帰還
出発前に一悶着あったが、一行はリュカが取った宿屋によって二人の荷物を引き上げた後、無事にヴェントの町を出発した。
来た時とは異なり、今回は整備されている街道の上をフラッデルに乗って駆け抜ける。大きな左右移動もなく真っ直ぐ水平飛行で走行でき、来た時の半分程の時間で進むことができた。
それでも出発した時はまだ午後の日差しが降り注いでいたのに、ドナの森を抜ける頃にはもう西に日が沈もうとしていた。
森を抜けると、目前には辺り一面に広がる草原が現れる。後方からの西日を浴びて、赤く色づきながら草花が風に揺れていた。
一行はあまり高度を上げず低い位置を飛んでいるので、フラッデルが出す気流に草花が押し流され、フラッデルが通り過ぎたところに三筋の線ができてはゆっくりと消えていっていた。
視線を前に向けるとそこにはもう、サンスタシア帝国の象徴ともいうべき石造建築のロードベルク城と、それを取り囲むようにして造られている帝都が小さくではあるがはっきりと肉眼で確認できた。
「……」
遥か遠く向こうから、大聖堂の鐘の音が微かに聴こえてくる。
大聖堂の鐘は、朝と夕の時刻を帝都民に知らせるために一回ずつ鳴らされている。今朝イリスはこの鐘の音を聴きながらいつもと変わらない日常の始まりを迎えたはずだった。だが気付けば、そこから予想だにしない事態の連続だったのだ。
(毎日この鐘の音を聴いているのに、前に聴いたのは遥か昔のことみたい)
イリスは、長い長い一日を振り返る。
だがゆっくりと感慨に耽る暇もなく、腰にしがみついているリュカの身体が僅かに傾いたのを感じて背中に向かって強めの声を掛けた。
「リュカ、もうすぐ城に着くから頑張って」
リュカは昨晩から緊張の連続だった上に、不眠不休の状態なのだ。加えて今はカインが見つかったという安堵感もあり、極度の疲労に耐えられずリュカはもはや限界寸前だった。
イリスにしがみ付きながら必死で疲労や睡魔と戦っているが、時折堪え切れずに身体がフラッデルから落ちそうになっていた。そんなリュカにイリスは定期的に声を掛け、腰に回された腕を掴んで何とか落ちないように引き上げていた。
「リュカ、聞いてる?あとちょっとだよ!」
見かねてカインも声を掛ける。最初こそカインはフラッデルに乗ることを心底喜んでいたが、フラッデルでの長距離移動は楽しいものではない。
何時間もバランスを取りながらただひたすら風圧と空気抵抗、加えて走行で生じる寒さに耐えなければならないのだ。カインも今やロイの腰に回した腕に力が入っておらず、身体を支えてもらいながら必死にフラッデルに乗っていた。
「ん……大丈夫」
眼は半開きで項垂れたままリュカが力なく答える。
しかし視界に捉えられるようになった帝都は徐々に大きくなり、帝都をぐるりと囲むように造られた防壁は本当にもう目と鼻の先だった。
「帝都の街路は今夕刻で人通りが多い。上空から一気に城を目指す」
草原の中を真っ直ぐに走る街道は、そのまま帝都を囲む防壁の門へと続いている。その門が帝都への入り口になっていた。
夕刻なので今から帝都に向かおうという人は少なく街道は人がまばらだが、門をくぐった先の帝都内は、仕事終わりで家路へ向かう人々や夕飯の買い物客でごった返していることだろう。
レオンの言葉に同意すると、イリスとロイはそれぞれの同乗者に声を掛けた。
「リュカ、上昇するからしっかりしがみ付いてて」
「カイン、上昇する時怖いだろうけど僕が支えるから。あと少しがんばれ」
イリスとロイは速度を上げて先頭を走るレオンの前まで出ると、フラッデルの先端を身を低くして片手で掴み、フラッデルを僅かに上に傾けゆっくりと高度を上げた。
「っ!!」
「あっ、わわわっ!」
リュカは恐怖で声にもならず、カインは驚きの声をあげた。
足元が固定されていない状態で空中で体勢が後ろに傾くというのは恐怖でしかない。重力に逆らえず身体が落ちそうになるからだ。
勿論角度的には急激な上昇をしているわけではない。だが、フラッデルに乗り慣れていない者がその僅かな傾斜を、風圧と空気抵抗に抗いながらバランスを取るのは難しいものだった。
体力の限界だったリュカは、身体が傾きフラッデルから滑り落ちそうになる。
「大丈夫っ?!」
すぐさまイリスが、フラッデルを掴んでいない方の手でリュカをぎゅっと抱え直し引き上げた。
その様子を見て、最後方を走行していたレオンがフラッデルをイリス達の横に付けて並走する。
「最悪落ちても俺が受け止めてやる。安心はできないだろうが心配はするな」
「ああ、ごめん。大丈夫だ」
一瞬肝が冷えたリュカは朦朧としていた意識が少し覚醒したようだ。先程よりもしっかりとした口調でイリスとレオンに返事を返した。
「もう上昇は終わるよ。後は高度は高いけど水平飛行だから安心して」
イリスが背中に向かって安心させるように伝える。だがリュカは、もう上昇はしないと伝えられてもまだがっしりとイリスの腰を掴んでいた。高度が高いことも慣れない者にとっては恐怖を煽られる。
水平飛行に移行しイリスはフラッデルの先端を掴んでいた左手を離して体勢を戻したが、リュカの腰に回した右手はそのままにしておくことにした。
「さぁ、我らがロードベルク城に到着だよ」
上昇している間一言も発しなかったカインを気遣い、背中に向かってロイができるだけ楽しそうに告げる。だがカインはそれに応えることはできず、未だに目を瞑ったまま必死でロイにしがみ付いていた。
三基のフラッデルはロードベルク城の上階正面に造られたバルコニーに、速度を緩めながら滑り込みゆっくりと着地した。
「着いたよ」
「……あぁ、疲れたぁ!」
ロイが声を掛けると、カインは急いでフラッデルから飛び降りバルコニーの床面に大の字に寝転んで大きく伸びをした。
「あー地面って最高!!」
その姿と言葉に思わず笑みが零れる。小さな体で数時間もフラッデルでの走行に耐えたのだ。よく頑張ったと言えた。
しかし、無理をさせても一分一秒でも早く二人を連れ帰る必要があった。次から次へと出てくる情報を鑑みると、できるだけ早くその身を保護して安全を確保しなければならなかったのだ。
「本当にお疲れ様。よく頑張ったね。リュカはどう?大丈……」
イリスがカインに声を掛けながら、リュカを振り返る。リュカもバルコニーに到着するや否や、倒れ込むようにしてフラッデルを降りていたのだ。
相当疲労の強かったリュカはカイン同様寝転がっているかと思ったのだが、イリスの目に飛び込んできたのは、座った状態のまま襟首を掴まれてレオンに引き摺られていくリュカの姿だった。
「ちょっ、何してるのレオン!」
「あー……」
イリスの抗議の声と、ロイの呆れた声が重なる。
「まぁ……無体なことはしないと思うから」
「引き摺られている時点で無体を働かれていると思うけど?」
「あれでも手加減してるから大丈夫だって。距離を取らせたいだけだろうからあともう止めるでしょ」
呆れたように溜息を吐いたロイは、大してレオンと距離は離れていないが口元に両手を当てて遠くにいる人物に声を掛けるような仕草をした。
「もう十分距離が離れましたよー。もういいんじゃないですかねー」
「……」
レオンは不機嫌な顔のまま、イリスとリュカの距離がそこそこ離れたのを確認して掴んでいた手を放した。
やっと解放されたリュカはそこで倒れ込むように床に寝転ぶ。レオンの行動に思うところもあっただろうが、疲労困憊で抵抗すら億劫だったようだ。
何があってレオンはリュカにこんなことをしているのかイリスにはわからなかったが、解放されたのでとりあえず大丈夫だろうと結論付ける。
だがまだリュカは動けそうにない。先程は元気な声をあげていたがカインはどうだろうかと、イリスは再びカインを振り返った。
そこでイリスの視界に飛び込んできたのは、蹲るカインの背中だった。
「!!カイン大丈夫?気持ち悪かったりする?」
「……」
驚き急いで駆け寄るが、カインは体調を崩したわけではなく座り込んで何かをしているようだった。集中しているのか、返事はない。
よく見ると、カインの横にはレオンが運んできたリュカ達の荷物カバンがありその口が大きく開かれている。
「……カイン、何してるんだい?」
同じく駆け寄ったロイがイリスの後ろからひょいと顔を覗かせる。
ネジやドライバーなどが入った小さな工具箱を床に広げながら、カインは懸命に何かをしていた。
(やっぱり、カインは自分でも何かを造れるのね)
動かす手に迷いがなく、カチャカチャという小さな機械音が絶え間なく聴こえる。その姿に、やはりカイン自身も機械の製作が行えるのだとイリスは確信した。
見ている間に何らかの作業を終えたようで、暫くするとカインの手が止まる。何か凄い物が出来たのかもしれないと少しの期待を胸に、イリスはカインを覗き込んだ。
「ほら、トンボを捕まえたんだ。凄くない?」
イリスに気付いて振り返ったカインの手には、その小さな掌から羽がはみ出るくらいの大きなトンボが一匹とまっていた。
(……この短時間で、何かが造れる訳ないか)
冷静に考えると、今の僅かな時間で何かを造り出すことは不可能だ。そんなことは分かり切っていたが、今までのカインの言動から、何か凄い物ができるのではと勝手に期待した分がっかりしたことは否めなかった。
だが、トンボに瞳を輝かせ捕まえたことに誇らしげな姿は本来の十歳の子供らしくはあった。
その微笑ましい反応にイリスが顔を綻ばせていると、イリスをまじまじと見つめながらカインが溜息を一つ吐いた。
「はぁ。……それにしてもイリスって鈍いんだね。僕でも何となく察せるのに……ロイも色々大変だね」
何を言われているのか理解できず時間を要する。だが時間をかけて考えても、イリスにはいまひとつよく分からなかった。
「え……っと、ごめんなさい?」
「ははっ!カインとは仲良くなれそうだ」
困惑するイリスと愉快そうに笑うロイをよそに、カインは捕まえたトンボを自分の胸のところに留めると使った工具を道具箱にしまい始めた。
トンボは飛んで逃げていくことなく、カインの胸に留まり続けている。
「逃げないんだな。そういう風に細工したってこと?」
工具を片付け終えたところにロイが声を掛けると、カインは口の端をあげてニヤリと笑った。
「企業秘密。……それより早く行こうよ。皇帝陛下に会うんでしょ?置いていくよ?」
カインはそれまで会話の外だったリュカとレオンに向き直り、溜息を吐くと呆れ顔で告げた。
「あ、はい」
「……」
カインに諭され、二人がきまりが悪く視線を逸らす。そんなやり取りにロイは笑いを堪えながら、カインの背をポンと叩くと、先頭を切って城内に向かって歩き始めた。
「ほらほら、皆で仲良く行くよー」
手を振って呼び寄せるロイに、纏まりなくバラバラと皆が続く。
それぞれの思惑を胸に、一同は皇帝陛下の待つ執務室を目指して歩き始めた。




