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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第五章 空を統べる者
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ステラ

 リビング兼ダイニングのテーブルに備え付けられた長椅子に深く沈み込むように背を丸め、ハリス先生は深く息を吐いた。


 ハリス先生が重心を前に傾けたことで、同じ長椅子に座るイリスとレオンは長椅子の座面が少しだけ前に傾くのを感じた。

 テーブルと長椅子は太い丸太の上に一枚板が乗っただけの簡素な造りで、おそらく手作りだった。人の手で切り出された物だろうから仕方がないのだが、丸太の断面がどうやら平衡ではなく多少歪んでいるようで、上に乗せられた一枚板は誰かが座り直すとがたつく様子があった。

 だがその手作り感が、整った既製品にはない温かみを醸し出している。


 一呼吸置いてハリス先生は再び深く息を吐き出すと、丸めていた背を伸ばした。


「一つずつお話ししていきますので、疑問があればその都度仰って下さい」

「分かった。そうさせてもらう」


 レオンの返答に頷くと、ハリス先生はゆっくりと視線を動かして全員の顔を眺めた。


「私の自己紹介がまだでしたね。名前はハリス・クレイトンと申します。この孤児院で養父をしております。院長と呼ぶには職員は私だけですので、あの子達も私のことは先生と呼んでいます。ご存じのように、今この孤児院に居る子供はソルとルナだけです」

「ああ、それは二人に聞いた」


 レオンが視線で続きを促す。ハリス先生は疑問が無いことを確認し、話を進めた。


「あの子達がどうしてこの孤児院に居るのかというと、あの子達の母親が関係しています」


 その言葉に、イリスは自身の太腿の上に置いた手を強く握り締めた。

 孤児というのは、両親が亡くなったり親に捨てられたりと様々な事情によって突然独りになってしまった子供達のことである。

 本来ならドルシグの乱の際に幼かったイリスも同じ立場になっていたのだろうが、サンスタシア帝国に拾われたことで孤児にはならずに過ごせていた。

 ソルとルナの事を思うと、自分が恵まれていたことがイリスは心苦しく感じたのだ。


 俯くイリスに何かを悟ったようで、ハリス先生は安心させる様に首を横に振った。


「あの子達は捨てられたわけではありません。ステラ……あの子達の母親が、八年前この孤児院にやって来たところから話は始まります」

「……八年前」


 ハリス先生の口からその単語が出た瞬間、一同は一斉にイリスに視線を向けた。常々『八年前』や『ドルシグの乱』という言葉に敏感に反応するイリスを知っているからだ。

 案の定、拳を強く握りしめたままイリスは俯いている。握りしめる手に力が入り過ぎていて、その手の甲は真っ白になっていた。


「……っ」


 隣に座るレオンが、そんなイリスの手に自身の手を重ねた。驚いてイリスが顔を上げれば、レオンが優しく微笑んでいるのと目が合った。そして視線を感じてテーブルの向かいを見れば、リュカもロイもイリスと目が合うと力強く頷いてくれる。


(……皆がこんなに力になってくれているんだもの、俯いてばかりもいられないよね)


 過去はどうしたって変えられない。

 けれど、ドルシグの乱の当時はまだ子供で何もできなかったイリスだが、これからは違う。自分の力で運命を切り開いていくことが出来るのだ。

 そして顔を上げれば、すぐ傍にこんなにも心強い仲間達がいる。イリスは自身を心配する視線に向かって、安心させる様に微笑んだ。


「大丈夫。……ごめん、ありがとう」


 その笑顔を確認し、レオンは重ねた手を離すとその手でイリスの頭を何も言わずにそっと撫でた。

 そんな一同の様子を眺めていたハリス先生は、イリスがステラという女性と同じように、ドルシグの乱の際に辛い経験をしたのではないかと勘違いをしたようで、慌てて言い訳を述べた。 


「すみません。辛いことを思い出させてしまいましたか?もしご不快なら、ステラの話はしなくても話は通じますので……」


 焦った様子のハリス先生に、イリスは大丈夫だと言うように力強く頷きを返した。


「いえ、問題ありません。続けて下さい」

「……そうですか?では続けますが、辛い時は仰ってくださいね?」


 半信半疑の様子ながらも、ハリス先生は話を再開してくれた。


「八年前ステラはこの孤児院に、とある人物の手の者達に護られながらやってきました。ステラはこの孤児院に来る前、その人物の商船で仕事をしていたのです。彼女は天候と風を予測し、航程や航路について進言する仕事をしていたと言っていました」


 突然の核心を突く発言に、一同が目を瞠る。


「それって……」

「ええ。正に、ソルとルナの能力です。彼女の力を二人は遺憾なく受け継いでいると言っていいでしょう」


 ソルとルナの能力は母親譲りのものだと聞かされ驚く。遺伝するような能力ではないだろうが、少なくとも親子二代にわたって稀有な能力を持っているようだ。 


「貿易のため各国を巡る商船の航海は長期間に渡ります。常に皆で寝食を共にし協力し合って過ごす中で、愛が芽生えたのでしょう。ステラにはその商船に恋人がいました。しかし八年前、その恋人に突然船を降りるように言われたのです」

「それって、ドルシグの乱が起こったからか?」


 ロイと同じ椅子に座っているリュカが、向かい側に座るハリス先生を真っ直ぐに見つめながら訊ねる。だがハリス先生は、その問いに緩く首を横に振った。


「いえ、実際には事が起こる前でした。ステラの乗る船は大商船団のためドルシグ帝国にも荷を降ろしていたので、恋人は何かしらドルシグ帝国の動きに勘付くところがあったのでしょう。恋人は、何かが起こる前にステラを安全な場所に隠すことにしたのです」


 直接ドルシグ帝国内の状況が分かれば、不穏な動きも確かに察することができたのかもしれないが、それでも相手はあのドルシグ帝国、エルヴィン皇帝だ。

 各国にすら気付かせなかった謀りを、事が起こる前にいち早く勘付いて行動に移したステラの恋人の先見の明は、相当なものだといえた。


「それで何故、こちらの孤児院にステラさんは来たんですか?」


 顎に手を当て、ロイが首を捻る。確かに安全な場所としてこの孤児院を選ぶ、相応の理由が思いつかなかった。


「それを説明する前に先ず、ステラの乗っていた船についてお話しておきましょう。今でこそ大商船団ですが、ステラが乗船する前までは、しがない商船に過ぎませんでした」

「……ステラさんのその能力のお陰で大商船団にまで上り詰めた、ということか」


 レオンが問えば、ハリス先生は大きく一つ頷いた。


「そうです。航海とは天候に左右されるところが大きい。天候を読み、風を読むステラがいれば、他の商船よりも早く確実に積み荷を届けることが出来る。迅速且つ依頼通りに積み荷が届くと、商船団は瞬く間に有名になっていきました」


 ステラの能力がどれだけ凄いものなのか、その話だけでよく分かる。そうであるならば、ソルとルナの能力を他の商船団が狙うのも当然だった。


「この頃になると、他船も恋人の商船が一気に活躍し始めたその秘密を探り始めたそうです。恋人はステラのことについて箝口令を敷きましたが、どんなに秘匿していても人の口に戸は立てられないものです。ステラの存在は他船の知るところとなりました」

「だから、船から降ろして隠そうとしたのか」


 レオンの指摘に、ハリス先生は再び頷く。


「そうです。他船だけならまだしも、エダルシア王国の海域には貿易船を狙う海賊もおり、ステラは海賊からも狙われる身となりました」

「うわぁ、大変だな」

 

 顔を歪めながら大袈裟なくらいに反応するリュカに苦笑しながら、ハリス先生は続けた。


「船を降りる際、隠れ家として恋人が選んだのが、この孤児院でした」


 あまりに唐突な話の着地に、一同が揃って首を捻る。


「……何故、この孤児院が選ばれたのですか?」


 イリスが遠慮がちに疑問を投げかけた。この孤児院は山中にあるので訪れる人も少なく、隠れ場所としては好条件だが、それ以外のメリットがどうしても思い浮かばなかったのだ。

 そんな思いが顔に出ていたようで、イリスの表情にハリス先生が苦笑していた。


「ステラの隠れ場所としてこの孤児院を打診された時、私も今の皆さんと同じような表情をしていたものです」

「何か、この孤児院でなければならない明確な理由があったんですね?」


 イリスが問えば、ハリス先生はゆっくりと頷きを返した。


「ええ、そうです。ここなら麓にはエダルシア王国軍がストレアル山脈の治安維持のために常駐していますからね。そこに紛れてステラを護衛できると言っていました」

「確かに、護衛がいたらそれだけで怪しまれてしまうからな」


 レオンの呟きを聞いて、イリスも納得する。

 護衛に護られている家など、そこに重要人物がいますと言っているようなものなのだ。たとえ少し離れたところから警護していたとしても、それは同じである。

 だが、ここなら麓のエダルシア王国軍の気配に紛れながら、怪しまれずに山中を行き来する人々を警戒し孤児院を警護することが可能だ。

 しかも近くの集落に住むのと違って、孤児院にある日突然女性が一人住み着くようになっても何ら疑問に持たれることはない。ステラの姿を見られたとしても、身寄りのない女性が孤児院を頼って来たのだろうと思うだけだ。


 一同が納得したように頷くのを見て、ハリス先生は言葉を続けた。


「そしてもう一つ、ここなら食材を運んでくる商人に扮して孤児院を訪れても、誰も不審がらないという理由があります」

「成程。それなら定期的に訪れても不思議ではないですね」


 こんな山間の孤児院や集落では自給自足で食料は賄えない。定期的に行商人が訪れているはずだ。それに紛れて恋人が訪れてきても、不審に思う人はいないだろう。

 そう一同が納得しかけた時、ハリス先生は皆の頭の中を読んだかのように言葉を付け加えた。


「ステラは各方面から狙われていましたからね。なので恋人本人は、自分が会いに来ることでステラが危険に晒されることを懸念し、この孤児院に来ることは一切しませんでしたよ」

「……徹底してんなぁ」

「そうですね。けれど、何処で足がつくかは分からない。恋人はエダルシア王国一の大商船団の会頭です。本人がおいそれと動くとその動きを不審がられてしまうので、動けなかったというのもあるでしょう」

「それはそうだけど、恋人同士だったんだろ?ちょっと可哀そうだな」


 そんなリュカとハリス先生のやり取りを黙って聞いていたレオンとロイの瞳が、みるみる驚愕に見開かれていく。その変化に気付いたイリスが疑問に思って声を掛けようとしたが、何かを問う前にレオンが呟くような小声を絞り出した。


「ちょっと待て……エダルシア王国随一の大商船団って言えば、ミュラー商会だろう?」

「ええそうです。ステラの乗っていた船はミュラー商会の商船です。そしてステラの恋人は……」

「待ってまって!……まさか、アレク・ミュラーとか言わないよね?」


 レオンとロイはステラの恋人に思い当たる人物がいるようで、テーブルを挟んで二人顔を見合わせている。だがイリスは、それが誰なのか皆目見当も付かなかった。


 イリスはサンスタシアでインペリアルガードをしていた際、ウィレンツィア王国やドルシグ帝国のことについて必要以上に知ることがないよう意図的に情報を制限されていた。

 だがその二ヵ国の情報だけを制限するとかえってイリスが不審に思うことを懸念し、世界情勢や世界各国の情報について学ぶ機会自体を与えられなかったのだ。

 そのため世界的な有名人であっても、イリスはその名前に全く心当たりがなかった。


 だがステラの恋人について話すハリス先生は、何処か誇らしげだ。余程の有名人なのだろう。


「その通りです。ステラの恋人は、エダルシア王国が誇る大商会、ミュラー商会の会頭アレク・ミュラーですよ」


 その人物に関する知識が全くないイリスは、その名前を聞いても何の反応を返すこともできない。

 しかし唖然として口を開いたまま時を止めているレオンとロイの顔を見れば、それがどれだけの人物なのかを理解することは容易かった。






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