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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第五章 空を統べる者
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ハリス先生の帰宅

 纏まらない思考にイリスが頭を抱えそうになった時、バンッという激しい音をさせながら玄関の扉が勢いよく開いた。


「ソル、ルナ、ただいま戻……っ!」


 扉が開いたと同時に、イリス達三人は即座に臨戦態勢をとった。

 身体の雨を払っていたレオンとロイは、すぐさま脇の壁に立て掛けていた剣を取って今玄関をくぐってきたばかりの人物に向ける。イリスも咄嗟にリュカの前に立って背に庇うと剣を構えた。


 雨を避けるために着ている外套のフードを目深に被った人物は、長身の男性のようだった。突然剣を向けられて一言も発することが出来ず、ただ立ち尽くしている。


「貴方は誰だ?」


 剣を構え鋭い視線を投げかけながらレオンが問えば、状況が呑み込めずにいた男性が弾かれたように我に返った。


「ソルとルナはっ!無事ですかっ?!」


 男性の手から、持っていたカバンがするりと滑って床に落ちた。男性は突き付けられている剣をものともせず、レオンに向かって近付いてくる。余程、ソルとルナの事が心配なのだろう。

 ソルとルナの事を知っていることと二人を心配するその様子に危険人物ではないと判断したレオンは、男性が剣で怪我をする前に構えていた剣を素早く鞘に収めた。


 だが男性は歩みを止めることなく、レオンに掴みかかって行かんばかりだ。それを、同じく剣を鞘に収めたロイが間に入って止めた。


「ちょっと待って、ハリス先生?ですよね。僕達は怪しい者ではありません。ソルとルナに招待されて、ここに来たんです」

「……ソルとルナに?それは本当ですかっ?」


 ロイの言葉に、ハリス先生は目深に被った外套のフードを取った。フードの下から現れたのは、白髪を短く切り揃え眼鏡をかけた老齢の男性だった。

 老齢とは言え腰も曲がっておらず、真っ直ぐに立つ姿は年齢を感じさせない。

 しかし顔や外套の袖から覗く手には幾つもの皺が刻まれており、男性が長い年月を生きてきていることを窺わせた。

 

 男性は眼鏡の奥の薄い茶の瞳をこれでもかと見開いたまま、時が止まったかの様にロイを見つめている。余程ロイの言葉が信じられなかったようだ。

 帰ってきた家に居るはずのソルとルナの姿が見えず、代わりに居た見知らぬ人物が二人に招待されてここに居ると言っても信じられないのは仕方ないだろう。


 ロイが質問に答えようと口を開きかけたその時、隣室の扉が勢い良く開け放たれソルとルナが飛び出してきた。


「待たせ……あ!ハリス先生!」

「おかえりなさいハリス先生!雨、大丈夫でしたかっ」


 ソルとルナが駆け寄り、ハリス先生の胸に飛び込んだ。

 傍から見ても雨でずぶ濡れのハリス先生に躊躇することなく、ソルとルナはその身体に腕を回し両側からぎゅうぎゅうと抱き着いていた。


「二人共っ!大丈夫でしたか!」


 ロイの言葉に半信半疑だったハリス先生は、二人の元気な様子に明らかに安堵の表情を見せた。二人が濡れてしまうのは分かっているが、ハリス先生は二人の存在を確かめるかのように背中に手を回して抱きしめ返す。

 

「もう、先生びしょ濡れじゃん」

「あ、カバン落ちてる。紙も濡れちゃってるし。貴重なんだから大事にしてください」


 ハリス先生の帰宅を喜んだのも束の間、二人は先生の状況を見るなり身体から濡れた外套を脱がせたり床に落ちたカバンや紙を拾ったりと、勝手にハリス先生の世話を始め出した。

 最初はされるがままだったハリス先生も、ソルが袖から外套を抜き取った辺りで漸く、ぼんやりとしていた意識が現実に引き戻された。


「……ソル、ルナ!大丈夫でしたかっ?!」


 先程と同じ言葉ではあるが、二人の存在を確かめた先程とは違い、今度は二人の身体に異常がないかハリス先生はあちこち忙しなく視線を動かして確認し出す。

 明らかに不審人物であるイリス達に、何かされていないか心配だったのだろう。先程自分も剣も向けられたのだから、ソルとルナも同じ目に遭っていないかと思うのは当たり前だ。


 要らぬ心配をさせてしまっているのは非常に申し訳ないところではあるが、ハリス先生のその行動にイリスは思わず口元を綻ばせた。

 二人は孤児院に住んでいるのだから、おそらくハリス先生と血は繋がっていない。しかし何よりもまず先にソルとルナを心配するその姿に、ハリス先生の二人に対する確かな愛情を感じたのだ。


「大丈夫だよ、先生」

「安心して。この人達は悪い人達じゃないよ。私のことを助けてくれたの」


 ルナの言葉に、ハリス先生は一瞬安堵の表情をしたが、その言葉の意味を理解するとすぐさまの顔が蒼白になった。


「助けてって、ルナ!大丈夫だったんですか!」

「せんせ、痛い。……大丈夫だから」

「あ、すみません。ですがルナ……本当に大丈夫ですか?」


 ぎゅっとルナの肩を掴んだハリス先生の手の上に、それよりも一回り以上小さなルナの手が重なる。優しく添えられたその手の温かさに、ハリス先生はルナの肩を掴む手の力を弱めた。

 ルナは大丈夫だというように、できるだけ快活に笑って見せた。


「大丈夫です。だって、助けて貰ったんだもの」


 ルナの笑顔を見てハリス先生は少し安心したようで、詰めていた息をゆっくりと吐き出す。そして漸く、ダイニングにいるイリス達を見た。

 その薄い茶色の瞳が順番に一同を捉える。そこにはこちらを訝しむ様子も何者かを詮索するような様子もなく、ただただ優し気な眼差しがあった。


「気が動転して礼節を欠いた振る舞いをしてしまいました。申し訳ありません。ルナの事を助けていただいたそうで、本当にありがとうございました」


 ハリス先生は居住まいを正すと、一同に向かって深々と頭を下げた。こちらが恐縮してしまうような丁寧な謝罪に、慌ててイリスがぶんぶんと勢いよく両手を振って否定を表す。


「お礼を言われる程の事をしたわけではありません。寧ろこれから雨が降ると教えてくれて、私達の方が助かったくらいですから」


 イリスの言葉に、ハリス先生は下げていた頭を勢いよく上げると驚いてルナの方を見た。その瞳は驚愕に見開かれている。そんなハリス先生の視線を受けて、ルナは気不味そうに顔を逸らした。

 どうやら二人の反応を見るに、ルナの雨を予測できる能力は第三者には秘密にしている能力なのかもしれない。イリス達にその能力が知られてしまうことを厭わずに雨が降ることを教えたことが、ハリス先生には意外だったようだ。


 驚いていたハリス先生だったが、一拍置いて呼吸を整えるとルナを安心させる様にその顔に柔らかな笑みを浮かべた。目尻や頬に刻まれた皺が一層深くなり、より優し気な印象を醸し出す。

 そしてハリス先生は、優し気な笑顔のままイリスに向き直った。


「ルナを助けて頂いて、本当にありがとうございました。どうか皆さんに、助けて頂いたお礼をさせて下さい。この雨ですし、これから外に出るのは難儀でしょう。大したもてなしはできませんが、もし良かったら今晩はここに泊っていって下さい」

 

 イリス達の格好を見て、旅人だと察したのだろう。ソルも孤児院に泊まることはできるだろうとは言っていたが、願ってもいない提案に一同が喜びかけた時、それまで黙っていたレオンが口を開いた。


「そうですね、そうさせてもらえるとありがたいです。こちらとしては今日は麓まで下山する予定でしたが、そちらの子供達に引き留められてしまったもので」

「レオンっ!言い方!」


 ロイがレオンを叱責するが、レオンは言葉を撤回するつもりも謝罪を述べるつもりもないようで不遜な態度を崩さなかった。

 常に冷静沈着、公平で礼節を重んじるレオンにしては珍しく、他人に対してあからさまに不快感を顕わにした態度を取る樣に、イリスもロイも、リュカでさえ目を丸くしている。

 だがレオンは厳しい表情のまま、ハリス先生を睨んだ。


「誰かいるだろ?あんたの手の者か?」

「レオン、何のこと?」


 レオンが何を言っているのか皆目見当が付かずイリスが問うも、レオンはそれに答える気はなく真っ直ぐにハリス先生を見つめたままだ。

 当のハリス先生はレオンの言葉に一瞬驚いた表情を見せたものの問われていることに気付いたようで、意味深な笑顔を見せた後傍らに佇むソルとルナに視線を向けた。

 ハリス先生の視線に気付いて、二人はゆっくりとハリス先生を見上げた。


「この人達サンスタシアの騎士なんだって。だから、俺達を狙う奴等をやっつけてもらおうと思って」


 ソルの言葉に、ハリス先生が驚いて目を見開く。

 勢いよく告げたはいいものの、ハリス先生の表情を見て軽率な行動だったのではないかとソルは途端に不安気な顔付きになった。ハリス先生から視線を外し、手を所在なく動かして明らかに動揺している。

 ソルの言葉でイリス達が何故この孤児院に招待されたのかを察したようで、ハリス先生はこちらに向き直ると困ったように微笑んだ。


「うちの子供達が我儘を言ったようで……申し訳ないです。ではぜひとも、雨を凌ぐ屋根があるだけのあばら家ではありますが、この雨ですし、今晩はここで休んでいってください」


 次にハリス先生は、ソルとルナの頭に手を置くと優しく一撫でして二人に微笑みかけた。


「ソル、ルナ、食事の準備をするから手伝ってください」

「「はいっ」」


 ソルとルナから自身の荷物を受け取ったハリス先生は、食事の準備のために別室へと歩を進める。


「料理が出来るまでは、どうかこちらで寛いでいて下さい」


 イリス達にそう告げて二人を促し歩き始めたハリス先生だったが、ソルとルナが何かを取りに別室に向かったのを見て自身はその歩みを止めた。

 そのまま動かないハリス先生にイリスが首を傾げた時、ハリス先生はゆっくりとこちらを振り返った。


「……詳しくは後程、お話しします」

  



 扉が閉まり再び静かになった部屋の中は、外から聴こえる雨音に包まれる。

 この一時で色々なことがあったなとイリスが思い返していると、ふとレオンが大きく溜息を吐いた。どうしたのかとレオンを見遣れば、レオンは殊の外険しい顔で三人が消えた扉を凝視していた。


「あいつ等には何かある。あの先生とやらも信用ならない」


 レオンが憮然と言い放つと、ロイが長椅子に腰掛けながら深い溜息を吐いた。


「まぁ、危険は無さそうだけどね。何かあるっていうのには同意かなー」


 訝しがる二人とは対照的に、同じく長椅子に腰掛けると大きく伸びをして机に突っ伏しながらリュカが半ば投げやりに呟いた。


「何かあるっていうけどさ、天気が予測できるってだけじゃないか。サンスタシアだって大国なんだから、そういう技術とか予報士とかいただろう?」


 確かにリュカの言っていることも事実ではある。サンスタシア帝国では科学技術が発達しているので、気温や湿度、風向きや気圧まで、ありとあらゆるものを測定し数値化して、天候を予測する術がある。

 しかしそうした科学技術をもってしても、その精度はそこまで高いわけではない。明日は晴れるだろうとかもうすぐ雨が降るだろうとか、その程度だ。

 しかし先程のルナは、そういった数値的なものを頼りにして天候を予測したわけではなかった。ただその場にいて、これからの天候を感じ取っていたのだ。

 

 だがそうした体感的なもので天候をよむ術も、なくは無い。


 イリスにとって空中は自身の最も得意とする領域であり、フラッデルで自在に空を飛び回るためには風向きや天候などは切っても切り離せない事項である。

 だからこそ雲行きや空模様から予測して、あれは雨雲だなとか雨が来そうだなとか、そのぐらいの予測はイリスにでもできた。


 しかしそれらはあくまでも、一般的な知識の範囲内から導き出される推測に過ぎない。


「『今から二時間後に強い雨が降る』なんて、そんな詳細な天候の予測、普通なら考えられないでしょう?」

「あー……」


 イリスの言葉に、リュカもルナの言葉を思い出したようで口を閉ざした。科学技術大国であるサンスタシア帝国でも無理なことをこんな辺境の少女がやってのけているのだ、それは正に異様だった。


「……で?誰かいるって、誰が何処にいるんだ?」


 今度は先程のレオンの言葉が気になったようで、リュカが机に頬杖を付きながらレオンに視線を向けた。


「後程って言ってたんだ。後で説明があるだろ」

「ちぇ、教えてくれたっていいだろ」

 

 不満げに悪態を吐いたリュカだったが、その時食材を抱えた三人が扉を開けて台所に戻って来たのでこの話は一旦中断された。この部屋はダイニングとリビングが一体になっているので、ここでの会話も料理をしている面々にまで届いてしまうからだ。


 イリスは料理を手伝うために台所を忙しなく行ったり来たりしているルナを見遣った。人攫いに狙われる理由は、おそらく雨を予測できる能力がらみだろう。


 ルナの他に、ハリス先生にも何か事情がありそうだ。何だか込み入った様相を呈してきたのを感じて、イリスはひっそりと小さく息を吐いた。


 


 


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