第五十節 : 大天使ノアルの残影
第五十節 : 大天使ノアルの残影
「嬢ちゃんか。何の用かな、今ちょっと取り込み中でな。」
そう言うおやっさんの腰のあたりを引っ張るとミュリッタは陽気な声でおやっさんを連れて行こうとした。
「ちょっとこれから面白いイベントがあるの。付き合いなさい。」
「この状況でか? このままじゃ瓦礫の山に飲み込まれるだけだぞ。」
そうは言いつつも、おやっさんは全てを理解した上で突拍子もない事を言って来るミュリッタに何かを期待せずにはいられなかった。そんなおやっさんを軽く笑い飛ばすとミュリッタは言い切った。
「あんなの放っておいて大丈夫よ。ろくに死霊も制御出来ていないみたいだし。」
ミュリッタは魔導や魔法に関わる事において偽りは語らない。
それは大魔導としての責務であり、世界最高峰の賢者たらんと志す者の矜持である。
それは例え忌むべき邪法についてであろうと変わりは無かった。
目にすることは多くは無い暗黒の魔術、だがその本質をミュリッタは既に見抜くとともに、ガルドーの魔法使いとしての力量すら看破しつつあった。
何故死霊術は邪神の神術ではなく暗黒魔術なのか。それはその全てが魔法という範疇に収まるからである。神の真理など必要としていないのだ。
死霊術とは死霊の魂を操る術に非ず。今ガルドーが行っているのは死霊を魔力によって制御する術式である事に気付かないミュリッタではなかった。
ガルドーは邪神の力と死霊術を併用する事で現在の状況を作り出していた。冥界の力によって無害な死霊まで怨霊化させて大量の悪霊を召喚し、己が死霊術によってそれを操っているのだ。だが、邪神の力を我が物のように使いこなすその代行者としての技量は警戒すべき存在ではあったがこの状況を制御するには決定的に魔力の総量が不足していた。
魔人の域まで達したとは言え、その魔術師としての限界をガルドーは露呈してしまっていたのである。
「そうなのか? 俺には死霊の制御なんて言われてもさっぱりだ・・・どの道現状でも十分脅威な事に変わりは無いしな。」
「あのね・・・もし本当に瓦礫で押し潰したいならあんな体当たりなんかせずに瓦礫を運ぶ労働力としてあの化物を活用すれば良かったのよ。もしあれだけの数をそのように運用出来ていたらそれこそ遠からず瓦礫の下敷きにされていたでしょう。でも奴にはそれが出来なかった。複数の化物に複雑な作業をさせるような制御を行うには魔術師としての魔力が足りないのよ。」
そもそもそんな魔力と制御技術があるなら一回り大きな群体の化物でも作って投石させれば良いのである。瓦礫の山を築くよりはよっぽど効率的である。
大昔の戦争で使われていた機械式の投石器ですら射程は数百メートルはあるのだ。結界の外縁から赤竜亭までの距離200メートルなど問題にもならなかったはずである。
その程度の制御も出来ないのであれば恐れる事などない。
投石を防ぐ為の物理防御の障壁すら用意する必要も無いように思えるが、おやっさんの心情を考えてミュリッタは赤竜亭の上部を覆う障壁を構築した。
別に目に見える必要もないのだが、薄く輝くドーム状の障壁で赤竜亭を覆う。
「とりあえず上からの投石を防ぐ障壁は創ったからこれでいいでしょ? 時間が無いからさっさと来てよ。」
「お、おう。有難い感謝する。だがなぁ・・・」
「ん?」
なんか全然喜んでないじゃん、なんでよ。そんな様子のおやっさんを見てミュリッタは改めて周囲を見直した。
辺りでは不安そうな顔をした冒険者達が死霊達が攻めて来る方を凝視していた。
ティモの結界は微塵も揺らぐ気配は無く、冒険者達にもそれが鉄壁の守りである事は分かる。それでもやはり不安は拭いきれないのだとミュリッタは悟った。
それは別に悪い事では無い。
ある意味、彼らは人一倍用心深く慎重なのだ。
一つのミスで命を落とす過酷な生き様ゆえに、全てに対して疑心を抱くようになってしまった彼らは何かを妄信するような事はしない。それは賢明だとすら言える、だがそれ故に彼らは心の中に常に不安を抱え怯え続けているのだ。
かつてのミュリッタは絶大な力と自尊心に満ちた怪物であった。
あの頃のミュリッタならば彼らの心など理解は出来なかっただろう。だが魂に傷を負い苦しみ続けた日々を越えてきた今のミュリッタは、救いを求める人々の心がどのようなものなのかを知っている。
だからこそ不安と恐怖に震える者達の心がミュリッタには分かる。
下手に赤竜亭に障壁を張ったりしたせいで、逆に彼らの不安を増大させてしまった事にミュリッタは気が付いたのだった。
『あ~またやらかした・・・ここに来てからこんなのばっかりね。何もしないほうがマシだったわ。』
自嘲気味に内心溜め息を付くとミュリッタは自分のミスを修正するべく次の手を打つ。
そう、こういう時に必要なのは消極的な守りではなく圧倒的な暴力で殴り返す事なのだ。あまり人前ではやりたくは無いがミュリッタにはそれが出来る力があった。
ミュリッタの体がゆっくりと浮き上がると上空へと飛翔していった。
飛翔の魔法。魔法の発動に一々術式を組まなければいけない魔術師には無理難題でも、自分の意思で瞬時に魔法を制御できる魔導師なら難しくもない事だ。ただ重力を上回る力で体を押せば良いだけなのだから。
呆気にとられる周囲の反応を無視して化物達の姿が見通せる高度を取る。
だが畏れ多くもそんなミュリッタ様のパンツを仰ぎ見ようとした冒険者達はそのスカートの奥を満たす虚空の輝きを目にしてしまう事になった。
無であるはずのものを目にしてしまった命知らずの冒険者達は次々と悲鳴を上げて地面に倒れ伏していく。
「目が・・・目がぁあああ!!」
「・・・お前らも一回滅亡していいわよ。」
苦虫を嚙み潰したようなミュリッタの拳に眩い光が点る。その手を化物達が押し寄せる方向へ向けると射線を定めた。
「塵と化せ!!」
ミュリッタの意思を宿した魔力が具現化した。それは巨大な光球となって放たれると死霊達が積み上げた瓦礫の山諸共に化物達を粉砕する。
そして後ろに続く化物達の列まで一掃すると光球はレタリス川へと達し、その対岸の斜面に深い大穴を穿ってようやく消滅したのだった。
暫しの沈黙が訪れる。味方のはずの冒険者達でさえ驚愕の表情で固まっていた。
その中でミュリッタは不敵な笑みを浮かべると空を仰いでつぶやいた。
「我は大魔導ミュリッタ。貴様如きで敵うと思うのならばかかって来い。」
それは空中を漂うガルドーの目に向けたメッセージであった。
そしてその直後、ガルドーの放った監視の目は全て消滅した。
「・・・・・・。」
ガルドーは無言で立ち上がると城館跡の地下から抜ける隠し通路へと歩み出した。
このままでは勝ち筋が無い。もはや邪神を顕現させ邪神の神力で押し切る以外に赤竜亭に集った化物達を打ち破る方法が残っていない事をガルドーは認めない訳にはいかなかった。
子供の姿に油断した。最初は脅威だとは感じなかった。だが蓋を開けてみれば名実共に最強だった魔導師までが参戦してきた今、魔法ではガルドーには勝ち目はない。それを嫌というほど思い知らされた。
忌々しい魔導帝国の亡霊め。邪教徒を目の敵にしている魔導師どもめ。
邪神を崇める邪教徒達が今まで幾度奴らに焼かれ滅ぼされた事か。だからガルドーは教団など潰して秘密裡に事を進めて来たのだ。
それが!何故!このタイミングで!! 奴らの首魁がこの地に現れガルドーの前に立ち塞がるのか?!
あまりの御都合の良さに苛立ちが沸騰する。ガルドーが握っていたと思っていた因果の主導権さえ、遥か昔から何者かの掌の上で繰り広げられて来た茶番の続きだったとでも言うつもりか。
「黒幕は・・・誰だ。」
ようやく気が付いた。昨日今日に始まった話ではないということを。
だがその違和感に気が付いたのは僅か数日前の事だった。
そう、あのラブダが因果に抗った時だ。
ラブダ・・・水の精霊に強い親和力を持つ妖精返りの娘。
ガルドーが用意した数ある手札のうちの一つでしか無かったが、今なお冥界の扉を抑え込んでいる大天使ノアルに有効な数少ない手段であった事は間違いない。
生きたままその魂を砕き、空の器となった体に大天使ノアルの魂の一部を封じて殺す。さすれば世界の魂の輪廻への扉を得たノアルの魂は冥界の束縛を逃れ転生の輪廻へと戻っていくはずであった。
そうなれば邪神はその力の根源を取り戻し、完全なる復活を遂げる事も可能だったかもしれない。
だが突如、順調に見えた因果の流れに綻びが生じた。
突如現れた正体不明の強大な力に阻まれた。最初はその事実から偶発的な事故だと思っていた。しかしそう考えた事への強烈な違和感を感じ始めていた。
偶然を導き必然と成す。招かれざる偶然など因果の流れには存在しない。フォルセリアが真言の力によって在りうべき未来の可能性を選択するように、それははるか以前から導かれていた流れの終着でしかないのだから。
あの綻びに見えたその現実こそが定められていた結末なのだとしたら、それは一体誰が導いたのか。ガルドーは自分に何の根拠もない思考を強制する枷が掛けられていた事に遂に気が付いたのだった。
自分を取り囲む世界が音を立てて崩れ落ちていく錯覚に襲われる。
ガルドーは今、暗闇の中無限に広がるチェスの盤上に立っていた。
見覚えのある駒がいる。ならず者共、無気力な奴隷達、そして厄介な力ある者達。
盤上に入り乱れるそれらの群像のさらに遠くには、ガルドーが生まれてもいなかった遥か昔から繰りひろげられて来たこの闘いの登場人物達が静かに佇みその結末を眺めていた。
その更に遥か彼方に青い光が見えた。暗く、水面に映る炎のように揺らぎながら暗闇に閉ざされた世界をうっすらと照らしている。
そう、それこそがこの世界の導き手。この盤面の支配者であった。
ガルドーはその光を凝視した。
光の源、青く輝く美しい少女の姿が見えた。
ただひたすらに澄んだ、しかし全てを貫くような鋭い瞳と目があった。
最早それが誰であるかなど考える必要もなかった。
ガルドーは全てを悟った。
何故、自分は冥界に囚われた大天使ノアルが無力だと思い込んでいたのか。何故彼女が何もしていないと思い込まされていたのか。
その思考ですら大天使ノアルによって摺り込まれた罠であった。邪神に戦いを挑んだ時から主導権は常に大天使の手に在り続けていた。そしてその闘いは未だ決着してはいなかったのだ。
「ノアル! やはり貴様か!!!」
ガルドーは絶叫したのであった。
お読みいただきありがとうございます。
大病をして本日入院する事になりました。
また戻って続きが書ける事を願っています。
皆様もどうぞお大事に。




