謝罪
「いいか、グレン。指示されたことだけをするんだぞ。聖女様の教育に関しても、こちらで細かく取り決めたルールがあるんだ。その内容だけを教えるように」
翌日、僕はアンガスにこんこんとお説教のような説明を受けていた。
エイブラムの前では取り繕っていたが、アンガスは僕の前では素の口調を隠さない。
「余計なことは考えるなよ。お前は思い込むとそれに一直線になってしまうんだからな」
アンガスは、僕がこの神殿に連れて来られた六歳の頃からなにかと面倒をみてくれていた。だからなのか、いまだに僕のことを子供扱いしている節がある。
アンガスの説明を一通り聞き流したあと、僕は聖女様を迎えに馬車で再び王宮へと足を運んだ。
「初めまして。神殿より参りましたグレン・シュルーダーと申します。この度、聖女マリカ様の教育係に任命されました」
そう挨拶をする僕の前には、ソファに座るふたりの男女。
「マリカ、君はこれから神殿に居を移す。そこで、このグレンから浄化の旅に必要なことを学ぶんだ」
「そう、ですか。……わかりました」
「不安がることはない。マリカならできるよ」
聖女マリカの隣には第一王子のアルバートがぴったりと寄り添っている。
(……いささか男女としての距離が近すぎではないだろうか?)
男女の距離感というものに疎い僕でも、さすがにおかしいと思う距離だった。
(それに、殿下には婚約者がいらしたはず……)
たしか、イリック侯爵家のご令嬢だった。
「浄化の魔法は王宮の魔導師が指導する。しばらくは神殿と王宮を行き来することになるだろうから、すぐにまた会えるよ。だから、そんな寂しそうな顔をしないで?」
甘ったるい声でアルバートはマリカに囁く。
そんなアルバートを見て、マリカは恥ずかしそうに俯いた。
「………」
僕は目の前の光景に内心げんなりしてしまう。
そのまましばらくアルバートの砂糖菓子のような言葉の羅列が続き、僕が無の境地に達しそうな頃、ようやくマリカと共にこの部屋からの退室が許された。
その時、廊下に出たタイミングでマリカの口元が小さく動く。
「お城でパーティーの次は神殿か……」
神殿に行くことを先程のアルバートの発言で知ったのだろうか。
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな小さな不安げな呟き。そんな彼女の声がひどく耳に残った。
◇◇◇◇◇◇
そのままアルバートと別れた僕とマリカは、王宮の廊下を聖女の護衛を務める近衛騎士たちと共に歩く。
そのうちのひとり、ピンクブロンドの髪を後ろに結った、背の高い騎士が親しげにマリカに話しかけている。
「マリカちゃんが王宮から居なくなっちゃうなんて寂しいなぁ」
「そ、そうですか……」
「俺も神殿まで着いて行っちゃおっかな。ね?いい案だと思わない?」
「たぶん、怒られちゃいますよ」
マリカは困ったような顔でそう返事した。
聖女に敬称も付けずに馴れ馴れしい態度の、この軽薄な騎士のことを僕は知っていた。
名はバーナビー・ニコリッチという。僕と同じソードマスターのひとりで、年齢もたしか二つしか変わらなかったはずだ。
彼はその精悍な顔立ちに、親しみやすいキャラクターで女性に人気らしく、僕のソードマスター任命式の宴でもたくさんの貴族女性に囲まれていた。
ちなみに、僕にも何人か声をかけてくださった女性がいたのだが、少し話すとなぜかすぐに離れて行ってしまった。
「俺も聖騎士だったら神殿でもマリカちゃんと一緒に居られたのになぁ。グレンはいいよなぁ」
今まで会話らしい会話もしたことがなかったのに、彼が
僕の名前を親しげに呼んだことに驚いた。
「えっと、グレンさん?は、聖騎士なんですか?バーナビーさんとは違うのでしょうか?」
バーナビーの言葉を聞いたマリカが、僕の方を向き言葉を発したことに、さらに驚く。
「あ……えっと……」
突然のことに上手く言葉が出てこない。
そんな僕をちらりと見て苦笑いをしたバーナビーが、僕の代わりにマリカに説明を始める。
「簡単に言うと、俺は王宮に所属する騎士で、グレンは神殿に所属する騎士なんだ。神殿に所属する騎士のことを聖騎士って呼ぶんだよ」
「そうなんですね」
「で、俺もグレンもこの国に七人しかいないソードマスターなんだ。ソードマスターっていうのは、ええっと
、騎士の中でもめちゃくちゃ強いって認められた奴のことを言うんだ」
「じゃあ、バーナビーさんもグレンさんもとてもお強いんですね。すごいです!」
そう言って、マリカはにっこりと微笑んだ。
「そう!そうなんだよ!だから、これからは俺たちのことを頼ってくれていいから。な?グレン?」
「は、はい」
僕はなんとか返事を返す。
その後は、バーナビーとマリカが会話し続ける姿を見つめることしかできなかった。
しかし、神殿の馬車に乗り込み近衛騎士たちに見送られて王宮を出発すると、そこは僕とマリカの二人きりの空間だ。
(どうしよう……)
異性と二人きりで馬車に乗るなんて初めての経験だった。
(何か話しかけたほうがいいのだろうか?)
先程のバーナビーのようにくだけた会話をしたいところだが、どんなふうに話しかければいいのかがわからない。頭の中に神の教えを浮かべてみるも、この場に相応しいものが全く思いつかなかった。
「………」
沈黙がいやに重苦しく感じ、妙な緊張感に囚われる。
すると、マリカと目が合ってしまった。何か言わなければと焦った僕の口から飛び出たのは……
「も、申し訳ありませんでした!」
謝罪の言葉だった。
「えっ?……あの、突然どうされたんですか?なぜ、謝っておられるのですか?」
心底不思議そうなマリカの表情と声に、僕はしまったと思いながらも言葉が止まらない。
「あ、あの、それはですね……あなたをこの世界に召喚してしまったから……です」
「………」
マリカは僕の言葉に驚いた表情をした後、黙りこくってしまう。
「その、僕たちにとっては聖女様を異世界から迎え入れるのは当たり前のことで……僕も、そうだと思っていたのですが……」
マリカからの返事がないことでさらに焦りが生まれる。
「聖女召喚の場で、怯えるあなたの姿を見たら……その、マリカ様にとても酷いことをしてしまったと……」
この国では異世界から聖女を召喚するのは当たり前のことで、僕もそのことに何の疑問を抱くことなく、むしろ神のご意思だと思い、その場に立ち会えることに喜びすら感じていた。
しかし、現れたのは神のような威厳もなく、我々を見て恐怖に怯える一人の少女だったのだ。
その時の僕の胸に芽生えたのは『罪悪感』だった。そんな自分自身にひどく驚いてしまう。
神の御業である聖女召喚に『罪悪感』を抱くなんて……。
けれども、そこから僕の思考は止まらなくなっていく。
『聖女召喚は、彼女にとっては恐怖でしかなかったのではないか?』
『彼女にだって元の世界に家族や友人がいたはずなのに……』
そんな考えが頭を占めていき、幼い頃の自身の体験と重なって、さらに罪悪感に苛まれていった。
「私をこの世界に召喚したことに対する謝罪……そういうことでしょうか?」
「……はい」
「ふふっ、そんな……謝罪なんて結構ですよ」
そう言ってマリカは微笑った……いや、嘲笑ったのだ。
鈍感だと言われる僕でも、さすがに彼女が嘲笑したことはわかった。
そのことに気付いた途端、僕の心は羞恥に染まる。
異世界から勝手に連れて来られた彼女に、言葉だけの謝罪などなんの意味もなさない。
この行為は、罪悪感から逃れたいただの僕の自己満足であり、独りよがりな偽善であると思い知らされた。
「あ……」
喉が詰まり、息苦しい。
「す、すみません。いや、ではなくて、その……先程の謝罪は受け入れなくて大丈夫です。失礼なことを申し上げました」
「……わかりました」
マリカは平坦な声でそう答えた。
そうして、重苦しい空気のまま馬車は神殿へと着いたのだった。