閑話 アルバートの思惑
読んでいただき、ありがとうございます。
※今話はアルバート第一王子視点です。
少し女性軽視な表現もありますので、気をつけてお読み下さい。
「兄上、もう少しイリック侯爵令嬢の立場も考えて下さい」
短く刈られた濃紺の髪に鋭い金の瞳、威圧感のある青年が咎めるように強い口調で言い放つ。
私の執務室に訪ねて来るなり、そう進言するのは異母弟であるシリル・ライルス。このライルス王国の第二王子だ。
「仕方が無いだろう。聖女はこの世界の宝だぞ」
「だからといって、イリック侯爵令嬢を蔑ろにしていい理由にはなりません」
流れるように正論をぶつけてくるこの異母弟のことが昔から苦手だった。
数ヶ月前、五百年ぶりにこの国に聖女が召喚された。
聖女はこの大陸の瘴気溜まりを浄化する唯一の存在だ。そんな聖女に王家の代表として第一王子である私自らが付き添っている。
しかし、私にはブランシュ・イリック侯爵令嬢という婚約者がいた。それなのに私が聖女にばかり構うので、ブランシュの立場が日に日に悪くなっているとシリルは主張しているのだ。
「ブランシュにはすでに説明してある。お前が口を出すことではないだろう?」
「イリック侯爵令嬢にではなく、周りの者たちに兄上がきちんと説明をすべきです」
「それぐらいのこと、自分でどうにかできないのなら、これから王太子妃としてもやっていけないだろう」
「責任をすり替えないで下さい。彼女がこのような状況に陥ったのは兄上のせいです」
「………」
本当に、正論ばかりで嫌になる。昔からシリルには正義感が強い側面があるのだ。
けれど、今の私は婚約者であるブランシュよりも聖女マリカを優先しなければならなかった。
五百年前に我が国に召喚された聖女シオリ様も含めて、歴代の聖女たちは浄化の旅が終わると王族に嫁いでいた。
しかし、王妃となった聖女は誰一人としていない。
なぜならば、聖女は異世界から召喚されるため、この世界の知識や常識を全く知らないからだ。
まだ教育の余地がある幼子ならともかく、召喚されるのは成人女性……どう考えても王妃としての公務が務まるまで待つ時間はない。
そのため、歴代の聖女には、王の側妃となった者、当時の王や王子と年齢が合わずに王弟と婚姻を結び、臣籍降下した後に第二夫人となった者などがいた。
その慣習が崩されたのは百年前、隣国であるフルネーク神聖国に召喚された聖女が婚約者のいる相手との婚姻……側妃や第二夫人の立場を頑なに嫌がったのだ。
フルネーク神聖国は我が国以上に信仰心が強く、聖女を神と同等に扱っている。
結局、その聖女の要望が通り、王族ではなく、婚約者のいなかった従騎士の一人と婚姻を結ぶこととなった。
つまり、聖女と従騎士との婚姻という前例ができてしまったのだ。
そして此度の聖女召喚では、前例に倣って婚約者のいない従騎士候補も多数用意された。
王家側も、本来ならば婚約者のいないシリルが聖女の付き添いをする予定だった。
しかし、私はその役目を強引に自分のものにした。
もし、シリルと聖女が結ばれるようなことになれば、シリルを王太子にと考える者たちが勢いづくかもしれない。そんな状況を危惧してのことだった。
「兄上、婚約者は大切にするべきです」
私も聖女を娶るならば婚約者がいないほうが都合が良いのだが、実際には王太子になるために有力貴族の後ろ盾が必要だった。だから、婚約者であるブランシュとは政略で結ばれた間柄だ。
ブランシュは優秀ではあるが、正直なところあまり可愛げがない。いや、面白味がないとでもいうのだろうか。
真面目一辺倒で、すぐに口煩く注意をしてくるのだ。
そんなこともあって、聖女の付き添いを理由にこれ幸いにとブランシュと距離を取っていた。
「近々、ブランシュとの時間を作る。それでいいだろう?」
「……わかりました」
やっとシリルが執務室から出て行った。
私は深いため息をついて、椅子に深く座りなおす。
頭に浮かぶのは聖女マリカのこと。
彼女は、この世界にはない黒髪黒目は珍しいが、それ以外は平凡な女性に見えた。性格は大人しく控えめで、こちらの話をにこにこと微笑みながら聞いている。
あまり異性に慣れていないらしく、私が近付いて甘い言葉を囁けば、すぐに恥ずかしそうに俯くのだ。
正直、最初は簡単だと思った。
容姿には自信があったし、このまま甘い言葉で聖女が私に惚れてしまえば、囲うことができると……。そうすれば、私が王太子となるのは確実だろう。
しかし、いつまで経ってもマリカが私に惚れている様子はなかった。いや、甘い言葉や近い距離に恥ずかしがってはいるのだ。ただ、それだけで、彼女から熱い視線を感じることも、彼女から私に近付いてくることもなかった。
そうこうしているうちに、従騎士候補たちも彼女を得ようと動き出す。そして、時々シリルとマリカが王宮の廊下で会話をしている場面を見かけるようになった。周りには近衛騎士もいて、シリルがマリカを口説いているようには見えなかったが、焦りを感じた私はありとあらゆる手でマリカに迫る……が、やはり手応えは何もなかった。
◇◇◇◇◇◇
正式に、聖女マリカの浄化の旅の出発日が予定より三ヶ月ほど早まることが発表された。
(クソっ、時間がない……)
第一王子である私はマリカの浄化の旅に付いて行くことはできない。
だからこそ、それまでにマリカとの仲を深めて、確実なものにしなければならなかったのに……。
マリカと出会ってすぐの頃から何も進展していなかった。
そして、マリカの浄化の旅が早まることが発表されたことにより、従騎士争いも激しくなっていく。
皆がマリカの関心を惹こうと躍起になっていくにつれて、私もどんどんと焦りだけが募っていく。
そこに、恐るべき情報が部下からもたらされた。
「シリルが従騎士に志願した……だと?」
今まで王族が従騎士となった前例はなかった。
しかし、シリルは「この大陸を救うために旅に出る聖女様を従騎士となって守ることが、聖女召喚を主導した王族としての責任ではないか」と、言い出したらしい。
たしかに、正義感の強いシリルが考えそうなことだった……。
けれど、誰かがシリルと聖女の婚姻を狙って仕組んだのではないのかという疑念が湧き上がる。
不安に駆られた私は、マリカのいる訓練場に向かうことにした。しかし、すでに訓練を終えたマリカと入れ違いになってしまったようで、慌ててマリカが通りそうな道を探す。
そこで、廊下の端で話し込むマリカとシリルの姿を見つけた。
(シリルっ!?)
二人きりというわけではなく、シリルの護衛も、マリカの護衛である聖騎士も一緒だ。
だが、二人の雰囲気が以前よりも親しいような気がした。
私の疑念が確信へと変わっていく……。
(このままでは、シリルとマリカが結ばれて、王太子の地位は……)
もう、なんとしてでも……多少力づくでも聖女を手に入れなければ。
次にマリカが王宮の訓練へとやって来た日、私はマリカが訓練場へと向かう前に声をかけた。
「マリカ!やっと見つけた!」
相変わらず従騎士候補たちに囲まれ、困ったような顔をしている。
「アルバート様、こんにちは」
「今日はマリカに贈りたいものがあるんだ。さあ、行こう」
「でも、これから訓練がありますので……」
「ははっ、何を言っているんだ。もう訓練なんて必要がないくらいマリカは優秀だと報告を受けている」
そう言って、なかば強引にマリカを連れ出す。
マリカの護衛であるバーナビーや聖騎士のグレンは付いて来ないように指示をした。
いつもならば私の護衛も部屋に入るが、今日は部屋の外に待機させる。今は私の私室にマリカと二人きりだった。
ソファに並んで座り、他愛ない話をしながらも、徐々にマリカとの距離を詰める。
「マリカ……」
彼女の目を見つめ、そう甘やかに名を呼んだ。
「どうされましたか?」
しかし、マリカは困ったように眉を下げ、私と距離を取ろうとする。それを逃がすまいと、彼女の手を握った。
「君は私の気持ちにとっくに気付いているのだろう?」
「えっと……」
「どうか、私の気持ちを受け入れてほしい」
私はそのままマリカへと覆い被さるように体重をかけていく。
「必ず君を幸せにしてみせる」
そう言った途端に、マリカの表情が変わる。
いつもの困ったような表情ではなく、目を細めてこちらを射抜くような強い視線に、思わず私は動きを止めた。
(なんだ……?)
今まで、このような視線を向けられたことはなかった。
「マリカ……?」
困惑したまま彼女の名を呼んだその時、ガンガンッと扉を強く叩く音がした。
「兄上!開けて下さい!」
「シリル!?」
慌ててマリカから身体を離すと同時に、部屋の扉が大きく開かれシリルが中へと入って来る。
「兄上!護衛を外に出して一体何をやっているのです?」
「いや、それは……」
突然の出来事にしどろもどろになってしまう。
「では、私は訓練がありますので、これで失礼しますね?」
そんな私をよそに、マリカはソファから立ち上がると、まるで何事もなかったかのように平坦な声でそう言った。
「マリカ様、申し訳ありませんでした。訓練場までは私の護衛が付き添いますので」
「ありがとうございます」
そのまま、マリカは私に視線を向けることなく、シリルの護衛と共に部屋から出て行ってしまう。
「兄上!なぜこのようなことを!」
「……別に何もしていない。ただ、マリカと話をしていただけだ」
「護衛を外に出してですか?」
「………」
私はシリルから視線を逸らす。
「そ、それより、どうしてこの部屋に来たんだ?」
「マリカ様に頼まれたからです」
「何だと?」
シリルの話によると、マリカに従騎士候補となったことを理由と共に告げた時に、「でしたら、まずはこの王宮の中での私の身の安全を守っていただけますか?」と言われたそうだ。
護衛であるバーナビーやグレンでは身分の高さで敵わない者から、自分の身を守ってほしいと……。
暗に王族から守ってほしいと言われ、まさかと思いつつもシリルは目を光らせていたらしい。
「これからは私が王宮内でのマリカ様の護衛に付きますので。兄上は頭を冷やして下さい」
そう言って、シリルは部屋から出て行った。
一人残された私は、羞恥と怒りに駆られて、強く壁に拳を叩き付けることしかできなかった。
壁ドン。
明日は少し遅い時間の投稿になりそうです。すみません。