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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第五章 空を統べる者
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空中散歩への誘い

 直接地面に腰を下ろしだらしなく足を投げ出しながら、背は孤児院の外壁に凭れイリスは薄っすらと白み始めた東の空をぼんやりと眺めていた。

 昨晩の話し合いは色々と情報量が多すぎて、一晩頭の中で話を整理した今の方がよほど混乱が大きく、イリスは早朝の見張り中だというのに全く身が入っていなかった。

 


 結局昨日の話し合いは、最も優先すべき事項はソルとルナの保護であると結論付けられた。


 二人の本当の父親であるアレク・ミュラーがエダルシア王国と話を付け、二人は王城内で匿われることになり今日出立することが決定している。一昨日の孤児院襲撃を受けて保護を打診してからまだ一日という日数を考えれば、国の決定としてはあまりにも迅速な対応だった。

 だが相手はエダルシア王国一の大商船団の会頭アレク・ミュラーであり、ソルとルナはその商船団が一躍トップに上り詰めるのに貢献したステラの子供であり、ステラと同じような能力を有しているとなれば、国も動くというものだろう。

 

 おそらくエダルシア王国側は、ステラの功績を元から知っていただろう。何ならこの孤児院で匿われていた事も、ソルとルナという双子を出産した事すらも知っていたかもしれない。

 国の諜報員はその他の有象無象とは一線を画す。それくらいの情報は持っていても不思議ではなかった。

 

 それを知っていながら干渉してこなかったのは、きっと国としての思惑が絡んでいる。

 ステラという存在を国で抱えるのも一つの手だが、それよりも商船団にいた方がその能力は生かされる。貿易が捗る方が、国としては潤うだろう。

 だからこそステラの所在が分かっていても手を出さず、寧ろ麓に常駐している兵を使ってそれとなく護っていたのかもしれない。



「二人が無事に王城に辿り着くまで、何事もなければいいけど」


 イリスは少しずつ紺色を薄くしていく空を眺めながら、そっと独り言ちた。


 レオンは昨日悩んだ結果、ソルとルナの敵を排除するというハリス先生の願いには応えられないが、今日二人がこの孤児院を出立するまでの間は二人の護衛をすることを約束した。アレク・ミュラーが付けている護衛もいるが、戦える人数は多い方がいいだろう。


 今回自分達はオートレア王国を目指していることや、自分達にも事情がありあまり人目に付く行動は避けたいという事をレオンが説明すると、ハリス先生は『かえってこんな年寄りの願い事を真摯に聞いて下さって、ありがとうございました』と申し訳なさそうに頭を下げていた。

 ハリス先生としても、フラッデルを個人所有しているイリスに何か思うところがあるのだろう。それ以上こちらの事情を追求することなく、あっさりと引いてくれていた。


(二人は、どう思うのかな……)


 ハリス先生は朝二人が起きてきたら、真実を告げると言っていた。護衛が自分達を迎えに来た時に混乱しないためにも、何故自分達が狙われているのか、どうして匿われなければならないのかは知っておいた方がいい。

 それに、これからエダルシア王国の王城まで護衛の人達と一緒に旅をするのだ。この辺境からだとそこそこ長い旅路になる。隠し事があっては信頼関係は築けない。真実を話をして二人の不安を取り除いておいてあげることが大事だろう。


(本当なら、一緒に行ってあげられれば良かったんだけどな)

 

 そしてレオンが最も悩んだ点が、そのまま王城までソルとルナの護衛をしながら一緒に行くかどうかということだった。


 イリス達は今後オートレア王国に向かうにあたって、エダルシア王に貿易船に乗船する許可をもらいに王城まで行く予定なのだ。つまり、ソルとルナとは目的地が一緒という事になる。

 寧ろソルとルナを護衛しながら王城まで来たという恩を売っておけば、まず間違いなく貿易船に乗船する許可を取り付けることが出来るだろう。


 だがこの旅は、ソルとルナの敵を排除しない限り道中狙われることになるのは必至だ。

 レオンはその辺りを懸念し、王城まで一緒に行くことは止めたのだ。それはつまり、イリスの身を余計な危険に晒さないための配慮だった。

 しかもイリスはドルシグ帝国から狙われてもいる。逆に行動を共にすることで、ソルとルナの身を余計な危険に晒さないための配慮でもあった。


(色々と、迷惑かけちゃってるなぁ……)


 自分さえいなければもっと効率よく旅を進められるのにとイリスは思わずにいられない。

 けれど、それが現実である以上、そんなもしもの話ばかりしても意味はない。イリスは今自分にできることをしようと、先ずは見張りに本腰を入れるために膝に手を付いて立ち上がった。

 

「……っ!」


 不意に建物の傍で人の動く気配があり、思考の中にいたイリスは一瞬にして現実に引き戻された。

 咄嗟に背にした剣の柄に手を添えて引き抜くと、人の気配のした方に向かって構える。


「……ソル?」


 建物の脇から現れたソルは、掛けられた声にこの距離からでも分かる程ビクッと肩を上下に震わせて驚いていた。


「あ、ごめん。驚いたよね」


 突然の気配に鋭く睨みながら剣を構えていたイリスは、明らかに動揺しているソルを見て剣を背中の鞘に戻して殺気を解くと、出来るだけ優しく笑いかけた。


「ごめんね、驚かせちゃったね」

「……っ!あ、いや、ごめ、その、……」


 ソルは依然動揺したままその場で固まっている。口から発せられる言葉も意味を成していなかった。

 しかし手に木刀を持っているところを見ると、昨晩の約束通り剣の稽古を付けてもらいに来たというところだろう。

 だがまだ朝も大分早い。リュカが早朝訓練のために起き出してくるのももう少し先だった。


(期待で早く目が覚めちゃったのかな?)


 そんな子供らしい一面を昨晩に続き垣間見て、イリスは思わず顔が綻んだ。


「おはよう。随分早いね。早朝訓練まではまだ時間があるよ?」

「え、あ、えっと、おはよう、ございます。……そのっ!目が、覚めて……」


 少し動揺が落ち着いてきたのか、ソルが目を逸らしながらも言葉を紡げるようになってきた。それでも、まだイリスに対して少し警戒する様子も見える。


(八歳の子をこんなに怯えさせてしまうなんて、どんな顔してたのかな……)


 咄嗟のこととはいえ、イリスは自分がどんな恐ろしい形相でソルを睨んでいたのかと、自分の姿を想像して後悔の念に駆られた。


「ところで、どうして扉から来なかったの?」


 ソルは建物の脇から現れたのだ。イリスは自身が立つ壁の脇にある孤児院中央に造られた入り口の扉を見ながら訊ねた。


「あ、それは、ルナを起こさないようにしようと、思って」

「ルナを?」

「部屋が、隣同士だから。部屋の扉を開けた、音とか、廊下を歩くと床が軋む、から、ので、自分の部屋の窓から、出て来たんだ、です」


 昨日は子供らしく、寧ろちょっと生意気な調子で喋っていたソルだが、今日は剣を教えてもらうためか一生懸命言葉を選びながら話している。だが上手く敬語にならなくて片言のようになっているのが可笑しくて、イリスは思わず笑いが零れた。


「ふふっ、昨日のように普通に喋って大丈夫だよ」


 イリスが笑っているのを見て、ソルはこの薄暗がりでも分かるくらい一瞬で顔を真っ赤に染め上げた。


「……あのっ!剣、は、誰が?」


 恥ずかしさを振り払うように、突然ソルが声を張り上げる。どうやら剣を教える役は、イリスではないと思っているようだ。


(うーん、どうしようかなぁ)

 

 昨日の果樹園からの帰り道にイリスが女であることを聞かされて知っているソルは、イリスが剣を教えるのかと少し不安になったのだろう。

 子供なら、というか子供でなくても、普通は女性が剣を扱うという発想自体がないのだ。特にソルは今までこの孤児院の周辺のみという狭い世界で生きている。女性騎士など見たことも聞いたこともないのだろう。


「……」


 一先ずどう答えるべきか迷い、イリスは腕を組んで唸った。

 もし自分が教えると伝えると、子供だから女にでも教えてもらっておけばいい、と蔑ろにされたと感じるかもしれない。だからと言って、自分で自分の強さを誇るというのもおかしいし、そんなこと恥ずかしくて出来そうにもない。

 レオンかロイが来てくれれば問題はあっさりと解決するが、二人は夜中に見張りに立っていたので今日の訓練には参加しない。まさに打つ手なしの八方塞がりだった。


 しかしそこでイリスは、はたと閃いて嬉々としてソルを見つめた。


「ね、ソルは『風を読む』ことができるって聞いたんだけど、それってどういう事?」


 質問に対して全く別な質問で返されたソルが、驚いて目をまん丸にしている。

 それに対して少し申し訳なく思いながらも、イリスはとりあえずリュカが起きてくるまでは剣の話に触れるのは止めておくことに決めた。

 リュカという他人からの評価ならイリスのことを素直に認めるかもしれないし、リュカと直接打ち合っているのを見れば納得するだろうと考えたのだ。


 そうと決めたイリスは、気になっていたソルの能力について聞いてみることにした。


「私もこれで空を駆けるから、多少風向きを読むことは出来るんだけど、それとは違うの?」


 イリスは先程座っていた所の壁に立て掛けていたフラッデルを手に取り、ソルの前に掲げて見せた。


「うわぁ、これがフラッデルなんだね。凄いや!」


 フラッデルに興味を示したソルが、小走りで駆け寄るとまじまじとイリスの手の中のフラッデルを見つめる。


「どうやって浮くのか全然分かんないや……凄いね」


 ほぅ、と羨望のため息を吐いて、ソルが目を細めた。その興味津々といった感じにイリスも嬉しくなる。


 イリスの持つこのフラッデルは、サンスタシア帝国でイリスがインペリアルガードに就任した時から肌身離さず使用している一基であり、苦楽を共にした歴戦の友であり、最早イリスの身体の一部のような代物なのだ。褒められることは素直に嬉しかった。


「ね、乗ってみる?」

「え!いいの!?」


 嬉しくなって思わずイリスが訊ねれば、イリスの言葉に被さる勢いでソルが身を乗り出し喜色満面の顔をした。その姿にイリスの顔も綻ぶ。


「すごく高い所を飛ぶけど、大丈夫?」

「そんなの平気だよ!」


 馬鹿にするなとばかりにソルが息巻く。それに対して、自分で言い出したもののイリスは困ったように眉を下げた。


 ここは果樹園に囲まれている場所であり、当然ながら周囲の木々には売り物となる果実がたわわに実っている。フラッデルで走行するのであれば、果実を傷付けないようそれらの木々よりも上空を飛びたいところだ。

 それに、上空の方が風の影響を受ける。ソルの能力がどんなものなのかも分かりやすいだろう。

 けれどそのためには木々よりも高い所にソルを連れ出すことになる。大の大人でも初めてなら恐怖を覚えるような場所にソルを連れ出すことが、冷静になってくるにつれてどんどん躊躇われていた。


「やっぱり……」

「どうやって乗るの?姉ちゃんっ!」


 嬉しさで興奮冷めやらぬソルがイリスの服の裾を掴み、早く行こうとばかりにぐいぐいと引っ張る。最早後には引けない状態だった。


「……怖くなったら、直ぐ降りるから言ってね?」

「怖くなんてないよっ!」


 言い出しやすい様にと先に予防線を張ったつもりだったが、逆にソルを余計に頑なにさせてしまった。イリスは内心しまったと後悔するも後の祭りだ。


(リュカのように上手くはいかないな)


 子供の扱いは難しく全く思ったようにはならない。イリスはソルを掌の上で転がすかのように操っていた昨日のリュカを思い出し、自分との違いに苦笑いを浮かべた。


「それじゃあ、ここに足を乗せて?」

「うぁ、なんか出た!凄い!」

「私のここに掴まってね?」

「わ、動いた。凄っ、浮いてるっ!」


 フラッデルを起動させるたびに一つ一つソルが驚くのが可笑しくて、イリスはソルに悟られないようにしながら小さく笑いを溢した。けれど自分の足元にあるフラッデルに夢中のソルには、そんなことに気付く余裕もない。


 準備が整ったところで、イリスも笑いを収めて自身の呼吸を整える。

 後ろでは、期待で胸躍らせたソルが今か今かと目を輝かせていた。その顔に目を細めてから前に向き直ると、イリスは足の下にあるペダルを踏み込んだ。

 

「よし、じゃあ出発!!」


 イリスの掛け声と共に、フラッデルは未だ陽が昇っていない東の空に向かって一直線に飛び上がった。






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