帰還
イリスとダンが山小屋に戻って来たのは、もう山際の稜線から陽が完全に昇りきり朝とは言い難い時間になってからだった。
黙って出てきたので戻ったら三人から怒られるだろうとは思っていたのだが、流石に山小屋の入り口で仁王立ちで待つ三人を見た時にはイリスの背筋が凍った。
「あー……」
軽快にフラッデルを走らせていたイリスだったが、遠くに山小屋が見えた途端その前に佇む人影も見つけてしまい思わず何とも言えない声が零れた。
三人の表情はその時点では距離が遠すぎて本来なら見えるはずもないのだが、完全に怒っているのが何故かこの距離からでも分かってしまい、あまりの恐怖でイリスは一旦フラッデルを急旋回させてしまったくらいだった。
「ガハハッ!無鉄砲でお転婆なお姫様も、護衛の騎士達には形無しだなっ!」
慌てふためくイリスの行動にダンは大声で笑い、掴んでいたイリスの肩をバシバシと勢いよく叩いた。
「こっちから見えてるんだから、あっちにも俺達の姿は見えてるだろ。一緒に怒られてやるから観念しな」
笑いながらダンが揶揄う。遅かれ早かれ怒られるのだからとイリスも観念し、力なくフラッデルを方向転換させると超低速飛行で山小屋へと戻った。
山小屋の入り口に立つ三人の前に、静かにフラッデルを着地させる。
完全に陽が昇った空は快晴で、今日は風も無いため体感もそれ程寒くなく過ごしやすい日なのだが、両者の間には吹雪が吹きすさんでいるかのように、冷え冷えとした空気が流れていた。
「……」
「……」
到着するなり怒られること覚悟していたイリスだったが、予想に反して三人は何も言葉を発しない。
それがかえって無言の圧力となってイリスに重く圧し掛かり、イリスも何も言うことができないでいた。
両者の間に、痛いくらいの沈黙が流れる。
そんな沈黙に耐えかねたのか面倒くさくなったのか、おそらくは後者だろうが先に言葉を発したのはダンだった。
「まぁそうカリカリすんな。俺が連れ出したんだ、こいつは悪くないだろう?」
「イリスはまだフラッデルに乗って遠出できる体調ではなかったはずだ!」
三人の態度に呆れたようにダンが言葉を発すれば、レオンが即座に反発の声を上げた。
だがダンはレオンの反論も一切意に介した様子もなく、漆黒の隻眼でレオンをひたりと睨み返した。
「怪我をさせた俺が言うことではないが、こいつの怪我はほぼ完治しているだろう。お前達もいつまでもここにいるつもりはないだろうし、この状態なら明日明後日には出発するつもりだったんじゃないのか?」
「どうしてそれを……」
ダンの言葉にリュカが驚いた声を上げる。しかしすぐにレオンから咎めるような視線が飛んできて、即座にリュカは口を噤んだ。
イリスの回復状況を見て、予定では明日には山小屋を出発してエダルシア王国を目指そうという話になっていたのだ。ダンはイリスの状態や三人の様子から、それを察したのだろう。
「出立前に、恩人にお礼をする時間が欲しいと思ったもんでな」
「それならば、一言断りがあっても良かったんじゃないですか?」
それまで黙っていたロイが口を挟む。言葉だけ聞けば敬語を使って話してはいるものの、その声色には明らかに棘があった。
普段温厚なロイにしては珍しく怒りを隠そうともしていない。こんなに感情を前面に出しているロイは初めてだった。
それだけ心配させてしまったのだろうと、イリスは申し訳なく思った。
「一言伝えた日には、反対していただろう?出掛けようと誘った時に、こいつも誰かに伝えないのかって言ってたんだ。だが俺の独断で誰にも何も伝えずに行った。だから責めないでやれよ」
全く悪びれる様子もなくダンが肩を竦める。その態度が更にレオンとロイの怒りを焚きつけたようで、二人の表情が更に険しくなった。
レオンとロイの様子に、売られた喧嘩は買うとばかりに、ダンも二人を睨み返す。
両者の間に剣呑な空気が流れ、イリスは慌てて両者の間に割って入ろうと身体を前に出した。
途端、イリスの視界がぐらりと傾ぐ。
睨み合っていた両者はそのイリスの異変に気付くのが一拍遅れた。
唯一、イリスのことを心配し見つめていたリュカだけがその異変に気付き、即座に前に出て手を伸ばし倒れそうになるイリスを抱き留めた。
「!」
レオン、ロイ、ダンが同時にリュカの腕に抱き留められたイリスを見る。リュカの腕に凭れたその顔は真っ青だった。
「久しぶりに沢山動いて疲れたんだろう。言い争いは後だ。とりあえずイリスを休ませよう」
「……ごめんリュカ、大丈夫だから」
リュカの言葉に顔を上げ、イリスが何とか笑顔を作る。しかしリュカはイリスを一瞥しただけでそれには答えず、イリスを抱え直した。
「え、ちょっ、と、大丈夫だから!」
不意に支えられていた身体の向きを変えられ膝裏に腕を差し込まれる。リュカに横抱きに抱え上げられてしまいイリスは慌てた。
「リュカ!重いからっ、降ろして!」
「いい、大丈夫」
そうは言うものの、イリスを抱えたリュカは明らかに余裕がなかった。
イリスは一般女性の平均よりは若干小柄な体形をしているが、筋肉がそれなりについているので特段軽いという訳でもない。
人一人を持ち上げるというのはそう容易なものではなく、鍛え抜かれた騎士ならいざ知らず、リュカは普通の青年なので成人女性であるイリスを抱き上げるのは相当な力仕事だ。
イリスを抱えることに全力を注いでいるリュカを目の当たりにして、イリスは居た堪れない気持ちになった。だが降ろしてくれる気配が全く無いので、イリスは出来るだけ負担にならないようにとそれ以上の抵抗を止めると大人しく横抱きにされることにした。
隣ではレオンが目を丸くしてリュカの行動に驚いている。ロイも驚いた表情を見せたものの、次の瞬間には口元に手を当てて肩を震わせていた。
(絶対に面白がってる!)
リュカの腕の中で小さくなりながら、イリスは心の中でロイに悪態を吐いた。
しかし当のリュカは、そんな周りの様子を見る余裕などない。
「悪い、誰かドア、開けて、くれる?」
数歩で山小屋の入り口まで辿り着いたのだが、イリスを抱いているので手が使えずリュカが助けを求めた。
その様子に、後ろで事の成り行きを見守っていたダンが豪快な笑い声をあげるとリュカに近付いた。
「ガハハッ!兄ちゃん、女一人抱えられないようじゃ男が廃るぜ?」
「は?抱えてん、だろ?」
「しまらねぇなって言ってんだよ。こういう時はこうするんだよっ!」
言うなり、ダンは眼前の入り口の扉を右脚で思い切り蹴り飛ばした。
木で出来た扉が壊れたんじゃないかと思うぐらい大きな音を立てると、扉が勢い良くこちら側に向かって開いた。
この扉は外開きだ。内側に向けて扉を蹴っても本来なら扉は開かないのだが、蹴り上げられた物凄い勢いの反動で跳ね返って開いたようだ。完全な力業だ。
「えぇ……。扉、壊れる、だろ」
「いいんだよ。こういう時は格好つけんだよ」
怪訝そうに眉を顰めたものの、開いた扉をくぐってリュカが歩を進める。それに並走するようにダンも室内に足を踏み入れた。
「兄ちゃんもまだまだだな。そんなんじゃ先が思いやられるぜ」
「今、まさに、鍛えてん、だ。俺は、これから、なんだよっ」
イリスを抱えたどたどしい返事を返すリュカに、今度はダンが眉を顰めると片手で額を押さえ軽く頭を振った。頭が痛いと言わんばかりの仕草だ。
「そうじゃねぇよ。はぁ……兄ちゃんも世話が焼ける」
「んだよ、余計な、お世話、だよ!」
どうにも噛み合わない会話にダンが盛大な溜息を吐いた。
「こいつらのお守りも大変だな。一番の被害者は兄ちゃんか?」
ダンが振り返り、後ろを付いてきていたレオンとロイを振り返る。
問うような視線を向けられ、一瞬驚いて目を見開いたロイだったが、直ぐに口角を上げた。
「そうなんです。見てれば直ぐに分かりますよね」
「ああ。……兄ちゃん、苦労するな」
「ええ、本当に」
後方で楽しげに繰り広げられるダンとロイの会話に、リュカの腕の中でイリスは首を捻った。
先程のダンとリュカの会話は微妙に噛み合っていない雰囲気だったが、ダンとロイの会話は具体的な内容は一切語られていないのにも関わらず成立しているようだ。
(何が、『見てれば直ぐに分かる』のかしら?)
ダン曰く、ロイは一番の被害者らしい。……皆のお守り役が負担だ、ということだろうか。
「……」
ふと視線を上げてリュカの顔を盗み見るも、リュカはイリスを抱えて運ぶことに必死でその表情からは何も読み取ることが出来ない。
イリスは少しだけ頭を捻りリュカの腕のところから後方を見遣ると、会話の弾んでいるダンとロイの更に後ろにレオンが付いて来ていた。レオンは不機嫌そのもの、という表情だが、何が不機嫌の原因かはイリスには分からない。
そうして後方を覗き見ながら考え込んでいると、ふとダンと目が合った。
目が合っただけなのに、何故かダンに残念なものを見るような、憐れむような視線を向けられた。
「本っ当に、ひとっつも分かってなさそうだな」
言われた内容は何のことだか皆目見当もつかないのだが、どうやら馬鹿にされているようだということだけは分かり腹が立つ。
イリスは何か言い返そうと口を開きかけたのだが、言葉が声になるより先にロイが盛大な溜息を吐いた。
「本当に。全員何にも、自分の気持ちすら分かってないんですよ」
呆れたようなそのロイの物言いに、イリスは口を噤む。
愚痴のようなその言葉とは裏腹にロイは愉しそうに笑っているので、言葉ほど不快にも負担にも思っていないようだが、どうやらロイはイリス、リュカ、レオンの三人に対して物申したいことはあるらしい。
それが何かはイリスには全く分からなかったのだが、今後、ロイに迷惑をかけることだけは絶対に止めようと心に誓ったのだった。




