召喚
「マリカ様、訓練場までご一緒いたします」
「はい。よろしくお願いします」
マリカが王宮に着くなり、出迎えるシリル第二王子。
このような光景はすでに見慣れたものとなってしまった。
アルバートにマリカを連れ出され、バーナビーと待機室で過ごした後、戻って来たマリカの側にはシリルがいた。
その日から、王宮での訓練の際はバーナビーだけではなくシリルもマリカの護衛として付くことになった。
本来ならば護衛される側である第二王子が、聖女の護衛をするというのはおかしな話なのだが、シリルは従騎士に志願していたため、そのことについて何かを言うものはいなかった。
僕もシリルが従騎士に志願していたことは知っていた。
少し前に、王宮の廊下でシリル本人がマリカに直接その話をしていたからだ。
『この大陸を救うために旅に出るマリカ様を従騎士となって守ることが、聖女召喚を主導したこの国の王族としての責任を果たすことだと思うのです』
真っ直ぐにマリカを見つめながら、そう言ったシリルに、マリカはそっと近寄り距離を詰めた。
『でしたら、まずはこの王宮の中での私の身の安全を守っていただけますか?』
『え?……マリカ様の護衛騎士だけでは不安だということですか?』
『いえ、彼等の騎士としての実力には不安はありません。ただ、身分の高さで彼等では敵わない者から、私の身を守ってほしいんです』
そんなマリカの言葉に、シリルは驚いたようにその金の瞳を見開いたあと、わかりましたと硬い声で返事をしていた。
この時の僕は、まだバーナビーから出来レースであるという話を聞いておらず、王族なのに従騎士に志願するなんて変わった人だな……という感想しか持たなかった。
それに、王族が、魔獣と戦う従騎士に選ばれるとは思わなかったのだ。
しかし、今では、王族であり婚約者のいないシリルこそが、従騎士に選ばれる可能性が最も高いのであろうことは理解している。
それに、シリルは他の従騎士候補たちとは違い、マリカに対して甘い言葉を囁くこともなく、適切な距離を取りながらも誠実に対応している。
マリカも、そんなシリルに対して安心感を抱いている節があった。
『残念だけど、グレン、お前は従騎士には選ばれないよ』
バーナビーの言葉が脳裏に蘇る。
(従騎士になれない僕は……もうマリカ様の側にはいられない)
そんな僕よりも、正義感が強く実直な性格だと評判のシリルならば……彼が従騎士としてマリカの側にいたほうが、マリカを権力の道具として利用したりせず、一人の女性として守り、大切にしてくれるのかもしれない……。
(情けない……)
側にいたい。けれど、身分や権力といった自分ではどうしようもないものが、マリカから僕を引き剥がす……。
その痛みに耐えながら、僕はただマリカの側にいられる残り少ない日々を過ごしていた。
◇◇◇◇◇◇
「グレンさん、久しぶりに今夜飲みませんか?」
それは、従魔召喚の儀式の前日だった。
その儀式の場で従魔を召喚した後に、従騎士三名も発表されるのだ。
「でも、明日は大切な儀式の日で……」
「だからですよ。なんだか私、緊張しちゃってて……。あんまり眠れそうにないので、付き合ってもらえませんか?」
儀式自体はそんなに難しいものではない。
従魔を召喚する魔法陣は、王宮の魔導師たちが描いて準備をしており、そこにマリカは自身の魔力を流し込みながら、聖獣の姿を思い浮かべてその名を呼ぶだけだ。
ちなみに、マリカが悩んでいた聖獣はヒポグリフに決まった。鷲のような頭と翼に馬のような胴体を持つ聖獣だ。
ヒポグリフならばモフモフではないし、竜や蛇のような皮膚でもなく、空も飛べるということで納得してもらえた。
しかし、彼女は大勢の前に立つことに緊張しているという。
「じゃあ、少しだけでよければお付き合いします」
「今度はそんなに飲ませないから大丈夫ですよ。楽しみですね」
「……はい」
彼女の部屋で初めてワインを飲んだ日がすでに懐かしい。
あの時は酔ってしまったせいで、マリカとの会話をほとんど覚えていなかった。
こんなふうにマリカとお酒を飲むのも最後になるかもしれない。
(今度はちゃんと覚えておこう……)
そう心に決めて、その日の夜に彼女の部屋を訪ねた。
前回と同じようにテーブルを挟んで向かい合ってソファに座り、食堂からもらってきたというおつまみを、マリカが慣れた手付きでテーブルの上に並べていく。
そして、二つのグラスには赤色ではなく、少し黄金色がかった透明の液体が注がれていく。
「前回とは色が違うのですね」
「はい。今回は白ワインにしてみました」
「味も違うのですか?」
「まあ、飲んでみて下さい」
そして、明るい乾杯の挨拶のあと、そっとグラスに口をつける。
前回との味の違いは……わかるようなわからないような……。まだまだ経験が足りないようだった。
マリカと、とりとめのない会話を続けながら、酔ってしまわないように少しずつワインを口にする。しかし、それでも身体に熱が籠もり、顔まで熱くなってきた。
「そういえば、グレンさんも従騎士に志願してくださったんですよね?」
「え?」
どうして知っているのだろう。
マリカには従騎士に選ばれてから告げようと思っていたので、その話はしていなかった。
まあ、結局は選ばれる可能性は最初からなかったのだが……。
「今日、従騎士候補の一覧表を見せてもらったんですよ」
「あ……そうでしたか」
「従騎士に志願してくださって嬉しかったです」
「いえ、そんな……」
(でも、従騎士にはなれませんでしたから)
つい、愚痴のような言葉が出てしまいそうになる。
「どうして従騎士に志願してくださったんですか?」
「マリカ様の側にいたかったので」
「私を守りたいから……とは言わないんですね」
「あ……もちろん守りたいという気持ちもあるんです。あるんですけど……」
なんと言えば伝わるのだろう。
はじめは、僕がマリカの側にいて、支え守りたいと思っていた。
けれど、いつしかその気持ちは形を変えて、歪み、ドロドロに溶けて、ただ、べったりとマリカに貼り付いてしまっている。
「僕はあなたがいないと駄目になってしまったんです」
気が付けばそんな言葉が口から零れてしまった。
「あ、すみません!」
まるでマリカが悪いような言い方をしてしまったと、慌てて謝罪の言葉を口にする。
「いえ、大丈夫ですよ。さあ、飲みましょう!」
「は、はい」
マリカが気分を害した様子はなく、むしろ満足そうに口の端が上がったように見えたのは僕の願望だろうか。
結局、その後は勧められるままワインを飲んでしまい、また覚束ない足取りで部屋に帰ることになってしまった。
◇◇◇◇◇◇
翌日、王宮のホールには、王族を始め、この国の政治に携わる高位の貴族たち、そして、神殿の関係者に、王宮所属の騎士団と魔導師たちが一堂に会していた。
このホールは演劇やオペラが公演されるためのものだが、今日は特別に従魔召喚の儀式に使われることになった。
舞台には、大きな魔法陣がすでに描かれており、皆が聖女マリカの登場を待ち侘びている。
僕は神殿関係者の席に着いてはいたが、今日はソードマスターとしての招待であったので、神官服ではなく聖騎士団員の騎士服を着用していた。
他の席を見渡してみると、近衛騎士団員の中に目立つ姿を見つける。
バーナビーが、他の近衛騎士団員たちとは違った、派手な装飾の騎士服を纏っている。
同じようにギディオンも、他の魔導師たちとは一人だけ装いが違った。
ああ、彼等が従騎士に選ばれたのだな、とすぐに気が付いた。
僕のこの席から王族専用のボックス席は見えないが、おそらくシリルも特別な装いをしているのだろう。
素直に、羨ましいという気持ちが湧き上がった。
僕は膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめる。
その時、会場中の拍手の音とともに舞台の上にマリカが姿を現す。
白い衣装に身を包んだその姿は、まさに清廉な聖女そのものに見えた。
そんな彼女を見た途端に胸が苦しくなる。
離れたこの距離がもどかしい。でも、これからはこの距離以上に離れてしまうのだ。
いっそのこと、従騎士に選ばれた奴らを再起不能にしてしまえば、僕が代わりに側にいけるんじゃないか。いや、もう神殿を抜け出して勝手にマリカを追いかけてしまおうか……そんな悪あがきのような考えまで浮かんできてしまう。
魔法によってホール中に響き渡っていた国王陛下の挨拶も僕の耳には入って来なかった。
そして、ついに従魔召喚の儀式が始まる。
マリカの側に控えていた魔導師たちが離れ、彼女だけが魔法陣に歩み寄る。
両手を魔法陣にかざして、マリカがその瞳を閉じた。
その時、僕の耳元でキィィィンと耳鳴りのような音が聞こえた。と、同時に周りの景色がぐにゃりと歪む。
(えっ?)
そして、足元からの眩い光に思わず目を閉じて……。
次に目を開けると、なぜか僕の目の前に、白い衣装を身に纏った聖女様が、不敵な笑みを浮かべて立っていたのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
あと2話で終われる予定です。(たぶん)
明日も夕方〜夜の投稿になると思います。
よろしくお願いいたします。