第七節 : ファミリア(血盟団)
第七節 : ファミリア(血盟団)
「エナン君、こっちにどうだい?」
肩を落として酒場の隅へと戻ろうとした“歩く屑石”のエナンは聞き間違える事はない暖かい声に呼び止められた。目を向けると酒場に戻ったばかりの銀翼が微笑みながら手招きをしてくれていた。考える間もなく体が勝手にそちらへと引き寄せられていった。
銀翼を筆頭として、実力も実績も錚々たる面々の銀翼の仲間達、“ファミリア”と称される血盟の一党が陣取るテーブルに席を与えられたエナンはちょこんと銀翼の隣の椅子に座った。
だがそれを妬む者も、場違いのエナンを嘲る者もそこにはいない。まるで彼らを統べる銀翼の心を映したかのように暖かい気遣いと持てる者の鷹揚さだけがその場を包んでいた。銀翼が仲間に選ぶ程の者達にはそれに相応しい品性もまた備わっていたのだった。
彼の事を皆が慕う理由は言葉になどせずとも理解できる。熱くなるのだ、心の奥と目頭が。心の中が寒ければなおさらにその熱は強烈に記憶に刻みつけられるものだった。それは赤竜亭が灯し続けるあの篝火の温もりにも似ているように思えた。
「銀翼さん、今日は本当にお世話になりました。」兎にも角にも山ほど礼を言わなければならなかった。少年冒険者の連れの顛末はまだ知らなかったが、それ抜きでも既に言葉では言い尽くせない程の世話を受けた事は理解していた。
「はは、気にしないでいいよ。これも赤竜亭を愛する者の努めさ。」にこやかに銀翼は朝まで続きそうなエナンの感謝の口上を切り上げさせると本題に入った。「あの少年の連れの子、もう大丈夫だよ。」
施療院に送り届ける前に銀翼は少女にヒールポーションを飲ませていた。治癒効果のある魔法薬だ、重症を治癒させる効果はなくとも容体をこれ以上悪化させる事は十分に防ぐ事が出来た。朝になれば治癒術師が血相を変えて駆けつけて来るはずだ。あとは完治するまでしっかり働いてもらえば良かった。
「君のおかげだよ」予想もしていなかった言葉をかけられた。一瞬唖然とした後、全力で否定した。いやいやいやいや、どう考えても銀翼さんのおかげでしょうと。
「そんな事はないさ。」銀翼は少し寂しそうに言った。「もし今日、君があの石を持ち込まなかったら彼女が救われる事はなかったさ。」
確かに、きっかけはエナンが特級魔晶石の鑑定を頼んだ事が発端ではあった。だがきっかけがあったとしても誰かがその少女を助けるとは限らない、というより大抵は助けない。銀翼がいたからこそ彼女は助かったのだ。明らかに見解に相違があった。
「僕はね、あの少年が何か悩みをかかえている事は十分わかっていた。もちろん連れの少女が今日は来ていない事もね。」銀翼は静かに語り続けた。「でも本来、冒険者たるもの自らの問題は自分で解決しなければならないものさ。たとえそれがどんなに無理難題で手に負えなくともね。」
「でも、赤竜亭として守るべき秘密が出来た。掟破りをさせる訳にはいかなかった。だから僕は最善を尽くし、その目的の為に結果として彼女は救われた。僕が成した事とはただそれだけの話なのさ。」
もし仮に、あの少年に直接悩みを打ち明けられ助力を乞われたら自分はどうしたか。間違い無く深入りはせず拒絶しただろうと銀翼は思った。理由は明解、自分には全ての不幸な者達を救う力などないからだ。
あの少年が治療費の金貨八枚をだれか貸して下さいと泣きながら物乞いをしていたならその位は渡してやったかもしれない。戻ってくるあてなど到底期待も出来ないが自分一人の損で終わるならそれも有りだ。しかし、生き続けるという事はそれで終わるはずもないという事でもあるのは言わずもがなであった。
人に頼らなければ生きていけないのであれば、それはこの世で生きていく事は出来ないと言っているのと同じだった。
この赤竜亭は不幸な子供の駆け込み寺でもなければ悩める者達の人生相談所でもない。例え哀れだと思っても自らの力で生きられる場所、生き方を自分で選ばせる以外に彼らを生き延びさせる道など無かった。
己が実力だけが頼りの冒険者ならばこそ、いかに非情であろうともその現実だけは分からせなければ駄目なのだ。
そう、それはエナン君にも分かってもらわないとね、と銀翼は心の中でにっこりと微笑んだのだった。
「ということで、今後は彼女の事もよろしくお願いするよ。」
「へ?」
「退院したら連れて来るから、面倒みてあげてね。」
なんじゃそりゃ~と頭の中が真っ白になった。た、確かにあの少年がホの字になるのも分からなくは無い可憐な美少女だったような気もしたが・・・ってそういう話じゃないでしょ、銀翼さん! と口に出しかけたものを何とか飲み込んだ。いくらなんでも銀翼様に対して無礼が過ぎると思ったからだ。
「あ、あの・・・その子ってあの少年の連れなんですよね?」分をわきまえない失礼な奴だと銀翼だけには思われたくない、と姿勢を正して恐る恐る確認してみる。すると「それがねぇ・・・」と銀翼は心底困ったような顔をした。
あ、これやばいやつだと直観で理解した。
銀翼の見立てではあの二人の関係はもう修復不可能な所まで来ていた。
そもそも少女は売られる相手が嫌だっただけで少年の事は何とも思っていなかった。半ば無理矢理連れ出されたが売られるのも嫌だったので任せて見たものの、全く生きていく目途もたたないお先真っ暗な状況にストレスしか感じていなかった。
おまけに自分までなりたくも無い冒険者をさせられそうになった上、遺跡ではビビって逃げた少年のせいで命にかかわる大怪我をさせられて・・・と散々な目にお遭いになっていた御様子ですでにすっかり愛想を尽かしていたのだった。
とどめが怪我した彼女を放って飯に出かけた少年の所業である。食事など宿でも頼めば用意出来たものを、高いからとか言って・・・それ以前に私何も食べさせてもらってないのに自分だけ? みたいな感じだったとの事でございました。
ああこりゃもう無理だなと。
「それで銀翼の奴、嫁になりますって勢いで迫られちまってさ!」銀翼の仲間、ファミリアの一員の重戦士が笑いながら話を引き継いだ。「このまま面倒まで見ると既成事実化されそうなんで引き取り手を募集しているって訳なのさ。」
「そういう言い方は彼女に失礼だろう。まあ、さすがに娶ってあげる訳にはいかなくてね、誤解を生まない為にも少し距離を置く必要があるんだよ・・・頼めないかな?」
大恩ある銀翼の頼みを断れる訳はない。それにある意味当事者としてこのくらいの面倒は引き受けてくれないかなと言われている感もあったが、それ以前に少女を預ける事に不安は無いと信頼されている様子が嬉しくもあった。
だが引き受けても良い、とは思うものの自分の置かれた状況をみれば他人の面倒など見る余裕はとても無かった。
「あ、あの・・・おれ棲家が、まともな家に住んでいなくて。」
そう言われた銀翼は分かっているとばかりに頷くと提案した。
「ああ、そういう事なら赤竜亭の周辺の建物の中にいくつか住める部屋が用意出来るよ。親父さんが家主だから安心だよ。」
おやっさん、不動産業までやってるんですかとあきれるエナンに銀翼は続けた。
「後見人って形だけ取ってくれれば一緒に住む必要はないんだけど、君はどうする? 今は廃棄街区の大井戸の中に住んでいたよね。」何故それを知っている。他人には教えた事のない個人情報を暴露されて面食らうエナンが不思議そうな顔をすると銀翼は笑いながら種明かしをしてくれた。「ああ、あそこ上を飛ぶと良くみえるからさ、何度か出入りしてる所を見掛けただけだよ。」だそうだ、グリフォンライダー恐るべしである。
「あそこは仕事場に近いんで、私はあそこのままでいいです。」
「なるほどね、そういう訳だったのか。承知したよ。」銀翼は嬉しそうに頷いた。まだ面倒を見るとは言っていないのだがもう完全にその流れから逃げられそうにはなかった。もうどうにでもなれと腹をくくるとエナンは手筈を詰める事にしたのだった。
「その子に好きな部屋を選んでもらえばいいですよね、家賃はお幾らくらいですか?」
「こちらも急な話で無理を言っているから、こういう時は家賃はタダでいいって事になってるよ。」おやっさんの剛腕モードが炸裂する。有事に備えては万全を期す、百戦百勝の知将の如き万事周到さも赤竜亭の隠された大切な一面であった。
「あと生活費もこちらで十分な額は用意させてもらうよ。僕の代わりに面倒を見てもらうのだしそのあたりは心配しないでいいよ。」そう言い終わった銀翼は意味ありげに目くばせすると一呼吸置いた。「もちろん君が必要だと思うなら、という話だけどね。」
最後は完全に銀翼の身代わりとしての防波堤に徹するか、それとも多少なりとも自分の甲斐性を見せるのかの二択だった。銀翼にこう問われて一つ目の選択をする奴などいるだろうか。少なくとも自分はそんな男とは思われたくなかった、そう銀翼だけには絶対に。
「不要です。こんな事になったのも元はと言えば私のせいなんですから、出来る限り自分でなんとかします。」エナンはそうきっぱりと言い切ったのだった。心無しか高揚感を覚えながら。
こうして懸案は解決した。晴天の霹靂だったが銀翼の為に何か役に立てたというだけでもエナンには誇らしい話だった。自分自身の有様に打ちひしがれていた先程までの自分からは何か生まれ変わったような気持ちだった。
だが、それでもまだ心の中では一抹の不安を拭い去れずいた。何故自分は独りになってしまったのかを思い起こす。それは自分の身近な人達が皆死んでしまったからだった。何故?とさらに深く思い起こそうとした途端、全身に悪寒が走った。忌まわしい過去を思い出す事を体が拒絶しているかの有様にそれ以上深く思い出すのを諦める。
深く考えずとも理由なら判っていた。そう、『お前のせいなんだ』と。かつて自分の未熟な考えのせいで取返しのつかない事態を招いた。もっと慎重に振る舞っていれば、もっと他の方法を考えていれば、もっと自分が強ければと後悔だけが尽きる事なく悪夢となって纏わりついている。
今の自分はその頃から何が変われたと言えるのだろうか、エナンは未だその悪夢に打ち勝つ事が出来ないでいた。
銀翼に背中を押された今なら自分はこの忌まわしい悪夢と決別できるだろうか、とエナンはすがるような想いで祈るばかりであった。