ハリス先生の願い
「なに?そいつって凄い奴なの?」
室内に沈黙が落ちる中、イリスと同じようにその名前にピンときていないリュカが問えば、ロイは額に手を当てながら答えた。
「……凄いも何も……エダルシア王国一の大商船団のトップ、大物中の大物だよ」
「へぇ」
「死の海域をも航行できるっていう、凄い商船団のトップだよ!」
「ふぅん」
端的な説明にもピンとこず、リュカは聞いたわりには興味無さそうな返事を返す。その様子に、何故伝わらないのかとロイはぐしゃぐしゃと乱雑に頭を搔いた。
夜も更けてきて疲労が濃くなってきたリュカは、最早考えることを放棄しているようだ。
(死の海域を渡れる船なんて、あるんだ……)
そんな二人の会話の横で一人、イリスは驚愕していた。
死の海域とはサンスタシア帝国から見て北側に位置する海域の総称だ。サンスタシア帝国領の北側の陸地は堅牢な山が聳えているだが、その山々から吹き降ろされる風の影響でその辺りの海域は気流が乱れることで有名なのだ。天候も荒れやすく、海流も複雑なため船が座礁しやすく、海難事故が絶えない海域であることからそのような名称で呼ばれている。
どんな船もこの場所を航行することはなく、貿易船もわざわざ遠洋まで出て迂回するか、大陸に沿って逆回りをしてまで避けると言われている海域だった。
「では、ソルとルナはアレク・ミュラーの子供だと?」
「ええ、そうです。ステラはこの孤児院で、あの子達を出産しました」
驚きを隠しながらレオンが問えば、ハリス先生は力強く首肯した。
「彼女はここで、あの子達を育てながら孤児院の仕事を手伝ってくれていました。そしてあの子達に、自分の持てる知識と技術を教えていったんです」
「ステラさんの教えで、二人は空と風を読むことが出来るようになったんですね」
「そうです。あの子達は幼いが故に、頭よりも感覚で事象を感じ取ることが出来るようになりました」
ハリス先生の返答を聞いて、イリスは二人の能力について考えを巡らせた。
ソルとルナの能力は本人達の資質もあるだろうが、ステラが自身の持てる知識と技術を教えていったことで後天的に身に付いた部分が大きいのだろう。
そしてこの山間部という立地も、ステラがソルとルナに気象の変化を教えるのには最適な環境だったのかもしれない。山の天気というものは往々にして変わりやすい。そんな刻一刻と変化していく天候や風を肌で感じられるのは、山間部ならではだろう。
二人はそんな最適な環境下で過ごす中で、あの類まれな才能を開花させていったのだ。
「あいつ等が誰かに狙われる理由はその能力のせいだとして、結果として誰に狙われてんの?ライバルの商会?それとも海賊とか?」
リュカが机に頬杖を付きながら向かいに座るハリス先生に問う。その目は段々と虚ろになってきており、体力的にそろそろ限界のようだった。
ハリス先生はそんな態度のリュカに嫌な顔をすることなく、冷めきったお茶を一口飲むと大きく息を吐き出した。
「私にも分かりません。でも仰るように、私もライバルの商会か海賊の輩なのではないかと思っています」
ここにきて初めて曖昧な表現をするハリス先生に、ロイが眉を顰めた。
「ソルは僕達を見て、『また俺達を攫いに来たのか』と言っていました。この言葉から察するに、すでに襲撃されたことがあるということです。ですがソルは無事だ。という事は襲撃犯は撃退されたという事です。それなのに犯人が分からないんですか?」
確かにその通りだった。襲撃犯を撃退した以上、そこから犯人は分かるはずだ。だがハリス先生は困ったように眉尻を下げた。
「その犯人は警護していた者達が撃退しました。今取り調べ中なので、まだ詳細は分かっていないのですよ」
「ちょっと待て。その襲撃は、つい最近の話なのか?」
レオンが驚いてテーブルに身を乗り出し、同じ長椅子のイリスを挟んだ先に座るハリス先生を見た。
夕方ソルとルナに出会った時、襲撃犯に怯えて隠れるでもなく平然と二人だけで果実の収穫をしていたので、襲撃を受けたと言ってもだいぶ過去の話なのかとイリス達は勝手に思い込んでいたのだ。
だがハリス先生の口振りからはそうではないことが窺え、レオンのみならずイリスも驚いて隣のハリス先生を思わず振り返っていた。
「え、ええ。……昨日の話ですよ?」
「昨日っ!?昨日そんな目に遭ったあいつ等を、あなたは今日二人だけで置いて行ったのか?」
レオンが咎めるような厳しい視線をハリス先生に向ける。だがそれも当然だ。知らない人物に襲撃され攫われそうになるなど、大人でも心の傷になるような事件だ。
そんな目に遭っていながら、昨日の今日で子供達二人だけにした時間があるなど、イリスとてハリス先生の養父としての責任を非難せずにはいられなかった。
しかしそんなレオンの言葉を受けて、ハリス先生は机に手を付いて椅子から勢いよく立ち上がった。
「昨日そんな事があったからこそです!私だって本当は、あの子達だけで置いて行きたくはなかったっ!」
今までゆったりと話していたハリス先生が突然声を荒げたことで、時が止まったかのようにその場の空気が凍り付く。驚いて誰も言葉を発することができず、ただ黙ってハリス先生を見つめることしかできなかった。
そんな一同の様子に気付いたハリス先生は、自身を落ち着かせるように一つ大きく息を吐き出すと、ゆっくりと椅子に座り直した。
「……昨日の襲撃犯は、ストレアル山脈に入山する段階から麓の護衛が目を付けていたようで、大事に至る前に捉えることが出来ました。ですがこの一件で、相手方にあの子達のことがバレたのです。早急に手を打つ必要がありました」
ハリス先生はそこで一旦言葉を切ったが、一同が疑問を持ったり口を挟む様子がない事を確認するとそのまま言葉を続けた。
「こうなってしまってはもうここは安全ではありません。アレク・ミュラーからの指示がきたと護衛から聞いて、私は夕方その内容を伺いに行っていたのです」
どうやらハリス先生は、今日は集落の子供達に勉強を教えに行っていたのではなかったようだ。
「それで?あの子達は何処か別の場所に行くことになったのか?」
「……そうです。場所はもう用意できているそうで、明日には出発予定です」
レオンの言葉に、少し寂しそうな表情をしながらハリス先生が頷いた。今まで八年間も一緒に過ごしていたのだ、寂しさを感じるのは当然だろう。
「そのことは二人に、どう説明するんですか?」
今までの話を聞くに、自分達がずっと護られながら過ごしていたことを二人は全く知らない。この孤児院を離れるにあたって、二人が疑問を持たないような説明ができるのかとロイは首を傾げた。
「全て正直に話す予定です。もう隠し続けることは難しい。あの子達ももう幼い子供ではないのです。知る権利もあるでしょう」
「でも……」
幼くはないと言っても二人はまだ八歳だ。過酷な運命を受け止めるにはその肩は小さすぎるようにイリスは感じた。
一同が言葉を飲み込んだその時、テーブルに頬杖を付いて半分目が閉じかけてきているリュカが疑問を呈した。
「あのさ、ちょっと質問なんだけど」
「はい、何でしょう?」
丁寧な返答が返ってきて、リュカは少しだけ居住まいを正すと正面に座るハリス先生を見た。
「なんでソルとルナのことがバレたんだ?この孤児院で産まれてから八年もバレずに過ごしてたんだろ?そもそもステラさんの隠れ先だってバレてなかったのに、出産したことは何でバレてんの?」
「あ、……そう、だね?」
リュカの指摘に、イリスも矛盾点に気が付いた。ステラの隠れ先としてのこの孤児院が八年もの間誰にも知られることがなかったのに、どうして出産したことは知られていたのだろうか。
だがそんなリュカの言葉に対して、ハリス先生は本当に分からないとばかりに首を傾げた。
「え?ステラが出産したことは、誰にも知られていませんでしたよ」
「は?じゃ何でこの孤児院に襲撃犯が来たんだよ?」
二人のやり取りに、イリスは益々首を捻る。だがその会話に、どうやら思い違いがあると気付いたロイが割って入った。
「ハリス先生、確認させてください。……ソルとルナのことは誰にも知られていなかった。では、襲撃犯は誰を狙って昨日この孤児院に来たのです?」
ロイの質問に、ハリス先生は当然とばかりに力強く頷いた。
「それは勿論、ステラですよ。ステラがこの孤児院を隠れ家にしていることが知られてしまったんです」
その衝撃の内容に、一同が一斉にハリス先生を見た。
「……ステラさんって、生きてんの?」
「?はい、勿論生きていますよ」
「……えぇ……」
言葉にはしないが、皆リュカと同じ気持ちだった。皆誰もが、ソルとルナの口から母親であるステラの話が一切出ないことと、この孤児院に子供はソルとルナしかいないという言葉から、ステラは既に亡くなっているとばかり思い込んでいたのだ。
だがよくよく先程までの会話を思い返してみれば、昨日の襲撃の話をしていた際、ハリス先生は『この一件で、相手方にあの子達のことがバレた』と言っていた。という事は、昨日の襲撃まではソルとルナのことは襲撃犯に知られていなかったという事に他ならない。
「でも襲撃に来た奴等は、何でソルとルナがステラさんの子供だと分かったんです?孤児院に子供がいたとて、不思議には思われないでしょう?」
ロイの言葉に、ハリス先生は悔やむように眉根を寄せると溜息を吐いた。
「あの子達に何も教えていなかったことが、仇となりました。襲撃犯が来た時ステラはすでに孤児院にはおらず、ステラは何処だと聞かれ、あの子達は母親に何の用だと聞き返してしまったのです。それでステラの子供であることが判明し、逆にあの子達が狙われる事になりました」
「最初から目を付けてたんだろ?護衛の奴等は何をしていたんだ?」
レオンが厳しい視線を向けると、ハリス先生は深く悔恨の息を吐いた。
「怪しい者達ではありましたが、孤児院に用があるだけの者という線も考えられなくはなかったので、護衛の者達はすぐ傍で動向を見守っていたのです。あの段階で捉えることはできませんでした」
「でもさ、それだけで何で狙われるんだ?そいつ等はソルとルナの能力なんて知らないだろ?」
確かにステラの子供というだけで、その能力までは知られていないだろう。リュカの言うことも尤もだが、向かい側に座るレオンは厳しい顔で溜息を吐いた。
「最低な考え方ではあるが、人質として使うつもりなんだろう」
「……」
レオンの言葉を聞いて、リュカは口を噤んだ。
ステラに対する脅しの材料として子供を利用しようとする連中だ、そんな奴等に二人の能力が知られでもしたら、もっと大変なことになるだろう。
「……それで、ステラさんは今どこに?」
姿の見えないステラの所在をロイが問えば、ハリス先生は緩く首を横に振った。
「私にも現在の居場所は分かりません。実は、ここの存在が知られてしまったかもしれないという情報をアレク・ミュラーが掴んだとのことで、三日前にステラを別の場所に匿うために護衛が連れて行ったのですよ」
(それで、ルナが寂しそうな顔をしていたのか)
イリスがこの孤児院に来てすぐに、ソルとルナの他に誰がこの孤児院にいるのかと質問した際、ルナはハリス先生だけだと言って寂しそうな表情をしていたのだ。
それは三日前から母親がどこかに行ってしまって、不安だったからなのだろう。
「その時点では相手方にソルとルナの存在は知られていませんでしたからね。先にステラを安全な場所に移したんです。ソルとルナを一緒に移動させなかったのは、リスクを避けるためでした。先程そちらの方が仰った通り、孤児院に子供がいても何ら不思議ではありませんからね。ソルとルナはまだここに居ても、安全なはずでした」
ハリス先生がロイの方を見て悔しそうに顔を歪める。本来なら護れたはずのソルとルナは、今回の一件で一気に狙われる立場になってしまった。
「そこで、私からのお願いです。あの子達を狙う者達を、排除してはいただけないでしょうか」
それでその願いだったのかとイリスは腑に落ちた。
イリス個人としては助けてあげたい気持ちに傾いているが、独断で決めて良い案件ではない。イリスは窺うように隣に座っているレオンを見た。
レオンはイリスと目が合うと、一瞬思案したものの、直ぐにその瞳を閉じると溜息を吐いた。
この流れは仕方がないと了承してくれる流れだと察しイリスが喜びかけた時、リュカが向かいから口を挟んだ。
「でもさ、俺達に頼む前にエダルシア王国の騎士に頼めばいいんじゃないか?」
「……リュカ、眠くて頭が回っていない方が冴えてるんじゃないの?」
ロイが感心したように目を見開きながらも茶化すように声を掛けると、リュカは眠くて半分閉じている瞳で力なく隣に座るロイを睨んだ。
「だが、一理ある。一般の民がその辺の破落戸に目を付けられるのと違って、国としても護るべき稀有な能力を持つ人間が狙われているんだ。国に救助要請をしても通るような案件だ」
レオンが冷静に分析しながら視線を投げかければ、ハリス先生は当然とばかりに頷いた。
「今回の件を受けて、アレク・ミュラーも国に救助要請をしたそうです。ソルとルナは今後、国の保護下に入ることになるようですよ」
「成程、城で保護されるのが一番安全ではありますね」
ロイが相槌を打つが、それに対してハリス先生は何故か難しい顔をした。
「……王城内に囲われれば、それは安全でしょう。ですが私は、出来ればあの子達を自由にのびのびと過ごさせてあげたいと思ってしまうのです。出来るなら脅威を排除し、アレク・ミュラーも交えて親子四人で暮らせないものかと、そう思ってしまうのですよ」
ここは孤児院だ。本来ならば親のいない子供達が集う場所だが、ソルとルナの両親は存命であり健在だ。
親のない子供達を見続けてきたハリス先生にとっては、両親がいるのに一緒に暮らせないソルとルナのことが居た堪れないのだろう。
寂しそうに笑うハリス先生に何と声を掛けていいか分からず、一同は黙り込むことしかできなかった。




