第四十一節 : 魔導帝国
第四十一節 : 魔導帝国
其の力 天に頼らず 地に根差さず
此の世を彷徨う 根無草
真理一つ持たぬ身で 世界に挑みし同胞の
愚行と労苦とその血肉 積み上げ築きし愚者の塔
其の力 無限に紡ぐ 人の力
無力な足掻きに始まりて 全てを越える歩みを成さん
讃えよ全ての愚者達を 紡ぎし叡智の輝きを
足掻き続ける我らの歩みを 永久続く探求を
其は人の杖 全ての迷える者達の 支えなれとぞ望まれし
其の道標 この手に掲げ 全ての賢者に道を示さん
【 魔導帝国記 帝杖の章 】
ミュリッタの生まれた賢者の塔はかつて古代魔導帝国を建国した魔導師達が俗世から離れ更なる高みを目指す為に造られた魔導師の為のユートピアであった。
魔導帝国後期、魔導師の多くが賢者の塔へと移住し帝国中枢は著しく弱体化した。だが時代は既に各地方の自治により帝国の施政を必要としない状況になっていたため大きな混乱も起きず、以後帝国は緩やかな衰退を続ける事となる。
帝位を継ぐ初代魔導皇帝の血縁となる魔導師はいなくなり、前期魔導帝国と同義であるルゥ朝魔導帝国は終焉する。神器をも超越した人類の生み出した奇蹟と呼ばれ、代々魔導皇帝が受け継いできた至宝である帝杖の主も賢者の塔の頂点たる大魔導が務める事となった。
帝国に残った魔導師の中からも新たな皇帝が即位したが、最早それは遺された膨大な魔導帝国の遺産を管理するための相続人といった趣であった。
賢者の塔こそが古代魔導帝国の本流であると見なされる所以である。
そもそも古代魔導帝国とは何か。
端的にいうならばそれは社会・経済活動における基幹インフラのシステムである。
初代皇帝ルゥは魔法と魔道具による先進的かつ強力な社会基盤を構築し、帝国の傘下となった者達へそれを提供した。
最初は圧政に苦しむ国家の国民を解放し民衆の為の国家を作り、その後はその圧倒的利便性・生産性を武器に周辺地域を経済的な依存状況へと誘導し帝国へと組み込んでいった。有事に備えた強大な軍事力も有していたのは事実だが、その成立過程において武力による侵略を行う事はせず、経済力や社会サービス格差によって周辺地域が帝国傘下に入らざるを得ない状況へと追い込んでいく、それが魔導帝国の拡大戦略であった。もちろんその過程で帝国に参集したい民衆と支配を続けたい為政者との間で内乱が頻発した事と、その民衆の保護を名目に軍事的な威圧を度々行ったのも事実ではあるが。
そのやり口は徹底していて、一夜にして大都市の人口がほぼ全員帝国へと移住したなどという桁外れの規模の事件が頻発する事となる。帝国としては圧倒的な生産力をすでに国内に保有していたため人間だけを自国内へと連れて来てしまえば他国などあっという間に崩壊させる事が出来たのである。帝国内にはそれを前提とした工業都市や農業都市が多数建設され、新しい労働力が到着するのを手ぐすね引いて待ち受けている状況だったと言う。
そして多くの人々がそれを喜んで受け入れてしまうくらい、帝国とその他の国では生活水準が違っていたのである。
そうして拡大を続けこの大陸における帝国の圧倒的優勢が鮮明になると、周辺国家は内乱による自滅を待つよりは地域勢力として姿を変えて生き残る道を選び、雪崩を打って帝国の支配下へと下ったのである。
こうして僅か百年足らずで大陸中部から西端に至るまでのほぼ全域をその版図とした巨大国家、それが古代魔導帝国である。
在位期間百年を超え『不死皇帝』などと渾名された初代皇帝ルゥは一代でこの帝国の版図を築いたのである。もっとも彼が皇帝を名乗ったのはその覇道を歩み出してからかなり経ってからの事だったので在位五十年頃にはすでに帝国は完成していたという。
魔導帝国は魔晶石の確保が困難となり社会基盤を維持するのが不可能となる事が明確になった為自らその終焉を宣言し、各地域は各々の自治組織へと分割され独立していった。
だが魔導帝国が滅亡した後も長い期間に渡ってその傘下だった各地域は緩やかな連邦制を維持しそれなりに平和的な時代を過ごしたのだった。
その時代、賢者の塔は旧宗主国として各国間のいさかいの仲裁や他では手に負えない外敵の排除に力を貸し続けたのだった。
その結果、今現在でも賢者の塔は名前だけではあるが旧魔導帝国の流れをくむ国家・地域にとっての旧宗主国としての位置付けになっているのである。
この王国、トロッサス共同統治連合王国もまた古代魔導帝国を旧宗主国と崇めその流れをくむ国家の一つである。平和的に成立した連邦制に限りなく近い王権体制、他国への不干渉・不拡大方針、そういった物も元を辿れば古代魔導帝国時代の記憶の残滓、郷愁とも呼べるものが根底に流れていた。
だから真偽のほどはさておいて、賢者の塔の大魔導が国王よりも上の格付けになるのは当然の事なのだ。伯爵の言う序列とはそういう意味であった。
そんな訳で気が付けばミュリッタが集団の先頭を歩く事になっていた。伯爵と並んでスイダス王子がその後を追いそのさらに後方を大勢の騎士達が粛々と付き従う、迷惑千万な光景であった。
すれ違う街の人々の驚愕した視線がミュリッタに突き刺さり気力が音の出そうな勢いですり減らされていく。
『どうしてこうなった・・・』心の中でぼやきながら門へと急ぐミュリッタであった。
そんな集団に押しかけられた門の衛兵達にしても迷惑極まりない話であった。
門は完全閉鎖、明日の朝までのんびり出来ると思っていた矢先にお偉いさんが大挙して押し寄せて来たのでは抜き打ちの安全パトロールどころの話ではない。酒瓶がひっくり返る音やらなんやらが控室から派手に聞こえてくる有様だった。ちなみに勤務交代した衛兵が食事を取る場合酒を飲んではいけないという規則は無いのだが。
寒い夜には血行を良くする為に酒を飲む兵士は少なくないが、この状況で随分とくつろいでいた様子には王子も苦笑するしかなかった。
「まったく、随分と平和なものだな。殺人犯がいつ逃亡を図るかもしれないのだからせめて見張りは三人以上立てておくように、頼んだよ。」
そんな軽口でやんわり釘を差すと王子はうろたえる守備隊長を解放した。
へぇ、そんな話し方も出来るんだ・・・とミュリッタは少し感心したのである。それが銀翼の真似だという事には流石に気が付かなかったが。
だが次の一言で王子の評価は一気にマイナス圏まで下落した。
「これより出陣する! 門を開けよ!」
王子がそう下知したのを聞いたミュリッタがブチ切れた。
「こいつ・・・人の言う事全然聞く気ないだろ。」
「親譲りなんだ・・・申し訳ない。」
「伯爵も大変ね、こんな我儘坊主の教育まで押し付けられて。」
「そんな事はないよ、見るべき素質は数えきれないほど有る。今足りないのは知識と経験、そして実力さ。」
「・・・それ、今は何の役にも立たないと言っているわよ。これ以上暴走したら一週間尿管結石でのたうちまわる呪いを掛けてやるわ。」
「ま・・・まあ、とりあえず門は開けてくれたから許してあげてくれないかい?」
兎にも角にも、王子のおかげで無事街を脱出できる次第となったのであった。
降ろされていた落とし格子が重い音を立てて上がって行く。一同少し下がった所に控えてミュリッタ様が先頭を切って出陣するのをお待ちの様子であった。
『だから何でそうなるのよ!』・・・いや、何でってミュリッタ様がそこをどけ目の前に立つなと言ったからですよ。そういう言葉の機微には彼らは忠実なのである。
伯爵までそれににこやかに便乗しているのは・・・多分王子をいじめた事に対するお仕置きである。
溜息をつきながら先頭に戻る。隠形部屋で高みの見物をしているティモが大笑いしているだろうと思うと何か余計に腹が立ってきた。
ミュリッタは開き始めた門扉の隙間からさっさと外へ出ようとした。
すると外から物凄い勢いで何かが駆け込んで来た。
「伯爵さまぁあ~~~!!」そう絶叫しながら駈け込んで来た女に不意を突かれたミュリッタはもろに膝蹴りを貰う羽目になったのだった。
チョークに膝を叩き込まれた瞬間、のけ反りながら咄嗟に対抗魔法を発動させる。
「何すんじゃコラァ!! 帝国式ブレーンバスタァア~ッ!!」
魔力によってかち上げられたアグリッサの体はミュリッタを中心にして半回転すると加速しながら地面に叩きつけられたのだった。
「だ、大丈夫か?! アグリッサ!!」
「ぜぇぜぇ・・・お前かこの馬鹿娘が。」
「伯爵様・・・最後に一目会えてうれしかった・・・・」
「いや死ぬなよ! 何しに来たのよあんた。」
もう一人、外からゆっくりと人影が歩いて来た。アグリッサの付き添いのアルゲだった。
「すまないミュリッタ。この娘がどうしても伯爵様に会うまで帰らないと駄々をこねてしまってここでずっと待っていたのよ、この寒い中。」
「全く・・・城門開いた途端に飛び込んでくる奴がいる? 下手したら問答無用で切られるわよ。」
伯爵に抱きかかえられて変なスイッチの入ったアグリッサを後目にミュリッタは歩き出した。
「伯爵、それじゃ私達はここで失礼します。アグリッサの事はお任せします。」
王子と騎士たちが赤面して目を逸らしている二人にそう言って帰ろうとするミュリッタを伯爵は押しとどめた。
「いや、少し待ってくれないだろうか。アグリッサ、一体なんの用なのだい?」
「伯爵様、フォルセリア様に助力するお許しをいただきたいのです・・・」
「何だ、そんな事を一々許しを貰いにきたのかい? 構わないよ、存分にやりなさい。己が正しいと思った事をためらう必要など無いんだ、分かったね?」
そうアグリッサを諭すと立ち上がらせた。
「私もこれから部隊の指揮に向かう。つもる話は全て終わった後でまたおいで。」
そう送り出されたアグリッサは素直にミュリッタ達の所へと戻ってきたのだった。
挨拶もそこそこに伯爵一行と別れ赤竜亭へと帰路につくミュリッタ、アルゲ、アグリッサ。
「ミュリッタ、ティモはどうしたの?」その質問にミュリッタは無言でゼスチュアを送ると廃墟の建物の物陰へと入って行った。
建物の物陰で遮断の法囲を展開するとミュリッタはアルゲ達に言った。
「これから外に出すわ。本当は赤竜亭まで隠すつもりだったんだけど、どうも無駄だったみたいだから。」
「どういう事?」
「隠形術で異空間に隠れて貰っていた。一人保護している人がいるんだけど既にアンデッド化しているのよ、驚かないでね。」
そう言うとミュリッタは隠形術の扉を開いた。中からティモとロドピスが出て来るのを見てアルゲ達が驚愕するのは当然だった。彼女達がミュリッタの隠形術を見るのは初めてだったのだから。
ロドピスはまだ外見の偽装がかかったままである。だがその負のオーラは隠せるものではない。多少気に敏い者であれはすぐにその違和感に気付くだろう。アルゲもアグリッサも一目で彼女が普通ではない事は理解した。
ティモはずっと彼女の付き添いで傍にいてもらっていた。邪神相手ではミュリッタの隠形ですらロドピスを匿い通す事が出来るのか自信が無かったからである。神性の力は次元すら超越する、その為の備えだった。
邪教徒共がそんなに簡単にロドピスの事を諦めるとは思えなかった。そしてその不安が的中していた事をミュリッタは今確信していた。
「ミュリッタ!」アルゲが鋭い声で危険を告げた。
「分かってる、私が片付けるわ。」
ミュリッタが冷たい声で応えた。複数の追跡者の存在を感知していた。
どう連絡を取り合っていたのかは分からない。だがそれが今、郊外に伏せていた集団と合流して彼女達を包囲しようとしていた。
市街の中から尾行してきた連中は容易に城壁を越えて来た。人外の類、使い魔か何かである。ならばもう情けを掛けるつもりは微塵も無い。呪殺闇討ちが常套手段の邪法師相手の戦いであれば敵は全て皆殺し、それが常識である。見逃したところで何度でも寝首を掻きに来るだけなのだから。
物陰からミュリッタが一人歩み出る。
荒れ果てた廃墟の大通りを見渡すがそこには何の姿も無い。そう、見た目だけならば。
だが、姿を消してもミュリッタの展開する魔力の領域の中で隠れおおす事は出来ない。ミュリッタには姿隠しの術を使った六人の暗殺者が認識出来ていた。息を殺し忍び寄って来るその姿すら滑稽な程にはっきり見えている。
杖代わりの指輪が妖しく光を帯びる。ミュリッタは目の前の空間を手刀で横に薙ぎ払うような仕草をした。
次の瞬間、虚空に六つの血の花が咲く。
そのまま天を衝くように掌を上に突き上げる。放たれた魔力の波動を浴びて上空を漂っていた人外の追跡者も跡形なく消滅した。
後には先程まで人間の形をしていた十二個の肉塊だけが地面の上に転がっていた。
他の四人が物陰から出てきた。
ティモ以外の三人の表情は硬かった。普段は意識しないようにしている、だが改めて目の前にいる魔導師が指一本動かせば常人の命など一瞬で消し飛ぶ存在である事を再認識していた。
『あ~あ、またやっちゃった・・・』ミュリッタは心の中で呟いていた。
相手の手の内が分からない以上未熟なアグリッサや人間の域を出ないアルゲを前に出す訳にはいかない。これがベストだったのだ。
だが最小限の力で相手を屠っても恐怖の対象にしかならない。そんな風にしか自分を見ない他人の視線が疎ましかった。苦戦している演技でも身に付けようかしら、自嘲気味にそんな事を呟いた。
ぽつんと一人で立ち尽くすミュリッタの後ろにティモがそっと寄り添った。
膝を曲げ体をかがめてミュリッタの耳元で何かを囁く。その姿は優しく慰めているように見えたのだった。
だがティモがミュリッタに囁いた言葉は他人からは想像もつかない内容だった。
「この襲撃犯の中の二人、エナン様を襲ったならず者達と同じ人間ですわ。」
「!!」
ティモは最初から“見えていた”ので顔を覚えていても不思議では無かった。
だがそうなると百狼戦団が邪教徒と関わりのある事はほぼ確実となる。一部の構成員が邪教徒との二束わらじだった可能性はあるが、それが下級の構成員だけという保証は無い。
六分の二、エナンを襲った二十名足らずの中からならかなりの率である。
「あのチンピラ共が奴隷商と同じく邪教徒の隠れ蓑だとしたら・・・まずいわね。」
行方不明のガルドーがもし合流していたら、邪神の高位神官クラスを敵にする事になる。それは呪い、死霊召喚、そして暗黒魔術などの凶悪な邪法の攻撃にさらされるという意味である。冒険者どころか正規騎士の軍勢でも一人の前に敗退した事例が幾つも存在した。
「伯爵は既に関係している可能性に気が付いているわ。問題は赤竜亭の冒険者、対策もなく不意を突かれたら壊滅よ。」
「急ぎましょうか、フォルセリアに早く知らせないといけませんね。」
ティモは全員を呼び集めると赤竜亭へと急ぎ戻ると伝える。
ロドピスの紹介も最低限にして一行は帰路を急いだのだった。
赤竜亭に辿り着いたティモ達を多くの冒険者が驚愕の眼差しで迎えた。
有無を言わさぬ圧倒的なミュリッタの魔力に皆沈黙したものの、不死者の気配に気が付いた冒険者は少なくなかった。手練れともなれば多少の闘気の心得があるのは当たり前の事、そうでなければ魔物とまともに戦う事も出来ないのだから。
だが赤竜亭の冒険者達が彼女達を仲間として迎え入れたのを見て皆静観する事にしてくれたようだった。
店に入ったミュリッタは真っすぐおやっさんの所を目指す。
相手も心得た物でそこにはすでに銀翼とフォルセリアの姿もあった。
「遅いぞミュリッタ、心配したじゃないか。」
フォルセリアにがっしり抱きしめられたミュリッタはようやく一息ついた気持ちがした。
「ごめん、色々有り過ぎた。あとでゆっくり話すわ。」そう言うとミュリッタはその場にいる人達に向かって話を切り出した。
「街からここに戻って来る途中、暗殺者の襲撃を受けたわ。数は六人、あと使い魔か何かの追跡者の気配が三つ。全て姿隠しを使った不可視状態で襲撃してきた。」
おやっさんや銀翼はただ無言で頷いただけだったが、話が聞こえた冒険者の中にざわめきが広がる。
「全員始末をしたけど、問題はその出所。カエルラ一帯に勢力を持つ邪教徒の教団である事はほぼ間違いないのだけれども、その中に例のチンピラ集団の構成員が混じっていたわ。と言うより、あのチンピラ共が邪教徒の集団だと考えた方が良さそうな状況。」
「分かった、後でもっと詳しくお願いする。」そう言ったのは銀翼だった。
「次、おやっさん、この人を保護してほしいの、護衛は私達がする。」
そう言ってロドピスを指し示すと彼女も深く一礼する。
「どこに、って野暮は言わんが理由は聞いても良いか?」
「私達がその邪教徒の拠点をぶっ壊して来たとき保護した、やつらが生贄にしようとしていた人よ。彼らにとってはかなりの重要人物みたい。襲撃も多分彼女を取り返す為ね。」
「・・・そういう事なら仕方無いだろう。護衛に裂く人手は無いから嬢ちゃんにまかせるぞ?」
「いいの? 私も入って。」
「ああ、今まで我慢してくれたんだ、信じるさ。」
拍子抜けするくらいあっさりと認めてくれたのには少し驚いた。そしてそれ以上に信じると言ってくれた事が素直に嬉しかった。そんなミュリッタの表情が少し微笑んだのを見たフォルセリアは目頭が熱くなっていた。
彼女の中で間違いなく何かが変わろうとしていた。余命僅かなはずだった彼女に寄り添ってきたフォルセリアには彼女が奇蹟の救いを得た事が自分の事以上に嬉しい。その一方でもう自分の役目は終わったのかもしれない、そんな寂しさが心を締め付けていた。
だがそんな感傷もミュリッタの次の一言で消し飛んだ。
それは戦いが目前に迫った彼らにとっては凶報でしか無いものだった。
「あと、これが大問題。まだ邪教徒の首領が捕まっていないの。高位の邪神司祭が野放し状態になっているから、あのチンピラ共と合流するかもしれない。かなり強力な術を使えるだけの力を持っているはずよ、気を付けて。」
事態の重大さを理解したことは三人の顔を見れば一目瞭然であった。ミュリッタも含め、もう笑顔の人間はだれも居なかった。
ひとまずロドピスを匿う為に厨房の奥へと通された。
ここから先はおやっさんの聖域、入る事が許されるのは銀翼とその両親位しかいない。幾部屋もある地下室の貯蔵庫の一つに入るとおやっさんは隠し通路の扉を開けた。
「この先は一本道だ、ついて来てくれ。」
階段を下りながらおやっさんはロドピスに話しかけた。
「この下に俺の相棒がいる。竜だが人間なんかよりずっと賢くて優しいから心配はしなくていい。だが、もう一人今成り行きで預かってる嬢ちゃんがいてな・・・あまり怖がらせないでおいてくれ。」
「・・・・・はい。」
そのやり取りにミュリッタが我慢出来る訳が無かった、のはまあ仕方ない。思わず言葉を挟んでしまうのが人情というものである。
「大丈夫よ、ロドピスはラブダのお師匠様なの。」
だがその言葉に対するロドピスの反応は予想を超えた激しさだった。
「ラブダ?! やはりラブダなのですね?!」そう叫ぶとロドピスはいきなり一人で走り出した。明かりも持たず暗闇の中の階段を凄い勢いで駆け下りて行く。
「おい、ちょっと待て! 危ないから!」
おやっさんの静止も空しくロドピスはラブダの名前を呼びながら走り去った。
「ラブダ! ラブダ! ラブダ!! ・・・・・あ~れ~!」
「ちょっと・・・何よ今の声は。」
「ああ、やっちまったか。こりゃ死んだかもな。」
「死なないわよ、もう死んでるし。って!何やったのよ。」
「いや、トラップの一つや二つ仕掛けておいて当然だろう、侵入者対策で。」
「殺す気満々かよ・・・」
「偽の通路に直進すると曲がり角の先は古井戸を転用した落とし穴だ。30メートルの地獄直行ダイブになる。」
「・・・・あのね、先にそれ言っておきなさい。」
天井から何かが物凄い勢いで落ちて来て驚いたラブダはヴィクトリアの陰に隠れてしがみついていた。
ヴィクトリアも警戒して低い唸り声をあげる。その陰から恐る恐る覗くと、派手な音を立てて地面に叩きつけられたその物体はすぐにむくりと起き上がると叫んだ。
「ラブダ! ラブダはいませんか!?」
それは聞き覚えのある懐かしい声だった。
「お師匠様?!」ラブダはヴィクトリアの陰から飛び出した。
地面に叩きつけられた衝撃で姿を偽る幻影は消し飛んでいた。そこに居たのは見紛う事なきロドピスの姿だった。
思いもかけぬ再会に涙が溢れる。その腕の中にラブダは飛び込んでいった。
その勢いで、体に巻いた毛布がはらり・・・と解けて地面に落ちた。
「おおラブダ・・・可哀相な私のラブダ!」
ロドピスはラブダを抱きしめ天を仰いだ。
「お前をこんな目にあわせた輩は誰ですか。必ずや神の天罰があらんことを!!」
「え・・・・・?」
「・・・下着買うのすっかり忘れてたわ。」
「修道服で良ければ貸しましょうか・・・エナン様のお命に関わります。」
その後降りてきたおやっさんはロドピスに思いっきり殴られたのであった。




