あなたから離れたくない
読んでいただき、ありがとうございます。
本日は2話投稿予定です。次は17時頃を予定しております。
よろしくお願いいたします。
「グレンさーん、そろそろ部屋に戻ったほうがいいんじゃないですか?」
「へぇ?」
「気分は悪くないです?」
「気分……」
僕はぼんやりとした頭で周りを見渡し……ここがマリカの部屋で、そのソファに寝そべっていることに気が付いた。
「あっ!僕……すみません!」
どうやらワインを飲んで、そのままソファで眠ってしまったらしい。
「大丈夫ですよ。ゆっくり起き上がって下さいね」
「は、はい」
こんな遅くまで部屋に居座ってしまったのに、マリカは怒ることもなく、むしろ機嫌が良さげだった。これがお酒の力だろうか。
僕は何度もマリカに謝罪を繰り返したあと、覚束ない足取りで自室へと戻る。そして……
(……どうしよう)
いつものルーティンで広げたノートを前に僕は後悔していた。
(……全く思い出せない)
せっかくマリカの部屋でワインを飲んだのに、彼女とどんな会話をしたのかをほとんど覚えていなかったのだ。
もちろん、持ち歩いているメモ帳にも何も書かれていない。
なんとなく覚えているのは、『もらうなら消えものがいい』と言っていたことくらいだろうか。
僕は暗鬱たる気持ちになり、そのままベッドに沈み込んだ。
◇◇◇◇◇◇
それからも日々は続いていく。
その日は王宮での浄化魔法の訓練の日だった。
マリカは魔力量だけではなく、浄化魔法のセンスにも長けているらしく、浄化の旅の出発日を早めてもいいのではないかという案が出ているらしい。
その話をギディオンから聞かされたマリカの表情が少し強張っていたのが気になった。
この国に慣れたとはいえ、魔獣がはびこる地への旅はさすがに恐ろしいのだろう。
そして、僕もその話を聞いて不安な気持ちが湧き上がるようになっていった。
「聖女様!」
訓練を終えて着替えを済ませたマリカと共に廊下を歩いていた時だった。
ゆったりとした服を着ていても腹の出具合が目立つ壮年の男がマリカに声をかけてきたのだ。
「お久しぶりでございます。聖女マリカ様」
「お久しぶりですね」
マリカは訓練の疲れを見せることなく、愛想良く笑顔を見せた。
「マリカ様の優秀ぶりがこの耳にも入って参りまして。なんでも、浄化の旅への出発が早められたとか」
「……そうみたいですね」
「実は私には第一騎士団に所属しておる息子がおりまして……」
この男の話を総合すると、『自分の息子は騎士として優秀だから、浄化の旅へ従騎士として連れて行ってくれ』ということだった。
マリカは笑顔のまま、答えを明言することなく曖昧な返事をしていた。
「はぁ……」
男が去ったあと、マリカの口からため息がもれた。
「お疲れですか?」
「あ……いえ、違うんです。実は……」
マリカはキョロキョロと周りを見渡し、誰もいないことを確認してから小声で話し始めた。
「さっきの男の人の名前が思い出せなくって。ちょっとヒヤヒヤしながら会話してたんですよ」
「そうだったんですね」
「この国の人たちの名前がなかなか覚えづらくて……。あ、グレンさんの名前はちゃんと覚えてますよ。グレン・シュルーダーですよね?」
「はい!ありがとうございます!」
僕は、僕の名前が彼女の脳に刻み込まれている事実に歓喜した。そんな僕を見て、マリカは笑っている。
「そうそう、先程の男性は……ベン・ハサノフ子爵ですね」
「あ!そうです、そうです。そんな名前でした!グレンさんは神官なのに貴族の人たちの名前にも詳しいんですか?」
「いえ、僕もそんなには詳しくはありませんが……。これまでマリカ様と共に過ごした王宮で、マリカ様が会話をした人物の顔と名前は全て把握しております」
「え?」
「ハサノフ子爵とは、たしか三週間程前にも会話をされていましたので……」
僕は胸元から持ち歩いているメモ帳のうちの一冊を取り出すと、ページを捲り、マリカに見えるように広げた。
そこにはハサノフ子爵の名前と顔のイラスト、外見の特徴、マリカとの会話の内容が書かれている。
「絵うま……いや、絵がお上手ですね。すごいわかりやすいですよ、これ!」
「あ、ありがとうございます」
「他のページも見てもいいですか?」
「はい!」
マリカは興奮した様子でメモ帳のページを捲っていく。
そこで、僕はハッと気付く。マリカに褒められた嬉しさでメモ帳を渡してしまったが、そこには今までマリカが会話をした人物がイラスト付きでメモ書きされているのだ。
つまり、僕がマリカを観察していたことがバレてしまう。
褒められた時とは一転して、背筋に冷たいものが走る。もし、嫌がられてしまったらどうしよう……。
「あ、あの……」
謝ったほうがいいのかもしれない。
しかし、僕の不安とは裏腹に、マリカは何かを考えるような表情でメモ帳を捲り続けていた。
「グレンさん!これお借りしてもいいですか?」
「え?」
「名前が覚えられなくてずっと困ってたんですよ。でも、これなら私でも覚えられそうです」
マリカは怒りも嫌がりもしていないようだった。
「で、では、清書してお渡ししますので……」
「いいんですか?ありがとうございます!あと、これからもこのメモ書きを続けてもらってもいいですか?」
マリカはそう言って、満面の笑みを浮かべたのだった。
◇◇◇◇◇◇
その日の夜、僕はマリカを部屋に送り届けたあと、いつものように一人訓練場で稽古をしていた。
考えるのはマリカのこと。
浄化の旅への出発が予想よりも早くなる。つまり、マリカと離れなければならない日が近付いている。
ハサノフ子爵の言葉が頭に浮かんだ。
そう、聖女の従騎士となれば、このまま彼女と離れずに旅に付いて行ける。しかし、僕は聖騎士であり神官でもあり、本来は神の御許である神殿から離れることが許されていないのだ。けれど……
(マリカ様と離れたくない)
彼女が僕の目の届かないところへ行ってしまうことが耐えられなかった。
そう思うと居ても立ってもいられず、早めに稽古を終えて自室で着替え、すぐにアンガスの部屋へと向かう。アンガスの部屋の扉が見えたその時、ガチャリと音がした。
(え……?)
こんな時間なのにアンガスの部屋の扉が開いて……中からマリカが出て来たのだ。
その瞬間、僕の足は地面に張り付いたかのように動けなくなってしまう。
マリカのあとからアンガスも出て来ると、二人はそのままマリカの部屋の方向へと並んで歩いて行く。
僕はその場に立ち竦んだまま、アンガスの部屋の扉を見つめていた。しばらくそのままでいると、アンガスが一人で戻って来る。
「アンガスさん!」
僕はアンガスの前に飛び出す。
「うわっ!なんだよお前か。びっくりさせんな!」
「びっくりしたのはこっちです!どうしてマリカ様と一緒に居たのですか?」
「えぇ?見てたのかよ……怖っ」
「いいから僕の質問に答えて下さい」
「あー、もう、うるせぇ。とりあえず中に入れ」
僕はアンガスと共に部屋の中へと入る。
「で、どういうことですか?」
「おい、そう睨むなよ……。マリカ様のほうから頼み事があるって訪ねて来られたんだよ。で、話を聞いて部屋まで送り届けただけ」
「どうしてマリカ様がアンガスさんなんかに……」
「なんかにって……失礼だな」
僕はアンガスの抗議の声を聞き流す。
「マリカ様からの頼み事って何ですか?」
「あー、浄化の旅が早まりそうだから、他国の詳しい資料がほしいって言われたんだよ」
「そんなの……僕に言ってくれれば、僕からアンガスさんに頼んだのに……」
「急いでるみたいだったから、俺に直接言ったほうが早いと思ったんだろ」
「………」
「だから、俺を睨むなよ。で、お前はそれを聞きに来ただけか?」
「……いえ。アンガスさんに相談したいことがありまして」
僕は気持ちを切り替えて、本題に入った。
「あの、僕を従騎士として推薦してもらえませんか?」
「従騎士……」
アンガスが低く呟いた。
聖女の従騎士には誰もが選ばれるわけではない。まず、役職付きの人間からの推薦が必要になるのだ。
そして、推薦された人間の中から三名が選ばれる。
「ダメでしょうか?」
「……本気か?」
「はい。マリカ様をお守りしたいんです」
「まあ、推薦することはできるが……」
「本当ですか?」
「ただ、あまり期待はするなよ?」
なぜだかアンガスの口調が鈍い。
「どういう意味ですか?」
「推薦はしてやるが、選ばれるのはなかなか難しいって意味だ」
「僕はソードマスターですよ?」
「こういうのは、騎士の強さよりも優先されるものがあるんだよ」
アンガスは少し投げやりな口調でそう言った。
「それより、お前の変わりっぷりに俺はびっくりだよ」
「そうですか?」
自分では特に変わったとは思わないが……。
「今までだったら、こんなふうに俺に相談になんて来なかっただろ?俺が何回言ったって、お前はいつも礼拝堂で祈っては勝手に自分の中で解決してばっかりだった」
「あ……」
たしかに、今までは困ったり悩んだりした時には、何時であろうと礼拝堂に駆け込んでいた。
(僕はいつからマリュエスカ様に心の内を晒さなくなったんだっけ?)
それすら思い出せないくらいに、今の僕はマリカのことでいっぱいだった。
「やっぱり恋は人を変えるってやつかぁ……。甘酸っぱいな」
「え?恋……ですか?」
「ん?どう考えても恋だろうよ」
アンガスは何を言ってるんだろう?
「僕のマリカ様への気持ちは恋なんかじゃありませんよ」
11〜13話のタイトルが執着系ヤンデレ思考の三段活用みたいになってるなぁ。ホップステップジャンプみたいな……。