提案
その日の夜、またしても眠れなかった僕は、礼拝堂にて祈りを捧げていた。
(ああ、僕はなんて愚かなことを……)
今日の王宮での不安げなマリカの呟きが蘇る。
突然、王宮から神殿へ移動しろと伝えられ、きっと詳しいこともわからずに不安な気持ちを隠したまま従ったのではないだろうか?
僕があの馬車の中ですべきだったのは、謝罪ではなく、これから向かう神殿についてマリカに説明をして、彼女を安心させることだったのに。
(それなのに僕は……)
マリカが嘲るのも無理はない。
謝って許されることではないのに、罪悪感に囚われ、自分だけが許されようとしたのだから……。
数刻前の自身の行動を振り返っては、激しい自省の念に駆られる。
(これからどうしよう?)
まさか役目を与えられた初日から躓いてしまうとは……。いや、自業自得なのだが……。
さすがにもう謝罪をしようとは思わない。けれども、このままでいいとも思えなかった。
このまま何もせずに、何食わぬ顔で彼女にこの大陸の命運を任せてしまうのは違うと思ったのだ。
━━では、一体僕に何ができるのだろう?
無理矢理この世界に連れて来られた彼女に、何か僕にできることはないのだろうかと考えてみる。
(僕の特技といえば剣ぐらいだが、それをマリカ様に教えてみるのはどうだろうか?)
しかし、すぐに現実的ではないことに気が付く。
教えるとしても期間は一年程しかなく、王宮の魔導師から浄化魔法を学ぶことが優先されるはずだ。
そして神殿では、この世界の常識や浄化の旅について必要なことを僕が教えなければならない。
そんなマリカに剣術まで学ばせるのは恐らく難しい。
それに、剣術を学んだところでそれがマリカの役に立つとはあまり思えなかった。
浄化の旅には従魔や従騎士が付き添うのだから、彼等がマリカを守ってくれる。
(あとは、僕がマリカ様を守ることぐらいしか……)
それも現在進行系で任務として行っている。
そうではなく、僕個人として何かマリカの力になりたかった。見知らぬ異世界に連れて来られたマリカの不安を少しでも取り除きたかった。
(不安……)
今日の王宮での不安げなマリカの呟きが再び蘇った。
彼女にとって右も左もわからないこの世界で過ごすことは、想像もつかない程の不安に苛まれることだろう。
(あっ……それなら……)
僕は慌てて自室に戻ると、エイブラム司教から渡された、聖女様に教える内容が書かれた手引書を読み始めた。
◇◇◇◇◇◇
翌朝、私はマリカの部屋を訪ねた。
神殿の中でも高貴な身分の方専用の客室が、マリカの部屋に充てがわれている。
「おはようございます」
昨日の失態が尾を引いて、挨拶の声が若干上擦る。
「グレンさん。おはようございます」
対して、マリカは昨日のことなどまるでなかったことのように、愛想よく挨拶を返してくれた。
きっと彼女は年齢は僕よりかなり下だが、中身は僕よりもずいぶんと大人なのだろう。
僕は昨日の失態を挽回するために、まずは神殿内を案内することから始める。
「こちらが食堂になります」
神殿には神官たちが利用する食堂がある。
朝昼晩の一日三回、決まった時間にこの食堂で食事をとるのだ。
並べられた様々な料理から、自身で好きなものを選ぶセルフ形式だが、料理の内容はやはり王宮のものと比べるとずいぶん質素なものになってしまう。
昨日まで王宮で豪華な食事を目にしていたマリカがガッカリするのではと心配だった。
しかし、マリカは興味深そうに並んだ料理を見つめていたので、僕は一品ずつ説明をしていく。
そしてプレートに好みの料理を載せて、空いている席へと座った。
「神殿でも肉料理が出るんですね」
「はい。あまり多くはありませんが……」
僕が神殿に連れて来られてから今まで、朝食に肉料理が出されたことはなかった。恐らく聖女が神殿に滞在していることで、料理のグレードが今日から突然上がったのだろう。
若い神官たちが嬉しそうにプレートに肉料理を山盛り載せている。
「マリカ様の国の神殿では肉料理を出さないのですか?」
「えーっと、そうですね……。私も詳しくはないんですが、宗教によっては肉を食べることが禁止されているのもあるみたいです」
「え?宗教によって?それはつまり……マリカ様の国ではいくつもの神が存在すると……?」
「はい。たぶん細かいものを入れると数えきれないくらいに」
「そ、それはすごいですね……」
この国とのあまりの違いに驚いてしまう。
神の存在ひとつとってもここまで違うのだ。浄化の旅まで一年間の準備期間が設けられている意味を理解した。
朝食を終え、再び神殿の中の施設をマリカに案内していく。彼女はやはり興味深そうにこちらの説明に聞き入っていた。
「あの、何かわからないことや、聞きたいことはありませんか?」
あらかた神殿内の案内を終えた僕は、マリカにそう声をかけてみる。
マリカは少し考え込んだあと、おそるおそるといった様子で聞いてきた。
「この神殿には女性は少ないのでしょうか?あまりお見かけしないなぁと思いまして」
「ああ、それはですね……」
僕は、聖魔法に目覚めた者は必ず神殿に所属しなければならないこと、しかし、なぜか聖魔法に目覚める者の九割が男性であることを説明した。
「じゃあ、恋人や結婚相手は別の場所で見つけるんですね」
「いえ、我らは忠実なる神の下僕。神の手となり足となり、神に一生を捧げる身ですので、婚姻は認められておりません」
「え?……」
マリカが目を見開いて驚いている。
「もったいない……」
「もったいない、ですか?」
そんなことを言われたのは初めてだった。
「だってグレンさんってとっても素敵じゃないですか。その青味を帯びた銀髪も薄紫色の瞳もかっこいいですよ?」
「そ、そうでしょうか……?」
正直なところ自分自身の容姿についてはよくわからない。青銀髪も薄紫色の瞳もこの国ではよくある色だ。
しかし、マリカの国では僕のような色が珍しく、黒髪黒目のほうが一般的だという。
僕の色が珍しかったからだけだとしても、かっこいいと褒められたことに恥ずかしいような、ふわふわとした気持ちになってしまう。
そのまま会話をしながら今日から始まる授業のための部屋へと向かった。
◇◇◇◇◇◇
そこは来客用の応接室のひとつだったが、こちらも聖女のために貴族用のものが用意されていた。
広々とした室内は白を基調としたシンプルな内装で、大きな窓からは陽の光が差し込んでいる。
部屋の中央には大きなアンティーク調のテーブルと革張りの立派なソファが置かれており、そこに向かい合わせで座る。
「僕は、この世界についての知識や常識をマリカ様にお伝えする役目を賜りました」
「……はい」
「それで、司教様からマリカ様に教える内容についての手引書を受け取ったのですが……。あまりにも足りなかったのです」
「足りない?」
昨日読んだエイブラム司教から渡された手引書の内容が、あまりにも薄っぺらかったのだ。それに、禁止事項も多かった。
「教える内容が表面的過ぎると言いますか……禁止事項も多くて……。僕としてはもっと細かく深くお教えしたほうが、マリカ様の不安も薄れるのではないかと思いまして……」
「不安……ですか?」
「はい。知らないことは怖いことです。まずは知ることが不安を減らし、ゆくゆくはその知識がこの世界で過ごすマリカ様の力になるのではと……」
そう、それが僕が彼女にしてあげられることではないかと思い至ったのだ。
「ですから、知りたいことがあれば何でも聞いて下さい」
「何でも?」
「はい。何でもです」
きっぱりと答えた僕を見ながら、マリカは少し目を細めた。
その、僕のことを探るような目付きが、彼女の持つ柔らかな印象とは違って胸の奥がドキリと跳ねる。
「それがグレンさんの知らないことだったら?」
「必ず答えられるように情報を集めます」
「それが先程言っていた禁止事項なら?」
「それでもマリカ様の知りたいことならば、お教えします」
禁止事項には、この国の政治に関することや王家にまつわること、他国との関係、他国で召喚された聖女について等、多岐にわたった。
「……なぜ、こんなにも親切にしてくださるのです?私が聖女だからですか?」
彼女はまだ探るような表情のままだった。
「あの、僕は六歳の頃にこの神殿に連れて来られたのですが……」
僕は彼女に、僕がこの神殿に連れて来られた経緯を簡単に説明する。
「その時に僕が泣き喚いたのは、何もわからなくて怖かったからなんです」
ここがどこなのかわからない。周りの人たちが誰なのかわからない。なぜ連れて来られたのかわからない……。わからないから怖かった。怖くて怖くて仕方がなかった。
恐らく、僕が連れて来られた理由を誰かが説明してくれたのだとは思う。しかし、幼い僕は、その説明を聞いても、理解し受け入れる心の余裕がなかったのだ……と、今ならわかる。
「……そうでしたか」
僕の言葉を聞いたマリカの雰囲気が少し和らいだ。そして、彼女は少し思案する顔をみせる。
「あの……私としては有り難い申し出ですけれど、そんなことをしてグレンさんが怒られませんか?」
「怒られる?」
「え?だって禁止事項って、私に教えては駄目な内容を教えるってことですよね?」
「ああ、そんなことですか。大丈夫ですよ」
「……そ、それならいいんですけど」
まあ、もしかしたら余計なことはするなとアンガス辺りから怒られるかもしれないが、それはいつものことなので大した問題ではない。
そんなことよりも、彼女が僕の立場や事情まで考えてくれたことに感動していた。
「それにしても、マリカ様はお若いのに随分と落ち着いていて思慮深くて……正直すごいなと思いました。僕がマリカ様と同じ十代の頃なんて全く落ち着きがなくて……」
二十三歳になった今でも、アンガスには「もっと落ち着いて考えてから行動しろ」と言われているくらいだ。
「え?」
そんな僕の発言にマリカがその瞳を見開いた。
「あ、あの……私は二十一歳なんですけど……」
「え?」
「………」
「………」
てっきり十五〜十六歳くらいだと思っていたマリカが、たったの二歳差だった……。
年齢よりも落ち着いていると褒めてしまった手前、なんと言っていいかわからず……
「お若く見えます……」
そう言葉をこぼした僕に、マリカは楽しそうに笑った。