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黎明のウィレンツィア  作者: カワシマ キオ
第四章 国を隔てる連峰
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過去との決別

「ここからどっちに向かうの?」

「ひっ、東に、四キリル程だ!雑木林の中だ。行けるかっ?」


 ストレアル山脈をまるで滑り降りるかのように、フラッデルに二人乗りをしたイリスとダンはまだ夜明け前の薄暗い山肌を風のように駆け下りていた。


 かなりの速度で飛んでいるので後ろに乗っているダンの表情を振り返って見ることはできないが、見なくても分かるぐらいダンは初めてのフラッデルに慌てていた。

 だがそれを悟らせないように一生懸命虚勢を張りながら、必死でイリスにしがみついている。普段は強面で屈強なダンがそんな風に慌てるのが面白くて、イリスは楽しそうに笑って答えた。


「当然!」


 やがて向かう先の斜面に雑木林を見付けたイリスは、そのままフラッデルの速度を緩めずにその中に突っ込んだ。後ろで「ひぃっ」というダンの悲鳴が聴こえてくる。

 屈強な体躯をした大男のダンが、時折びくっと竦み上がったりひゅっと息を呑むのが可笑しくて、イリスは態と木々の隙間を抜ける際にも速度を緩めずギリギリを攻めながら、縫うように木立の間を走行していた。




 山小屋のイリスの部屋から二人で出発しようとした際、当然のように上着を羽織った上から剣とフラッデルを背中に背負い胸の前のベルトで固定しているイリスを見て、ダンがふと思いついたように訊ねたのだ。


『なぁ、そいつに二人で乗ることは出来るのか?』

『?』


 肩の上辺りを指差され、イリスは確認のためにくるりと反転してダンに背中を見せた。肩から出ていたのは剣の柄だけだが、問うているのはフラッデルのことで間違いないようで、背中を向けてフラッデルを見せるとダンは大きく頷いた。


『通常は一人乗りだけれど、二人乗りも出来なくはないですよ』

『よし。それなら、俺がお前さんを担いで行く予定だったんだが、そいつでさっさと山小屋から離れよう』


 どうやら目的地は少し遠いらしく、ダンはイリスを担いで運ぶ予定だったようだ。


『もう体調もいいですし、一人で歩けますよ?』


 以前のような怪我の状態だったりノーラのように妊婦ならいざ知らず、今のイリスは殆ど完治に近く、移動は問題ない。

 けれどイリスの言葉を聞いたダンは、肩を竦め盛大に溜息を吐いた。


『お前さんは馬鹿か。俺達が動けば、あいつ等も気付くだろうが』

『……ああ、なるほど』


 レオン達に気付かれないように出かけたいのに、こんな明け方前でまだ誰も動き出していない中で人の動く気配がすれば、十中八九レオン達に気付かれてしまうだろう。

 気付かれる前に走って移動して距離を稼ぎ、レオン達を早々に巻いてしまうことはできなくもないが、それをやった日には、戻って来てから外出の他にも怒られる要因を増やすだけだろう。

 その点フラッデルで行くのならば、起動してしまえばすぐに追いつけないところまで行くことが出来るし、イリスの身体への負担も少ない。怒られるのは無断で外出した件だけになるだろう。


 そうと決まり、二人は山小屋の裏手にある勝手口から外に出ると、そこでフラッデルを起動させて一気に飛び出した。

 山小屋の正面で剣術訓練をしていたレオンとロイが気付いてすぐに裏手に回り込んできたが、後ろを振り返って確認したイリスが見たのは、もうすでに小さくなったレオンとロイの人影だけだった。


(仕方がない、勝手に出掛けたことについては後でしっかり怒られよう)


 怪我をして以降、レオンとロイの過保護には拍車がかかっている。ここは言い訳をせずに素直に謝る方が得策だと自分に言い聞かせ、イリスは戻ってからの事を考えるのはこれで終わりにしようと気持ちを切り替えた。




「こっ、この辺で、降りるぞ!」

「っ!」


 風を切る音に負けじと後ろから大声で叫ばれて、イリスは咄嗟に耳を押さえた。

 耳の奥でダンの声が反響しているかのようで顔を顰めながらも、何とか頷いて了解の意を返す。

 イリスは緩やかに速度を緩めると、ゆっくりと地面に着地した。


 北に、東に、西に、そしてもう一度東にと、あちこち飛び回って辿り着いた場所は山の麓、おそらく山道からは随分と離れた場所だった。

 おそらく、という表現になってしまうのは、あちこち飛び回ったせいで正確な方角がイリスには分からなくなっていたからだ。太陽が昇ってさえいれば太陽の位置で大体の方角は分かるのだが、今はまだ夜明け前で今日は月もすでに沈んでおり、この場所が山小屋からどの方角なのかよく分からなかった。


 ニニチカの集落に連れてこられた時と同様に、イリスに正確な位置を把握させないために態と迂回してここまで来たのだろう。


「ここからはそう遠くない。歩いていくぞ」

「分かりました」


 イリスは地面の上のフラッデルを拾い上げ背中に背負うと、ダンの後ろについて歩き始めた。

 山の麓なので傾斜はほとんどないのだが、道なき道を歩いているので岩や石、生い茂る草などが二人の行く手を阻む。正直歩きにくく、イリスの体力は徐々に奪われていっていた。

 久し振りにこんなに身体を動かしているためイリスの息は上がり、ダンを追うのがやっとだ。


 そんな風に何とかついて行っていると、ふと後ろを振り返ったダンが開いた二人の距離に足を止めた。


「悪い。気が利かなかった」


 イリスに向かって戻って来たダンは、目の前で後ろ向きになり跪いた。

 訳が分からず戸惑うイリスを余所に、ダンは「ほら」と促す。


「おぶるのが嫌なら、肩に担いでやろうか?横抱きでもいいぜ、お姫様?」

「っ!」


 跪いたままイリスを振り返ったダンが、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべる。それに対して、イリスは声にならない叫び声を上げた。

 しかし目的地が分からず後どのぐらい歩くのかも不明な中で、自力でこの悪路を歩くは今のイリスの体力では無理に近かった。自分の限界が分からない程イリスは無謀ではない。


 仕方なくダンの背中に覆いかぶさる。

 ダンはそれ以上イリスをからかったりしなかったが、イリスは羞恥と情けなさで押し黙った。

 そんなイリスの様子に、人一人背負いながらも余裕で悪路を突き進むダンが苦笑した。


「揶揄って悪かった。お前さんが弱いわけじゃない。今回のお前さんの怪我は、全部俺の責任だ」

「……そんなことは」


 イリスが否定するも、ダンは首を横に振った。


「いや、今回のお前さんの怪我は俺の弱さのせいだ。お前さんが来なくとも、俺の身体にロープを括りつけて穴の中に降り、ニーナを救うことだって出来たはずなんだ。だが、俺はそれをしなかった。……出来なかったんだ」


 確かに、今回は偶々フラッデルを持っているイリスがすぐ傍にいたからフラッデルを使って救出することが出来たが、そうでなければ今ダンが言った方法をとるしかない。

 だがそれだと、ダンが穴の中に降りようと大地の裂け目に近付いた際に再び崩落が起きてニーナに落石に当たってしまうかもしれないし、最悪服の引っ掛かりが外れてニーナが谷底に落ちてしまったかもしれない。

 例えロープで降りたダンが無事にニーナを掴むことができたとしても、ロープを引き上げる際に地面に負荷がかかって崩落を誘発する危険性もあるし、大きな崩落になればロープを引いている集落の男達も巻き添えになって大地の裂け目に落ちてしまう可能性もあった。


 いずれにしても、そういう危険な救助方法しか取れる策がなかったのは事実なので、ダンが何も出来なかったと自分を恥じる必要はないように思えた。

 

「……俺には、九つ上の兄貴がいたんだ」

「……」


 不意に、ダンは真っ直ぐに前を見据え歩みは止めないまま、唐突に脈絡のない話を始めた。

 背中におぶさりながらイリスは何事かと訝しむが、ダンはイリスの返事や相槌を待つことなく話を続けた。


「ナタラ族は十になると一族の者として認められる。俺が十、兄貴が十九の年だった。兄貴と山頂付近の見回りを任された俺は張り切っていたんだ」


 一部の民族では成人として認められる年齢が早いことが知られている。ナタラ族もそうなのだろう。


「その年は近年まれにみる豪雪に見舞われた年だった。そして俺は初めて任された仕事に浮かれていて思慮を欠き、雪に埋もれた大地の裂け目に気が付かなかったんだ」

「っ!」


 イリスがはっと息を呑む。それが背中越しでも分かったダンは、イリスの考えを否定するように首を横に振った。


「大地の裂け目の中までは落ちていない。……俺は大地の裂け目の淵の雪を踏んだらしく、周辺の雪が崩れて……大地の裂け目に落ちかけたんだ」


 言葉を選ぶようにしながら、ダンがぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。


「このままでは雪がどんどん崩れて俺は落ちてしまう寸前だった。そもそも、今回のニーナが例外であって、大地の裂け目に落ちたのならまず助からない。兄貴が助けを呼びに行く暇はなかった」

「お兄さんは、どうやってダンさんを……」


 言いかけて、イリスは途中で口を噤んだ。ダンが先程、『兄貴がいたんだ』と過去形で話していたのを思い出したのだ。

 だが口から零れた言葉はもう引っ込めることは出来ない。イリスが何を察して言葉を途中で止めたのかが分かって、ダンはふっと息を短く一つ吐くと空を見上げた。

 だが、見上げた空は緑色の濃い木々の葉が夜明け前の空を覆い尽くしており、ダンの心のように暗い影を落としていた。


「兄貴は必死に手を伸ばして、俺を引き上げようとしてくれていた。だが、二人分の負荷がかかった分、周辺の雪が大きく崩れてしまったんだ」


 しかしそれでは、二人共が大地の裂け目に呑み込まれてしまう状況だ。けれど今ダンは生きてここに存在している。だが、お兄さんがいたことは過去形になっていた。おそらく、お兄さんだけが亡くなったのだろう。

 イリスは何と声を掛けていいか分からず、ただ黙ってダンの言葉の続きを待った。


「兄貴は渾身の力を込めて、崩れ落ちる瞬間に掴んだ俺の手を引っ張って俺の身体を後方に投げてくれたんだ」


 背中でイリスが身を固くしたのが、ダンに伝わる。ダンはそれに気が付かない振りをしながら、言葉を続けた。


「まだ十で小柄だったことが幸いして、俺は後方の雪原に投げ飛ばされた。俺はすぐさま起き上がって大地の裂け目を振り返ったが、そこには尚も崩れゆく雪とそれを飲み込む大地の裂け目が大きく口を開けているばかりで、兄貴の姿はどこにもなかった……」

「……」


 絶望的な状況であるのが明白で、イリスは掛ける言葉が見つからない。


「俺はあの日から後悔しなかった日は一日も無い。兄貴は俺のせいで死んだ」

「ダンさんのせいでは……」

「いや、俺のせいだ。俺のこの左目の傷は、大地の裂け目から投げ飛ばされて落ちた時に出来た傷なんだ。俺の罪の証のように、今もこの身体に深く刻みつけられている」


 ダンのあまりの物言いに、それ以上何と言えば良いのか分からない。

 もしイリスがダンの立場だったとしても、自分を責めずにはいられないだろうということが分かりきっているだけに、イリスは何も言うことができなかった。


「俺はその罪を背負って生きていかなければならない。俺の業は深い」


 周りが何を言っても納得することは無いだろう。最も許せないのは自分自身なのだ。


「そんな罪深い俺が、ニーナを救うことなど出来るはずがないとあの時躊躇ってしまった。自分命など惜しくはないが、俺のせいで……また大事な人が死ぬのが怖かったんだ」


 ダンの独白にイリスは掛ける言葉が見つからなかった。寧ろダンの想いが痛いほど分かる気がして、胸を締め付けられた。


「……だがあの時、お前さんの言った言葉で目が覚めたんだ」

「私の、言葉……?」


 あの時は余裕が無く、何を言ったのか全く記憶にないイリスが首を捻る。


「あの時お前さんが言ったんだ。『できることをしないで後悔したくない』と。それは兄貴がよく言っていた言葉に似ていた」


 ダンが懐かしむかのように、兄の話を始める。

 次期ナタラ族の長として、これ以上ないぐらい相応しい人物だったこと。

 九つも離れた弟であるダンの事を、とても可愛がってくれていたこと。

 一族の為にと、自分に出来ることは何でもやるような人物であったこと。

 自分の事より他人の事を思うような人だったこと。


 だからこそ二十数年前のあの時、兄は自分にできることをしたのだということ。


 自分が犠牲になろうとも、弟を助けるために――。



「……」


 イリスに話して聞かせながら、自分の中で答えが出ていることにダンは気付いていた。

 本当はあの時すでに、ダンには分かっていた。

 兄は自分にできる最善の行動に出たのだと。ダンに責任を感じて欲しいなど思ってもいないことも。


 しかし、大好きな兄を自分のせいで失ったダンの心の傷は大きかった。自分を責め続けずにはいられない程に。だが……。


「お前さんのお陰で二十数年ぶりに目が覚めたよ。俺も俺に出来ることをしなければならないってな。……もう二度と、後悔しないために」

「私は何も……」


 否定の言葉を最後まで紡ぐ前に、それよりも早くダンが言葉を被せた。


「お前さんは何もしてなくてもいいんだよ。俺が勝手に色々と考えさせられたんだ。……そして、感謝している」


 徐にダンがその場にしゃがみ込み、イリスを支えていた手を離す。おぶられていた状態から降ろされイリスは素直に地面に降り立った。


「だからこそ今日、ここに来た。俺はお前さんに大恩があるが、それだけじゃない。赤の他人であるはずのニーナのために、後先考えず自分の命を顧みず救出に向かえるイリスという人物を、俺は尊敬している」

「そんな、言い過ぎで……」


 ダンの言葉を否定しようと口を開きかけた時、ダンがイリスではなく、イリスを通り越した後方を見つめていることに気付いた。

 その視線に誘われるように、イリスもダンの視線を追って後ろを振り返る。


「俺はイリスなら、きっとこれを……正しく使ってくれると信じている」

「!!」


 振り返って見た光景に、イリスは息を呑んだ。

 しかし続くダンの言葉に、イリスは尚も驚かされることになる。


「これが……お前さんたちが欲していた、俺が持っている『有益な情報』だよ」


 まさかの眼前の光景に、イリスは言葉を失くしただ呆然と見つめ続けることしかできなかった。

 





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