第四節 : 魔力
第四節 : 魔力
新米冒険者の件も一件落着し、いよいよ本格的に宴が始まった。
そんな中で鉱石堀師の若い男、エナン=タラオスは酒場の隅にある自分の定席で黙々といつものシチューを頬張っていた。
換気窓の下の席で隙間風が吹くので他の常連は使わない席だった。隣の角席はもっと寒いので冬場はこの場所に座る客はまずいない。そこに座る位ならまだ暖炉の近くの床の上のほうがましなのだ。
一日の仕事の終わりにそんな席に座って熱いシチューをかき込むのが彼の日常であった。
赤竜亭の名物料理、山盛シチューは貧乏冒険者にとっては涙が出るほど有難い代物だ。何の肉だか分からないので謎肉と呼ばれるゼラチン質の多い肉塊がとろけそうになるまでじっくり煮込まれ山となって盛り付けられている。栄養満点で一杯食えば丸一日働ける上に、たったの銅貨五枚という値段で食べる事が出来る。普通に考えれば一緒についてくる丸パン一個の値段と大差なかった。
そんなシチューをほとんど音も立てず物凄いスピードで食い尽くすエナンは“シチュー喰らいの達人”として一目置かれる・・・というより珍獣扱いされてこの酒場の常連としての立場を確立していた。
だがそれも昨日までの話となるかもしれない。
今日の魔晶石の一件で彼の冒険者としての実績は確固とした物へとなりつつあった。
金銭的にみれば、本当ならこの酒場にいる冒険者の大半よりは稼いだ事になってもおかしくなかったのだ。一発屋と言われればそれまでだが間違いなく立派な実績を上げたと皆が認めてくれていた。
今までは言葉を交わすこともなかった古参の冒険者たちから何度も声をかけられ酒をすすめられた。おかげで今日は少し酒が入り過ぎたようだ。シチューを口に運ぶスプーンさばきも覚束ない。
ふぅ・・・と一息入れて食べる手を止めると、深く椅子に腰を沈めた。張り続けていた緊張感が途切れたのか、猛烈な眠気が襲ってきて意識が薄れていった。
堀師が眠り込んでしまったのを見て他のテーブルではエナンの話題が盛り上がり始めていた。宴のもう一人の主役である魔術師シガノーの周りには大勢の冒険者が集まり今日の主役を言いたい放題にいじり倒していたのだが、堀師が眠り込んだのを見て話題は彼の事に移っていた。
「それにしても、あいつ金に執着なさすぎるな。」
さすがに少し声を小さくしてエナンの話題が始まった。
「言い分は分かるんだがな、もうちょっと金のありそうな奴に売りつけろよと。」
「うるせぇ、余計なお世話だ。」魔術師は憮然としてジョッキをあおる。そんな事は自分が一番分かっている事だ。
「それ以前に、あいつ特級石のこと大して驚いた様子がなかったろうが。」
「だな・・・」周りの全員がその事には気が付いていた。生まれて初めて特級魔晶石を発見した若い鉱石堀師・・・の反応には到底見えなかった。
「もしかして見つけたのは一個だけじゃないとかな。」他の誰かが言った。
確かにその可能性は否定できない。一個だけとは一言も言っていないのだから。
だが、多分もっと別の理由であろうという事は想像に難くなかった。
「いや、それじゃああの用心深さは説明がつかねぇだろう。」魔術師は独り言を呟くように言った。
金よりも命を、秘密の漏洩防止を何よりも優先した。普通なら間違いなく金に目が眩むだけの価値がある代物を前にあっさりとそちらを選択する、そんな決断に迷いすらしていなかった様にしか見えなかった。
「あいつにはこれがお宝に見えてねぇ」魔術師は懐から大切な石を取り出して目の前にかざした。「自分の命を危険にさらすヤバいブツとしか思ってねぇんだよ。」
そんな心境になる理由はどの位重いのか、あまり想像もしたくもなかった。
「つまり初めてじゃ無いって事か。」その言葉の後ろには多分、声に出してはいけない言葉が続いていた。『しくじったんだな・・・』という言葉が。
身近な者を殺された事がある、そんな過去を皆がうっすらと感じ取っていた。
「それにしても良くわからん奴だよな!」
重くなってしまった話題を変えようとして無茶振りされた男はなんで俺がと思いながら答えた。
「あのシチューを食う速さ、素人には見えないな。どこで修行してきやがった。」
「いや、そういう話じゃねぇよ。」
「おい・・・ならお前が話せよ。」
振りを突き返された男は堀師の謎について皆の意見を聞き始めた。
「あいつ、あんな所で寝ちまって寒くないのかよ。」
それは結構皆が気になっている事だった。今夜はかなり冷えてきていた。普通なら空いてる席に移る位はするのだが、奴は一向に気にしている素振りを見せなかった。分厚いとはいえ毛織物一枚着ているだけで上衣すら羽織っていないのだが。
「あいつは真冬でもあそこで食っていたよな。」
堀師がこの酒場に出入りするようになったのは先の冬の最中だった。もちろん新米としての遠慮はあっただろうが今いる席以外で食べている姿は見たことが無かった。この酒場の常連達はえらく寒さに強い奴だなとひそかに感心していたものだ。
「なあ、あいつやっぱり魔術師なんじゃないのか?」
魔術師シガノーに別の魔術師が意見を求めてきた。寒さを全く気にしない様子からそういう憶測は前々からあったのだ。
魔術師は魔力を使って色々な事が出来る。自分の周囲に魔力を展開し気配を察知するのもその中の一つであるし、同じように魔力を自分の体の周りに展開してその力で暑さや寒さを相殺する事も出来たりする。これらは魔法の術式によって行われるので、この系統の技術はひっくるめて“法囲”とか“法域”と呼ばれている。
魔術師とはそういう術式を使って魔力を利用する方法、つまり魔法を行使する者達の総称である。
だが術式が展開されていればそれを探知する事は容易い。なのに堀師からは一切の術式が探知できないため魔法を使っている可能性はほぼ完全にゼロという結論だった。
それでもいまだに堀師が魔術師ではないかと疑われているのは、彼が『かなり強い魔力を持っているかもしれない』と思われていたからである。
魔力は個人が生まれ持って授かった資質だ。
持たずに生まれた人間にはどんなに望もうとも手に入れる事は出来ない天賦の力。それを授かってはじめて魔術師になる道が開かれる。日々生きていくのも厳しいこの御時世、普通ならそんな能力を活かさない生き方を選ぶとは考え難かった。
そんな魔力の才能が鉱石堀師のエナンにある事は間違いなかった。ただその力量のほどを皆がどうにも判別しかねていた。その理由は彼の魔力の性質にあった。
魔力は個人によって様々な性格を持っている。浮き沈みの激しい気まぐれな奴、節操なく垂れ流すだらしのない奴、静かで落ち着いた奴、凛とした気品を持っている奴。そんな性格的な印象で表現するならば、このエナンという奴の魔力は完全な引き籠り・・・もとい内気でシャイな奴であった。表に全く出てこないのである。
それじゃあなぜ堀師のエナンに魔力があると分かったのかと言えば、あるとき一人の魔術師が悪戯で催眠の魔法を彼に掛けた事があった。もちろんその魔術師というのはシガノーの事だが。しかしその魔法は完全に無効化されまったく効かなかったどころか、かけられた本人は気付きもしなかった。
これにはかなり魔術師としてのプライドが傷つけられて、むきになったシガノーはその後何発も魔法をぶち込んだのだが全く相手にされなかったという次第だった。その後おやっさんにぶん殴られたのは言うまでもない。
この一件のおかげで『シガノーなんかよりは強い魔力を持ってるな』という評価が定着したのである。魔術師シガノー屈辱の歴史であった。
まあその一件のおかげで詫びを入れさせられたシガノーは、それ以後エナンと少しだけ親しくなった事で今回の魔晶石を譲られたのかもしれない。人間万事塞翁が馬、何が幸いするか分からないものである。
それでも詫びを入れた時、『そうなんですか? 全然気が付きませんでした。』と言われた事はいまだに根に持っているらしいが・・・