第四十八節 : 葬送
第四十八節 : 葬送
積み重ねられた亡骸の目の一つがじっと銀翼の姿を凝視していた。
亡骸を集め終えた銀翼は今、その前で片膝を付き頭を垂れて静かに祈りの言葉を呟いていた。
何かの神に祈っているのではない。命を落とした不憫な者達への鎮魂の祈り、せめてもうこれ以上苦しむ事がありませんように、安らかに眠れますようにと。
ただひたすらに彼らの魂が救われる事を願って銀翼は祈り続けた。
亡者の目には銀翼の周りに立ち尽くす沢山の薄黒い影の姿が映っていた。
囁くような銀翼の祈りの声に呼び寄せられるかのようにゆっくりと集まってきた彼らはただその優しい言葉の響きの中でゆらゆらと立ち尽くしていた。
そして、死して尚行き場のない救われぬ魂の影法師たちはやがて徐々に薄くなると風に吹かれた煙のように一人また一人と消えていった。
彼らは皆、解き放たれたように散り光の粒となって天へと消えていく。
それを見届けた亡者の目もまた魂を解き放たれ力を失うと何も映さなくなったのだった。
『どういう事だ・・・一体何が起きている。』
死霊術を操り亡者の目を通して銀翼を見ていたのは邪神司祭ガルドーであった。
魂というものにある意味当代屈指の知見をもつガルドーですらその光景に暫くの間呆然としていた。
「・・・ただの言葉のみで怨念に縛られた魂を救い世界へと還すのか。神を名乗る輩共が見たら真っ青になるだろうな、ははは。」
脱力した笑いがこみ上げて来た。
魂の終着点には幾つかの選択肢がある。
死して尚魂の力が尽きぬまま残る事はあるが、それらが辿る道は様々である。
一番自然なのは肉体から解き放たれた魂がこの世界を巡る魂の流れへと戻っていく事である。そうして世界を巡り、やがてまた新たな命として世界に産み落とされるだろう。そんな輪廻の流れへと戻る事こそこの世界の魂にとっての最も自然な姿だった。
もしそれが敬虔な神の信徒であれば、その魂は神の御許へと導かれるかもしれない。そこはもはや神の魂の内側、天国と呼ばれるものであったりする。
そこで選ばれし信徒達は神と共に至福の時を過ごすのかもしれない。それはそこへと至った者だけにしか知り得ぬ境地である。
だが神の恩寵もまた永遠ではなく、いずれは自我も消滅しその魂は神と一つになる。そうして神は信徒から捧げられた魂の力を我が物とするのである。
もちろん全ての神がそういう存在という訳ではない。純粋に祈りによってのみ魂の力を捧げられる神もいれば、邪神のように信徒であろうがなかろうが手当たり次第喰らう奴もいる。
ただ一つ言える事は生ける者達の魂はどう言い繕っても神にとっては力の源でしかないという事である。それを拒めばいずれ神自身が力尽きる事になるのだ。
そう、女神フィニスのように。
そして悪夢や怨嗟に囚われ解放されることも神に召される事も出来なくなった魂が最後に辿り着くのが冥界である。
それは澱んだ魂が沈みゆく魂の世界の最底辺。怨霊となり果てた魂同士が喰らいあって消えていく事で世界の秩序は保たれるが、それが魂にとっての救いでない事は言わずもがなであった。
怨霊となり果ててなおこの世界に留まっている魂達は、もはや救いなどない冥界へと片足を突っ込んだ状態でそれでも救いを求めて必死でこの世界にすがりついている哀れな存在であるとも言えるのだ。
それは救えるものならば救ってやりたいと願う世界の慈悲が成せる姿なのである。
そんな怨霊達が銀翼の祈りに触れ次々と解き放たれ世界の輪廻へと戻っていった。そのような事が起こる訳はない、この世界の魂の理に反しているのだ。人の身でそれを覆す事などは・・・と脳裏で呟いた瞬間、ガルドーは全てを悟ってしまった。
「まさか“世界の御子”・・・その身で世界の意思を体現する存在か。ならば精霊に溺愛されている事や、邪神の因果が破られた事にも得心が行くというものだ。」
ガルドーは怨念に縛られた魂達をただ救いたいと願う銀翼の祈りによって解き放たれていった怨霊達の姿に紛う事無き世界の意思を垣間見たのだった。
死者の怨念は元を消し去らぬ限り癒える事はない。その元凶が絶たれ未練や苦しみが消える以外には解き放たれる事すら望めないのである。
無へと還して欲しいと願ったロドピスにそれは救いでも解放でもなく、ただの消滅だと言い放ったティモの言葉は正しい。神官のもたらす救済など所詮は怨念ごと魂を消し去るだけの事に過ぎないのだ。
そんな怨霊達が世界に戻っていく事が出来たのは、世界が、銀翼がその無念を代わりに背負う事で彼らを解放したからだった。
全てはこの世界の内側に存在する事。世界の意思をもってすればその在処を移す事もまた不可能ではない。そう、その苦しみを引き受ける物好きが居るのであればの話だが。
それは生半可な覚悟で引き受けられるほど甘いものではない。だが、生者ならば苦痛も怒りも悲しみも時と共に癒され忘却されていく。だから身代わりとなって永遠に苦しみ続ける死者の魂を救う事が出来るのかもしれない。
そんな慈悲深く、報われない世界。
それが女神フィニスの創りしこの世界の本質なのだった。
冥界へも行かずこの世界に留まり続ける怨霊と相対したらどうすれば良いのか。
悪意ある霊魂のもたらす災厄からどうやって身を守るかというのはこの世界の人間にとっては結構切実な問題であった。
本来怨霊を魂まで消滅させる事は難しい。それは魂には魂以外の力はほとんど影響を与えないからだ。魂を消し去る最も単純な方法は、それを上回る強さの相反する魂で打ち消す事だ。だがそれは打ち消す側の魂も同等のダメージを負うという事を意味する。
冥界でも無い限り、理性が残っていれば魂同士の衝突などはまず起こらない。つまり現世では怨霊となり果てた霊魂はなかなか自然消滅する事もない。時間とともに魂の力も発散し、気が遠くなるほど長い年月が経てばさすがに消滅する事もあったが。
だがもちろん、そんな魂の理もこの世の理すら覆すような強大な神性の力の前では無力である。大天使、いや裁きの女神テスのもたらす終焉の裁きや多くの善き神が使う浄化の力の前では魂もその力を失い無へと戻されてしまうのだ。
だがそのような神術の力を借りられるのは神官のみである。
おかげ様で専売特許とまでは言わないが悪霊への対処は神官達の独壇場となっており、そんな神のお恵みのおかげで神官達の懐まで潤う仕組みになっているのである。
ならばそれ以外の人間はどうやって悪霊と戦えば良いのか。
神官ならずとも死霊悪霊の類、アンデッドと出くわす機会は少なくはない。特に冒険者などはそのような相手に遭遇しても逃げる事すら許されない場合もある。何かしらの対抗手段がなければとても生きてはいけないのだ。
そのような事態になった時の解決策、それが悪霊の無力化である。
魂には魂以外の力はほとんど影響を与えないという事は、その逆もまた然りである。つまり魂だけの力では現世には何の影響も与える事は出来ないのである。
死霊による呪いや攻撃は、その魂に絡みついた怨念や激情から生まれる魔力によって具現化している。それは遺骸などに憑依して動くゾンビやスケルトンにしても同様で、現世における死霊の影響力は魔力なしでは実現し得ないのである。
ゆえに魔力や闘気、単純な物理攻撃でもその魔力を削る事ができるのならばその力を削ぎ落とし無力化する事が出来る。そうやって死霊そのものを消す事はできなくともほぼ無害な程度まで無力化する事は可能なのである。
一般的に死霊に魔法の武具が効くと言われるのは魔力を帯びた武具なら確実にその魔力を削る事が出来るからであった。
赤竜亭の冒険者のように神の力に頼れぬ人間はそうやって悪霊と戦って生き延びてきたのだ。もちろん自爆同然の魂による魂への直接攻撃はそれでも残るが、基本的に生者の残滓に過ぎない死霊の魂は生者の魂とは比べ物にならない位希薄なのでさほど心配する必要は無かった。
だが銀翼が見せたあの光景はそんな常識とは別次元の事象であった。
ガルドーは自問していた。
『あまりに想定外の事態だ・・・この男の不興を買えば世界がどう動くか想像が付かぬ。カエルラを邪神に襲わせるのは悪手か?』
この地をさまよう無力な怨霊達に邪神の力で魔力と狂乱を与える。力を得た怨霊達は狂乱によって手当たり次第に人間を殺し、その魂も邪神の力で怨霊へと変える。そんな地獄絵図を思い描いていた。
例え冒険者達に怨霊が倒されても、神官の神術によって魂ごと浄化されぬ限り残った魂はすぐに邪神の力をまた与えられて暴れ出す。それ以前に多少のダメージはすぐに回復するので怨霊を倒す事すら並の冒険者では至難のはずである。
そうやってネズミ算式に怨霊が増えていけばすぐにカエルラを守る戦力の限界を超えてあとは一気にカエルラを呑み込む。それがガルドーのプランであった。
だがそこに居るだけで苦しむ魂を救い解き放つ存在、そこに世界の意思が介在するのであれば眼前で繰りひろげられるその光景が世界の逆鱗に触れる事は間違い無かった。世界は罪なき魂を汚す存在を決して許しはしないだろう。
森羅万象全てが敵と化す事態を自ら招くような真似はさすがのガルドーも躊躇う他無かった。
『とは言え邪神を囮にしなければここを離脱するのも難しい。何か良策を考えなければいけないのだが・・・』
ガルドーはその知性を総動員して思案にふける。様々な場面を想像し、相手の反応を予想していくうちにある一つの疑問に突き当たった。
「奴は・・・銀翼は自分の為に世界の力を借りるのだろうか?」
興味深い疑問が無意識のうちに言葉になって漏れていた。
自己犠牲を厭わぬ高潔な戦士、それが自分の為に世界の力を求める姿が全く脳裏に浮かんでこない・・・そう、これだ、これこそが銀翼の急所なのだとガルドーは気が付いたのだった。
「他者が傷つけられるのならば奴は怒り世界の意思と共にそれを救うだろう・・・だが奴は自分自身が傷付けられる事に対して怒りを抱いていない。怨霊の苦しみを自ら背負うような男なのだ、奴にとって自分自身への責苦は世界への奉仕と同義でしかないのだろう。銀翼が世界に助けを求める訳がない。」
思考が研ぎ澄まされ切れ味を増して行く。
ガルドーは銀翼を倒すための計画に没入していった。
「ならば狙え・・・銀翼ただ一人を、圧倒的な数で。」
もちろん、彼の仲間達が銀翼を助けようとして共に戦うだろう。
だがそれが逆に銀翼の精神的負担となる。
敵の狙いが自分であるのが分かっていながら他人が自分の代わりに盾となって倒れていく事を許容できるような男ではなかろう。自分を助けようとする者達を守る為に多大な負担を強いられる事になるのは目に見えていた。そうして消耗した所で最後に邪神本体を顕現させて止めを刺す。
例え倒せなくとも銀翼に目の前の敵以外を相手にする余裕は無いだろう。
ガルドーがこの地を去るための時間稼ぎとしてはそれでも十分であった。
プランは決まった。だがまだ問題が一つある。
奴は空を飛べるのだ。銀翼だけを狙えば容易く逃げられてしまう。
ならば動く事のできない物も標的に加える必要があるだろう。それは言わずもがな、奴の最も大切な場所、決して見捨てる事の出来ない場所である。
赤竜亭を標的に加える事でガルドーの計画は完成したのであった。
そんな害意を向けられているとはまだ知らずか、銀翼は死者達の弔いを続けていた。
辺りに嘆き苦しむ魂の気配を感じる事は無くなっていた。救いが届いたのかを確かめる術は無いが銀翼は自分の為すべき事はやり切ったと思う事にした。
気分が重い。肩と背中に何かが乗っているように体まで重く感じる。
今日起きた悲劇の結末はこれから銀翼の心を責め苛み続けるだろう。だが元よりそれから逃げるつもりなどは全く無かった。
全てを背負い進み続けるだろう、その心身が耐え切れなくなり崩れ去るまでは。
それが銀翼が自ら選んだ生き様であった。
最後に銀翼は大きな粉薬の袋を開くとその中身を積み上げた亡骸の上へと降り掛ける。すると亡骸は赤く、まるで炭火の様に燃え始めると徐々に灰になっていった。
『火葬薬』・・・戦場などで亡骸を十分に弔ってやる事も出来ない時、せめて屍を野晒しにせぬようにと火葬にする時に使う魔法薬だった。屍そのものを燃える物質に変質させる事で薪や炭が用意できない時でも火葬を行えるようにするのだ。
本来かなり高価な代物で使うのは王侯貴族の亡骸くらいのものなのだが、惜しげもなく銀翼は袋の中身を彼らの為に使い続けた。
暗く赤く燃える炎に照らされながら粉薬を撒いて亡骸が灰になっていくのを見送る。
もう激しい感情は使い果たした。ただぼうっと炎を見つめながらとりとめもない想いにふけっていた。
人生など儚いものだ。私もいつかこんな風に誰かに弔われて消え去るのだろうか。
人から羨まれるような存在だと言われるとついついへそを曲げたくなる。人の苦労も知らないでと。
好きでやっている、という訳ではないのだ。やらねばならない、その責務から逃げたくないから精一杯の努力を続けてきた。
それで救われる者達がいるという事を知っているから。
「エナン君なら理解してくれるかな・・・そうあって欲しいものだ。」
そんな言葉を呟いていた。
誰かが近付いてくる気配がした。良く知った足音に息づかい、振り向かずとも誰なのかはすぐに分かった。
「若、やはりこちらにおられましたか。」
銀翼の後ろから声を掛けたのは銀翼ファミリアの長老アマシスだった。
「やれやれ、総司令重傷のこの状況で参謀長まで外出するとは困った事だね。」
「そうおっしゃいますな、フォルセリア殿も静養中ですが傷は完治したとの事でございます。」
普段とは全く異なる恭しい口調で話すアマシス。他人の前では銀翼のお目付け役として振る舞ってはいるが、彼は銀翼の父を主君と敬い付き従った数少ない家臣であった。そして今はその忠義の対象は若き銀翼であり、二人の時には敬意を隠す事もない。
「それは良かった、さすがはフォルセリア様の同行者と言うべきか。あれほどの神術の代償すら容易く癒してしまうとは。」
「はい・・・あとシガノー殿ですが無事に元の姿へと戻る事が出来ました。こちらもお知らせしておきたいと思いまして。」
「ああ、何と素晴らしい事だ・・・本当にミュリッタ君は凄いね。まさに邪神の裏をかいてしまったというわけだ。神ならぬ身で邪神と対等に渡り合おうなど彼女以外の誰が考えるだろうか。叡智とはかくも偉大なものなのだとようやく理解できたよ。」
アマシスも無言でその言葉に同意する。
自分とてミュリッタに出会ってからは鮮烈な驚きの連続である。魔法の無限の可能性を見せつけられて年甲斐も無く心が熱くなるのを感じていた。
更なる高みを目指したい、今はそう真剣に思っていた。
アマシスだけではない。
太古の昔から魔法に携わる者達は皆同様に、魔導皇帝の生き様を目にするとき心に熱い炎を灯されたという。そしてそれは強固な意思となり彼らをさらなる高みへと導いていく原動力となった。
それを人々は魔導皇帝の証たる帝杖の異名『道標』になぞらえて魔導皇帝によって示された『道』と呼んだのである。
火葬も終わりに近付いていた。
もはや形を留める亡骸はなくなり、わずかな灰となった熾火だけが微かにくすぶっていた。銀翼がその灰を集め一所に埋めようとするのをアマシスは押し留めると魔術を構築した。
灰が凝縮して一つの塊になっていく。そして亡骸の灰は黒曜石のような光沢を持った小さな石柱へと姿を変えたのだった。
「これは・・・墓標かい? 素晴らしいね。」
喜ぶ銀翼の顔を見てアマシスはほっとした。先程までの銀翼の顔といったら酷い物だったのだから。
何もかも背負い過ぎている・・・そんな事は分かっている。だがそれを否定する事は銀翼という存在に対する冒涜でしかない。
せめて何かの力になる事で彼を支える。それがアマシスの選んだ結論であった。
だから良い知らせは真っ先に届けるのだ。一秒でも早く銀翼の心労が軽くなるようにと。
出来上がった墓標を建てて葬送を終える。
二人はグリフォンの背に乗ると赤竜亭へと帰還したのだった。




