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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第二章 八年前、始まりの日
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依頼

 ユリスが次に目が覚めた時には、もう窓の外に暗闇が広がっていた。


(今、何時かな)


 ユリスが今朝いつになく騒がしいことに気付いて目を覚ました時、普段は母親の気配しか感じられないはずの家の中から、母親以外の男の人の声が聴こえて驚いた。

 その時は咄嗟に賊の類かと思い肝が冷えた。もしそうであったのならば、女の二人暮らしでは対処のしようもない。

 母親の安否を知りたいと久しぶりに一人で身体を起こそうとした矢先、男の人の大声に驚いてベッドから転落してしまったのだ。

 その後その男の人、アイザックに色々な話を聴かされた。いつになくユリスも沢山喋った。そして、話を聴き終えた辺りからの記憶がないことに気付く。

 

(頑張っているって褒められて、嬉しくて泣いてたらそのまま寝ちゃったんだ)


 普段からは考えられないくらい色々な事が起こって疲れていたのだろう。いつの間にか眠っていたようだ。


『……』


 仰向けで寝ていたユリスは、視線だけ動かして窓の方を眺める。寸足らずなカーテンの下から柔らかい月の光が差し込んできていた。今日は明るい夜のようだ。


 眠る間際にしたアイザックとの会話を思い出す。掛けられた言葉は長年ユリスが抱えていた重たいものを、ゆっくりと溶かしてしまうような温かい言葉だった。

 全てが解決したわけではない。死が怖くないわけでもない。でも、認めてもらうだけでこんなにも心が温かくなるのだと初めて知った。


(アイザックさんは今何をしているのかな。王女様は熱が下がって目を覚ましたかな。母さんはもう寝てしまったかしら。……寝ていたら食事や身体を拭くのにわざわざ起こすのも悪いな)


 そこまで考えて、ユリスは自分がお腹が空いていることに気付いて驚いた。

 病状が進行してからは食が細く、一日二回薬を飲むために少量を食すのがやっとの状態なのだ。しかも重湯や野菜スープの上澄みなど流動食のような物しか喉を通らない。そのためお腹が空くという感覚自体が久しぶりだった。


 今朝は色々な事が起こって慌ただしかったために食事をとらずに眠ってしまったが、今までだって熱が上がったり食欲が無くて食べられなかったことは幾度もある。それでもお腹が空いたことなどなかったのに、今日はなんだか空腹を感じている自分が嬉しかった。


(きっと、この空腹を伝えたら母さんも喜んでくれるはず)


 自分の世話でいつも母親に迷惑を掛けている自覚がユリスにはあった。迷惑を掛けているからこそそれ以上迷惑を掛けないためにも、母親に対して極力我儘を言わないようにもしていた。

 だからいつもなら寝ているであろう母親を起こしてまで、食事をとりたいなどと言うことは絶対にない。それならば多少空腹であったとしても、明日の朝でいいとユリスは考えて我慢するのが常だった。

 だが今日は、何だか少し心持ちが違ったのだ。

 ユリスは今朝の反省を生かし、自身でどうにかしようとは思わずベッドに仰向けに寝たまま助けを呼ぶことにした。自分でも、物凄い心境の変化だと感じていた。


『っか、さん、母、さん。居る?居るなら、ちょっと来て欲しいの』


 大きい声を出そうと思ったのだが、寝起きで喉がカラカラで上手く声が出なかった。そもそも大きい声を出すこと自体が久しぶりだ。

 上手く言葉にはならなかったが、それでも狭い家の中だ。気付いてくれたようで、扉に向かって歩いてくる足音が聞こえた。


『母さん、私、ね……』


 扉が開け放たれたのを見て話し始めたのだが、扉をくぐって部屋の中に入ってきたのはアイザックだった。予想外の人の訪問に、ユリスは思わず言葉が止まってしまう。

 アイザックは黙ってユリスが寝ているベッドの脇まで来ると足を止めた。無言でユリスを見降ろしているが、その表情はどことなく暗かった。ユリスのことを見下ろしてはいるが、視線は合わない。


(まさか……)


 おそらく、何か良くない事態が起こっているのだ。この状況でアイザックが顔色を悪くすることなど、一つしかなかった。


『王女様に、何かあったのね?』


 この家の壁は薄い。何があったのかは分からないが、分からない以上隣の部屋にいる王女に聴かれないようにした方がいいと考え、ユリスは声を潜めた。

 そんなユリスを見て瞠目するアイザックとようやく目が合う。アイザックは眉根を寄せて苦笑しながら、同じように声を潜めた。


『ユリスは聡いな、その通りだ。先程……と言ってもユリスが眠りについてから一日以上経っているんだが、王女が目を覚ました。だが……』

『私、一日以上寝ていたの?』


 ユリスはあまりの衝撃にアイザックの話の腰を折り聞き返してしまった。一日以上寝ていたということは、アイザックがこの小屋に来てから二日目ということになる。


『昨日は色々あったし、抱き上げられてではあったが久しぶりに動いて身体も疲れていたんだろう。途中でアンナが水分補給はさせていたが、良く寝ていたよ』


 ベッドサイドに膝を付き、アイザックが顔を寄せながら小声でユリスが寝ていた間のことを説明する。

 昨日もこの距離でユリスは何度も話しかけられていたし、何なら抱き上げられてもっと顔が近い時もあった。だが昨日は感じることのなかった、自身の心臓が煩いくらいに早鐘を打っていることに気付いてユリスは落ち着かない気持ちになった。


『それ、で?王女様に何があったの?』


 ユリスは近くなったアイザックから僅かでも離れるように顔を背ける。だがそんなユリスの不可解な行動も、アイザックは寝返りを打ったくらいにしか感じなかった。


『実は王女が……記憶を失っているようなんだ』

『えっ?』


 予想外の言葉に、今さっき壁を向いた顔を戻してユリスはアイザックを振り返った。その顔は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えなかった。


『今までの記憶が一切無いようで、自分が誰かも分からないようだ。なのでとりあえず、本人には王女ということも伏せている』


 ユリスは先程から早鐘を打つ心臓の音など忘れ、アイザックに更に顔を近づけて訊ねた。


『今は?王女はどうしているの?』

『一瞬目覚めて、自分のことも含めて何も分からないことに混乱して、呻いて苦しみ出したんだ。それをアンナが抱きしめて宥めて落ち着かせて、そのまままた眠りについたよ』


 どうやらそれがつい先程のことらしい。熱は今朝辺りから下がっていたようだが、それでもなかなか目覚めず苦しんでいて、漸く目覚めたと思ったらそういう状態だったようだ。


『今、アンナが王女に付きっ切りで様子を見てくれている。帝都からの侍医を今急がせているので、明朝到着の予定だったが深夜には着けるそうだ』


 ユリスが室内に掛けられた壁掛け時計を見上げ時間を確認する。侍医の到着まであと数時間といったところだ。それまで王女の心身に問題が無いと良いのだが、その保証はない。


『……記憶を封じ込めてしまいたいぐらい、きっと……辛い出来事だったのね』

『そうだろうな。十歳で体験するには、酷だろう』


 目の前で国が滅ぼされたのだ。しかも王族は皆死んだと発表されている。王女は生きているのでその発表は一部誤報ではあるが、他の王族はおそらく命を落としていることだろう。そうでなければ、そんな発表が出されるはずもないのだ。

 

 考え事をしていたアイザックは、袖口をくいくいと引かれ現実に引き戻された。意識を目の前の人物に戻すと、ユリスと目が合う。


『どうかしたか?』


 ユリスは眉を下げ、心配そうに顔を歪めていた。


『ちょっと記憶が混乱していただけじゃなくて、本当に記憶喪失になっていたら……どうするの?』


 質問の意図が分からずアイザックが首を捻る。その様子を見て、ユリスは今度ははっきりと言葉にして訊ねた。


『この家に匿わずに、直ぐに帝都に戻るの?』

『ああ、そういうことか』


 合点がいったとばかりに手を打つと、アイザックは笑みを溢した。


(いい傾向だな)


 本来ユリスは、静かな場所で最期の時を過ごしたいと言ってこんな辺鄙な場所で他人と関わらず母親と二人きりで過ごしていた。

 だがその穏やかな日々に突然アイザックや王女が現れ、生活を一変させてしまったのだ。本来のユリスからすれば招かれざる客だが、最初こそ戸惑いはあったかもしれないが、少し接しただけでも分かるくらいユリスという人物は意外と好奇心旺盛な人物なのだ。何だかんだ王女やアイザックのことが気にかかり、このまま別れることを残念に思っているのだろう。


 人は何かしらの目的がないと生きていけない。やりたいこと、知りたいこと、気がかりなことがあった方が明日を生きようと思う糧に繋がるのだ。他人と接さず、会話も最低限、何もせずにただ毎日を過ごすより、前向きな気持ちでいる方が病気の進行を遅らせる助けにもなるだろう。


『侍医の診断結果にもよるが、できれば当初の予定通りドルシグ帝国の動向を見て、その動きが落ち着くまではこの小屋で匿わせてもらいたいと思っているよ。具体的には数週間は滞在させてもらいたい』


 アイザックはできるだけ、長い期間を伝えるようにした。ユリスにはできるだけ、生きる希望を持って過ごしていて欲しかったからだ。

 だがそれだけではなく、あの日ウィレンツィア王国を実質支配したドルシグ帝国軍を率いていたのが、第三皇子であるエルヴィンだという報告があがってきたのだ。そのためできるだけ長い期間を設定したという面もある。

 あの皇子は油断ならない。直ぐに動くとかえってその動きを怪しまれる可能性があった。


『そうそう、王女の記憶が混乱ではなく喪失で、このままここに暫くいさせてもらうことになった場合、ちょっとユリスにも協力して貰いたいことがあるんだが……いいだろうか?』


 大事な用件を思い出し、アイザックが話を付け足す。そのあまりにも唐突な協力依頼に、ユリスは一瞬口を開けたまま呆けてしまった。


『……いいけど、何を手伝うの?私にできることってそんなにないけど?』


 病人のユリスに出来ることなどたかが知れている。むしろほとんどのことが自分で出来ず人の手を借りねばならないのだ。それなのに協力とは何だろうとユリスが眉を寄せた。

 そんなユリスの頭に掌を乗せると、アイザックが優しく撫でる。子ども扱いされていると分かっているが、段々とユリスはこの手に撫でられることを嫌だとは思わなくなってきていた。


『大丈夫、そんなに難しい事じゃない。ちなみにアンナにも了承を得ているから、心配しないでもらいたい』

『ふーん、……まぁ、いいけど』


 どうやらアイザックはこの場ではその依頼内容を教えてくれる気はないらしい。

 気にはなったが、どうせ教えてくれないのならと諦めてユリスはそれ以上問いたださず、頭を撫でられる心地良い感覚に身を委ねることにした。



 この時依頼内容を問いたださなかったことを数時間後に悔やむことになるとは、この時のユリスは微塵も思っていなかったのだった。



 



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