第四十五節 : 狂乱の魔人
第四十五節 : 狂乱の魔人
灼熱の地獄と化した廃墟の地下でガルドーは一人佇んでいた。
そこには死が溢れていた。
この館に集めた百狼戦団のならず者達や奴隷人足、そして薬や幻術で適当な夢を見させてやった貴族達が始めた精霊教なるカルト教団の信者など、搔き集めた三百余りの人員はことごとく死に絶え、生き延びた者は一人たりとも存在しなかった。
館の地下深くにあったこの場所ですら、灼け付く高熱と満ちた有毒ガスにより全ての人間が死に絶えていた。
そう、それはガルドー本人も含めて。高熱に晒され干からびていく己の肉体の有様を見ながらガルドーは悦楽に満たされていた。
ついに自分も辿り着いたのだ、この境地へと。
初めてロドピスを見た在りし日、魂が歓喜に震えるのを自覚した。
これほどまでに美しい死が有るのかと、死の無限の可能性に狂喜した。全ての苦痛から解き放たれ無垢な魂を宿したまま永劫の時を見守り続ける、そんな不死者すら超越した魂の器の姿に憧れ、自分もその様になりたいと渇望した。
だが、それがロドピスの稀有なる魂の力によって成り立っている事もガルドーは理解していた。彼女に比べれば自分はただの凡人でしかない、その現実は受け入れるしか無かった。
だが、己の魂の力が足りぬのならば他者の魂を喰らって強くなれば良い。神とやらは皆やっている事だ。例え信徒が喜んで差し出した魂であろうとも、その本質は邪神もそうでない神々も何も変わりはしない。
そうやって多くの魂を捧げられた神が偉大なる神として恐れ崇められる存在へとなっていくのだ。
同じ事を自分が為すことの何がいけないというのだ。
若き日のガルドーはひたすらに他者の魂の力を取り込む為の方法を探究し続けた。それを究明したいなら実際にやっている奴を調べればいい。邪神の神官として生贄の魂を邪神に喰わせ続けたのもそんな理由からであった。
成果は次第に実感出来るようになっていく。
邪神に魂を喰わせる傍らで少しづつ自分もその魂の力を取り込めるようになっていった。その成果は魂の力が増す事による魔力の強化という結果によって明確に可視化する事が出来た。そしてその魔力が魔人の域へと達する事により、ガルドーは常人を遥かに超える寿命を得たのである。
もはや邪神など力を得るための道具程度にしか考えなくなったガルドーにとって、教団に集う有象無象共は邪魔でしかなかった。
教団の中で不動の頂点に立ったガルドーは新たな信徒を募らず教団そのものが自然消滅するのを待った。そして新たな生贄を調達するシステムを構築するとただ黙々と自分の力を蓄える事に専念するようになる。
だが忌々しい事にそれでも魂を取り込む過程で邪神の神性としての力は必要不可欠であった。ガルドーは邪神の存在と対立しない程度でしかその力を横取りする事は出来ず、その歩みは遅々として進まなかった。
邪神の復活など何の興味も無いガルドーであったが己の目的の為には邪神の力に頼り続けざるを得ない。全くもって不本意な有様であった。
かつて世界を守る大天使にその魂のほとんど全てを消し飛ばされ、もはや抜け殻同然の残りカスがなぜいまだに真理を纏う存在で有り得るのか、それが理解出来なかったガルドーは邪神の纏う真理をもたらす根源について探求するようになる。
そして邪神が纏う死と恐怖の象徴としての真理、それが深き者たる邪神が冥界の扉を開く者である事に由来するのだと頭脳明晰なガルドーが推論するまでにさほど時間はかからなかった。
創世神フィニスの伝承によれば冥界の扉はこの地に太古より存在していたものであり、深き者は世界が開放された後にそれに呼び寄せられただけの存在でしかない。そう結論したガルドーは自らが冥界の扉を開く存在になれば、邪神の持つ神性の一端を自分も手にすることが出来るのではないかと考えるようになる。
だが、深淵の底にあったとされる冥界の扉は大天使ノアルとの戦い以降、完全にその機能を失ってしまっていた。ガルドーは古の扉を利用する事は諦め新たな冥界への門、冥府魔道を開く為の研究に没頭するようになるのである。
そして今、遂にその努力が結実しようとしていた。
多くの命が失われ居場所を失った魂達がガルドーが示す道標に群がり冥界へ行こうとひしめいていた。その力を束ね、凝縮してガルドーは遂に冥界への道を自らの手で切り拓く事に成功したのである。
それは大きさで例えるなら針の先で開けた穴よりも小さい物だったかもしれない。
だが間違い無く冥界へと続く道が顕現していた。
その世界に満ちる凄まじい負の生命力や負の魔力、その負圧によって吸引された魂達は激流となって冥界へと流れていった。その濃密な魂の濁流からガルドーは存分に魂の力を汲み取り、自分の魂へと取り込む事に成功したのである。
そして自らの肉体も死を迎える中で遂にガルドーは念願の存在、ロドピスのように魂の力のみによってこの世界に存在し続ける生者でも不死者でも無い存在への昇華を果たしたのだった。
ガルドーは全人生を捧げて挑んだ賭けに遂に勝利したのである。
「天命を待つなら人事を尽くせ。全てを捨てて己の持つもの全てを注ぎ込め。自分の力で為せぬのならば神羅万象この世界の全てを利用しろ・・・か。魔導皇帝ルゥよ、貴方の言葉には真理を感じざるを得ませんね。これが、これこそが私が手にした天命というものだ!」
ガルドーは歓喜の雄たけびを上げていた。死して尚これほどまでの激情に満たされるとは何という奇蹟であろうかと、不死者を見続けたからこそ分かる驚きと発見に学者としての知性が疼いて堪らない。
無限に続くさらなる高みへの道が今目の前に現れていた。ついに手にした無限の可能性、これこそが真に渇望してやまなかったガルドーの理想郷であった。
そしてそれは新たな邪神となり得る者の誕生でもあったのだった。
これこそがガルドーの真実の姿だった。そう、この時点でフォルセリアを始め、全ての人間がガルドーの本質を見誤っていたのだ。
狡猾で用意周到な邪神の忠実な僕にして代行者、そんなガルドー像など実物のガルドーに比べれば仔犬のようなものでしかない。真のガルドーは邪神の力を利用してのし上がり、魔人となった今さらに自らが神の領域に足を踏み入れんと欲する野望と狂気の化身であった。
かつて大天使ノアルと完全体だった深き者が対決した折、敗北した邪神が最後に放った呪いにより、邪神の魂はノアルの魂を道連れにして冥界へと墜ちていった。
だが大天使の持つ無限の魂は強大過ぎて冥界の扉を通過するどころか、それを逆に塞いでしまったのだ。逃げ道を塞がれてしまった深き者の魂はノアルの魂と相殺し、消し飛ばされてしまった。
邪神が先になって落ちていれば自分だけは逃げ帰れたかもしれないのだが、どうにも間抜けな結末に相成ったのである。
そしてノアルの魂もまた冥界の凄まじい負の力に捕らえられ、そこから動けなくなってしまったのだった。
その状況が長き年月を経た今もなお続いている。
力の源である冥界への道を閉ざされた邪神はかろうじて魂を永らえたもののその力の根源を失いただの残りカスとなり果てて現在にいたる。邪教徒達が喰わせた生贄の魂のおかげである程度の回復には成功したものの、このまま冥界の扉を封じられたままならば深き者がかつての姿を取り戻す可能性は皆無であった。
ガルドーが邪神の神官としてその復活に尽力して来たのは道具としての邪神の存在に利用価値があったからでしかなかった。邪神の存在が強大になればより強い神性の力が行使できるようになる。ガルドーは自分の目的を達成するための手段の一つとしてその可能性を温めていたに過ぎない。
だが、ついに自力で冥界への道を開く事に成功した今、あの残りカスのような邪神の存在はガルドーには邪魔なお荷物でしかなかった。だからガルドーはここに来て邪神の存在を速やかに切り捨てる判断を下したのだった。
『思えば邪神復活が失敗に終わるのは必然だった。冥界の扉を抑え込んでいる大天使ノアルの魂を強制的に転生させる為の器だったラブダの処置に失敗した時点で世界からの干渉が始まったのは明確・・・力の源を大天使に抑えられている以上完全復活など望むべくもない。』
因果を操り失敗する事など有り得ない必然のはずの結末が書き換えられた。その時点で邪神を上回る何かの干渉が始まったと考えるのは当然だった。
世界が今、邪神を葬らんと拳を振り上げ迫っていた。
邪神と心中するつもりなど毛頭ないガルドーは最後の仕上げに邪神を囮とし、自分は密かにこの狂乱を離脱する事にしたのである。
『腐っても邪神・・・今まで蓄えた力を使って強制的に顕現させればカエルラの一つ位は死人の都と化してくれるだろう。血眼になっている連中への囮としてなら十分だ。』
この邪神のおかげで多くの知識と力を得た。おまけに最後は身代わりまでしてくれるのだ、かけた手間の分だけの価値は十分に有った掘出し物ではあった。しかしその関係もリスクでしか無くなった以上は終わりである。
たっぷりと貯め込んだ死と恐怖の象徴としての力、一気に吐き出せば歴史に残る大厄災として人々の心に刻まれるのだ。象徴としての神の最後としては本懐だろう。
だが今は時刻が悪い。邪神の力を引き出すなら今暫く時を稼ぐ必要があった。
「まったく・・・あんな人の形をした化物の相手をさせられるとはな。この世の理不尽も極まれりといったところか。」
そうぼやきながらガルドーは残された手札を切った。
あの銀翼の攻撃に晒された者達の恐怖と絶望たるや、どちらが死と恐怖の象徴か分からない程のものであった。だが、おかげで予想よりも少ない魂で冥界への道が開けたのだから何が幸いするか分からないものである。
邪神の命運は尽きたのかもしれぬが、それでも因果の流れはまだガルドーに幸運をもたらしていた。必ずやこの賭けに勝ち切り未来を切り拓いてみせる、その意思に微塵の揺らぎも無いガルドーにはまだ進むべき道がはっきりと見えていた。
死霊術師特有の魔法によって戦場から少し離れた場所に置かれた死体が不気味な声で言葉を発し始める。
その周りには生きた人間が数名、それがガルドーの用意した手札であった。
薄汚れた防寒着に身を包み焚火を囲んでいた荷役の人足らしき男達は、死体の口から聞こえた言葉を聞くと立ち上がり、ようやく仕事だと笑いながら小屋を出て行く。
程無く男衆の掛け声と共に重い音をたてて荷車がその場を去っていった。
無人となった小屋の中にはまだ不気味な声が響いていた。
「トドケモノヲタノム・・・トドケモノヲタノム・・・トドケモノヲタノム・・・」
連れ込まれ嬲り殺されたまだ幼さの残る娼婦の亡骸が、虚ろな目を見開いたままそう呟き続ける。
ガルドーはただ、彼らに『死体を一つ用意して待て』と言っただけである。だがその結果がこうなる、それが魔人ガルドーという存在であった。ガルドーに関わる者は皆、狂気に囚われゆっくりと壊れていくのだ。
そして今その狂気の魔の手がフォルセリア達へと忍び寄ろうとしていた。
「なんだぁ? 荷車が来たぞ。東街道から接近中。」
尾根を越え斜面を下り始めた荷車はすぐに冒険者達に発見された。もっとも元々通行を制限している訳ではないし通行人がいるのは想定内だ。雪が降ったおかげで今までは通る者もいなかったが戦闘も収まり街道を通る者が出て来る事に不思議もなかった。
人力荷車、勾配の急な折り返しの多い山道では馬車の運搬は危険が高すぎる。この一帯では長距離の荷の運搬にも人足を複数揃えて荷車を曳くのが一般的である。荷車も全ての車輪に制動装置の付いた鉄輪が使われる特殊な物が多い。
カエルラ方面、そしてフォルセリア達の居る方向へ向かってくる荷車はそんなこの地域では見慣れたものであった。大きな木の樽を満載した重そうなその荷車は雪の残る下り勾配の街道をゆっくりと慎重に進んでいた。
冬も近い、この季節カエルラに冬越しの為の物資を運び込む荷車が出入りするのは珍しくもない光景であった。
今は戦闘も収まっている。その荷車を制止する理由はフォルセリア達にも無かった。
だからゆっくりと近づいてくるその荷車を彼らはただ傍観したのだった。
だが次第にその馬車が近付くにつれ冒険者達の中に言いようのない嫌悪感を感じる者が出始めた。最初にそれを感じたのはフォルセリアの隣に立つアルゲだった。
「・・・・・!」
険しい顔をして身構えるアルゲの様子を見て、フォルセリアはそれが普通の荷車で無い事を悟った。
「・・・あれは何だい? アルゲ。」
「分からない・・・でもおぞましい穢れを感じる。」
アルゲは極北の民の出身だ。極北の民は別名『神を失いし民』とも呼ばれている不思議な第六感を持つ民族である。
曰く、元々極北の民が奉ずる神の居た世界は滅びに瀕していたという。だが時を同じくして大天使テスがこの世界を開放し、この神創界フィニスに繋がったその神は一縷の望みを託してテスに助けを求めたのだった。
テスはそれに応じ僅かに生き残ったその神の民達をこの世界へと逃げのびさせた。そして程なく、その神は自らの世界の滅びと共に消滅したのだった。
残された民は神の最後の恩寵により危機を逃れる不思議な直感を得、失われた神を悼みながら大天使の庇護の元でこの世界に根付いたのだった。
彼女の直感は正しい、その事を幾度も危機を救われたフォルセリアは知っていた。
鋭い声で指示が飛ぶ、それは甲高い呼子の笛の音となって全員へと伝えられた。
「止まれ! どこへ行くつもりだ!」
もう本陣が陣取る高台の麓までやって来た荷車に向かって数名の小部隊が飛び出して行く。
先の戦闘では消耗の少なかった者達を集めて即応部隊としての班が予め編成されていた。すぐに動けるように待ち構えていた彼らは速やかに行動を開始すると近付いてくる荷車の前に立ち塞がった。
その中には今まで全く出番のなかったアグリッサと、口ばかり動いて全く魔法を撃っていなかったシガノーの姿があった。
だが殺気だった冒険者達を前にしても人足の頭は動ずる気配もなく、人懐っこい笑顔を浮かべながらお辞儀をしてきた。
「いや~、お邪魔して申し訳ありませんねお武家さま。すぐ終わりますんでご勘弁下さいませんかね。」
微塵も怯える様子もなくにこやかに笑うその姿に何か違和感を感じる。だが確信を持てるようなものは何もない。冒険者達は逆に不安が募るばかりであった。
「どこへ向かっている、一体何を運んでいる!」
そう押し殺した声で恫喝された人足頭は頭を掻きながらちょっと困ったような笑みを浮かべる。
「いや~、あっしらはただ頼まれた荷を運ぶだけの商売なんでねぇ・・・積み荷の中身までは詳しく知らないんですわ。カエルラの方に向かうとこなんですけどねぇ。」
嘘をつけばすぐ分かる、だがフォルセリアは沈黙したままだった。人足頭の言葉からは偽りは聞こえなかった。しかしそれでも微妙な言い回しに潜んだ不穏な予兆を感じる。それは参謀のアマシスを含めそこにいた多くの人間が感じた事でもあった。
アマシスがフォルセリアを見る。フォルセリアが無言でそれに頷くとアマシスは前に出て大声で臨検中の部隊に指示を出した。
「現在まだ戦闘中である! しばらくその場で待機願いたい!」
それを聞いた人足頭は仕方が無いというような仕草を見せると人足達に休憩を出す。それを遠巻きに囲んで冒険者達が監視を続けながら、話術に長けた冒険者の一人がそれとなく尋問を開始した。
「この樽はなんだい? 酒か?」
酒を入れる類の樽ではないから勿論違う事は分かっている。だがとにかく今は相手から何か情報を引き出す為に多くを喋らせる必要がある。鎌をかけて相手の反応を見る。
「いえ、そいつは塩漬け肉の樽ですなあ。獣脂を入れる事もあるけどねぇ。」
正解だ、中身を知らなくとも入れ物を見れば何の用途かはすぐに分かる。日頃運び慣れている人足が樽の種類を知らない訳がない。使い込まれて年季の入った丈夫な樽だった。
となると、危険なのは油か・・・・そんな事を考えながら樽を軽くこづくと中身の詰まった鈍い音がした。そしてふと樽の下を見るとそこには木を組んで作った丈夫な木枠がはまっていた。
それは樽台と呼ばれている荷車の台座だった。
坂道を移動し続けるとどうしても普通に積んだだけでは積荷が寄っていってしまう。重い積荷の場合その重心の変化がとてつもなく危険な状況を引き起こす事も少なくない。だから樽のように動きやすい積荷を乗せる場合、樽に合わせた窪みのついた荷台を本来の荷台の上にさらに増設して樽が寄らないように固定するのだ。
その木枠の部分だけ、新調したのか随分新しい木で出来ていた。あと随分と念入りというか、かなり深い枠がこの荷車には取り付けられていた。
その事に気が付いた冒険者は仔細に台座のまわりを調べ始めたのだった。
その冒険者が台座を嗅ぎまわり出した刹那、一瞬だが人足頭の表情が険しくなったのを寡黙な冒険者は見逃さなかった。そう、シガノーの相棒である彼である。
名前は・・・多くの者は名乗ったのを聞いた事が無い。みんな“あいつ”とか“シガノーの相棒”とか呼んでいる。どう見ても訳ありの輩ぽいので深く追及するものは誰もいないのだ。
彼は早足で台座を調べている冒険者に近づくと囁いた。
「・・・気を付けろ、奴の表情が変わった。」
端的に事実だけを伝える、今はそれで充分だ。そしてその場を離れようとした時、彼は拭いされない嫌悪感の正体に遂に気が付いてしまったのだった。
『何だ、この臭いは・・・』
それはごく僅かな臭気だった。だが分厚い樽から微かに染み出してくる異臭、それが臓物の放つ臭いだという事に気が付いてしまった相棒は全身の毛が逆立つ感覚に襲われた。
「くそっ!!」そう呟いて何事も無かったふりをして踵を返すとその場を離れようとする。だがその前に満面の笑みを浮かべた人足頭がいつの間にか立ち塞がっていた。
「どうかしなさったので、旦那?」
その笑顔に最早嫌悪しか感じない、正視する事も出来ず目を逸らした相棒はぶっきらぼうに言い放った。
「なあ、大将。この荷の保証金は幾らだ?」
「はい? 保証金ですか・・・さて幾らだったか。また一体なんでですかね。」
「悪いが中身をあらためさせてもらう。荷を無駄にした金は出す、十分に色をつけさせて貰う。それなら荷主も文句は無いだろう。」
それを聞いた人足頭はやれやれという感じで頭を振ると答えた。
「分かりやした・・・それなら存分にお確かめくだせぇ。」
「良いんだな?」
「へへへ、“荷主から”そう言われておりますんで・・・」
「・・・何だと?!」
頭から血の気が引いていく。寡黙な相棒は今、自分がとてつもない失敗をした事を悟ってしまった。
ゆっくりと荷車に戻っていく人足頭を呆然と見送る。やめろ、その中身を晒すんじゃない・・・自分で言っておきながら、もしその中身が白日の元にさらけ出されたら何が起こるかを予想して戦慄した。
「おい止まれ! お前は何もしなくていい!!」
短剣を抜き鋭い声で威嚇すると人足頭は足を止めた。だが、その時悲鳴に近い叫び声が荷車から聞こえてきた。
「離れろ! 火薬だ!!! 台座の中に火薬が詰められているぞ!!」
叫んだのは台座を調べていた冒険者だった。
それを聞いた人足頭は満面の笑みを浮かべて深々とお辞儀をする。
一瞬の後、人足頭も巻き込んで荷車は轟音と共に吹き飛んだのだった。
もしこの手のトラップに長けた者なら積荷に揮発性の油、そう百狼戦団のチンピラ共が使っていたような物を使っただろう。爆発と共にまき散らされた油は引火しその熱で一気に気化すると更なる爆発を引き起こす。それだけでも辺り一帯を火の海にする事は出来るはずであった。赤竜亭の冒険者達にも多くの死傷者が出た事だろう。
だが、この荷車の積荷は燃えるような物ではなかった。
それはガルドーにとっては種のようなもの。そう、狂乱を撒く種であった。
樽の中身が爆発によって上空へ吹き飛び、飛び散った。切り刻まれた人間の肉塊と血の雨が冒険者達の上に降りそそぐ。強烈な血と人間の臓物の悪臭が辺り一帯に広がった。
買い集められた傷病人や子供の奴隷がどうなったか、これがその答えであった。
凄惨な光景が出現する。だがこれは呼び水、ガルドーが冒険者達に恐怖と狂乱を植え付けるための序章に過ぎない。
本当の地獄はこれから始まるのだ。
「ああ・・・ああっ!! アガァウァアァァアッ!!!」
狂乱は心の弱い者から始まる。そして最初に響き渡ったのはアグリッサの人とは思えない絶叫だった。
正気を失ったアグリッサが剣を抜く。次の瞬間、一番近くにいたシガノーの首が切り落とされ、地面に散らばる肉塊の一つになっていた。
それが狂乱の宴の始まりであった。