第六節 : 鷹と竜
第六節 : 鷹と竜
夜半を過ぎた頃、ようやく銀翼が赤竜亭に戻ってきた。
少年冒険者の連れの容体は思わしくなく、結局銀翼は“彼女”を背負って市街の門を開けてもらう事になったのだった。
そう、少年冒険者の連れとは彼の幼馴染の少女だった。
そんな事になった経緯など知った事ではないが、まあ若さの至りというか青臭い恋心というかそんな物だろう。年端のいかない少女の境遇は残酷だ。親に売られるなど珍しくもないから、思わず連れ出して逃げてきたとでもいったところだろうか。しかしその挙句命を危険に晒させるのだから甲斐性が無いと言われても仕方がない。
実際、大怪我をした彼女を寒い宿屋の部屋に放置して飯に行ってしまった少年にかなり彼女は腹を立てていた様子だった。結局銀翼はそのフォローまでさせられる羽目になったのである。
甘いマスクの銀翼に介抱されて夢見心地の彼女を背負って、銀翼は市街にある施療院まで歩いていった。彼一人なら半分の時間で行けたのだが少年も一緒だったので時間がかかってしまったのが遅くなった原因だった。
施療院の人間を叩き起こすと、銀翼はよくもこんな子供に金貨八枚も吹っ掛けたなと笑顔で大量の釘を突き刺してから万全を期すように厳命した。銀翼はこの街の執政官閣下の盟友の子息、国王の覚えもめでたい存在だ。まさか赤竜亭、それも銀翼が自ら出張ってくるとは考えもしていなかった施療院の院長は真っ青になって拝命したのだった。
銀翼はこの国の宮廷からは爵位を持つ騎士と同等以上の格を授かっている。その理由は二十五年前の赤竜亭とも深く関わっていた。
現在の銀翼の父、初代銀翼はかつて“天空の騎士”と呼ばれた救国の英雄だった。
『鷹と竜』という戯曲がある。
悪魔に憑りつかれた亡国の狂王を、若き英雄が鷹と竜の二人の騎士の助力を得て討ち滅ぼすという、二十五年前の政変を題材にした演劇である。この戯曲に登場する“鷹の騎士”とは天空の騎士の事だというのは、この演劇が流行った当時は子供でも知っていた。
初代銀翼は狂王が即位した直後、その治世に反発して出奔したれっきとした王国騎士であった。グリフォンライダーとして既に高名だったその若者は誉れ高き王国最高の騎士達の称号である“王国三大騎士”の称号と“天空の騎士”の二つ名を持っていた。
当然ながら狂王は激しく怒り反逆者として彼は追われる身となった。だが神出鬼没のグリフォンライダーである彼が捕まる訳もなく、その行方は誰にも判らぬまま数年が過ぎた。
ここからは戯曲に書かれた“都合の良い事実”のつなぎ合わせではあるが、結果として野に下り時を待ち続けた騎士は英雄が起つとその元に馳せ参じ、この国の民を守るため騎士として再び戦いに身を投じた末、ついには見事英雄と共に狂王を討ち果たしたのだった。
何時如何なる境遇にあろうとも、この国を、民を守るという騎士の本分を見失う事無く、万難を排して本懐を遂げた騎士の鑑として偶像化された天空の騎士は救国の英雄として、若き英雄王を支えた第一の功労者として広く喧伝される事となった。
そして国民が熱狂したその姿は、本意ではないとはいえ狂王に従い続けた末、最後は英雄の言葉に応え共に狂王と戦った多くの騎士達にとっても救いとなったのだった。
こうして天空の騎士は英雄となった。例え狂王とはいえ主君を裏切り刃を向けた身だとして騎士へと戻る事を固辞した彼に対して、若き英雄王は“天空の騎士”の名をこの王国の誉れ高き最高の騎士の称号として定め、生涯においてこの国最高の騎士として遇する事を約束したのであった。
だがこれはあくまで表向きの物語。事実は常にその斜め左上を行くものである。
本当のところ、気ままな辺境での冒険者暮らしにすっかり馴染んでしまった初代銀翼は、平民の嫁さんと仲睦まじく暮らしていた最中だったので宮仕えなんぞには絶対戻りたく無いと譲らなかった、というのが真実なのだが。
それでも彼の英雄譚はまだ続くのだったが、それはさらに十年の後の話である。
ちなににこの戯曲、竜の国との戦争が始まって以降は語呂が悪いとめっきり上演される事も少なくなってしまった。竜じゃなければいいんじゃないかと『鷹と獅子』なんて名前にしてみたら、観客から獅子だと鷹より偉そうだとかナントカと、いちゃもんをつけられてお蔵入りしてしまったとか。
本筋とは全く関係のない所で難癖をつけられるのもこの業界では珍しくないのである。
鉱石堀師のエナンは、自分を取り囲む数人の男の気配を感じてハッと目を覚ました。周囲を見るとすっかり出来上がった冒険者達が三人、エナンのテーブルを取り囲むように立っていた。
何が起こっている、と身構える間もなく堀師が目を覚ましたの見るや男達は大声で叫び出した。
「お、ようやくお目覚めだぜぇ!」
「よーし、そんじゃ始めるか!」男達に敵意は感じなかった。だが悪意ではないが悪戯っ気というかエナンの事をイジる気なのは満々なのが感じられる。彼らの呼び声に応じて酒場の他の連中も盛り上がりを見せていた。
「あ~、あ~、鉱石堀師のエナン。エナン=タラオス君。」男の一人が勿体を付けた言い回しで語りだした。明らかにふざけているのが分かる喋り方だった。
「この度の君の輝かしい実績に対してぇ~、あ~我々赤竜亭の冒険者一同はぁ~、君に対して栄えある二つ名を進呈する事を~、満場一致で決定した事をここに宣言するものであ~る!」
誰だそんな余計な事をしやがったのはと思わず言いたくなる台詞が続いていた。なんでこうなった、その原因はあいつしか考えられんと思わず魔術師シガノーの方を見るとそこには無口な相棒に首根っこを捉まれテーブルの上に顔面を押し付けられた状態で土下座しているシガノーの姿があった。ああ、やっぱりこいつかと納得したエナンに非情な宣告が下る。
「今日から君は、“歩く屑石”のエナン=タラオスだ!! おめでとう!!!」
思わず脱力してしてしまうような二つ名に引きつった笑いが吹き出した。頼むからもう少しましなのにして欲しかったと後でシガノーに文句を言ってやると心に誓う。そんなエナンにもう一人の男が近付くとずっしりと重そうな小袋を手渡した。
「この酒場諸君からの寸志だ。遠慮なく受け取ってくれたまえ!」中に入っているのは懐に溜まっていた邪魔な銅貨の山なのは分かっていたが、エナンは一応の礼を言わざる得なかった。
「有難うございます・・・精進します。」精一杯そう答えると酒場の一同は拍手喝采し、ようやくエナンはこの酷いセレモニーから解放されたのだった。
食べかけのシチューはもうすっかり冷めてしまっていた。
エナンは丸パンの中の柔らかい部分をちぎるとシチューの汁をそれで吸い取って口の中に放り込んだ。そして残ったシチューの具材を丸パンの皮の中に詰め込むとそれを油布でくるんで収納箱にこっそりと押し込んだ。小腹が空いたら後で食べる事にしたのだ。
そして空になった皿を持っておやっさんのいるカウンターへと向かった。
「ごちそうさまでした。」そう言って皿をおやっさんに手渡すと「災難だったな」と返事が返ってきた。思わず笑ってしまいながら答えた。
「ひどい名前をつけられました。」
「お前が魔力付与師じゃないかって話が出てな、あれでも気遣ってんだよ許してやれ。」
「そうだったんですか・・・分かりました。」
否定も肯定もせずその場を離れた。さり気なく状況を教えてくれるおやっさんの気遣いにはいつも感謝しかない。一流の酒場には一流のマスター、こうやっておやっさんは自分なりにこの酒場での行き違いや争いが起きないように目を配っているのだ。
おやっさんの話で状況は理解した。
別にただの噂だ、放置しておいても大した問題にはならないだろう。人数は少ないとはいえ名の通った魔力付与師は存在する。無名の存在に自分の命を預ける事になる武具を作ってくれなどとわざわざ頼みにくる奴がいるとも思えなかった。それにそれでも頼みに来る物好きがいるなら腕試しで造ってしまっても良いのだ。自分が半人前以下だという事を理解してくれた上で、工房やら何やらを一式揃えてくれるなら、の話だが。
エナンが鍛冶の真似事をしたのはまだ子供の頃の話だった。それから既に十年以上、戦乱に巻き込まれ流浪の旅が続く中で修行など出来る訳もなかった。鍛冶師として、魔力付与師としての人生が送れていたならどれだけ幸せだった事か、そんな思いがこみあげてくる。
工房はおろかまともな棲家すらない根無し草、それが今自分の置かれた境遇だった。
ふと我に返ってどこからか冷めた目で他人事のように我が身を眺めてみる。身寄りもなく、仲間もなく、家もなければ故郷もない。殺される事を恐れて財すら蓄える事もままならぬ身で、生きる目的すら持てぬまま、ただただもっと強くなりたいと願い続けている男がそこにいた。
そんな自分は今この酒場に居る誰よりも貧しかった。己が身の現実を思い知らされたエナンは自分に残されたたった一つの居場所、赤竜亭の椅子に向かってとぼとぼと戻っていったのだった。