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第四十六節 : 一敗地

 第四十六節 : 一敗地


 荷車の爆発に巻き込まれ地面に叩きつけられたアグリッサは一瞬意識を失った。

 本来ならこれだけでも命に関わるダメージを受けたはずだったが、ミュリッタの守護魔法はこの場面でもその効力を余すところなく発揮し冒険者達の命を守ったのだった。

 荷車を調べていて一番至近距離で巻き込まれた冒険者ですら命を取り留めていた。守護を受けていなかった人足達が全員無惨な姿へと変わり果てていたのとは対照的であった。


 失われた意識はすぐに戻った。ぼたぼたと降り注ぐ血と肉塊の不快な音と感触と臭い、それが目を閉じている事すら許してくれなかったのだ。

 はっと目を開くと自分が倒れ伏している血まみれの地面が目に映った。すると焦点も定まらぬ視界の眼前に落ちてきた大きな塊がぐしゃりと音をたてて地面にめりこんだ。

 それは苦痛と恐怖に歪み目を剥いたまま固まった子供の頭部だった。

 まつ毛の一本まで数えられるくらいの距離にめりこんだ生首が、飛び出しかけた眼球で恨めしそうにアグリッサの顔を覗き込んでいた。

 アグリッサの頭の中が真っ白になる。心の中で凄まじい恐怖と嫌悪と怒りが渦巻くとそれは闇となってアグリッサに囁いた。

『こんな世界・・・全部壊してしまえ。』

 アグリッサはその声に抗う事が出来なかった。



 狂乱が拡大していた。

 暴れ出したアグリッサが乱発する魔剣術で被害は拡大し続けていた。

 伯爵直伝の闘気術と剣術、そして天性の魔力を合わせた魔剣術がなまじ強力すぎたせいで多数の重傷者を含む怪我人が発生していた。

 突然味方だった人間から襲われた者達は状況を理解出来ず混乱し、助けに駆け寄った者にまで怯えて攻撃する者もいた。誰が敵で誰が味方か、判断が付かなくなった状況で混乱は拡大し、そしてその不安と恐怖が極限に達することで正気を失う者がアグリッサ以外にも出始める。


 勿論全ての冒険者達がそんな状況になった訳ではない。凄腕の冒険者の多くはこの程度では全く動じる事は無かった。しかし、混乱し始めた者達にはいくら呼びかけても言葉に反応しない。どうも音が聞こえなくなっている様子が見られたのだった。

 爆風に晒され聴覚にダメージを受ける事はある。だが音が聞こえなくなった者達の様子は聞こえにくいなどという様子ではなく、まるで無音の世界で敵に怯えているように落ち着きなく周囲を見回し続けていた。

 明らかに何か得体の知れない呪いに取り憑かれているように見えていた。


「駄目だ!! 解呪出来ん!」

 アマシスを含め本陣の幹部たちは対応に追われていた。

 呪いの類が混ぜられているのはほぼ間違いなかったが対処出来ない。術式の兆候が見られない、つまり魔術ではないのだ。ミュリッタのような魔導、あるいはもっと性質の悪い邪神の神術の類かもしれない。

 混乱を鎮める精神安定の魔術や汎用的な解呪の魔術で対応しようとしたが全く効果は見られない状況であった。徐々に、だがしかし確実に混乱と狂乱は拡大しつつあった。

「とりあえずは彼女を何とかしないといけませんね。」

 そう言うと銀翼が風のように飛び出していった。まるで飛ぶように冒険者達の間を駆け抜けると一気にアグリッサを捉える。

「ぐはっ!!」

 腹部に闘気を込めた強烈な拳の一撃を叩き込まれたアグリッサは再び意識を失った。

 そのまま銀翼はアグリッサを抱えると本陣へと戻ってくる。

 だが連れ戻されたアグリッサを見てアルゲは告げた。

「穢れが強くなり続けている・・・これでは呪いは止められない。」

 元々神の巫女を務めていた一族の末裔である。狩人であってもアルゲは高い霊感を持ち合わせている。危機を逃れる第六感と相まって不浄なものへの感性は非常に鋭かった。

 アルゲが見立てを誤る可能性はまず有り得なかった。だから、この一言でフォルセリアは温存していた奥の手の使用を決断せざるを得なくなったのだった。


「わかったよ、あたしが何とかするさ。」

 そう言うとフォルセリアは気絶したアグリッサを近くの岩の上に横たわらせた。

「良く聞いてくれ、あたしがこれから全員正気に叩き直す。成功したら全軍撤退だ。負傷者その他仲間は全員回収して速やかに赤竜亭まで撤退する。この事をまだ正気の奴らに周知徹底を頼む。」

 一同が頷いた。すぐに伝令が四方に飛び指示が伝えられる。

 準備を整えるとフォルセリアは気を失ったままのアグリッサの前に立った。


「アルゲ、叩き起こしてくれ。寝ていて聞こえませんでしたってのは洒落にならないからねぇ。」

「また暴れ出したら厄介よ? 縛り上げる?」

「剣が無ければ何も出来やしないさ、そのままで問題ないだろ・・・って、何やってんの。」

「駄目ね、やっぱり縛っときましょう。フォルセリアはそういう所が適当過ぎるから。」

 そう言うとアルゲは狩猟の罠に使う細くて丈夫な紐を取り出すとアグリッサの手と足をぐるぐる巻きに縛り上げた。

「容赦ないね全く・・・」

「昨日は散々わがまま放題してくれましたしね・・・この娘本当に何やらかすか予想が付かないので。」


 アグリッサを縛り終えたアルゲはアグリッサの体を少し起こして岩に寄りかかる様に座らせる。そして・・・超高速の往復ビンタをアグリッサに喰らわ始めた。

「ほら、起きなさい。」

 ビシバシボコバキと不穏な音が鳴り響く。ツッコミを入れる隙もない容赦の無さに周囲が固まっているとアグリッサが動き出した。

「ガァアアァッ!!」

 野獣の様に吠えるその姿はすでに人間ではなくなりかけているようにすら見える。その顔面へ最後にアルゲはきつい拳の一撃を叩き込むと何事も無かったように立ち上がる。

「目、覚めましたよ。」

 静かな怒りに満ちた彼女の声に一同沈黙するばかりであった。


 仮初の仲間とはいえアグリッサはフォルセリアの同行者である。それが真っ先に狂乱した挙句、味方に甚大な被害をもたらしたのだ。フォルセリアの顔に泥を塗ったアグリッサにアルゲが心底怒っていたのも当然と言えなくはない。

 フォルセリアもそれを理解している。だから彼女を責めるような素振りは一切見せなかった。

「さてと、それじゃ始めようか。」

 フォルセリアはアグリッサの前に立つと大きく息を吸い込む。そして全身全霊を込めて真言の真の力を解き放った。


「正気に戻れ! 馬鹿共がっ!」

 声の大きさだけに留まらぬハンマーで殴られたような強烈な波動が周囲へと拡散していった。それは言葉すら届かなくなっている狂乱した者達の脳の芯まで揺さぶると真実の神の奇蹟を顕現したのだった。



 真言の真の力、それは言葉にされた事が現実となる力。

 もっと正確に言うならば、この世界に存在する数多の可能性の中から真言に示された未来が選択され現実となるという力、それが真言に秘められた恐るべき真実の力であった。

 これこそが神に愛された聖人にしか許されぬ真言の奇蹟。だがその行使に伴うフォルセリアへの体への負担は想像を絶するものとなる。

 効果は絶大であった。一瞬でアグリッサを含めた全ての者が正気を取り戻し、その場に淀んでいた狂乱の呪いはフォルセリアの放った圧倒的な神気の波動の前に霧散した。

 だが次の瞬間、大量の血を吐いて地面に伏したのはフォルセリアであった。

「・・・すまないね、あたしはもう見てのざまだ。次が来たら対応できないから速やかに撤退してくれ・・・・・。」

 呻くようにそう告げるとフォルセリアは意識を失った。


「撤退! 撤退!! 負傷した仲間は一人として取り残すな! 倒れている者も全員赤竜亭まで運ぶから見落とすな!!」

 正気に戻った者達に改めて撤退命令が伝えられる。銀翼は負傷したフォルセリアをグリフォンに乗せると一足先に赤竜亭へと搬送する。

 残った者も負傷者の回収を終えると足早にその場から退避していた。


 赤竜亭に運ばれたフォルセリアを出迎えたのはミュリッタとおやっさんだった。

 ミュリッタもティモも、フォルセリアの動向を注視していないはずは無かった。異変が起こった事はすぐにおやっさんにも伝わり銀翼が赤竜亭にフォルセリアを運んだ時には既に二人が待ち受けている状態であった。

 事情の説明は必要なさそうだ、と銀翼はフォルセリアを二人に託すとそのまま前線へと急ぎ戻っていった。フォルセリアが倒れた今、部隊の指揮官も銀翼が務めなければいけない状況であった。


 フォルセリアはおやっさんに担がれて赤竜亭の二階へと運ばれる。そこにはティモがベッドを整えてすでに待機していた。

 だがベッドに横たえられたフォルセリアにティモが治癒術を施そうとすると意識の戻ったフォルセリアはそれを押し留めた。

「ありがとな、ティモ。でも治癒は要らないよ、魔法じゃこの傷は癒せないんだ。」

 フォルセリアは大きく喘ぎながら言った。

「これはね、世界を私が歪めた代償さ。世界の理を真言の力で歪めた分だけ、あたしはこの身でその歪みを引き受けなければいけないんだ・・・大丈夫、時間が経てば世界の歪みもやがて癒される。そうすればあたしの体も元通りになるさ。」

 血を吐きながらそう語るフォルセリアが命すら危うい程のダメージを受けているのは一目で分かった。

 己が行いに向き合い逃げる事なく全てを受け入れる。愚直なフォルセリアらしいとは思えても到底受け入れる事は出来なかった。この世界を創りし者達の力を使ってでも彼女を癒さなくては、とティモは決断した。


 だが、それより先に口を開いたのはミュリッタだった。

「あ~もう!! そんな観念論で勝手に納得しないでくれる?!」

 自分が傷つく事を厭わないフォルセリアに業を煮やしたミュリッタがキレた。ベッドの上に飛び乗るとフォルセリアの腹の上に馬乗りになる。

 フォルセリアの顔が苦痛で引きつった。


「何よ世界の歪みって! この世界が完璧だとでも思ってるの?冗談じゃないわ! 叩き直してやってるのになんでこっちが責められなきゃいけないのよ!」

 そういうとミュリッタはむき出しのフォルセリアの腹筋に手を当てる。魔力を展開すると内臓の状況を確認する。

『内臓が異常に熱い・・・外傷はないけど内臓全体に潰瘍が浮かび上がって来ている。これは・・・拒絶反応か。異質な魔力を注入された魔導師の拒絶反応に似ているかな。』

 直ちに内臓の温度を下げる魔法を実行する。活動が低下するくらいまで冷やすと一時的に潰瘍の発生がほぼ停止する。

 次に吐血の原因となっている胃腸や呼吸器の潰瘍の傷口を魔力の膜で覆う。出血している部分を塞ぎ、胃酸などで内臓が傷つけられないように損傷した粘膜を模倣する。

 とりあえずの応急処置を済ますとミュリッタはティモに言った。

「ティモ! フォルセリアの体に残留している神気を除去して。出来る?!」

 意表を突いたミュリッタの言葉に驚いたティモだったが、その意味を理解すると即答した。

「お任せなさい、簡単よ。」そう言うと自らの神気をフォルセリアに注ぐ。それは優しくフォルセリアの体内に残った神気を中和し、そして消散した。

 ミュリッタがフォルセリアの内臓の温度を正常な状態にまでゆっくりと戻して行く。潰瘍の発生が活性化する事はもう無かった。


「驚いたね・・・一体どうやったんだい?」

 フォルセリアの表情はすっかり穏やかになっていた。

「治癒術では治らないのは経験済みだったんだけどね。」

「そりゃ原因も分からず傷だけ治したって再発するだけだもん、治る訳ないじゃない。そんな事で世界がどうとか何でそういう結論になっちゃうのよ。」

「うっ・・・勝手に雰囲気出してただけだったみたいだねぇ、ごめんよ。」

「もういいわよ。フォルセリアが元気になってくれればどうでも。」

 申し訳なさそうに頭を掻くフォルセリアにミュリッタは抱き付くと頬ずりしながら言った。そのミュリッタの頬が薄っすら濡れているのをフォルセリアは感じたのだった。



 応急処置が済んだフォルセリアを改めてティモに治癒術で治療を行ってもらう。それでフォルセリアの傷はほぼ完治させる事が出来た。

 だが想像以上に体力を消耗していたフォルセリアはしばらく安静にさせる必要があった。まずはおやっさんに食事を用意して貰いしばらくは最優先で休息する事を渋々だがフォルセリアに承知させた。

「すぐに部隊が戻って来る・・・申し訳ない、死傷者を沢山出しちまったよ、面目無い限りさ・・・・。」

「大丈夫ですよ、私が何とかしますから任せて下さい。」微笑みながらティモはそうフォルセリアを慰めた。

 ティモが蘇生の御業を成した所をフォルセリアは見た事は無い。そもそも『無力な神』創世神フィニスを信奉する女神教の神官は神の奇蹟が使えない。主たる神自身にもう奇蹟を起こす力が無いからだ。

 だがティモなら救ってくれる、そんな確信に近い予感がした。時折感じる強大な、だがとても優しい気配をした何かがティモを守護している事にフォルセリアは気が付いていた。

 そしてそれが女神教の定めるもう一人の神に等しい存在であろうという事にも。


 強大な魂を持つ神の力をもってすれば蘇生の御業も現実の奇蹟となる。だがそれは神自身の魂が多大な対価を払う事を意味する。そのような事を神官が神に願うのは不敬を通り越した冒涜行為でしかない。本来ならば自らの魂を神に捧げるべき信徒が神の魂を要求するとは何事か、という事である。

 だから神の奇蹟としての蘇生の御業は広く知られてはいるもののその実例はほとんど存在しない。例え対象が皇帝・国王であろうと神殿に仕える者が自らの神にその復活を願い奉る事など有り得ないからである。


 だがそんな中、神ならざる身でありながら名も無き人々に復活の奇蹟を与え続けた存在が歴史上にたった一人だけいた。それが大天使テスの育ての親、獣姫キウである。

 彼女は神創界フィニスにおける生神の一人獣神ミューロと恋におちた最果ての大地を統べる王国マグナテラの王子の娘。神ならざる身とはいえ半神半人の存在であったキウはその成した奇蹟の数をもってすれば現存する神々をも上回る存在であったと女神教は讃える。

 実際の所は消耗した魂を癒してくれたテスが居たからこその偉業ではあるが、キウが愛する者を失い嘆き悲しむ者達の為に魂を削り奇蹟の御業を施し続けたのは偽りない事実である。

 その偉業により女神教では彼女は神に準ずる存在である大聖人として信仰の対象となっていた。そして女神教の信徒のみならず今でもこのキウの再来を切実に願う人々は多数存在するのである。


『だからもし蘇生の御業を施す聖女が居るなんて話が広まったらそれこそ天地がひっくり返る程の大騒ぎになるのよね・・・勘弁して欲しいわ。』

 もしティモがテスの力を借りて蘇生などしようものなら一大事になるのは判っていた。巻き添えを喰らわないためにもそれだけは絶対に回避しなければならない。

 そして、そうだからこその守護魔法である。要は死ななければ良いのである、どんな無茶苦茶な手段を使ったとしても。仕込みは万全、ついにミュリッタ様の真の実力が披露される時が来たようだった。

 盛大なドヤ顔でふんぞり返るとミュリッタは凹んでいるフォルセリア達の話に割り込んでいった。

「心配ないわよフォルセリア。私が直々に守護魔法を授けてやったのよ? 死人なんて一人も出やしないわ。」


 一瞬二人になにか可哀相な子を見るような目で見られたのは不本意だがフォルセリアは弱々しく微笑むとミュリッタをねぎらった。

「ああ、すごい守護魔法だったよ、みんな驚いていたさ。あれが無ければもっと多くの犠牲者が出ていたと思うよ。でも流石に首を斬りおとされたのでは・・・」

 ・・・来た、ついに決定的状況が! ミュリッタはさらにふんぞり返ると破顔一笑した。

「ふっ! 私の秘術を甘く見ないで欲しいわね。首が落ちた程度で死ねるなどとは思わない事よ!! ふっ・・・ふふっ! フハハハハハハハ!!!」

 唖然とするフォルセリアとティモを目の前にして得意満面のミュリッタ様の高笑いが赤竜亭に響き渡ったのであった。


「そ・・・それは凄いんだな。なんか拷問みたいに聞こえなくもないが。」

「まあ見てなさいって。そろそろみんな戻ってくるわ、忙しくなるわよティモ。」

「まったく・・・偉そうにするなら治すところまでやってもらえないんですか? その魔法。」

「贅沢言わないの、今回は死なない事に全振りしてるんだから。」


 そう言いながらティモとミュリッタは次の行動を開始した。

「フォルセリア、傷は治したけど体力が戻るまでは食事して安静ですからね?」

「あいよ。仕方ない、少し休ませてもらうよ。」

 フォルセリアは頷くと部屋を出て行こうとしていたミュリッタを呼び止めた。


「なあミュリッタ、神術の反動で血を吐いたあれはいったい何だったんだい?」

 そう問われたミュリッタは難しい顔をして少し考えながら言った。

「う~ん・・・強すぎる力の反動に体力が尽きかけていたとか、複数の要因が重なってああなったのだとは思うけど・・・」

「うんうん。」


「まあ、一言で言っちゃうと神様アレルギー?」

「・・・・・ごめん、やっぱり世界を歪めた代償って事にしておくからな?」


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