外出の誘い
意識を取り戻してから二日間はベッドで絶対安静を言い渡され、イリスは日がな一日を寝て過ごしていた。無論、身体が動かせる状態ではなかったので寝ていることしかできなかった。
しかし三日目ともなってくると、薬も服用しているし何より騎士であるイリスは怪我や痛みに慣れている。
痛みはあるが上体を起こすことも手足を動かすことも出来るようになってきていたが、如何せんレオンとロイから動いていい許可が下りるはずもなく、老医師から告げられた一週間はベッドにいる羽目になった。
イリスが今いる山小屋は、常に行商の隊列や国家間を移動する旅人でいつも満室に近い。けれどダンは「治るまでいつまででも使ってもらっていて構わない」と、イリスに一人部屋と、レオン達に四人部屋のニ室貸してくれていた。
ちなみにレオン達の部屋は四人部屋なので一つベッドが空いているわけだが、イリスを診察してくれているあの老医師が使用しているとのことだった。
ニーナ救出後のイリスはとても動かせる状態ではなかったので山小屋で治療することになったのだが、この山小屋に常駐の医師はおらず、ナタラ族の集落にいる老医師がこの辺り唯一の医師であった。
老医師を集落から水を運ぶ際に毎日連れてくることも出来たのだが、最初の二日間はイリスの意識も戻らず予断を許さない状態だったし、症状の急変にいつでも対応できるようにと、通いではなくこの山小屋に常駐していつでも対応出来るようにしてくれたのだという。
それもあってイリスが意識を取り戻した時、この山小屋にノーラもいたのだ。
命に関わる程の状態だったとダンが言っていたのに、集落ではなくこの山小屋にノーラがいたことがイリスはずっと不思議だったのだ。
『私があの時この山小屋にいた理由?そりゃ、私も医者にかかる必要があったからだよ。でも医者はイリスさんを診るために山小屋に常駐することになっただろう?だから私も山小屋に来たんだよ』
ある時様子を見に来てくれたノーラに聞いてみると、ノーラはまるで何でもないことのようにあっけらかんと答えた。
まさかイリスのせいで重症の妊婦の方を移動させたとは思ってもみず、慌ててイリスが謝罪を口にすればノーラはカラカラと愉しそうに笑った。
『ああ、大丈夫大丈夫。自分で歩いてきた訳じゃなくて、男達に運んでもらったからね。何も問題ないよ』
後から聞いた話によると、水を運ぶ荷車では振動や揺れが妊婦の身体に良くないだろうと人海戦術でノーラを運ぶことになったのだが、妊婦をおんぶするわけにもいかず、集落の男達が代わるがわるお姫様抱っこをしてここまで運んだのだという。
先程イリスに食事を運びに来た緑頭にその時のことを訊ねたら、思い出して震えあがっていた。
緑頭曰く、ノーラのことは主にダンが運んだのだそうだが、交代した男達に『絶対落とすんじゃないよ』とか『もっと丁重に扱いな』とか言っていて緊張の連続だったのだそうだ。
『姐さんの言うことは絶対でさぁ』
そうは言うものの、顔にはノーラに対する絶対的な敬意が見て取れた。
きっと集落の中で、ダンと共に慕われて頼りにされているのだろう。
老医師の言い付け通り一週間ベッドの住人だったイリスだが、漸く八日目に起き上がることを許され、今はノーラに着替えを手伝ってもらっているところだった。
起き上がれるとはいえ、落石が直撃した左肩はまだ上げることが出来ず、こうやって人の手を借りないと着替えもままならなかった。
「ノーラさんはいつも何かしら仕事をしているけれど、安静にしていなくていいんですか?」
ノーラは命に関わる程の状態だったのにも拘らず、イリスがこの山小屋で出会ってからのノーラはいつ見ても元気で快活で、イリスの世話をしたり窓から見える外で洗濯物を干していたりといつも動き回っていた。とても命の危険があったとは思えない程だ。
だがイリスの言葉を聞いたノーラは、相変わらずカラカラと愉しそうに笑うと目を細めた。
「あの時は流石にまずい状態だったんだが、今は元気だからね。妊娠は病気じゃないし、動いていた方がお腹の子にもいいんだよ」
「そういうものなんですか?」
その場はそう言ってそれ以上問うことは控えたが、毎日どこかしらで見舞いに来てくれるダンに後で同じことを問えば、頭を掻いて苦笑していた。
「もっとあいつに言ってくれ。流産の経験もあるし俺も安静にしていて欲しいんだがな。動いていないと落ち着かないんだと」
毎日イリスの見舞いと称してこの山小屋を訪れてくれているダンだが、その実ノーラの事が心配で様子を見に来ているのだろう。
ノーラも負担にならない程度に身体を動かしているのだろうが、まだ集落に戻っていないところをみると医師の傍を離れない方がいい状態であることに変わりはないのだろう。
イリスは一刻も早く自分の状態を回復させ、ノーラが自宅で安心して過ごせるようにしなければと思った。
「ね、いりす。きょうはどこにいく?」
あれからニーナも、毎日イリスの様子を見に来てくれるようになった。
イリスがベッドから起き上がれるようになってからは、身体が訛るので動きたいと言うイリスの願いを聞いて、積極的に外に連れ出しお勧めの場所を案内してくれている。
勿論レオンとロイの許可がない場所には行けないので、最初は山小屋の案内から始まり、窓を開けて山小屋からの景色を眺めたり、短時間だけ戸外に出て外気に触れたりと段階を踏んで、イリスの意識が戻ってから二週間目の今日、漸く日中の温かい時間ならと戸外に散策に行く許可が下りたのだ。
勿論、もれなく遠くからお目付け役は付いてきている。
山小屋を出て、頂上の方へ少し登山道を歩く。
傾斜のきついところを歩くのはニーナの負担になるので、二人は比較的平坦な場所を選んで歩いていた。
イリスはそっと、手を繋ぐニーナを見下ろす。三歳だというニーナを見ていると、帝都で別れたカインを思い起こさせた。
年の割に落ち付いていてしっかり者だったカイン。
帝が引き受けると言ってくれたので今頃何不自由なく過ごせていると思うが、もう別れてからずいぶん経つのだと懐かしくなった。
当たり前だがニーナはカインとはまるで違っていて、あまり子供と接することのないイリスは最初その違いに驚いた。
子供であるのに思慮深く、物事をよく見て判断する大人顔負けのカインと違って、ニーナは思ったことを直ぐに口にし行動に移すような子供であった。子供らしいと言えばそれまでなのだが。
歳が全く違うが、だからと言ってニーナがカインの歳になったらカインのようになるかといえばそんなことはないだろうし、またカインの小さい頃を想像してみても、ニーナのように直情的だったとは到底思えなかった。
そこでふとイリスの脳裏に、リュカの顔が思い浮かぶ。
リュカが今のニーナのように直情的なのを思えば、リュカが小さかった頃も、ニーナのようだったのだろうと思われた。
「ふふっ」
「……?いりす、たのしい?」
思わず自分の想像に笑ってしまっていたイリスをニーナが見上げる。イリスは笑いを抑えながら、ニーナに答えた。
「うん、愉しいよ」
二人で何気ない会話を重ねながら、ただ山小屋周辺を散策する。それだけなのに、嘘偽りなくとても楽しく温かい時間だった。
また次の日、外を散策していると不意にニーナが訊ねてきた。
「ね、いりすは、にーなのおうちに、なにしにきたの?」
これまでニーナと散策中にたくさんの話をしてきたが、その中の話によると、ナタラ族の集落にはあまり外から人がやってくることはないのだという。
そのため、そんな集落に突然やってきたイリス達が、何の為にやって来たのか純粋に気になったのだろう。
だがイリス達は元々集落に自らやってきた訳ではなく、あまりにも不審な旅人だったためにダン達に攫われてナタラ族の集落に来たのだ。
「いりすも、たからものがほしいの?」
「!」
ニーナの口から『宝』の単語が出てきて驚く。
だが、イリスは動揺を隠し何でもない風を装いながら会話を続けた。
「ニニチカには、何か大事な宝物があるの?」
「!!……ない!ないよ!!」
ちょっと意地悪な聞き方をしてみると、ニーナが目に見えて慌て出した。
必死に否定をするニーナが可愛くて可笑しくて、イリスはクスクスと笑いを溢す。
イリスに笑われて、ニーナは歩いていた足を止め俯いてしまった。
「たからものはだいじなの。ほんとは、ひみつなんだよ」
項垂れしょぼくれるニーナが可愛くて、イリスはその場にしゃがみ込んでニーナと視線を合わせるとその頭を優しく撫でた。
「大丈夫。誰にも言わないよ」
「ほんと?」
イリスの言葉にニーナが顔を上げる。ぱっとその表情が一気に綻んだ。
そんなニーナにイリスが大きく頷いて見せると、心から安心したようにニーナが満面の笑みを浮かべた。
「みんなしらないんだよ。にーながおおきくなったら、おとうさんが、おしえてくれるんだって」
笑顔で答えるニーナに微笑み返していると、不意にイリスの脳裏で、ニーナの言葉に誰かの言葉が重った。
――大きくなったら教えてあげるよ。
心の奥底に埋もれていた言葉が、突如浮上する。
――この力は、世界を――。
以前何処かで聞いた誰かの言葉が脳裏を過る。
だが言葉はそこで途切れ、この後何と紡がれたのかイリスには分からなかった。
「いりす、どうしたの?」
突如発せられたニーナの声に、イリスの思考はそこで遮られた。
突然イリスが下を向いて固まったことで、不思議に思ったようだ。
「大丈夫、何でもないよ。そろそろ戻ろうか」
心配してイリスを見上げるその顔に笑顔を向けて安心させる。その後は二人でまた何気ない会話を重ねながら山小屋まで戻った。
結局山小屋に戻る頃にはこのことをイリスはすっかり忘れてしまい、そのまま長らく記憶の底にしまい込んでしまうのだった。
◇◇◇ ◇◇◇
「イリス、体調がいいのなら今日出掛けないか?」
そんな長閑な日々を過ごして、気付けばあの事件から一か月が経っていた。
痛みが残るところはまだあるものの、殆ど問題なく身体を動かせるようになったイリスを、その日はニーナではなくダンが誘いにやって来たのだ。
与えられた部屋の床に寝転んで腹筋をしていたイリスは、驚いて目を丸くしたまま固まっていた。
何故なら今はまだ早朝の時間帯だったのだ。レオン達はリュカの剣術訓練で客室を不在にしているが、他の客はまだ眠っていて他に動いている者はいない、そんな時間帯だった。
薄着で腹筋途中の格好のまま固まったイリスを見て、ダンは器用に左側の口角だけを上げてニヤッと笑うと、揶揄うような視線を向けて寄こした。
「安心しな。前にも言ったが、そんなに警戒しなくてもそんな貧相ななりじゃあ俺にはお前さんは無理だ」
ガハハと豪快に笑うダンを睨み返す。
しかし実際に見たダンの奥方であるノーラは、細身であるのに出るところは出た身体つきをしていた。それを目の当たりにしてしまっては、イリスはぐうの音もでない。
「?」
誘拐さながらにニニチカに連れてきた時に同じような事を言ったら激昂して言い返してきたイリスが、今回はダンを睨みつけるばかりで言い返さないのを見て、ダンは慌てて付け足したようにフォローを入れた。
「悪い悪い。俺にはノーラが居るってだけの話だ。お前さんだって十分需要があるだろ」
「……」
しかし男装紛いな自分に女性としての魅力を感じてくれる人などいるはずも無いと、イリスは更に機嫌を悪くする。
その様子に、周囲から想われていることをイリスが全く気付いていないことを悟ったダンは、可笑しくて口元に手を当てて笑い声を押し殺していた。
「何が可笑しいの?」
「いやぁ、お前さんの連れも大変だなと思って」
眉間に皺を寄せイリスが睨みつけるも、ダンは全く意に介さずククッと笑っていた。
「さぁ、それより出掛けよう。それこそ大事なお姫様を連れ出すんだ、お前さんの連れにいい顔をされないだろう?気付かれる前に出るぞ」
「えっ?何も知らせないで行くの?」
当然とばかりにダンが頷く。
今のイリスは動けるとは言え完治とは言い難い。しかも今回の怪我で、レオンとロイの過保護には更に磨きがかかっている。
黙って出掛けたら後で怒られるのは必至だろう。
だがニーナと違ってダンがイリスを連れ出すという事は、何か意図があっての事だ。その辺に散策へということではないだろう。
そうであるのならば、出掛けることに対してレオンとロイから反対されるの避けたかった。
イリスは床から立ち上がると服の裾を払い、ベッドに置いていた上着を手に取りダンを見た。
「そうこなくちゃな」
ダンは悪戯な子供のような、悪だくみをしている笑顔で微笑んでいた。




