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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第二章 八年前、始まりの日
32/96

アンナとの再会

「イリス、無事なんだね。さぁ、早くこっちに来て顔を見せておくれ」

「あ、……お、ばあちゃん」


 奥の方から掛けられた声で、イリスは我に返った。

 目の前のアイザックから視線を部屋の奥へと向けると、腰かけていた三人掛けの大きなソファから立ち上がってこちらの様子を窺っている祖母、アンナの姿があった。

 

 扉の前で立ち尽くしていたイリスの背中に、アイザックの手がそっと添えられる。そしてそのまま優しく室内へと導いた。


「あぁ、良かった!ドルシグの兵士に襲われたと聞いて気が気じゃなかったのよ」


 ゆっくりとソファまで足を進めると、少しふくよかなアンナに優しく抱きしめられた。

 石鹸のような柔らかい匂いが鼻腔を擽る。小柄なアンナの肩口に顔を埋めると、イリスは手をアンナの背中に回して抱きしめ返した。


(いい匂い)


 安心できる柔らかい香りがイリスを優しく包み込む。

 誰かにこうして甘えるのが久しぶりで、イリスは気恥ずかしさを感じながらも暫くアンナの胸に甘えた。

 甘えることを許されたことで、自分がどれだけ不安に襲われていたのか思い知らされる。今はアンナの優しさに縋り付いていたかった。

 

「……」


 抱きしめる腕が以前よりもアンナの背中で重なり合っていることに気付く。

 アンナが前に会った時より痩せていることに気付いて、イリスは抱きしめる腕の力を弱めた。


 騎士団での仕事が忙しく、イリスが辺境の地で暮らすアンナに会いに行けるのは年に一回、アイザックと共に母親の墓参りを兼ねて行けるか行けないかくらいだ。その度に、五十代後半のアンナは年々歳を感じさせるようになってきている。

 イリスは抱きしめていた腕を放すと、アンナの皺が増えた手を取って自身の両手で優しく包み込んだ。



 デダルス山脈の麓にあるアンナの家で過ごしたのは、イリスの記憶にある限りでは二週間にも満たない短い期間だった。それ以降はアイザック共に帝都に移り住んでいる。

 アンナは自宅を長く離れたくないとの理由で、馬車で片道二日も掛かる帝都には来たことが無い。それ故、アンナの家を出てからこの八年、アンナと会うのは両手で足りるぐらいの回数しかなかった。

 

 イリスだけでも何とか都合を付けてアンナの様子を見に行こうと思ったこともあったのだが、帝都外を一人で行動するのは危険だとしてアイザックによってに止められていた。

 この大陸には大型の獣も生息している。騎士団でも駆け出しの頃のイリス一人では到底太刀打ちできない獣もいるので、アイザックの言う通り一人でアンナの元を訪れることはなかった。


 しかし近年は、イリスは他国にもその実力が認められる程の騎士になった。しかしそれでも、帝都外に一人で出ることにアイザックが首を縦に振ることは無かった。その理由が、今なら分かる。

 

 イリスは帝都に保護されていたのだ。


 きっと、知らないのは自分だけだった。イリスと近しい人たちはそれと知っていて、黙って護ってくれていたのだろう。



「私は大丈夫だよ。怪我もしていない」


 握った手に少し力を込め、笑顔を作る。アンナに無事を確認してもらい、安心してもらいたかった。

 しかし笑顔を作るイリスを目にして、アンナはその大きな茶色の瞳からポロポロと涙を零した。


「おばあちゃん!私は大丈夫だよ。それよりおばあちゃんは大丈夫だったの?」

「えぇ、えぇ、……私は大丈夫ですよ。若い騎士が来てくれて、私を護りながらここまで連れてきてくれましたからね」


 立ったままだったアンナを後ろのソファに再び座らせ、イリスもその隣に腰かけながらハンカチを差し出す。アンナはそれを受け取ると、小さくありがとうとお礼を述べ、拭っても尚零れ落ちる涙をハンカチで押さえた。

 そんな二人のやり取りを見守っていたアイザックも、二人とは向かいのソファに腰を下ろした。


「エルヴィン皇子が姿を見せたその日の夜のうちに、レオンにアンナの保護に向かってもらった。先程無事に帝都に到着したばかりだ」


 アイザックは表情こそ職務中には見せないような柔らかい表情のままだったが、こうした騎士団の話や報告になると軍総司令官としての癖が出てしまうようで、私情を挟まず淡々と事実を説明した。

 その報告に、イリスは先程感じていた疑問が一つ解消され、なるほどと唸る。


(三日間、行動を起こされたくなかったのはやっぱり私だったんだ)

 

 アンナ宅がドルシグ兵に狙われるかもしれないと知れば、イリスは自分も行くと言ったに違いなかった。

 だがそれでイリス本人がアンナの保護に向かい、ドルシグ兵に遭遇してしまっては元も子もない。

 一介の兵如きに掴まる程弱くはない自負はあるが、今回のようにエルヴィン皇子自らが追ってくるなど想定外の事態が起こらないとも限らない。イリス本人が動くのは得策ではなかった。


 アンナ宅までは帝都から馬車で二日掛かる。そのためレオンをすぐにアンナの保護に向かわせたのだろう。フラッデルなら明朝にアンナの所に着く。そこから馬車で二日掛けて帝都まで帰還してきたのだ。


「ドルシグ兵は……」


 イリスは視線をアンナから、向かいのソファに座るアイザックに向けた。

 アンナも今こうして目の前に居るし、先程会ったレオンも怪我などしていなかった。誰かが負傷したという報告も受けていない。……だが、知りたいのは安否の確認ではなかった。


 イリスの質問に、アイザックは困ったように微笑んで膝の上に両手を組んで置いた。


「見張りの者から、レオンがアンナを保護した後にドルシグ兵がやって来てアンナの自宅を調べていたと報告が上がっている。レオンが機転を利かせたおかげで、二人はドルシグ兵には遭遇していない」


 二人が道中危険な目に遭っていなかったことに胸を撫で下ろすも、イリスの心は晴れない。


(おばあちゃんの家を調べにドルシグ兵が来たってことは……やっぱり……)


 その事実が、重くイリスの心に圧し掛かる。

 項垂れたイリスを見たアンナは、ドルシグ兵が来た事実を知って自分達が危険な目に遭ったと思っていると勘違いしたようだ。ハンカチを置いてイリスの手を取ると、安心させる様に力強く握りしめた。


「本当は用意された馬車に乗る予定だったんだけどね、騎士さんがね、この馬車は囮に使うって言って。私達は農作業に向かう荷車とか、辻馬車とかに乗せてもらってここまで来たのよ。だから余計に時間がかかったけれど、誰にも襲われなかったし大丈夫だったのよ」


 安心させようと、アンナが優しく微笑む。イリスもこれ以上は心配させまいと、なんとか取り繕って笑みを返した。


(さすがレオン。……でも、一人でなんて無謀すぎる)


 流石に何かあった場合、アンナを護りながら一人で戦うのは難しい。せめてもう一人仲間を連れていけなかったのかと思っていると、イリスの考えなどお見通しだとばかりにアイザックが言葉を付け足した。


「出立前に、ロイも連れて行くよう進言はした。だが逆に帝都の守りも重要だと断られたんだ。それに、ドルシグ帝国から直接送られてくる本隊を帝都で食い止めてもらった方が助かるとも言われた。現在サンスタシア帝国内に潜んでいる諜報員ぐらいなら自分一人でも何とかなると押し切られた」


 確かに、その速さでアンナの自宅へ押し入ることができる兵は、もともとサンスタシア帝国内に潜伏していたドルシグの諜報員だろう。ドルシグ帝国本国からサンスタシア帝国まで来るにはもっと時間が掛かる。


「……ふふっ」


 そこまで考えて、イリスは可笑しくなって小さく笑いを零した。

 その姿に、今の話の何処に笑う要素があっただろうかとアイザックとアンナが訝しがる。


「……何でもないの。ただ、父さんもレオンも、ドルシグ帝国からの動きがあることまで想定して動いていたってことでしょう?」

「……」

「私はまだ……はっきりしたことは何も聞いていないのに、まるで()()が事実であるかのように話が進んでしまっているなぁって思ったら、何だか可笑しくって」

「……」


 どう答えたらいいのか分からず、アイザックが押し黙る。

 ドルシグ兵がアンナの自宅を襲った。それはつまり、ドルシグがイリスの事を調べに来たことに他ならない。


 ウィレンツィア王国の生き残りの王族を探しに来たリュカとカイン。

 八年前以前の記憶がない自分。


 バラバラだったパズルのピースがはまるように、それらが集まって一つの答えを導き出していた。


「私は……父さんの子供じゃないんだね」


 漸く絞り出した言葉は掠れていたにも関わらず、静かな室内にいやによく響いた。

 一瞬表情を硬くしたアイザックは、膝の上に置いた手に視線を落とす。しかし顔を挙げてイリスを真っ直ぐに見つめると、優しく微笑んだ。


「……お前に、八年前の話をしよう」


 その言葉に、イリスは自身の手を強く握りしめた。

 震える指先から全身に不安と恐れが広がっていくようで、イリスは必死でそれを抑え込んでいた。






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