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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第二章 八年前、始まりの日
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ユリス

 どう答えるべきかに迷い返答に困っていると、そんなアイザックの心境を察してかユリスが先に口を開いた。


『さっき隣の部屋に一人でいた時、『王女』という言葉が聞こえたわ。それで居ても立ってもいられなくなって体を起こしたら……久しぶりに一人で起き上がったものだからバランスを崩して倒れてしまったの』


 ユリスが笑顔らしきものを作って見せるが、先程よりもずっと顔色が悪い。本人が言うように久しぶりに起き上がったのが身体に障っているのだろう。


『顔色が悪い。先ずは身体を横にして休まなければ』

『ズルい、逃げるのね。嫌よ。教えてくれるまであなたにしがみ付いてでも絶対ベッドになんか降りないから』


 さっきまでの口調と異なり砕けた言葉遣いになったせいか、それとも話の内容が駄々をこねているようだからか、腕の中のユリスは幼い子供のようだった。

 だが大の大人であり騎士でもあるアイザックが病人であるユリスの力に負けるわけがない。容赦なくユリスの身体をベッドに降ろしにかかると宣言通りユリスはアイザックの服を掴んで離さなかったが、その程度の抵抗は引き剥がせばすぐに外れた。


『ズルいわ』


 無理矢理ベッドに降ろされたユリスが、しかし再び起き上がろうとはせずに表情だけで不満を表す。言動とは裏腹に、身体は言うことを聞かないのだろう。


『仕方がないでしょう。先ずは身体を休めないと。……その代わり、と言っては何ですが、あなたの知りたいことについてお答えしましょう』

『本当?!』


 生気のなかった目を僅かに輝かせてユリスが喜びを表す。


『ですが、私の質問にも答えていただきたい』


 王女という言葉だけでどうしてウィレンツィア王国のアリスティア王女と結びついたのかがアイザックにはどうしても分からなかった。成人前の王族のためアリスティア王女は公務を行ってはいない。帝の護衛などでウィレンツィア王国を何度も訪れたことのあるアイザックですら顔を知らない王族を、一般民が知っている理由が分からなかった。


『じゃあ、まずは自己紹介からね。私はユリス。歳は二十八。ユリスって呼んで。あなたは?』

『……』


 てっきり王女の事を聞かれるとばかり思っていたアイザックは、大いに肩透かしを食らった。なぜ今このタイミングで、自己紹介が始まったのか意味が分からなかった。


 アイザックはこの小屋に長居をするつもりは無く、王女の体調が少しでも回復すればすぐにでも医者に診せに行くつもりでいる。早ければ数時間、長くても一日、二日の付き合いだ。そんな僅かの付き合いでお互いのことを知ろうとする行為は明らかに無意味だった。こう言っては悪いが、ユリスの先は短い。別れた後で再び会う可能性すらないだろう。


(病のせいで、人と話すことに飢えているのだろうか?)


 本人も長く闘病していると言っているし、訪ねてくる人もなくここで静かに暮らしていると言っていた。母親以外の人と会うこと自体が久しぶりなのかもしれない。


『……私はサンスタシア帝国の騎士でアイザック・ヴェリール。歳は三十六です』


 渋々アイザックがユリスに習って名前と年齢を告げると、ユリスは明らかに驚いた表情を見せた。


『ええっ。アイザックさんって三十六なの?もっと若く見えるわ。母さんと十歳くらいしか違わないのね』


 了承も得ずに突然名前で呼ばれアイザックは少々面食らったが、面倒なので指摘せずそのままにしておいた。驚きはしたが、別に不快だとは思わなかったというのもある。


『……まぁ、それを言うなら、貴方もあと十歳は若く見えました。女性の歳に言及するのはどうかとも思いますが』


 ユリスが二十八と聞いてアイザックも驚く。病気のせいもあるが三十手前にはどうあっても見えなかった。


『分かっているのなら言わないで欲しいわ。病気のせいでどこもかしこも痩せこけていて、どうせ大人の女性には見えないわよ』


 言いながらユリスが頬を膨らませる。こけた頬に膨らみが生まれ少し顔に丸みができたが、それでもまだまだ人並とまではいかない。


『私ね……病気がこんなに酷くなる前もあまり動ける身体じゃなかったの。だから世界各国の本を読むのが好きだったのよ。だって、世界旅行をしている気分になれるでしょう?だからね、たくさん色々な本を読んだのよ。その国の名所、芸術、文化、歴史、……それこそ王族の系譜までね』


 確かに歴史書の中には王族について書かれた物も存在しているが、普通はなかなか読まれる類の本ではない。本当に様々な国について興味を持ち、本を通じて遠い異国に想いを馳せていたのだろう。


『だからね、気付いたのよ。現在サンスタシア帝国に皇族は年若いテオドール帝一人しかいない。ドルシグ帝国は今の皇帝をはじめ皇族は四人共男性。エダルシア王国の現国王はご高齢で次代の王太子には男女の子供がいるけれど、いずれも成人している。オートレア王国も同じよ。そうなると、十歳くらいの王女がいるのはウィレンツィア王国だけだってね』


 なるほどと思いアイザックが低く唸った。推理としては完璧だった。だがそこで、はたと気付く。


『まさか!王女の年齢を確かめるために部屋に行きたいだなんて言い出したのか?』


 先程ユリスは、死ぬ前に誰かの役に立ちたいから病人に直接祈りを捧げたいと言い、病人の部屋に行きたがった。だがそれは全くの方便で、実は王女の年齢を確かめるためだったのだろうか。


『病人は熱がある子供だって母さんが言っていたけれど、どのくらいの年齢の子供かも分からなかったからね。実際に見て確かめたくて』

『……』


 開いた口が塞がらないとは、正にこのことだろう。

 アイザックはその見た目からユリスのことを、どうしても可哀そうだの不憫だの思って無意識に同情してしまっていたことに気付いた。

 だが当の本人はと言えば、死と向き合い、受け入れ、こんなにもしっかりと今を生きている。今目の前にいるのは、病を患ってはいるが好奇心旺盛で抜け目がなく強かさも持ち合わせているが、少々子供っぽいところもある一人の女性だったのだ。


『……ははっ』

『?』


 可笑しくなってアイザックが口元に手を当てて笑い出すと、ユリスが怪訝そうに見つめてきた。


『いや、君という人を見誤っていたと思ってな』

『……どんな人だと思われていたのか分からないけれど、私にはユリスっていうきちんとした名前があるわ』


 不貞腐れるユリスがさらに可笑しくて、アイザックはその頭をポンポンと撫でるとユリスに布団をかけてやった。


『子ども扱いしないでくれる?』


 そうは言うが自分ではもう起き上がって布団をかける体力もなさそうなほど、ユリスの顔色は良くない。アイザックはそのまま部屋の扉の所まで行くと、振り返ってユリスを見た。


『朝から色々なことが起こって疲れただろう?話の続きは起きてからにしよう。先ずは身体を休めること。いいね、ユリス』


 名前を呼ばれて驚いた顔を見せたユリスだったが、次の瞬間首元の布団を引っ張って顔を隠した。


(自分で名前を呼べと言ったくせに)


 恥ずかしがるユリスに喉の奥でくつくつと笑いながら、アイザックは静かに部屋の扉を閉めた。




◇◇◇   ◇◇◇




 その後小屋の外に出てゼアンに状況を伝えてから、外でそのまま無線を使い現状の報告を入れた。

 報告の途中で王宮侍医も駆けつけ、侍医からの質問に幾つか答えながら王女の症状を詳細に伝える。それを受けての侍医の見解は、おそらく精神的なものからくる熱ではないかとのことだった。

 高熱が治まれば特に心配はないとのことで、細かい指示と共に経過観察を命じられる。そしてやはりその状態の王女を移動させない方がいいとの判断が下り、帝都から侍医が派遣されることになった。この距離だと馬車で二日はかかるので、到着は三日後になる予定だ。

 

 アイザックはついでとばかりに、ユリスの状況も侍医に伝えた。もう手の施しようはないかもしれないが、少しでも延命できたり痛みが緩和する薬があるのならと思ったのだ。


(それも、余計なお世話かもしれないけれどな)


 少し話をしただけだが、アイザックはユリスのことを割と気に入っていた。

 自分だったら死を目の前に、現状を受け入れ心穏やかに過ごせるだろうかと己を顧みる。ユリスの姿は素直に尊敬に値していた。


 アンナという名前のユリスの母親にも、詳細を説明して協力を申し出る。対価を支払う事を伝えると固辞されたので、これからくる侍医にユリスを診せることを対価として提案すると涙を流して喜んだ。やはり女の一人暮らしでは医者に診せるお金を捻出することが難しかったようだ。


 アンナの好意でアイザックとゼアンも交代で食事を頂き、ユリスの目覚めを待った。

 そうして昼をだいぶ過ぎてから目覚めたユリスを交えて、二人に昨晩起こった出来事と王女を預かった経緯について簡単に説明を始めた。

 アイザックも対外的に見せている善良な騎士を取り繕うのを止め、普段通りの口調で話をした。どうやら少なからずユリスに感化されたようだ。アンナは少し驚いた顔をしたが、ユリスは気にした様子もなさそうだった。


『王女がいるのに王子がいないってことは、殺されてしまったの?』


 説明を聞き終えたユリスが、布団に横になったままアイザックを真っ直ぐに見上げた。今はユリスの部屋で、ユリスは布団に身体を横たえたまま、アンナは部屋の椅子に腰を降ろしてアイザックの話を聴いていた。


『事実の確認はできていないが、そう声明が出されている』


 二人が息を呑んだのが分かる。どんな年齢の人が亡くなったとしても可哀そうだとは思うが、それが未来ある幼い子供というのはより胸が痛むものだ。ユリスの死期が近いだけに、死というものに対して二人共思うところがあるのだろう。

 そんな二人に、アイザックは更に最も大事な情報を伝えた。

 

『そしてウィレンツィア王国から出された声明では、王女も亡くなったことになっているんだ』

『えっ?』


 予想外の話にユリスが目を見開く。アンナも言葉もなく口元に両手を当てて驚いていた。


『だから、二人に協力をお願いしたい。王女の熱が落ち着けばすぐにでも去るつもりでいたが、王女だと気付かれてしまった以上、王女の体調が戻るまでここで暫く匿わせてもらいたい』


 ドルシグの追っ手が来ないとも限らず日常の平穏は保証できなくなる。しかし王女を匿う身としては、この辺鄙で人目のない場所はうってつけだった。

 

『……運命って残酷ね』


 ぼそりとユリスが小さく呟く。誰に聴かせるでもない心の呟きが漏れてしまったようで、ユリスは二人からの視線を感じて自分の言葉が声になっていたことに気付くと慌てて否定するように手を振った。


『あ、違うの、なんでもないのよ。……何ていうか、事故とか、事件とか、王女のように不慮の出来事で突然命を奪われたり大切な人を亡くしてしまう人もいるでしょう。……でも、死期を知らない分今日を生きることが怖くない』


 そこで一旦ユリスは言葉を切った。ユリスが何を言いたいのかよく分からず、アイザックは黙って言葉の続きを待った。


『逆に……私は命の期限が迫っているから、どうやって死にたいかを自分で選んで静かなところで過ごせているし、母さんともゆっくりお別れができる。でも死期を知っている分、今日も無事に生きていられるか分からず生きることがこんなにも怖い。死期を知っているのと知らないのと、どっちが幸せなのかなって……いずれにしても、運命ってきっと残酷なのね』


 突然家族を奪われた王女と、間もなく死期が迫っているユリス。どちらが幸せかなどアイザックには到底分からなかった。

 けれどそんなアイザックのも、言えることが一つだけあった。


『私は騎士であり皇帝陛下に忠誠を誓っているので、御身が危険に晒されるようなことがあればこの命を投げ打ってでも帝を守り抜くつもりでいる。……けれど、私だって死ぬのは怖い』


 立ったまま腕を組んで二人を見下ろしながら話をしていたアイザックは、徐に組んでいた腕を解くとユリスの頭に手を乗せてゆっくりと撫でた。

 子ども扱いするなとまた怒られるかもしれないと思ったが、ユリスは突然のことに驚いて対応できていず、怒声は飛んでこなかった。


『私は死ぬのが怖いからこそ、今日という一日を大切に、懸命に生きている。ユリスだってそうだろう?長い間病気に蝕まれながらも、それに負けずに懸命に今日まで生きてきた。よく頑張ったな』


 ゆっくりとアイザックの言葉を噛み砕いたユリスの目から、一粒の涙が零れ堕ちる。


 この苦しみを真に理解してくれる人は己以外誰もいない。

 病気の事を知ると、誰もが皆ユリスの事を可哀そうだと同情し、憐れみ、優しくしてくれた。でも、それはユリスの心に寄り添うものではなかった。しかしさっき初めて会ったばかりのアイザックは、死に対する気持ちは自分も同じだと言って、頑張っていることを褒めてくれたのだ。

 

『ありがと』


 顔を両手で覆ったユリスが小さく呟く。掌で隠れてしまいその表情を窺い知ることは出来ないが少なくとも怒られないことが分かったので、アイザックはもう少しだけユリスの頭を撫でてあげることにしたのだった。






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