あなたの全てが知りたい
「アンガスさん!起きて下さい!」
深夜一時を過ぎた頃、僕はアンガスの部屋の扉を叩いていた。せっかく訪ねたのにちっとも出て来ないので、少し激しめに叩いている。
「なんだよ?こんな時間にどうした?」
しばらく扉を叩き続けていると、ようやくアンガスが顔を出す。寝ていたのか、裾の長い寝衣に身を包んだアンガスの髪型は乱れ、声はひどく掠れている。
「ちょっとお願いがあるんです」
「明日にしろよ」
「今お願いしたいんです」
「俺は寝てたんだって」
「部屋に入ってもいいですか?」
「……ほんと話聞かないな、お前」
諦めた様子のアンガスに招かれて、部屋の中へと入る。
「で、なんだ?」
機嫌がものすごく悪そうだが、話は聞いてくれるらしい。
「明日、王都へ行ってケーキとワインを買って来てほしいんです」
「は?……なんで?」
「マリカ様がお好きなものだと今日聞いたので」
「いや、そんなの自分で買いに行けよ。マリカ様が王宮に行ってる間に買って来ればいいだろ?そのくらいの許可なら出してやるから」
神官がこの神殿の外に出るには神官長の許可が必要だった。そして、外出時には神官服を着用することと、逃走防止用の魔導具の装着が義務付けられている。
「僕は、明日も明後日もその先もずっとマリカ様の側に付いているから無理なんです。だから、アンガスさんにお願いしようと思って」
「神官長をパシらせんなよ……。暇じゃねーんだぞ」
「え?アンガスさんって暇じゃないんですか?」
「………」
まさか……アンガスは忙しいのだろうか?
今までどこからともなく僕の前に現れては、説教やら休憩やらと世話を焼かれていた。だから、けっこう暇なんだなと思っていたのだが……。
「お前……。はぁ、もういい。相談に来ただけ進歩だ。でも、もうちょっと早い時間に来いよ」
「すみません。マリカ様が部屋に戻られたのを確認してから訓練をしていたので」
「これ以上強くなる必要はないだろ」
「でも、今までは対魔獣を想定していましたから。これからは、マリカ様の護衛として対人体を想定した訓練に切り替えないと」
「人体………」
なぜかアンガスの顔が引きつっている。
「ほ、ほどほどにな……。で、なんでケーキとワインを買おうと思ったのか、そっちの理由を詳しく聞かせろ」
「はい……」
僕は、バーナビーやギディオンがマリカの好物を用意しており、それをマリカがとても喜んでいたこと。自分もマリカを喜ばせたいと思ったことを話した。
「気持ちはわからなくもないが、そんな二番煎じみたいな真似はやめとけ」
「二番煎じ……ですか?」
「今さら他の奴と同じものを渡しても、マリカ様が同じように喜ぶわけないだろ?」
「そうなんですか?」
「せめて全く同じケーキじゃなくて種類を変えるとか、ワインじゃなくて別の酒にするとか……。マリカ様は他に好きなものはないのか?」
「……わかりません」
そう、わからないのだ。
バーナビーやギディオンはどうやってマリカの好物を知ったのだろう?
「明日、マリカ様に他に好きなものはないか聞いてみます」
「あー、そういうのはあんまり直接的に聞くもんじゃないな」
「え?」
「好きなものを質問されて答えたら、それをすぐにそのままプレゼントされる……。そんなの、相手は絶対に気を遣うだろ?」
「そういうものですか?」
「そういうものだ。だから、会話の中で探ったり、相手の行動を観察したりするんだよ」
「………」
(探って、観察する……)
「わかりました……。やってみます」
「だからって露骨にやり過ぎるなよ。マリカ様に気付かれないように探るんだぞ。いいな?」
「はい!」
「よし、じゃあ解散!さっさと部屋に帰って寝ろ!」
僕はそのままアンガスの部屋から追い出されてしまった。
◇◇◇◇◇◇
翌朝、朝食を共にするため、食堂でマリカと向かい合わせで席に着く。さっそくアンガスのアドバイス通りにマリカを観察してみることにした。
この世界にない艶やかな黒髪と涼しげな黒い瞳、鼻も口も小ぶりでとても愛らしい顔立ちだ。
しかし、僕はマリカが何かを探るように少し目を細める仕草や、激情に駆られた時の生命力に溢れた表情も魅力的だと思っている。
「どうかしましたか?」
「い、いえ、美味しそうだなぁと思いまして」
マリカの顔を観察しているとうっかり目が合ってしまい、慌てて誤魔化す。彼女に観察していることを気付かれてはいけない。
「カリカリのベーコンが好きなんですよ。朝のメニューにあると絶対に選んじゃいます」
そう言って、マリカはフォークをベーコンに刺す。
(マリカ様はカリカリのベーコンが好き……)
アンガスの言っていた、会話の中で好きなものを探るとはこういうことだったのか。マリカの好きなものを一つ知ることができて、僕の気分は高揚する。
「なんだか嬉しそうですね?いいことでもありましたか?」
「はい!僕もカリカリのベーコンを取ってきますね」
それからは、こっそりとマリカを観察する日々が続いた。そうすると、会話だけでなく彼女の仕草や表情でもいろいろなことがわかってくる。
(ちょっと表情が固い気がする……。この人と喋るのが苦手なのか?)
(あ……前もこの白身魚の香草焼きを選んでた。気に入ったのかもしれない)
(やっぱり甘いものを食べている時は嬉しそうだ)
ちなみに、ケーキもワインもアンガスは買いに行ってはくれなかったが、夜の食事にデザートが出てくるようになった。アンガスが何かしら動いてくれたようだ。
そして、僕はその日の役目を終えて自分の部屋に戻ると、持ち歩くようになったメモ帳と、本棚からえんじ色の表紙のノートを取り出す。
このノートは、僕が聖騎士団に入団してすぐの頃にアンガスが勉強をする時に使えと大量に差し入れてくれたものだった。
これまでは、図書室で読んだ魔獣や動物の急所に関することなどを書いてまとめるのに使っていたが、今はマリカのことばかりを書いてしまっている。
マリカの好きなものだけでなく、その日のマリカとの会話や出来事なども書いているうちに、まるで日記帳のようになってしまった。
真っ白なノートがマリカとの日々で埋まっていく……。それは、なんだか自身も満たされていくような不思議な感覚だった。
けれど、それと同時に、書いても書いてもまだまだマリカについて知らないことは多く、そのことに心が揺さぶられてしまうのも事実だった。
この相反する気持ちは何なのだろう?
━━もっともっと……彼女の全てを知ることができたらいいのに……。
そんなある日の馬車の中、王宮からの帰り道のことだった。
「明日は王宮には行かなくてもいいんですよね?」
「はい。明日は神殿で僕との『勉強会』です」
そう答えるとマリカはクスリと笑った。
以前、僕から教わることを『教育』と呼ばれるのがなんだか嫌だとマリカが言ったので、じゃあ『勉強会』と呼ぶのはどうかと提案したところ、彼女はケラケラと笑いながら受け入れてくれたのだ。
僕は彼女が喜んでくれるのならどんな呼び名でも構わない。
「じゃあ、今夜開催しませんか?」
「開催?何をです?」
「ワインを一緒にこっそり飲もうって約束したじゃないですか。楽しみにしていたんですよ」
「僕も楽しみにしていました!」
マリカが楽しみにしていたのなら、僕も楽しみにしていたに決まっている。
「ふふっ、じゃあ今夜こっそりと私の部屋で飲みましょう」
「はい!」
◇◇◇◇◇◇
初めて入るマリカの部屋は僕の自室よりも広々としていた。僕はマリカに促されてソファに腰をおろす。
その部屋の一角、ナイトテーブルの上にはぬいぐるみやガラス細工、花瓶に飾られた花などが飾られていた。
そのどれもが王宮に行く度にマリカがプレゼントされて
いた物だった。
僕の視線に気付いたマリカが口を開く。
「前にも言いましたけど、渡す人の真意はどうであれ物に罪はありませんから、こうやって飾るようにしているんです」
「そうでしたか……」
「それでも、あまりに増えると困るので、やはり消えもののほうが気が楽ですね」
消えものとは、食べ物や日用品など、食べたり使ったりするとなくなる物のことを言うそうだ。
「さあ、飲みましょう!おつまみは食堂からもらって来ましたから、好きなのを遠慮なく食べて下さいね」
彼女は慣れた手付きで、ソファに座る僕の前の大きなテーブルに食べ物を並べていく。
そしてグラスを二つ、僕とマリカの前に置くとそこにワインを注いだ。
「乾杯!」
「か、乾杯!」
明るい彼女の声につられて僕もそう応えた。
おそるおそるグラスに口をつけて、赤い液体を口に含んでみる。
「初めてのワインはどうですか?」
「なんというか……不思議な味です」
『酒は美味い』という言葉を聞くことはあったが、正直なところ、これのどこが美味しいのか僕にはよくわからなかった。
「初めてだとそういう感想になりますよね。これは慣れも必要ですから」
マリカが言うのならそう言うものかと、再びグラスに口をつけた。そして、勧められるまま、テーブルの上のおつまみにも手を伸ばす。
マリカは機嫌が良さそうにニコニコと笑いながら、とりとめのない会話を続けた。
「………」
「グレンさん、大丈夫ですか?」
「え?」
「顔が真っ赤ですよ?」
そうなのかと、右手で自分の頬に触れてみる。けれど、自身の手も顔も熱くてよくわからなかった。
なんだか頭もふわふわとして心地良い。
「そういえば、グレンさんに聞きたいことがあったんですよね」
そう言ったマリカの顔はちっとも赤くなっておらず、いつも通りに見えた。けれど、その瞳はすっと細められている。
(やっぱり……いいなぁ……)
僕はマリカのこの射抜くような視線が好きなのだと改めて思う。
「最近どうして私のことをじろじろ見てるんですか?それにメモみたいなのもよく取ってますよね?」
「それは……」
僕はふわふわとした頭のまま、マリカの質問に答えていた。