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第五十三節 : 絶望の訪れ

 第五十三節 : 絶望の訪れ


「どりゃあぁあ~っ!!」

 ミュリッタの雄叫びと共に空中で炸裂した巨大な光球の光を浴びて死霊達が塵となって消えていくを見て、伯爵は援軍が到着した事を悟った。


 その光もまた賢者の塔の叡智と呼べるものの一つであった。

 死霊の類が光に弱い、というのは一般常識レベルの話だが実際のところは松明や明かりの魔法では全く効果が無いという事は戦った事のある者なら誰でも知っている。

 正しく言うならば死霊達が苦手とするのは日光であり、それが松明や明かりの魔法の光と何が違うのかという事を大昔から魔導師達は研究し続けてきた。その結果、光は波動を持っていて、その波動の種類によって効果が違うという事を彼らは発見する。

 そして死霊が最も苦手とする光の波動は何かという研究が始まり、膨大な量の実験と改良の末辿り着いたのがミュリッタの使った対死霊光魔術であった。


 そのまま上空で輝き続ける青白い光球は、押し寄せていた死霊の大群を火で雪を焙るように溶かしてしまった。伯爵はその機を逃さず部隊を集結させると次の闘いに備えて兵士達に休息を命じる。

 すると空から伯爵の目の前にミュリッタが降って来た。

「ごめんなさい、まさかこちらに矛先が向くとは思っていなかったわ。」

「済まないね、ミュリッタ君。助かったよ。」

 ミュリッタが賢者の塔の大魔導である事は既に王子達には周知の事実である。

 だが礼儀作法など戦場では煩わしいだけなので一切を排したやり取りを暗黙の了解として会話を進める。

「どうにも何を考えているのか分からない奴ね。癪だけど今の所先手を取られっぱなしだからそろそろ表に引きずり出してやりたい所なんだけど。」

「その前にまず確認させてくれないかな。これは邪神に関わる災厄という事で間違い無いのかい?」

「多分、としか言えないわね。私達もまだガルドーの姿を直接確認したわけじゃないし。」

 腹立たしげにミュリッタはそう言うと黙り込んでしまった。


 全く何を考えているのか今のミュリッタにはガルドーの腹の内が読めなかった。

 そもそも、事の始まりは『因果を操ってまでガルドーがラブダを殺そうとした事』だったとしたらその目的はなんだったのか、その理由が皆目見当が付かないのだ。

 自分が何か重大な事についての情報をまったく持ち合わせていない事は明白だった。

 それが何よりもどかしく、そして不安であった。


 勢いに任せてここまで来てみたものの、次の一手をどうするべきかが見えて来ない。死霊の群れを殲滅してもガルドーが次の手を出す気配はない。ならばミュリッタから攻めるべきなのだろうが肝心のガルドーの姿すら確認できないのでは手の出しようがない。

 何かを見落としている、それはもう理解していた。だがそれが何なのかがいまだに糸口すらつかめていない現状が腹立たしかったのである。


 間を置かず、おやっさんを後ろに乗せた銀翼が舞い降りてきた。ミュリッタが死霊を片付けてしまったので周囲の索敵を済ましてから報告に降りて来たのだ。

「伯爵、大変ご迷惑をおかけ致しました。申し訳ありません。」

 銀翼はまず今回の私闘が大事になってしまった事を伯爵に謝罪した。だがこれは形式的なものだ。

 相手が邪神に関わる邪教徒となればそれは人の敵、それを暴いた赤竜亭に非はない。それに今もなお赤竜亭は死霊達に囲まれ戦いの最前線となっているのだ。

 前線に立って戦う立場の伯爵なら、彼らが最も損な役割を押し付けられた事は理解している。


 だが自分では闘おうとはしない、ある意味無責任な一般人からしてみれば『赤竜亭が余計な事をしなければ』と思わずにはいられないのもまた事実だ。そこにある地雷がいつか自分の足を吹き飛ばしたかもしれないというのに、お前が踏まなければ爆発しなかったのにと文句を言っているようなものではあるのだが。そんな人々に対して赤竜亭は頭を下げるしかない状況なのである。


「謝罪など不要に願いましょう。邪な意思を持つ敵が現れた今、国を守るは我が使命。心から若き天空の騎士達の来援に感謝しています。」

 伯爵はそう言って深く頭を下げた。赤竜亭の方から近付いてくる軍勢の気配から、彼らが総出で援軍に赴いてくれたことは分っている。数にして六百名もの手練れが増援として来てくれるのは守る側としては本当に心強い事でもあった。伯爵の言葉には強く感謝の気持ちが込められていた。

 困難な闘いの最中、駆けつけてくれる味方がいるという事がどれほど兵士達の心を奮い立たせるか、それは経験した者にしか分からないだろう。救いもなく孤軍奮闘し続けて亡くなった父の無念を忘れる事など出来ない伯爵とアルミス伯爵軍にしてみれば窮地に馳せ参じてくれる友軍の存在ほど心の琴線にふれるものはなかったのである。


「来て早々に申し訳ないのだけど、貴殿にしか出来ない頼まれ事をしてくれないだろうか。」

 伯爵は銀翼が来てくれた事を幸いと目下の問題解決を優先する事にする。

「即刻、殿下を執政官閣下の元にお連れして欲しい。このままでは市内の全軍が殿下をお守りするために外に討って出なければいけない羽目になりかねない。直ちにお戻りなられ、そのまま街の守りを固めるように執政官閣下に御伝えいただきたい。」

 銀翼はその依頼にわかりましたとうなずくとスイダス王子の元へ駆け寄る。

 王子にも伯爵の言葉は聞こえていた。わざわざ理由まで丁寧に説明したのも王子に理解してもらう為なのだという事位はすぐに理解していた。敬愛する伯爵にこれ以上迷惑はかけられないという思いもあり、王子は伯爵の指示に従って速やかに撤収しようとした。

 だが銀翼に連れられグリフォンの所へ向かう王子の少し先にミュリッタの姿があった。

 その姿を見た王子は衝動的に向きを換えミュリッタの前に駆け寄っていた。


 僅かな時間の間に顔つきが随分変わったな。

 鋭い眼差しでミュリッタの方へ向かってくる王子の姿にそんな印象を受けた。

『あ~、これはお腹が痛くなる呪い掛けたのバレてたわね・・・』

 伯爵軍の陣中炊き出しを見て早速一杯いただこうとしていたミュリッタは、スープとパンを同時に口の中に放り込みながらさてどうしたものかと思案した。

『よし、呪いをかけてないとか嘘は言うわけにはいかないから、文句を言われる前にさっさと家に帰れと一喝してやろう』そう決めたミュリッタの前に王子がやって来る。


 だがミュリッタが口を開くより前に王子の口から出て来た言葉はミュリッタには想定外のものだった。

 王子はミュリッタの前に深々と頭を下げると周囲の者がびっくりするような大声でミュリッタに感謝の意を伝えたのである。

「大魔導様! アルミス伯爵への御助力、心より感謝申し上げます!!」

 王子にしてみれば尊敬する師であり敬愛する姉にも等しい存在でもある伯爵を守ってくれる存在、何よりあの伯爵と同等の力を持った心強い味方が救援に来てくれたという事実に心を打たれただけだったのであるが、その感情はミュリッタにとっては面食らう以外の何物でもなかった。

 結局、想定外の感謝の言葉に何も言えなかったミュリッタの目の前で王子は踵を返すと銀翼に連れられグリフォンの背に乗って飛び立ったのであった。


 しばしの空白の後、我に返ったミュリッタは一人で何かをぶつぶつと呟いていた。

「なに? もしかして呪い掛けられた事にも気が付いてないの?それでも王族?バカじゃないの!?」

 いたずらを仕掛けた相手に何も疑われず感謝までされてしまい、居心地が悪いのなんのでぶつぶつ言っていると気が付けば後ろに伯爵が立っていた。

「ほうほう、呪いとはまた物騒な話だねぇ? ミュリッタ君。」

「うぐぅ・・・伯爵、あなた絶対気付いていたでしょ!?」

「あはは。まあ、大人しくしてくれてるから丁度いいかなって、そういう事にしておいたよ?」

 ああ、笑顔が怖い。この人絶対ティモの同類よね。



 そんなミュリッタ達が地上で奮戦していた頃、エナンは一人ぽつんと赤竜亭の地下で立ち尽くしていた。

 もしかしたら明日には赤竜亭は無くなっているかもしれない。そんな事を考えたら居ても立ってもいられなくなって一人アルテの館から舞い戻ってきたエナンは静寂の中で祈っていた。

 どうか赤竜亭の皆が無事でありますように。どうか赤竜亭が壊されませんように。どうかラブダが幸せになれますように。

 何か神を信じている訳でもないのに祈りは尽きる事がなかった。ただの欲望とそれの何が違うのかもよく分からないような願いをとりとめもなく祈り続けた。


 どうしてこうなった、とは今更言える訳もない。

 思えばあの石を拾った事から始まり今に至るまで、エナンの身の上は目まぐるしく変化しそれと同調するかのように世界の様相が変わっていった。いくらエナンが鈍感でもさすがに自分が無関係だと思えるほど間抜けにはなれなかった。

 いったい自分が何をしたのか、と見えざる神の手とやらに文句の一つも言いたいところだが、自分もまた何かと決着をつけなければいけない時が迫っている事を肌で感じるのだった。

 はぁ・・・と大きくため息をつくとエナンはまだ地面に置いたままだったランタンを拾い上げ館へと戻っていった。


 転移魔法陣をくぐり館の地下庭園に戻るとアルテをはじめとした面々がエナンの帰りを待っていた。

 竜のヴィクトリアさんもすっかりくつろいだ様子で庭園の真ん中で丸まっている。おやっさんが居なくても大人しくしていてくれそうで一安心である。

「・・・ただいまです。」

 ちょっと照れ臭くて躊躇したが、そうここはエナンの家なのだ。天涯孤独と思っていたのにすっかり大家族になってしまった状況には戸惑いが残るが、それでも温かい幸せがじわりと押し寄せてきた。


 エナンが帰って来たのを見てラブダが手を繋いでいたロドピスに向かってなにかを促した。

 するとロドピスがエナンに向かってゆっくりと足を踏み出した。

 一瞬、盛大に殴り飛ばされた先程の記憶がフラッシュバックする。今度はなにをされるのかと冷や汗がでたが平静を装って彼女の挙動を見守る。するとロドピスはエナンに手が届かない位の距離で足を留め、深々と頭を下げた。

「エナンさん、先程は大変申し訳ありませんでした。」

 彼女が先程の見事な右フックの事を謝罪している事は理解した。隣にいるラブダもこちらを懇願するような目で見ている。ロドピス師匠が心なしかしぼんだように見えるのも、多分こってりラブダに絞られたからなのだろう。

「あはは・・・そんな気にしないで下さい。大丈夫ですから。」

 別に最初から怒りはなかった。そんな事よりラブダがまるで母親のようなロドピスにくっついている事のほうが嬉しくて彼女を責める気になど全くなれなかったのだ。

 ロドピスはその言葉を聞いてさらに頭を下げた。

「誤解をしておりました。私はてっきりお前がラブダをかどわかして手籠めにしたのだと・・・」

「・・・いや、そこまで誤解すんの酷くありません?」


 ロドピス師匠のラブダへの愛情は半端ではなかった。

 本来なら近付く男共など鉄拳で薙ぎ払われたであろうが、殺されたラブダを蘇らせてもらったという話を聞かされてはエナンに感謝するしかなかった。しかし、蘇生の御業を人の身で為したとしてもその命は僅かであるはず。ロドピスはその事を知っていた。

 しかしラブダは生命力にあふれていた。お腹の傷跡を除けば以前と何も変わりなく、むしろその気力も生命力もより強くなったようにすら見える。自らが不死者となったが故にロドピスはそういう事が感覚として分かるのだ。

 そしてラブダを蘇らせたエナンという男、自らの命を削ってラブダを蘇らせたのにまるで揺るぎもしない存在感を放っている。ラブダの話を聞いてロドピスはこの男が普通ではない事を確信していたのだが、改めてみるとどうにも頼りない男にしか見えないではないか。

 いったいラブダに何をするつもりだ。ロドピスはまだエナンの事を信用し切れてはいなかった。

 そんな事が出来たのは伝説の獣姫キウ様のみ・・・まさかそれに匹敵する存在とでもいうのでしょうか。


「とりあえずみなさん、お茶にでもしませんか?」

 改めて顔合わせが終わったところでアルテが女主人らしい気遣いを見せてくれた。

「あ、お茶と言えば水は大丈夫?」

 長年人がいなかったので前に淹れた時はエナンの手持ちを使ってお茶を淹れたのだった。エナンがその事を思い出してアルテに尋ねるとアルテは微笑みながらうなずいた。

「ええ、先程の洞窟に水が流れていたので当面必要そうな分は汲んできましたわ。」

 さすがはアルテさん。そつがないというか完璧な女性のオーラが後光のように輝いております。さっきのカバンも何かしらないけど凄く役にたったみたいです。ありがたや、ありがたや。



 そんな和やかな空気の中、みんなで館の方へと歩きはじめたその時だった。


 それは何かで殴られたような衝撃を感じる波動だった。身体に痛みはない、だが精神を鷲づかみにされ壁に叩きつけられたような感覚。世界が歪み激しく揺れて立っている事も出来ないほどの目眩に襲われる。

「きゃぁああっ!!!」

 ラブダの悲鳴が響き彼女が地面に倒れ伏すのが見えた。

 そして息をつく間もなく第二撃が来る。すると精神への衝撃とともに何かが砕け散る音のような感覚が降り注いだ。

「そんなっ!?」

 アルテが驚愕して立ちすくんだ。それはこの館を守る結界が砕け散った音、のようなものだった。

 有り得ない。結界はエナン様の膨大な魔力を得て限界まで強化されていたはず。それをいとも容易く破られるなど有り得なかった。少なくとも魔力による攻撃ならば・・・と考えた思考は最悪の結論に達していた。

 今自分達が相対しているのは邪神なのだ。もし『それ』が来ているのならば、人の力では抗う事の出来ない何かが来ているのならば、たとえエナン様の魔力をもってしても防ぐ事は能わない。

 つまりはそういう事なのだと。

『しっかりしなさい、私。エナン様の為に邪神を葬ってみせると大見得をきって見せたのは自分ではないですか!!』

 必死でアルテは自分の心を奮い立たせる。だが魔力ではどうする事も出来ない現実を前に心が絶望で覆われていくのを止める事は出来なかった。

 相対するは『絶望の象徴』だという事でしょうか。


 音が聞こえる。

 何かの足音、乾ききった微かな音が近付いてくる。

 エナンが辿ってきたテラスに通じる真っ暗な通路、そこから何かが近付いて来る。

「逃げてください・・・人ではありません。邪神です・・・」

 アルテが必死で声を絞り出して警告を発する。

 だが誰も動く事はできなかった・・・はずだった、その場で一人だけ動けた者がいた。

「大丈夫ですか! アルテさん!」

 膝をつくように崩れ落ちようとしたアルテの体を抱きかかえて支えたのはエナンだった。


 そんな光景を前にロドピスは暗闇を凝視していた。

 この気配、この悪寒。それはロドピスの記憶に刻まれた悪夢の残滓に酷似していた。

 くぐもった足音が次第に明瞭になっていく。そしてまだかなり離れた通路の出口にさして大きくもない人影のようなものが現れた。

 それは想像していたものとは違っていた。どう見ても生者とは思えない髑髏のような顔、干からびた手足、灼け焦げて穴だらけのローブ。だがその気配はまごうことなくロドピスがこの世界で最も恐れている男のものだった。

 どす黒いオーラを身に纏い、ゆっくりと進む化物の眼窩がロドピスの姿を捉えた。すると干からびた口に歪んだ笑みが浮かぶ。いくら変わり果てた姿となろうともその歪んだ笑い顔だけは決して見間違うものか。間違いない、こいつはあの男なのだ。

「・・・邪神司祭ガルドー、何故お前がここに!!」


 ロドピスの悲鳴にも似た絶叫が地下庭園の空間に響き、こだまとなって消えていった。


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