第四十九節 : 溢れ出す深淵
第四十九節 : 溢れ出す深淵
陽は沈み夜が訪れた。
だが赤竜亭の周りは多くの冒険者によって賑わい続けていた。
『竜の炎』と呼ばれる赤竜亭の篝火の火を分けて他にもいくつかの篝火が大通りに置かれていた。
そこらに転がっている石材を集めて積んだ台の上に大型獣の厚い皮革を固めた革板を載せて即席のテーブルが幾つも作られる。木材の貴重なこの辺りでは丈夫で耐久力のある革板は一般的な資材として重宝されているのだ。それらは赤竜亭の倉庫の中から運ばれた物だった。
防寒対策はミュリッタの張った法囲のおかげで完璧。おやっさんばかりに働かせるなと各酒場の料理自慢達が火をおこすと、持ち込んでいた食材を使って宴の料理を次々と並べていた。
酒樽が開けられ皆が盃を手にして待っていた。そう、これからが冒険者にとっての本番だ。赤竜亭の扉が開き、中から銀翼達が重そうな木箱をかついで出て来るのが見えると皆が一斉に歓声を上げてそれを出迎える。
『竜の炎』の近くに用意された、革板を二枚並べたものをさらに三段重ねにした丈夫な台座の上にドスンと重い音を立てて箱が降ろされる。箱が開かれその中身が台の上にぶちまけられるとさらに大きな歓声が上がった。
金貨や見るからに価値のありそうな短剣や装飾品など、目も眩むようなお宝が台の上に流れ落ちる。さらに二個三個と木箱の中身が積み上げられると冒険者達の興奮は頂点に達した。
百狼戦団からの戦利品は全く手に入らなかったが助太刀に駆け付けてくれたカエルラの冒険者達を手ぶらで帰す訳にはいかない。これらはこんな日の為に赤竜亭に蓄えられてきた財物であった。
それらは元を辿ればおやっさんや銀翼が勝ち取った遺跡の財宝や、戦の武勲への報酬がその大半を占めていた。だが赤竜亭の誇りと意地にかけて自腹を切ってでも仁義には報いる事こそ彼らにとっての本懐である。金銀財宝に執着するような漢たちではなかった。
かくして参加した冒険者達ですら想像もしていなかった莫大な報酬が皆に配られる事になったのだった。
「まずは片手だ! 一握り、取れるだけの宝をつかみ取ってもらう!」
宝の分配方法が告げられると歓声と悲鳴が上がる。運試しのゲーム要素も入って来るとあっては全員負けられない真剣勝負である。気合の入る面々にさらに進行役が説明を続ける。
「順番は今日の戦いが評価された順に呼び出させてもらう! 最低でも二周は回ってもらうので頑張って挑戦してくれたまえ諸君!」
「よっ!! 太っ腹!!」
「赤竜亭まじぱねぇ!! 愛してる!!」
「それじゃ早速始めるぞ! 栄えある一番手柄は・・・」
皆が息を飲むと一瞬の静寂が訪れる。
「ただ一人、首を刎ねられても生き残った赤竜亭のシガノーだ!!」
その人選に会場は爆笑に包まれたのだった。
そんな外での宴が和やかに進む中、赤竜亭の一室は重い空気に包まれていた。
「それでは私が浄化の結界を張りますね?」
「すまないね、ティモ。あたしゃどうもそういうのは苦手でねぇ。」
フォルセリアは大きくため息を付くとベッドの上で天を仰いだ。
「まあ今度はこちらがお礼参りをされるだろうとは思っていたが・・・存外早かったね。ガルドー様もかなり頭に来ているご様子のようだ。」
「しかしどこからそれほど大量の死霊を・・・」
そんな会話をしているフォルセリア達を後目にティモの体が眩いばかりの黄金の輝きに包まれる。銀翼はそれを見て驚嘆していた。
まさかフォルセリアの同行者がここまでの神力の持ち主だったとは。神術に詳しいわけではないが肌で感じる熱量が尋常でない力の波動を感じ取っていた。
しかも彼女は神術を行使する事に代償を必要としていないように見える。これも神に愛される存在、聖人の類であろう事はもはや疑う余地はなかった。
「とりあえず赤竜亭から半径200m位の範囲は結界で覆いました。空も地中も含めてですわ。」
何事もなかったようにさらっとそう言ってのけるティモにおやっさんも目を白黒させていた。
「とんでもない事を平然と言われてもこちらが困ってしまうんだが・・・それでどの位の時間は維持出来るのかな?」
「何日でも。さすがに私が結界内にいないと1日位で消えますけど。」
「おいおい・・・常識外れにも程があるだろう。何はともあれ感謝致します、聖女様。」
「さてと、これでとりあえずの時間は稼げたね。それじゃ対策会議といこうじゃないか。」
フォルセリアのその言葉に皆が頷いた。
最初に兆候を悟ったのはアルゲだった。
迫りくる悪意を感じた彼女がフォルセリアにそれを伝えると間髪入れずにフォルセリアは行動に移った。
銀翼とおやっさんに危機が迫っている事を伝えると銀翼はすぐに偵察に出た。そして死霊の大群が赤竜亭へ向かっている事を確認したのだった。
死霊は生きている人間には目もくれず、ただ真っ直ぐ赤竜亭へと向かっていた。だが銀翼が姿を見せた途端に彼に襲い掛かって来たのを見て銀翼は死霊達に明確な攻撃対象が定められている事を理解したのだった。
関係ない者達を巻き込まないで済む事に銀翼はすこし感謝してしまったのである。
「とりあえず私は外の者達に今夜は赤竜亭を離れない様に伝えてきますね。」
銀翼はそう言うと部屋を出て行った。
「まったくあいつは・・・何でも自分でしようとするのが良いのやら悪いのやら。」
おやっさんは部屋を出て行った銀翼を見て溜め息をついた。
「そんなの俺にまかせときゃいいだろうが。これじゃ会議もはじまらん。」
そうぼやくおやっさんにミュリッタは言った。
「そうでもないわよ、目下一番問題なのはどの位籠城出来る余裕があるかでしょ?」
「食い物と水か・・・確かにあれだけの人数、食料なんて持ち込みまで勘定にいれても二日かそこらが限界だろうな。」
「明日の昼になったら突破口を開いて帰って貰うってのも有りだけど、市街にまで死霊が流れ込むと面倒でしょう。早々に決着つけないと駄目なんじゃない。」
「ラウルの話じゃどうやら赤竜亭以外の人間には攻撃してこないみたいだが、どこまでが奴らの攻撃対象なのか判断出来んからなぁ。」
「・・・誰よラウルって。」
「ぐぬぬぬぬ・・・・」
その頃、当のガルドー様はかなり頭に来ている状況であった。
別に赤竜亭にそこまで恨みがある訳ではない。むしろ更なる高みへのきっかけをくれたのだ、先の戦いについてはガルドー自身大いに満足をしていた。
だが、突然現れた常識を無視した結界のおかげで折角集めた死霊達が蒸発していくのを見てガルドーは歯ぎしりして悔しがっていた。
人間技ではない。一言で言えばそういう事だ。
そんな物を見せられ折角の計画を児戯のごとくあしらわれたとあってはさすがのガルドーもプライドが傷つくというものである。
そして人の身でありながら明らかに自分を遥かに超える領域に達した存在がそこにもいた、という事もまたガルドーにとっては受け入れがたい現実であった。
上空に飛ばした目の情報によれば赤竜亭の屋外では今だ何事もなかったかのように戦勝の宴が続いていた。
フォルセリアを退け少し天狗になっていたのかもしれない。こんなふざけた真似をしてくれた奴の面を一目見るまでは引き下がる訳にはいかない。ガルドーは柄にもなく熱くなってしまったのだった。
思えばラブダの一件から何かがおかしい。
因果を操り思い通りに事を運んでいたつもりが気が付けば後手に回っていた。やること成す事上手くいかずに潰されていく今の状況が偶然だと思うほどガルドーは馬鹿ではなかった。
何かがガルドーの前に立ち塞がっている、そんな感覚を覚えていた。
だがガルドーはそこから逃げる事を良しとしなかったのである。
『生憎だが、この程度で引き下がるものか。数多の命を喰らい続けたレタリス川の深淵の闇、受け止め切れるか見せて貰おうか・・・』
ガルドーはそう呟くと更なる大量の死霊を召喚した。
それは絡まり塊となって一つにつながると、まるで個体の如く蠢くアメーバの群体のように巨大な怪物となって動き出す。
レタリス川から沸き上がったその怪物は絶壁を物ともせずに這い上がると廃墟の建物の上を滑るように物凄い速さで赤竜亭へと突進していった。
そんな化物が一匹、また一匹と次々とレタリス川から沸き上がると列をなして赤竜亭へと襲い掛かる。
だが結界に突進した巨大な化物さえ、一瞬だけその姿を保ったものの次の瞬間には跡形もなく浄化されてしまった。その姿が消し飛ぶと、次の瞬間辺りには瓦礫や砂利が降り注ぐ大きな音が響き渡った。
さすがの冒険者達も手を止め、不安気に音のした方向を見やったのだった。
降り注いだのは死霊の群体に巻き込まれて一緒に運ばれた廃墟の瓦礫や石屑だった。
死霊は通り抜けられない結界でもそれが消えた後に残された瓦礫は結界を通り抜けその中に降り注いだのだった。
それを見逃すガルドーではなかった。
化物達の行動パターンが変わった。
通り道になっていた廃墟の建物を叩き潰すと大量の瓦礫を中に取り込んで結界へと飛び込んで来た。結界の上にのしかかるように覆い被さると消滅して大量の石材が降り注ぐ。
次々と化物が突進して瓦礫を積み上げていくと、やがてそれは結界の縁の高さを超える坂路へと変貌していった。
突然勢いを付けて突進した一匹の魔物がその坂道を駆け上がり一気に跳躍した。
二十メートル余りも跳んだその化物は結界の中腹に激突し、かなりの高度から石材をばら撒く。それは加速しながら落下し、下にあった建物跡を粉砕した。
今までとは比較にならない雷鳴のような轟音と地響きが赤竜亭まで伝わって来た。
「おい! こりゃさすがにまずいだろう。」
「中断だ! いったん片付けるぞ、急げ!!」
冒険者達も状況の変化に対応し始めていた。料理を大急ぎで胃袋の中に収納すると屋外に設営した会場を撤収しつつ、新たな戦闘に備え始める。
幸いというべきか、報酬の配布は一巡目が終了していた。黄金を手にした冒険者達の意気は高く逃げるにしろ戦うにしろ、少なくとも十分に納得できるだけの見返りは既に手に出来ていた。
そんな中、傍観している訳にもいかず様子を見に出ていたおやっさんは急変していく状況を見ながら立ち尽くしていた。
廃墟とはいえ慣れ親しんだ街並みが壊されていくのも口惜しい。だがそれ以前にもはや明確となったガルドーの意図に対して打つ手が無い事を認めざるを得なかったからだ。
『まずいな、これは・・・』
おやっさんは全く楽観できない状況になりつつある事を理解した。
ガルドーは周りの廃墟全てを更地にしてでも赤竜亭を瓦礫の下敷きにするつもりなのだ。周りの広大な廃墟を破壊すれば十分なだけの瓦礫が手に入るだろう。
埋まらずとももし投石器のようにあんな大きな石材が降って来れば赤竜亭とてひとたまりもない。そうなれば中にいる人間にも多数の死傷者が出るのは間違いなかった。
外堀を埋めながら徐々に距離を詰められればいずれそんな状況が訪れる。
もはや赤竜亭が潰されるのも時間の問題であった。
まだ手はある・・・ようにも見える。
そう、こちらから化物共に対して攻勢に出れば良いのだ。
だがそれこそがガルドーの本当の狙いである事位おやっさんには分かっていた。
あんな巨大な死霊の化物相手に戦える者などほとんどいない。それこそ空から攻撃できる銀翼や離れて攻撃できる魔術師くらいのものだ。
だが次々と体当たりしてくる化物共が途切れる様子もない。そんな圧倒的な数の暴力を相手に押し切れる程の戦力など赤竜亭にはない。
討って出てもいずれ消耗し、疲弊して倒れていくのは目に見えているのだ。
状況は圧倒的にガルドーに有利だった。
そして赤竜亭は彼らが逃げられなくする為の人質にされたのだという事もおやっさんはすでに理解していた。
だがその思惑に乗る訳にはいかない。
赤竜亭を切り捨てれば良いだけだ、皆の命には代えられない。
おやっさんはこの時、血の涙を流す思いで一人苦渋の決断をしたのだった。
拳を震わせ立ち尽くす、そんなおやっさんの背中から声がした。
「ねぇ、ちょっといい?」
それはミュリッタの声だった。
少し嬉しそうなその声を聞いて、おやっさんはまだ全ての希望が絶たれた訳ではない事を思い出す事が出来たのだった。