予報
「え……っと」
目の前の期待に満ちた瞳にどう応えるべきかを迷い、イリスは後ろを振り返って助けを求めた。
後ろでは、右手で頭を抱えているレオン、驚いて目を見開いているリュカ、そして最初こそレオンと同じように頭を抱えたものの今は口元を押さえて小刻みに肩を揺らしているロイがいた。
イリスの視線に気付いたレオンは一つ溜息を吐くと、ソルに向き直った。
「ソル、といったか?それは無理な相談だ。俺達はただの観光で旅をしている訳じゃない。先を急いでいる」
レオンは睨んでいるんじゃないかと思うくらい険しい顔付きを見せている。ソルに余計な期待を持たせないためだろう。
しかしそんなレオンの視線にも怯むことなく、ソルはレオンに尚も食って掛かった。
「あんた等は帝国の騎士なんだろう?困っている奴をみすみす放っておくつもりかよ」
「帝国の騎士なのは事実だが、ここはエダルシア王国領内だ。王国領内の問題はエダルシアの騎士団に願い出るといい」
「王国の騎士がこんな辺鄙な処まで来るかよっ!」
レオンが淡々と事実を述べると、ソルが捲し立てるように言い放った。
確かにソルが言うように、救助の要望を出したとしてもこんな辺境の真偽不明の誘拐未遂事件に王都の騎士が駆けつけてくれるとは思えない。騎士団の仕事は多岐にわたる上、今はドルシグ帝国の動きも不穏なため国防のためにも多くの騎士を王都に常駐しておく必要があり、些細な事で騎士を動かしてなどいられないはずだ。
仮にソルが言うように本当に人攫いに狙われているのだとしても、大事の前の小事として片付けられてしまう可能性もある。
「……」
ソルは目を逸らすことなく、真っ直ぐにレオンを睨むように見据えている。引き下がる気は更々ないようだ。
レオンは再び溜息を吐くと、今度は落ち着いた調子で諭すように語り掛けた。
「駄目だ。俺達は本来ならこの場所にも寄るつもりはなかった。今日はこのまま麓まで下山する予定だ」
「でもっ……」
告げられた事実に、ソルがぐっと言葉を詰まらせる。怒鳴られでもすればそれに合わせて反論も出来るが、淡々と告げられたことで感情的に言い返すことが出来なくなったようだ。そういう話術や駆け引きに慣れていないところが、まだ子供だと言えた。
そんなレオンとソルのやり取りを見ながら、イリスは一人頭を悩ませていた。気持ち的にはソルとルナを助けてあげたいところだが、闇雲に首を突っ込むわけにもいかないからだ。
現状で出来ることとしては、この場所で困っている人がいるから騎士を派遣して欲しいとエダルシア王と謁見した際に直談判することくらいだろうか。
孤児院で暮らしてるとソルは言っていたので、少なくとも孤児院にはソルとルナの他に養育してくれている人物もいるはずだ。その人物に事情を説明して、護ってもらえるよう伝えることも出来るだろう。
「……あの」
取れる手立てをあれこれと考えていたイリスは、掛けられたか細い声を耳にして現実に引き戻された。
見ると、ソルの脇にひっそりと控えていたルナがおずおずと片手を挙げ、発言の意思を示していた。
蚊帳の外だったルナの行動に、全員の視線が一気にルナに集まる。
突然全員から視線を向けられルナはその細い肩をびくりと震わせたものの、視線を逸すことなく真っ直ぐに前を見据えながら口を開いた。
「……今から山を下るのは、止めたほうがいいです」
「ルナっ!」
「だって……助けてもらったのに危険を見過ごすことは出来ないよ」
何故か下山を止めるルナの肩を掴んで、ソルが叱責するような厳しい声色でその名を呼んだ。
話の流れがよく分からず、イリスはルナと視線を合わせるようにやや前かがみになると、怖がらせないように出来るだけ優しい声で問いかけた。
「何故、今から山を下るのは止めたほうがいいの?」
問うた瞬間、何故かソルが思い切りイリスを睨み付けてきた。
(教えたくない事だったのかな?)
ソルの嫌悪感を見るに、自分達の要望に応えない者に教えてやる必要はないといったところなのだろう。ルナの様子を見ても、イリス達を足止めするための方便で言った訳でもなさそうだし、どうやら本当に今から下山しない方がいい理由がありそうだった。
辺りはもうすっかり陽が沈み、蒼かった空はどんどん紺色を濃くしていっている。そろそろ西の残光も消えて直に空一面が闇に包まれるだろう。これから下山するとなると山の麓まで辿り着くのは夜も深くなってからになってしまう。どうするかの判断を迷っている余裕はなかった。
すると自分を覆い隠す様に立ち塞がっていたソルを押し退けて、ルナが一歩前に出るとイリスを真っ直ぐに見つめ返してきた。
「今から二時間後に、たぶん強い雨が降るんです」
「ルナッ!」
「いいから!……木々がしっかりと根付いているので土砂崩れはないと思うけれど、強い雨の中で山を下りるのは止めた方がいいと、思うんです」
途中でソルに止められるも、ルナはそれを制して言葉を続けた。
イリスの琥珀色の瞳には、しっかりと前を見据え言い淀むことなく言葉を紡ぐルナがいた。ルナの瞳には一切の翳りがなく、嘘偽を述べているようには見えなかった。
「なんで雨が降るって分かるんだ?」
イリスの後ろに立っていたリュカが、当然の疑問を投げ掛ける。ルナに問うた後空を見上げるリュカにつられてイリスも空を見上げたが、雲はあれど雨雲には見えず、まだどこまでも透き通る青と紺色のグラデーションが一面に広がっていた。
空を確認して再びルナに視線を戻すと、困ったように微笑むルナと目が合った。その表情がなく作られたような笑顔は、どこか寂しげだった。
「それを説明するつもりはない。だが、雨は降る。下山は勧めない」
再びソルがルナの前に立つと、ルナがそれ以上言葉を発することを制するかのように片手をルナの身体の前に出してルナの動きを封じた。
「俺達は君達の言葉に従う義務がない。説明もされなければ、その言葉を信じて検討することも出来ないよ?」
ロイが優しく諭すのを聞いて、ルナは意を決した様に何かを言い出そうと自身の前に立ち塞がるソルの腕に手を置いた。
しかしソルはルナを振り返ると、無言で首を横に降って否の意を示す。
言葉がなくてもお互いの思っていることが伝わるようで、そんなやり取りを何度か二人は繰り返していた。一同は黙ってその様子を見守っていたのだが、そんなやり取りに業を煮やしたようで、リュカが大袈裟に溜息を吐くと投げやりに言葉を放った。
「こいつ等の言葉を信じないんだったら、早く下山しようぜ?このままじゃ麓に着くまでに真夜中になるだろ?」
リュカの言葉に、ルナはびくりと肩を震わせた。
「っ、でも、雨が降るのは本当です。危険、だから……」
「ルナっ!」
「でもっ!」
尚も続く二人のやり取りに、リュカは益々大きく溜息を吐くと二人に背を向けて歩き始めた。
「リュカ!」
慌ててイリスが追い掛け、リュカの腕を掴んで踏み留まらせる。
ソルとルナの煮え切らない態度には確かに困っているが、だからと言って仮にも自分達に危険を知らせてくれている人物に対して取っていい態度ではない。
イリスは睨むような鋭い視線をリュカに向けるが、リュカは二人から死角になる様に身体を捻るとイリスに向かって「合わせて」と呟いた。
「?」
「レオンとロイも来いよ。もう行こうぜ」
掴んだ腕を振り解かれたと思ったら、逆に今度はリュカに腕を掴まれイリスは半ば引き摺られる様にして歩き出す。
困惑しきりのイリスが助けを求める様にレオンとロイを見たが、レオンは何故か眉間に皺を寄せて怒りを顕わにしており、この事態の収拾を望めそうにもない。寧ろ何に怒っているのかすら分からずイリスは困惑した。そしてロイはといえば、レオンの隣で終始愉しそうに笑っている。
この場をどうにかしてくれそうな人が誰も見つからず、イリスはリュカに引き摺られながら歩くしかなかった。
「……待って!」
遠ざかり始めたリュカとイリスの姿を見て、ルナが切羽詰まった声で呼び止めた。
そんなルナの声を耳にして、リュカが立ち止まって振り返る。
「何だよ。話す気もないんだろ?俺達は急いでるんだ」
投げやりなリュカの言葉に、更にルナが追い込まれる。ルナは泣きそうになりながら俯いて黙ってしまった。
二人を追い詰めてどうするのかとイリスは思ったが、リュカの言動に明らかにソルとルナは慌てた様子を見せていた。
「……説明、する……」
「え?なんて?」
「説明するからっ!だから下山するのは待ってくれ!」
ソルが根負けしたように、拳を握りしめたまま言葉を絞り出す。本意ではないが、説明してくれるようだ。
二人を突き放すような言動の数々にイリスは内心ハラハラしていたが、何故かその対応がソルとルナの頑なさを崩したようだ。
「ね、……どういうこと?」
腕を掴まれたままのイリスは、リュカに身を寄せて小声で問いかけた。イリスにとっては信じ難いやり取りの連続だったのだ。何故それでソルが素直になったのかが分からない。
リュカは一瞬何を言われたのか分からず呆けた顔をしていたが、問われていることに気付くと目を細めて片側だけ口角を上げてニヤッと笑った。
「あいつ等、結局子供なんだよ。優しくされたらそれに甘えて付け上がる。突き放されたら慌てて追いかけてくる。分かり易いだろ」
リュカの話は持論だろうが、一理あった。
どんな子供であろうと、幼ければ幼い程大人の庇護がないと生きてはいけない。だから優しくされたら甘えたいし、突き放されたら縋り付くという一面もあるだろう。
「流石、子供の気持ちは子供なら理解出来るって訳だな」
「っ!はぁ?」
急に割入ってきたレオンが、イリスの腕を掴んでいたリュカの手を叩いて払い落とした。
手を叩き落とされた痛みより、リュカはレオンの言葉の方が聞き捨てならなかったようでレオンに詰め寄る。
「俺は子供じゃねぇ。大体俺とレオンは一つしか歳が違わないだろ。俺が子供ならレオンだって子供じゃねぇか」
明らかに揶揄っているレオンに対して、それを真に受けて突っ掛かっていくあたりが子供なんじゃないかと思わなくもないが、それは言葉にしない方が賢明だと判断してイリスは口を噤んだ。
言うまでもないが、ロイはそのやり取りに最早お腹を抱えて笑っている。
「ほらほら、ソルとルナが呆れて見てるから、その辺で終わり。話を聞くんでしょう?」
イリスが両手を左右に広げて二人の間に割って入り、物理的な距離を取らせる。
リュカは口論の途中で止められたことに不満気だったが、ここで更に言い募るのはまさに子供だと思い留まったようで、レオンから顔を逸らして口を閉ざした。
そんなやり取りを呆けたような表情で見ていたソルが、イリスの言葉に我に返った。
「あ、あぁ……、じゃあ雨が来るし、良かったら俺達の孤児院まで来てくれないか?」
「そうだね、じゃあ、……」
声を掛けられ、イリスはレオンを振り返った。
雨の真偽は分からないが、危険を知らせてくれているのを完全に無視するのも気が引ける。
何より、問題を抱えている幼い二人を残して、そのまま何事もなかったかのように旅を続けることはやはりイリスには出来なかった。
だが自分の一存で結論を出すことはできない。イリスは窺うようにレオンを見た。
イリスは言葉では何も言ってはいない。だが懇願するような視線が全てを物語っており、そんな翡翠色の瞳に見つめられてレオンは諦めたように一つ溜息を吐いた。
「分かった。じゃあ孤児院に行こう」
「あ、ちなみに、孤児院に僕達を今晩泊めてもらうことはできるかい?無理なら、孤児院の近くに野営できるような場所があれば教えて欲しいんだけど?」
もう辺りはすっかり夜の帳が降りてきている。これから孤児院に向かうのならば、その後のことも考えなくてはならない。今晩はここで一夜を過ごすことになるだろう。
ロイの提案に、ソルは大きく頷きを返した。
「大丈夫、俺達の他に孤児院に子供はいないし、部屋は余ってるよ。あんた等が泊まることはできると思う」
ソルの言葉に、後ろに佇むルナも何度も頷く。そんな二人の様子を見て、レオンは諦めたように他の面々に視線で合図を送った。
こうして一行は予定を変更し、今晩はソルとルナの孤児院に向かうことになったのだった。




