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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第二章 八年前、始まりの日
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敗走

 女に抱かれている子供は気を失っているようで、微かに呻き声をあげているがその目は固く閉ざされており全く開く気配が無かった。

 この子供が誰なのかとか、今現在王城内はどういう状況なのかとか、聞きたいことは山程あるが、もはや聞くまでもないことは明白だった。


 女の胸に抱かれた子供は、琥珀色の髪色をしている。短く切られた髪の毛は逃げる道中何処かに引っ掛けて切らざるを得なかったのか、毛先の長さが一様ではなく所々極端に短いところもあるようだった。

 琥珀色や明るい茶色の髪色など別に珍しい色合いでもないため判断材料にはなり得ないが、その顔には所々泥や細かい擦り傷などが付いていて尚、鼻筋は通り肌は陶磁器のように白く、目を閉じていても端整な顔立ちであることが窺えた。


 ウィレンツィア王国の王族には翡翠色の瞳をした者が生まれやすい。嫁いできた妃の色が受け継がれることもあるが、今年十歳になる双子のアリスティド王子とアリスティア王女は、揃って琥珀色の髪に翡翠色の瞳をしていると聞いていた。


(実際に見たことはないが、この子はおそらく……)


 成人前の王族なので双子の王子王女が公務や外交で公の場に出てくることはない。そのためアイザックはその顔を知らなかった。

 けれどこの状況ではそれ以外有り得ないだろう。おそらくこの子は、ウィレンツィア王国のアリスティド王子なのだ。


(……完全にしてやられたな)


 意識を失っている王子を目にし、何も出来なかった自分を苦々しく思い唇を噛む。

 アイザックはつい数時間前、一旦サンスタシアに戻ろうかなどと考えていた自分を恥じた。ここ数日何事もなく過ぎていただけに、気の緩みが生じていたのだろう。そこをまんまとドルシグ帝国に突かれたのだ。


 不甲斐無い自分への苛立ちは募るが、自暴自棄になってばかりもいられない。アイザックはまだウィレンツィア王国にいて、やれることがある。気を引き締め直し、目の前の女の腕から王子を引き受けた。

 女は抵抗することなく、手を伸ばすと直ぐに抱えていた王子をアイザックに委ねた。


『君が言う通り、私はサンスタシア帝国第一騎士団団長のアイザックだ。必ずこの子を安全な場所で保護すると誓おう』


 アイザックの言葉に、女の目から次々と大粒の涙が零れ落ちた。今まで必死に、この子を護りながら逃げて来たのだろう。

 しかし女を慰めている余裕は無い。時は一刻を争う。早くこの場を離れなければならなかった。


『城内で何があった』

『うっ、最初に、賊が来て……その異変に気付いたと言って、ドルシグが。……討伐を手伝うと、軍隊が、城内に押し入って、っく……』


 女は手で零れ落ちる涙を必死に拭うが、その雫は止めどなく溢れてくる。王子をアイザックに託したことで気が緩んだのか、喉からは嗚咽が漏れ始め、言葉に詰まっていた。

 話の大筋は分かったが、この状態では更に詳しい話を聞くことは無理だろうと察し、アイザックは質問形式で問うことにした。


『最初に城内に賊が侵入してきた。そのことに臨時の国際会議のためにすぐ近くまできていたドルシグ帝国が気付いて、エストラル城内に助けに入ったということか?』


 女は言葉での説明を諦め、何度も頷きながら肯定を表した。


(この話が本当だとすると、もともと計画していたに違いない)


 最初に城内に押し入った賊というのも、おそらくはドルシグの手の者だろう。最初から賊の討伐を手伝うという名目でエストラル城内に入るために、わざわざ早めにウィレンツィア王国入りしていたのだ。


『他の王族は無事か分かるか?』


 こうなってくると他の王族の安否も危ぶまれた。

 城内に武器を持って侵入さえしてしまえば、後は誰が何をしようと、たとえ賊ではなく討伐に入ったはずのドルシグの兵士が王城内の人々を殺したとしてもその事実が発覚することはない。死人に口なしとはよく言ったもので、誰が殺したかなど見ていない者には分かりようがないのだ。


 女は今度は大きく首を横に振った。王子を逃がすのに手一杯で他の王族のことまでは助けに回れなかったのだろう。


(城内は現在、凄惨なことになっているかもしれないな)


 おそらく今、現在進行形でドルシグ帝国による侵攻が繰り広げられている。

 アイザックは耳輪に付けた小型の無線に手を伸ばした。


『ティム、ドルシグ帝国による侵攻を確認。俺と合流し次第突入を開始する。小隊を率いて大通りを正面突破で来い。援軍の到着を待っている余裕は無い。王族の安否確認と保護を最優先だ』


 王都からすぐのところで小隊と共に待機を命じていたティムを呼び寄せる。

 逃げ惑う人々の波はまだ落ち着いてはいないだろうが、一人で逆走していたアイザックと違って小隊が列をなして押し寄せてくるとなれば人々も道を開けるだろう。事態は一刻を争う。出来るだけ最短距離で早急な到着が望まれた。


 連絡を終えティムとの合流の為に移動を始めようとしたアイザックはふと足を止めると、女を振り返った。最後にもう一つ、残酷だろうと分かっていても確かめないわけにはいかず質問をぶつけた。


『子供は、この子だけか』


 女は目を見開いてアイザックを見た後、黙ってその場に崩れ落ちた。

 それが、答えだった。


『今からサンスタシア帝国軍を進軍させる。……間に合わなくてすまなかった』


 アイザックは片手でバランスを取りながら子供を抱えると、離した方の手を女の頭にぽんと乗せた。

 女は俯いて唯々涙を流す。その姿に『もう大丈夫だ』と声を掛けると、アイザックは踵を返して元来た道を駆け出した。



 走りながら耳輪の無線を操作し、次にサンスタシア帝国に連絡を入れた。


『現状の詳細を確認。やはりドルシグ帝国による奇襲です』


 無線の向こうの声は落ち着いており、特段驚く様子などは窺えなかった。この状況ならドルシグ帝国による凶行だと思うのはむしろ当然だろう。

 アイザックは抱えた子供が落ちないように留意しながら、連絡を続けた。


『双子の王子を保護。王女はおそらく命を落とした模様。他の王族の生死は現在不明です。保護した王子をゼアンに託した後、小隊を率いて城内に進軍、先ずは王族の安否確認と保護に向かいます』


 無線越しに了承の意と、サンスタシア帝国からの援軍がすでに進軍していることが告げられた。


 世界大戦から千年。国内の小競り合いなどはあったにせよ、国同士の戦争など無かった平和な日常が急に遠い過去の様に感じられて、アイザックは落ち着かない気持ちになった。今この時、戦乱の只中に自分がいるのが信じられなかった。

 しかしそんな緊張や不安を抱えている場合では無い。アイザックは大きく頭を振って雑念を追い払うと、両腕に抱えた王子を見遣った。

 暗がりの森の中を走っているため、アイザックは時折躓いたり枝にぶつかったりしながら走っている。しかし腕に抱かれた王子は、どんな振動にも衝撃にも苦しそうに呻くばかりで意識が一向に戻る気配がなかった。


(それは、そうだろうな……)


 この小さな身で過酷な状況に突然突き落とされたのだ。受け止めきれるはずがないだろう。

 何としてもこの子だけでも守らなければと決意を新たにし、アイザックは駆ける足に一層力を込めた。



 間もなくゼアンの待っている宿屋の近くだと思い至り、森から住宅街の中へ入ろうとしたその時、サンスタシア帝国から無線が入った。


『は?……今、何と?』


 最初は走るのを止めずに無線に耳を傾けていたアイザックだったが、無線から聞こえてきた内容に耳を疑い、思わず足を止めて聞き返していた。


『どういうことですか!』


 身を潜めていることも忘れ、思わず大きな声が出てしまう。慌てて周囲を確認し抱えている王子を見るが、周囲には動く者の気配は感じられず、王子も目を覚ますことなく未だ意識を失ったままだった。

 ほっと胸を撫で下ろすも、無線の内容が全く理解できずさらに食らいつく。


『ウィレンツィア王国がドルシグ帝国の協力を得て王国の再建を目指す、って……どういうことですか』


 今度は冷静に問うてみたが、無線越しに返ってくる返答は一緒だった。『ウィレンツィア王国側から声明が出されたのなら、これ以上の手出しは出来ない』この一点張りだった。


 この不可解な声明を受けて、サンスタシア帝国同様、軍を動かしていた他二国も進軍を止めたようだ。ティムと共に向かっていた小隊も、サンスタシア帝国の援軍も撤退を余儀なくされている。


(こんなの、絶対言わされているだろう!)


 ウィレンツィア王国の先代の国王から出された声明は耳を疑うような内容だった。誰がどう聞いても、ドルシグ帝国に弱みを握られたか人質を取られたか、そう声明を出すことを強要されてのことだと推測できた。

 だが、その証拠はない。ウィレンツィア王国側から声明が出された以上、各国は世界平和条約に抵触しないためにも直ちに進軍を止める必要があった。


(それに、現国王夫妻と双子は命を落としたって、どういうことだ)


 アイザックは腕の中にいる王子を抱く手に、思わず力が篭った。

 声明の内容によると、どうやら賊の手によって現国王夫妻と双子の王子と王女は殺されてしまったのだという。


(城内も混乱しているのかもしれない。……なら、機は今しかない)


 王子と王女は一卵性双生児なため、似ていて区別がつかないのも誤情報の一因かもしれない。

 だが、この機を逃すつもりは無かった。ドルシグ帝国が王子王女とも亡き者にしていると誤認しているうちに、なんとしても王子を安全な場所まで避難させ保護しなければならない。


(俺が、この子を守らなければ)


 アイザックは決意も新たに、止まっていた足をまた動かし走り始めた。



 程なくして宿屋の裏手に差し掛かり、馬と共に待機していたゼアンの姿が確認できた。


『団長、ご無事で!』


 無線を通じて、ウィレンツィア王国から出された声明については一斉に連絡がいっている。ゼアンも困惑顔のままアイザックを見、そしてその腕に抱えられているものを見て動きを止めた。


『今すぐここを離れる。大通りの状況は』


 シーツに包まれているとは言え何となく形でその中身を察したのだろう。疑問を口に出すことはせずにゼアンは問われたことに答えた。


『大方王都民の避難は終わったようで先刻より逃げる人々の数は格段に減りました。ですがその分、馬で大通りを駆けては目立つでしょう』


 状況を理解して適切な判断と報告をするゼアンに目を見張る。頼れる部下の存在に、アイザックの張り詰めていた空気も少しだけ緩んだような気がした。


『分かった。では王都の外まではこのまま歩いて森を抜ける。王都を抜けたら街道を避けてドナの森まで馬で駆け、ドナの森でも街道ではなく森の中を南に向かって抜けて迂回して帝都を目指す』

『了解』


 二人は黙って、そのままアイザックが王子を、ゼアンが馬二頭の手綱を引いて森の中を駆け抜けた。王都を出たところで騎乗する際も、アイザックが王子を抱えて馬に乗った。



 そうして二人は夜中走ったり馬で駆け、ドナの森の中を漸く抜けてサンスタシア帝国の領土まで入った。追っ手が来ていないかは常に確認しながら走っていたので、領土内に無事に入ったのであればとりあえずは大丈夫だろう。


 だが、依然予断の許さない状況ではある。ここからは草原の中をサンスタシア帝国の帝都に向かうので、身を隠す場所が無くこのままでは目立ってしまう。

 まだ日の出までは時間があるが、少しずつ向かう東の空が白み始めてきている。暗がりの中をできるだけ距離を稼いでおきたくて馬を急がせた。


 そんな時、事態は急変した。


 抱えていた王子の呼吸が、徐々に苦しそうなものになってきたのだ。呼吸の間隔が短く、吐く息が熱い。

 王子の姿が出来るだけ人目に付かないようにと、その身を包んでいたシーツを頭から被せていたので、息苦しさを減らしてやろうとアイザックは乗馬しながらそっと手を伸ばした。

 顔周りのシーツ除けようとアイザックの手が額に触れた時、その額が熱いことに気が付いた。


『……熱がある』


 アイザックが馬の速度を緩めて停止させ再びその額や首筋に掌で触れてみると、熱に浮かされて息の荒い王子の体は、燃えるように熱かった。






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