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逃走

 東に延びる街道をただひたすら真っ直ぐに、リュカは息も荒く走り続けていた。


 薄暗い森の中は、街道とは言え街灯など勿論存在しない。だが今日は幸い十六夜。森の木々に遮られることなく、街道を月明かりが煌々と照らしていた。


 北と違って、東へ続くこの周辺地域には獰猛な獣は生息していない。夜行性の動物などが何種類か生息しているが、いずれも人を襲うような獣ではない。

 そのため夜間の移動はもちろん、今までの野宿も、対獣という意味では身の危険を感じることはなかった。


 静かな森の中に響くのは、自身が生み出す荒い呼吸音と踏み荒らす地面の音、そしてその音と気配に驚いて、茂みの奥へと隠れようとする小動物達の足音だけだった。


「ここまでくれば……少しは時間を稼げたか?」


 呼吸が激しさを増してきて息が苦しい。走る速度が徐々に落ち、ついにはその足取りが止まってしまった。

 膝に手を付いてゼェゼェと肩で息をしながら、リュカは片手で額から滴り落ちる汗を拭った。


 もうどのぐらい走っただろうか。町を出た時は進行方向上空に昇り始めたばかりだった月は、今は天空の高みに到達し、遥か上空から柔らかい白銀の光を降り注いでいる。


(ウィレンツィア王国からここまでなら、馬で駆けたら一日位か?)


 かなり走ってきたような気はするが、ドルシグ帝国によって追手が掛けられた今となってはその稼いだ時間も心許ない。

 馬を急がせたら一日と掛からずに到達できる距離だけに、いくらの余裕もないような気がした。


「……行くか」


 自分を鼓舞し、リュカは真っ直ぐに前を見据えて再び足を前に出した。

 とにかく今できることは、ただひたすら足を前に出し続けサンスタシア帝国領を目指すことだけだった。




 東の空が少しずつ白み始めもうすぐ日の出を迎える頃に、向かう街道の出口が遠くに見えるようになってきた。

 森がそこで途切れ、以降は草原が広がっているはずだとリュカは頭の中で大陸地図を広げる。その草原を更に進めば、もうサンスタシア帝国領に入るはずだ。


「間に合った……」


 安堵感が胸を満たし、思わず目頭が熱くなった。

 もう走ることが出来ず、リュカは重い足を引き摺りながら何とか歩いている状態だった。夜通し走ったせいで、疲労と眠気で意識も朦朧としている。

 しかし向かう先に目的地が見えたことで、何とか意識を保ちもう動かない身体を奮い立たせていた。


 汗とも涙とも区別のつかない滴り落ちる雫を乱暴に腕で拭って深く息を吐いたその時、ふと空気が振動したような気がしてリュカは後方を振り返った。


(……なんだ?)


 森中の生命がまだ活動を開始しておらず静寂に包まれたままの森の中で、何かの音が反響していた。その音は耳を澄ませて漸く聞き取れる程の響きだったが、静寂の中に響くそれは、朦朧とした意識の中でもはっきりと聞こえた。

 

 その音は徐々に大きくなって近付いてくる。

 本来ならその段階で気付けたはずだったが、リュカの今の働かない頭ではその正体に辿り着くまでに時間を要した。結果、目視でその姿を確認するまでリュカはその場に立ち尽くしてしまっていた。


「……っ!!」


 目にしたのは、馬を駆る複数の茶色をした軍服を着た兵士――ドルシグ兵の姿だった。

 

 それを確認した瞬間、リュカの頭は一瞬にして冴え渡り、弾かれた様に街道から道を外れ草木が生い茂る森の中へと逃げ込んだ。


「いたぞ!逃がすな!」

 

 あちらからもリュカの姿が確認できたようで、馬の蹄の音と共に指示を飛ばす大声が響いた。

 リュカは森の中をできるだけ街道から外れるようにしながらも、東に向かって走る。


(森の出口は見えていたんだ。サンスタシア帝国領にさえ入ってしまえば何とかなる!)

 

 あとほんの僅か、そう自分に言い聞かせながら縺れる足を何とか踏ん張って前に出し続ける。

 騎馬隊だから森の中に入ってしまえば追ってくるのに手間取るだろうと思ったのだが、何人かの兵士は馬を降りて追ってきていた。


「いたぞ!回り込め!」


 指示を出す兵士の大声がすぐ後ろから響く。もう目前まで迫ってきているのではないかと焦るが、振り返ってその姿を確認する余裕もない。とにかく今は足を前に出し続けひたすら走るしかなかった。

 

「……っ、くっ!」


 息が荒い、足はもう動かないのではないかと思うぐらい痛いが、何とか気力だけで前に動かす。

 膝丈程まで伸びた草の中には棘のある物があったのか脛に鈍い痛みが走る。視線を落とすとズボンが破れており血も流れていたが、それに構う暇はなかった。


「!!」

 

 視線の先が徐々に開けてきて、視界が明るくなってくる。森の終わりが近付いてきていた。


 眩しさに目が眩み転がるようにして森から抜け出すと、一面の草原の遥か向こうに、サンスタシア帝国の誇るロードベルク城と城を囲むように広がる帝都の街並みが見えた。


「着い、たっ」


 荘厳な景観に見惚れる間もなく、後方からはドルシグ兵達が同じように森から飛び出してくる音が聞こえ、リュカは慌てて体勢を立て直すと再び走り始めた。

 もう帝国領は目と鼻の先だ。帝国領内に入って他国の人間が騒ぎを起こせば、サンスタシア帝国とて野放しにしておくわけにはいかないだろうと算段をつける。


「そこまでだ!」


 だがその時、リュカの直ぐ後ろでドルシグ兵の声が聞こえた。


(もう少しなのに!)


 開けた場所に出てしまったことで何の障害物も無くなり、ドルシグ兵はあっという間にリュカとの距離をつめていた。伸ばされた手から逃れるように身を捩るが、もう足は思うように動かなかった。


(ここまでかっ)


 諦めが脳裏を過り気力が付きかけたその時、リュカとドルシグ兵の間に頭上から竜巻のような突風が吹き降りた。

 その風圧に疲労の強い身体は耐えきれず、思わず目を瞑り尻餅をつく。

 

 次にリュカがその目を開いた時、目に飛び込んできたのは思いもよらない光景だった。


 真っ白な軍服を着た騎士が一人、リュカを庇うようにしてドルシグ兵の前に立ち塞がり剣を構えていたのだ。

 見るからに細身で華奢な身体つきをしているその騎士は、リュカに背を向けて立っているので顔は見えないが背が低く年若い少年のように見えた。

 

「ここで争うならば、ドルシグ帝国による我がサンスタシア帝国への侵攻と受け取る」


 声変わりもしていないのだろう。低音には程遠いよく通る声が、静まり返ったその場に響いた。


 一対複数という圧倒的不利な状況にも関わらずその声は不思議な程落ち着いており、不安など露ほどにも感じられなかった。


 

 

 


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