果樹園の少年
依然地面に横たわり横向きでイリスに抱き留められた状態の少女は、少しだけ身体を起こして辺りをうかがった。
少女の視線が、身体を起こす際に手を付いたイリスの服装を捉える。ロイの言葉通りごく普通の旅装を見て、どこか納得したようだった。
視線はそのまま更に下に降りていき、少女の身体を受け止めるために滑り込んだイリスの脚に辿り着く。少女の瞳が足先のフラッデルを捉えた時、今まで何処か心此処にあらずで周囲をうかがっていた少女が目に見えて慌て出した。
「ごめっ、なさいっ!」
イリスに抱き留められていた身体をがばりと起こして飛び退くと、少女は横たわるイリスの隣に姿勢を正して座り込んだ。
少女が自分の上から退いたので、イリスは上半身を起こして隣に座る少女に向けてできるだけ安心させる様に微笑んだ。きっとフラッデルを見て、イリスのことを高位の身分の人物だと勘違いしたはずだからだ。
フラッデルはそうそうお目に掛かれるものではないが、フラッデル自体の知名度は高い。見たことはなくても、足に付けて飛ぶ機械である事や、国で数台しか保有できない貴重なものであることは周知の事実だ。そんな貴重な物を保有できる人物が限られることは、誰にでも分かる。
「!!」
お互い地面に座ったことで同じ目線になり、やっとイリスの顔をしっかりと見た少女はイリスの翡翠色の瞳が細められたのを見た瞬間、音が鳴ったのではないかと思うぐらいボンッと一瞬で顔を真っ赤に染めて、そして俯いてしまった。
(これは……いつもの反応だな)
イリスは苦笑しながらその場に座り直す。依然俯いたまま顔を赤らめている少女に、後方に立っていたロイが優しく声を掛けた。
「お嬢さん、落ち着いて。イリスは女性だよ。そんなに緊張しなくても大丈夫」
「!!」
ロイの言葉に少女は勢い良く顔を上げると、今度はまじまじとイリスの顔を覗き込んだ。その目は驚愕に見開かれている。
(まぁ、そうなるよね)
サンスタシア帝国の帝都で騎士をしていた時も、救助活動などで助けた女性は大概、目の前の少女と同じ反応をしたものだ。
救助されるという緊迫した場面でイリスの整った顔を見ると、大概の女性はイリスを少年と勘違いし、少なからず好意を抱く傾向にある。
助けてもらったことも相まって、イリスの行動も容姿も余計に美化されてしまうのだろう。
「驚くのも無理はないけれど、目の前の人物は間違いなく女性なんだ。だから、そんなに緊張しなくてもいいんだよ」
「緊張してんじゃなくて、イリスのことを男だと勘違いしてんじゃな……って、痛っ!」
ロイの言葉を訂正するようにリュカが口を挟んだが、その言葉は途中でレオンの鉄槌によって遮られた。
「ってぇな、何すんだよ」
「うん、リュカは一言余計だから、ちょっと黙ってようか」
リュカのレオンへの抗議を、今度はロイがいい笑顔で制す。このやり取りを見るのも何だか久し振りだなと笑いながら、イリスは膝に手を置いて立ち上がると目の前の少女に手を差し伸べた。
「私はイリス。ロイが言ったように性別は女だから、貴方を助けるために咄嗟に抱き留めてしまった事も許してほしい」
差し出された手を取って、少女がゆっくりと立ち上がる。
視線はイリスから逸らすことなく、真っ直ぐに見つめたままだ。その瞳には明らかに困惑の色が浮かんでおり、まだ信じられず事実を受け止めきれていないようだった。
「いえ……助けて頂いたのに失礼な態度を取って、ごめんなさい。……私はルナ」
ルナは立ち上がると、衣服の裾に付いた枯れ葉や土を手で払った。何処か落ち着かない様子で視線を彷徨わせている。
そんなルナに苦笑しながら、イリスは足元のペダルを操作してフラッデルの拘束を外すと、慣れた手付きでそれを背中に背負い直した。
「……」
その様子を、それまで視線を彷徨わせていたルナが目を逸らさずに見つめる。
先程までの困惑の表情とは異なり、その表情はどこか硬い。疑念と恐怖のようなものが混じっているようだった。
イリスはフラッデルを胸の前のベルトで背中に固定すると、ルナに向かってできるだけ優しく微笑みかけた。
「これ、珍しいよね。見るのは初めて?」
フラッデルの存在は、科学技術の粋を集めた機械として今やこの大陸中に知れ渡るところとなっている。
しかし貴重な代物であるだけに、そんな貴重な物をただの旅人が持っているはずもない。ルナの疑念と恐怖は当然と言えた。
「ルナから離れろっ!」
「!?」
「っ、ソル!」
後方の木々の中からルナの前に少年が飛び出すと、その身を庇うように前に立ち塞がった。
ソルと呼ばれたその少年は、右手に木刀を構え左手で更にルナを自身の背中に押しやる。
短く切り揃えられたアーモンド色の茶色の髪をしており、髪と同じ色合いをした双眸は後ろに庇うルナと同じ物だ。
二人はよく似ている。おそらく兄弟なのだろう。
「えっと、私達は決して怪しい者じゃなくて、旅の途中で、あの……ルナが落ちそうになったのを助けて……」
「煩いっ!俺は何も信じないぞ」
慌てるイリスを横目に、ロイは愉しそうに笑っている。小さな騎士の登場を微笑ましく思っているようだ。
「また俺達を攫いに来たのかっ」
「攫うって……前にそんな事があったの?」
不穏な表現にイリスが慌てて声を掛けるも、ソルは眉間の皺を深くしただけだった。
「知らない振りをしたって無駄だぞっ!」
何か事情がありそうな様子に、イリスは後ろを振り返ってレオンとロイを交互に見た。
表情を見てイリスの考えていることを理解したレオンは、仕方が無いとばかりに一つ溜息を吐くと肩を竦めた。ロイは変わらず笑っている。こんな時、イリスが困っている人を放っておけないのを二人はよく知っているのだ。
無言の二人の了承を得て、イリスは再び視線を目の前の少年に戻した。
その僅かな間に、ソルとルナの間でも話が交わされていたようだ。次の瞬間、ソルとルナは踵を返すとパッと駆け出した。
「あ、待って!」
イリスも慌ててその後を追う。
ソルとルナの年の頃は十歳前後といったところだ。イリスとの年齢差を考えても、歩幅も走る速度も断然イリスに分がある。その上イリスは日々鍛錬を積み重ねている大国の騎士だ。走り比べで負けるはずもない。
あっという間に縮んだ距離に、逃げ切れないと悟ったソルが走る足を止めてイリスを振り返った。
「ソルっ!」
「ルナ、そのまま逃げろっ!」
「え、あ、待って!危害を加える気はな……っ!」
ソルは走り寄るイリスに向かって、持っていた木刀を両手で握ると迷いなく振り被ってそれを振り下ろした。
単純な軌道、遅い速度。何処をどうとっても素人の剣捌きに、イリスは余裕で身を翻して躱す。
そして次の瞬間、振り下ろされた木刀の先を掴むとそれを捻り上げるように回転させた。当然、木刀を持ったままのソルの身体がつられて宙で半回転し、そのまま地面に叩き付けられた。
「ソルっ!」
足を止めてこちらのやり取りを見ていたルナがソルに駆け寄ると、地面に平伏すソルの身体を庇うように覆い被さった。
「私が何でもするから、ソルにはこれ以上手を出さないでっ」
「あ、ごめん、そんなつもりはなくて……」
今にも涙を零さんばかりの顔を向けられ、イリスは掴んでいたソルの木刀からぱっと手を離すと、危害を加えることが無いことを示すために両手を挙げた。これでは完全にこちらが悪者の絵面だ。
「はははっ!流石のイリスでも悪者になることがあるんだねー」
「逃げるのを無理に追いかけるからこうなるんだ」
「まぁ、圧倒的強者だからな。仕方が無いんじゃねぇ?俺もいつもこてんぱんにやられてるし」
後ろからゆっくりと歩いて追いついて来た面々が、思い思いに勝手なことを言い放つ。そのあまりの言い草に、イリスも思わず反論に出た。
「だって、逃げちゃったらどうするのよ」
「どうもこうも、俺達が追って逃げられる事なんてないだろう」
レオンの正論にイリスはぐっと喉の奥で言葉を詰まらせた。確かに、子供相手に逃げ切られるとも思えないし、万が一があってもこちらにはフラッデルがある。逃げ切るなど不可能だった。
「イリスはもう少し広い視野で物事を見て、一旦落ち着いて考えた方がいい」
レオンはイリスの頭にその大きな手を乗せると、髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら撫でた。言葉では今後の留意点を述べてはいるものの、気にするなということだろう。
「あんた等……本当に俺達を攫いに来た訳じゃ無いのか?」
黙って一連の話を聞いていたソルが、覆い被さるルナの身体を持ち上げその体勢を直してあげながら、自身も上半身を起こした。
その言葉を受けて、イリスはソルとルナに手を差し伸べながら微笑みかけた。
「私達はサンスタシア帝国の騎士なの。フラッデルを使い皇帝の警護に当たる騎士だから、フラッデルを持っているのよ。ここは通りがかっただけよ」
恐る恐るソルとルナが差し出された手を取って立ち上がる。イリスと視線が合うと、今度はお互いの顔を見合った。
眼の前でお互いを見遣る二人を見ていたイリスは、二人の瞳が三白眼であることや鼻筋の通り方など、顔付きもよく似ているどころか違う処を探す方が難しい程似ている事気付く。
二人はおそらく、一卵性双生児なのだろう。
困惑しながらも、ソルとルナは二人で視線を交わし合いお互いの考えを確かめ合う。言葉を有しなくても、お互いの心内が分かっているようだ。
二人のその姿を目にし、イリスの心の中で何かが引っ掛かった。
(何だろう?何か、大切な事を忘れている気がする……)
――……リス……。
(誰?……あなたは誰?)
イリスの名を呼ぶ、誰かの顔が脳裏に浮かぶ。
もう少しで何かを思い出せそうな気がして、イリスは心の中の人物を必死に思い返した。しかしイリスの記憶がその人物に届く前に、掛けられた声によってイリスは現実に引き戻された。
「俺達はソルとルナ。この先の孤児院で暮らしてる。あんた等が俺達を攫いに来たんじゃないっていうのは分かった」
意思の強そうなアーモンド色の瞳が、真っ直ぐにイリスを見つめていた。
「あんた等はサンスタシアの騎士なんだろう?……頼みがある」
「ソルっ!!」
意を決した様にソルが口を開くと、その腕を引いて慌ててルナが止めに入る。だがソルは自身を止めようとするルナの手を押しやると、大丈夫だと言わんばかりに頷いた。
ルナは完全に同意とは言い難いが、ソルの意見に否を唱えることは止めたようだ。それ以上何かを言うことなく大人しくソルの隣に控えた。
そんなルナを見て、同意を得たとばかりにソルは再びイリス達の方を見据えると、ゆっくりと息を吐き出した。
「……頼む、俺達の事を狙っている奴を、倒してくれないか?」
果樹園の間を、爽やかな風が吹き抜けていく。陽がすっかりと西の稜線に沈んだようで、周囲が段々と暗くなり始め、吹き渡る風にも冷たさが混じってきていた。
「え?」
「は?」
一拍置いて、ようやくソルの言葉を理解したイリスとリュカが同時に声をあげた。レオンとロイは後ろで頭を抱えている。
しかしそれと相反するように、目の前のソルの表情は期待に満ち溢れていた。




