第四十節 : 末裔
第四十節 : 末裔
「ここは!? 」
ミュリッタとの約束を果たした後、周りを見回したエナンは今自分のいる場所に驚いた。ミュリッタ達が居たのはあの赤竜亭の地下、赤竜ヴィクトリアの寝床のある地下水脈跡の洞窟だった。
少し離れた所にエナンのランタンと、それに照らされた二つの人影が見えた。一つはラブダだがもう一人、女性らしき影が見えた。その後ろには大きなヴィクトリアの影も見える。
エナンの後ろの魔法陣からアルテが姿を現した。こうして彼女は初めて館の外に出る事が出来たのであるがこの状況はそれを素直に喜べるものではなかった。よりにもよってこんな所に、と頭から血の気が引いていくのを感じていた。
「ちょ、ちょっと待って! なんでこんな所に?!」
慌てふためくエナンを後目にミュリッタとアルテは握手をしていた。
ミュリッタはすっかり御機嫌になっていた。
エナンに抱きしめられた瞬間、確かに感じたのだ。大天使テスに抱きしめられた時は少し違う、しかし間違いなく温かいものがミュリッタを満たし癒していくのを実感した。
それは間違いなくエナンが今も大天使としての不滅の魂を失っていない事の証であり、ミュリッタがエナンに愛されている事の証でもあった。
そしてミュリッタの欠損していた魂はエナンによって完全に癒されたのだった。
少なくともミュリッタにはそう感じられたのである。
「大丈夫よ、そんなに慌てなくてももう話はついているから。」
ミュリッタが笑いながらおろおろしているエナンをなだめた。
「エナンが新しいお嫁さんを紹介しに連れて来るからって言っておいたわ。」
「ぐはっ!」
もはや完全にここに居る皆様によって血祭に上げられる事が確定しているようだった。
「おう、そう聞いてるぞ、エナン。」
エナンが帰って来たの聞いたおやっさんが上から都合よく降りてきた。この人達絶対に示し合わせていますよね?
「人探しと聞いていたんだが・・・嫁探しの聞き間違いだったか。お嬢ちゃん達に唾つけておきながら随分とお盛んじゃないか。あんまり節操ないと早死にするぞ?」
・・・いや、今にも殺されそうです、助けてください。
「あはは、そんな滅相もない・・・天の救いというか運命の出会いというか、そんな感じだったんです、本当です。」
「じゃかましい! お前が来てたった三日でヴィクトリアの隠れ家がお前のハーレム状態だ・・・この責任どうやって取るつもりだ? おい!」
「いやそれ俺のせいですか・・・なんでラブダ以外に一杯ここにいるんですか。」
はあ、とおやっさんは溜息を吐くと奥にいるラブダ達を手招きした。
「まあ、お前が頑張ったおかげで色々厄介事が増えたって事だ。良い方に転んだ分は褒めてやるから責任は取れ。」
そう言うとこちらにやって来たラブダともう一人の女性らしき人影におやっさんは声を掛けた。
「ラブダ嬢ちゃん、お前さんのお師匠様をこの唐変木に紹介してやってくれ。」
すぐにラブダがエナンの腕の中に飛び込んできた。ずっとミュリッタに遠慮して我慢していた感情が一気に爆発した。
「ただいま、ラブダ。心配させてごめんよ。」
ぐずるラブダをなだめながらエナンはラブダを抱きしめた。これで救われる魂があるとミュリッタはそう言った、それが嬉しかった。自然に近付ける体の距離は心の距離でもあるのだという事がエナンにも朧気ながら理解出来るようになっていた。
心を許せる仲間が欲しいと思いながら人との距離を取り続けていたのはエナン自身だったのが今なら分かる。誰よりも他人を恐れ避け続けていたのは自分だった。
だがエナンを苦しめ続けた悪夢もようやく覚めたのかもしれない。
そのきっかけをくれたのも間違いなく赤竜亭でありおやっさんである。エナンはここで銀翼やシガノー達と出会い、いつしか他人を信じられるようになっていった。
永遠におやっさんには頭が上がらない気がした。
ラブダのお師匠様という女性がラブダが落ち着くのを待ってゆっくりと近付いてきた。だがその姿がはっきりと見えるようになってエナンが驚いたのは言うまでもなかった。
それは人ではなかった、少なくとも生者では。だが周りの皆がそれを気にしている様子はない。エナンがどう反応したら良いのか戸惑うのは当然だった。
あれ・・・何か殺気のような物を感じるのは気のせいですか?
握りしめた拳がぷるぷる震えているように見えるのは目の錯覚だろうか。物凄い圧を感じているのは私だけでしょうか。
ラブダさん、なんか貴女のお師匠様が変です、絶対に。戸惑うエナンの視線がラブダの目と合う。ラブダはそんなエナンに笑顔で彼女を紹介した。
「大丈夫ですよ? あちらが私の芸事のお師匠様のロドピス先生です。」
「ねえ、お師匠様なんか怒ってない?」
「・・・大丈夫だと思います、多分。“本当は”とってもお優しい人なんですよ?」
・・・嗚呼、ラブダよお前もか。
つかつかとお師匠様が早足で歩み寄って来た。そしてエナンに手が届く所まで来た瞬間、華麗に体を回転させるとその右手がうなりを上げてエナンの顎に突き刺さった。
『おおっ! グーで来たぁあっ!! 見事な回転右フックです!』・・・これは誰かの心の中の実況である。
「ぐはぁあっ!?」
エナンは見事に吹っ飛ばされたのであった。
「お前がエナンね! ラブダを裸にしてこんな所に閉じ込めていたのはお前の仕業で間違いはないわね!?」
怒り狂ったロドピスが吠えた。なんでしょう・・・もの凄く誤解されてる気がする。いや状況だけ見ればそうだったのかも知れないですけどね・・・。
ラブダが今はきちんと服を着ている事に安堵したエナンであった。
・・・・・話は遡る事先日の夕刻・・・・・
伯爵に伴われて彼女の屋敷を出た途端に、ミュリッタ達は多数の近衛騎士達の一団に行く手を遮られる事態となった。
高位の貴族であり将軍でもあるアルミス伯爵の行く手を阻む事が許される存在など今このカエルラには数名しかいない。多くの近衛騎士を伴って現れるなぞその正体など推して知るべしであった。
伯爵とて屋敷を出る前から当然気が付いてはいたがこればかりはどうしようもない。思った以上に相手の動きが早かった事を褒めてやるしかなかった。
「殿下、このような時間に何用でございますか。」
伯爵がそう声をはりあげると騎士達の後ろから武具甲冑に身を固めた少年が現れた。言わずと知れた第三王子、スイダス殿下その人であった。
「先生! 御出陣ですか? 僭越ながら私も御供いたします。」
目を輝かせて胸を張る殿下に伯爵は内心頭を抱えた。言って聞くような相手ではないのは親譲り・・・信念があるというか強情というか一度決めたら後に引かない性格の殿下である。説得するのはほぼ不可能だったが認める訳にもいかなかった。
こうなるのが分かっていたから本当は深夜にこっそり抜け出す予定だった。入れ知恵をしたであろう執政官殿には文句の一つも言ってやりたい気分である。
「殿下、今回は駄目です。危険過ぎます。」
「お言葉ですが冒険者と徒党を組んだごろつき共の私闘と聞いております。先生の軍が交戦する事はまず無いとの事ですが?」
「戦いとは何が起こるか分からないからこそ恐ろしいのです。そして最早その情報は正確とは言い難いものになりました。相手に人外の力を行使する者が存在する可能性があります。」
それを聞いた近衛騎士達に動揺が走ったのを感じた。
あくまでも憶測の域を出ない。だが赤竜亭の関係者が保護した少女をカミクス卿、そしてその裏にいた邪教徒達がやっきになって探していた事と、その赤竜亭と全面戦争になる事を避けなかったごろつき共が全く無関係と考えるほうが最早不自然にしか思えなかった。
百狼戦団とて自分達が爪弾き者の集団である事くらいは自覚しているだろう。いざ戦争ともなれば赤竜亭に多くの味方が付く事くらい想像は出来たはずだ。ここは冒険者の聖地なのだから。この街の冒険者なら赤竜亭に助力して嫌われ者のごろつき共を一掃する事が実利と矜持の両方を満たす選択である事くらいは理解出来て当然のはずであった。
そして抜け目のない執政官殿の計らいもあり、厄介者のごろつき共を一掃する為に裏では各冒険者酒場を通じて匿名の懸賞金が出されている事まで伯爵は把握していた。もちろんそんな情報はすぐに奴らにも知れる事となるだろう。素行の悪い冒険者の中には奴らに与するものも間違いなく存在するのだから。
そんな圧倒的に不利な状況でも未だ百狼戦団は瓦解する兆候すら見せていない。不気味な統率力が働いている事に不自然さを感じるのも当然であった。
もしそれが人外の力によるものだったら・・・この最悪の想定が現実となれば状況は一変する。当然最悪の方向にだ。
スイダス王子は沈黙していた。
伯爵の言葉の意味を正しく理解しようと思考を巡らせる。年齢不相応のこの思慮深さこそが王子が現国王である英雄王の幼少の頃と瓜二つだと評される由縁であった。
そも、相手とは誰の事か? ごろつき共の事である。王国は赤竜亭を敵対勢力とはみなしていない。かつてこの国の復興の為に助力してもらった話を父王からも幾度となく聞かされていた。銀翼とも知らぬ仲ではない。王宮への火急の知らせは全てあの若き銀翼に託されるのだから。王子のわがままでグリフォンの背に乗せてもらった事もあるほどだ。彼らには絶対の信頼を置いていた。
ならば、人外の力とはなんだ? 魔族か、それとも・・・神か?
カミクス卿が殺されたのは昼過ぎの事だった。
事件は一見何の変哲もない物に見えた。一人で街を歩いていたカミクス卿は門へと向かう途中の下町で、昼間から酒を飲んで錯乱した平民の男に言掛りをつけられ突然刺されたのだった。
運悪く刺された場所が悪かった為、助けが呼ばれたものの間に合わずに失血死した。それが一部始終であった。刺した男は取り押さえられて牢へと送られた。
だが領主貴族の殺害だったため事件を簡単に処理する訳にもいかず執政官自らが下手人を厳しく取り調べする事となった。国王の懐刀とも呼ばれる切れ者が調べた事がこの件を大事に発展させる。
彼はすぐに気付いた、下手人がその日飲んだ酒量が錯乱するには少なすぎる事に。彼は直ちに彼の飲んだ酒瓶や食器などを回収させると詳しく調査した。
そして正体不明の薬物の痕跡と僅かな瘴気が酒瓶から検出されると彼はこの一件が巧妙に仕組まれた暗殺だったと断定したのだった。
しかし魔術による混乱や暗示の兆候は見られなかった。調査はそこで行き詰ってしまったのである。
だが魔術でないなら自ずとその手法も想像がつくというものであった。神術か、あるいは邪法か。
スイダス王子は伯爵の言葉がこの二つ、カミクス卿の殺害と今郊外で起きようとしている闘争が無関係ではない可能性があると示している事までを悟ったのだった。
「先生、それは昼間のカミクス卿の事件とこれから起こる事が無関係では無いという事でしょうか。」
その的確な判断力には伯爵も感嘆するしかない。だからこそ言い出したら聞かないのだという欠点でもあったがその素質は王器としての片鱗を見るには十分な物であった。執政官殿がぞっこん惚れ込んで肩入れしてしまうのも無理はない。
「あくまで推測の域でしかありません。ですがカミクス卿に取り入っていた郷士が邪教徒の教団と深く関わっていた事が明白になりました。そして決して侮れぬ力をその邪教徒達が持っていた事も分かっています。」
「・・・分かりません。カミクス卿との関わりは理解しました、ですがどうしてそれが郊外で起こる戦いと関係しているのですか?」
「それは・・・」
伯爵は言葉に詰まった。
本当に直感でしかない事を言葉で説明するのは難しい。百狼戦団の対応が腑に落ちないとはいっても数ある可能性の中から憶測で理由を主張するのは無理が有り過ぎる。
それに赤竜亭が保護している妖精帰りの少女の存在は伯爵は聞いていない事にすると約束してしまっている。今更それを語るわけにもいかなかった。
「伯爵、まだ時間がかかりそうかしら。それなら先に行かせて貰うわ。」
突然二人の会話に割り込んだのはミュリッタであった。殿下に対する口上もなく無礼千万な物言いであったが居並ぶ騎士たちは沈黙せざるを得なかった。
凄まじい魔力の波動が威圧となって彼らに向けられていた。
それでも騎士長は責務を果たさざるを得なかった。強者であるというだけで無礼が許される訳ではないのだから。
「・・・無礼者、こちらにおわすは第三王子スイダス殿下なるぞ。許しなく言葉を差し挟むとは何事ぞ。」
だがミュリッタはその言葉すら完全に無視した。
「地獄を見たいというのなら連れていってやれば? 賢しげな子供にはいい薬になるでしょう、死んだ処で自己責任よ。」
自分の見た目を分かっているのかと言われそうな台詞にさすがの騎士達も色めき立つ。王子を賢しげな子供扱いされては黙っている訳にはいかなかった。怒号が沸き上がり剣に手をかけた者もいた。
だが次の瞬間、騎士達は全員地面に膝をつく事になった。ミュリッタの魔力がそれを強制したのだ。誰一人としてそれに抗う事は出来なかった。体が意思とは関係なく軋みをあげてうずくまり頭を垂れる。息する事もままならぬ重圧に呻きながら騎士達はそれに耐えるしかなかった。
王子は理解の出来ないその状況に戦慄した。
「何者だ、我が騎士達に何をした!」
「黙りなさい、クソガキ。この程度の魔力にも耐えられない輩が雁首そろえたところで何の役にも立たないと言われているのが分からないの?」
次の瞬間、ミュリッタの魔力が王子にも襲い掛かった。苦痛に呻きながら膝を折る王子に向かってミュリッタは容赦なく言い放った。
「無様ね。この程度、伯爵なら笑って耐えてみせるわよ。でもこれはただの魔力、ただの人間の力だからこそ自覚もすれば抗う事も出来る。もしこれが神性の力だったら貴方は強制されている事すら気が付く事もなく平伏し、死ねと言われれば喜んで死ぬのよ。」
「ぐっ・・・・・!」
「ミュリッタ君、もう許してやってくれないだろうか。御身を無礼者呼ばわりした非礼は伏してお詫び申し上げる。だがいくらなんでもこれは横暴が過ぎるだろう?」
「ふん!」
ミュリッタは伯爵にたしなめられて王子達を束縛していた魔力を解いた。エナンの事が心配で仕方が無いのに足止めされたせいでかなり機嫌が悪いのは間違い無かった。
よろめきながら王子と騎士達が立ち上がった。
だが騎士達の顔には先程までの威勢はどこへやら、恐怖の色がまざまざと見て取れた。彼らもようやく悟ったのだ、敵対すれば一瞬で命すら奪われる相手を前にしているのだと言う事を。
それは王子にしても同様だった。今目の前にいる自分と齢も変わらぬように見えるその少女が既に人間の埒外に足を踏み入れた化物だという事を理解せざるを得なかった。
理不尽に踏みにじられた事すら無事に逃げおおせるならどうでも良くなっていた。心が砕けるというのは正にこういう事だった。この時、王子は人生で初めてと言っても良い完膚なきまでの敗北を経験したのだった。
だが、後に彼は知る事になる。このような形で敗北を知ることが出来た事が如何に幸運であったかという事を。
「アルミス伯・・・王国の臣下でありながらこのような狼藉をお許しになるのか。」
騎士長がミュリッタを制裁せぬ伯爵を咎めるような言葉を口にする。だがそれに応えて激高したのはスイダス王子だった。
「黙れ馬鹿者! 主たる器も示せぬ王国の臣下如きがと我が師を愚弄するか! 御父上である先代アルミス伯を見殺しにしたのはどこの国の愚か者共だ。この国の臣下とやらに我が師と互する武人が他に一人でも存在するのか!」
それは伯爵の琴線に触れる言葉だった。単なる主従ではない、国王が実の娘のように愛し慈しんでくれたからこそ、伯爵はこの国の為に戦えるのだ。それが無ければこの国など見捨ててしまっても構わない位の恨みすらあるのだから。
王子は父を見殺しにされた伯爵の無念を良く理解していた。そしてそれは父王の怒りでもある。伯爵にとってそれを理解してくれる人々は守り抜くべき愛しき者達であった。
「ミュリッタ君・・・お明かしいただいても構わないかな。」伯爵はそんな王子のために出来る事を成す為、ミュリッタに承諾を求めたのだった。
「・・・・・いいわよ、それでこの馬鹿騒ぎが収まるなら。」
ミュリッタもやり過ぎた自覚はあるので渋々それを承諾した。本来ミュリッタはそういう事が大嫌いなのだ。己の正銘は実力を以てのみ示されるべき、それが賢者としてのミュリッタの生き様である。血筋や肩書、容姿ですらミュリッタという存在を語るためには不要な物であるべきであった。
それは伯爵も重々承知している。だが世の中にはそのような物でしか人の価値を量れぬ者達もまた多いのだ、ならば致し方あるまい。王子ならば伯爵の言葉の本当の意味を理解できるはずであった。
「殿下、この御方はルゥ朝古代魔導帝国皇帝の正統なる継承者、賢者の塔の大魔導ミュリッタ殿です。その序列を以てするならば例え陛下であろうとも頭を垂れねばならぬ御方でございます。もし、非礼を問うのであれば我らこそが謝罪せねばなりません。」
控えい控えい、この紋所が目に入らぬかと言わんばかりの物言いだったが効果は十二分にあった。鼻っ柱をへし折られた王子の取り巻き達はもはやぐうの音も出ないまでに重ねて叩きのめされたのである。
だが王子だけは違った。
「謝罪は致しませぬ。お互い名乗りも上げず知らぬ事なれば敬いようもありません。配下の者達の無礼な物言いについても御容赦願いたい。」
背筋を伸ばすと毅然として言い切った。上の者が非を認めれば下の者は責任を取らねばならぬ、不敬を問われた騎士はその地位を剥奪されるのだ。それは主としての責務であった。
己が背負う物を守るため、王子は暴力に膝を屈する事も、家格の違いに盲従する事も無く道理を押し通して見せたのである。一度折れかけたその心は不屈の信念によって立ち直ったのだった。
ミュリッタはこのクソガキの事を少し見直してやる事にした。
「それで構わないわ。分かったらさっさとそこをどきなさい。」
あくまで強者としての上から目線でミュリッタは彼らを許してやる事にしたのである。




