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第三十九節 : 帰還

 第三十九節 : 帰還


「今までどこで油売ってたのよ! バカァ! 変態! 女たらしぃ!!」

 恐る恐るミュリッタ様に連絡を入れたエナンは熱烈な罵声の歓迎を受ける事になった。何故かエナンの動向は筒抜けになっていたようであった。


 アルテが魔力の尽きた魔晶石の代わりにエナンの魔力を込めたクリスタルと同一素材の魔力クリスタルを組み込んでペンダントを修理した。だがペンダントが機能を取り戻したにも関わらずミュリッタ様は一向に沈黙したままだったのだ。

 とんでもなくお怒りになっているのは容易に想像がついたのである。

 それでもエナンはミュリッタに隠し事をしなくて済んでほっとしたのだった。


「ごめん! 本当に御免なさいってば・・・最初から説明したほうが良い?」

「う~、あんな事した事やらそんな事までした事とか? 一々説明するつもり?!」

「なんでそこまで知っているの・・・」

「・・・・・あ。」


 ちっ!とミュリッタの後ろで舌打ちする音が聞こえた。もちろんティモである。

 自分から覗きを白状してどうすんだよという目でミュリッタの尻をつねり上げた。

 当然、実際に覗いていたのはティモだったのだが。


「・・・もういいわよ。それで要件は何?」

 あくまで傲慢に話題をすりかえるミュリッタ様であった。



「出口になる転送魔法陣を作って欲しいんだ。ミュリッタちゃんなら魔法陣を示す波動をこのペンダントを通じて送れば、それを再現出来るんじゃないかと言われたのだけど、本当にそんな事出来るのかな?」

 そんな事は造作もない事だ、と思わず言ってしまいそうになったがミュリッタはその言葉を飲み込んだ。

 頼りにされる事は嬉しかった。そして他の誰よりも自分が頼られるのは当たり前だという自負もある、自分は世界屈指の魔導師であり賢者なのだから。そんな自分に好意を向けられている事くらい幾らエナンが鈍感だとしても気付いていない訳が無かった。

 普通だったらこんな優良物件、諸手を上げてすがりついて来て当たり前。都合よく使えると勘違いしてくれたって良い、それだけの価値を自分は示しているはずだ。


 だが聡明なミュリッタはそれがエナンにとっての『愛すべき理由』になり得ない事をもう悟っていた。

 自分は恵まれ過ぎているのだ。そしてエナンという存在は例え自覚が無くともその魂の本質は大天使であった頃と何も変わっていないが故に、彼が愛を注ぐのは怯える弱き者達や、苦しみ救いを求める者達なのだという事をミュリッタは理解してしまっていた。

 他者を圧倒する強者であるミュリッタはエナンの同志には成り得ても、庇護され慈しまれる存在には成り得ない。それはつまり友人どまりと言う事だった。


 エナン、わたしこのままずっと片想いを続けるのかな。切ないよ、苦しいよ。

 そんな胸を締め付けられるような気持ちが抑えきれなくなっていった。

 抑えきれぬ想いが言葉となって溢れ出た。


「エナン・・・私、都合良く使われているだけじゃないよね・・・」

 満たされない思いが辛辣な言葉になって突き刺さった。そしてそれはエナンがミュリッタに抱いていたコンプレックスそのものでもあった。ミュリッタの好意と助力になにも返せる物を持ち合わせていない、それはエナンも痛感している事だった。

 そしてその気持ちに『有難う、愛しているよ!』なんて軽い言葉で応えられると思うほどエナンはいい加減な存在ではない。真剣に感謝すればするほど、報いる対価が無い事に苦悩するしかなかった。

 それを言われてしまったエナンには返す言葉が無かった。


「エナン・・・私は貴方が好き。貴方の為なら何でもしたい、貴方を助けて役に立ちたい。私はそれで嬉しいの・・・」

 ペンダントを伝って来る言葉はミュリッタの思念そのものだ。その響きは切なげに震えていた。

「でもそれじゃエナンには愛してもらえない・・・私もう分かってるよ、エナンが愛するのはエナンが救いたい人達なんだって。でも、だったら私はどうすれば良いの?」

 何故私のこの気持ちは救ってもらえないのかと、ミュリッタの目から涙が溢れていた。


 違う、違う、違う! エナンは心の中でそう呟き続けていた。

 救われた事に感謝している。受けた好意に報いたいと真剣に考えている。

 だけど何も出来る事が無かった、それが現実だった。

 ミュリッタの示した『愛すべき価値』の重さに押しつぶされそうだった。


 何もしてやる事の出来ない『愛している』に意味はあるのか、それは純粋であればあるほど矛盾する気持ちであった。言葉だけでは意味がない、せめて不純な欲望にまみれていればその言い訳位には出来たかもしれないのに。

 ミュリッタの相手を助け支えたいと想うその愛の形にそんな不純な要素が皆無であるからこそエナンには何も返せる物が無かったのである。

 ミュリッタが古の女神の名に恥じぬ魂の愛を体現した存在だったが故に。


「ごめん・・・いっぱい助けて貰ったのに何も返せていない、それは自分でも良く分かっているんだ。」

 エナンは声を絞り出してミュリッタに告白した。

「ミュリッタちゃんは俺なんかより遥かに賢くて、強い。お礼をしたくても出来る事など何も無かったんだ。君なら自分で何でも出来てしまうから・・・」


 本当にそうなのか? いや・・・多分違う。エナンは自分がただの言い訳をしている事に気が付いてしまった。出来る事ならあったのだ、そう誰よりもミュリッタの事を大事に想いそれ以外の全てを拒絶することでその気持ちを示す事なら・・・

 でもそれはラブダやアルテを拒絶するという事だった。それがエナンには出来なかったのである。

 彼女達を助けてやれるのはエナンだけだったのだから。


「・・・違う。出来る事ならあったのかもしれない、でも俺にはそれが出来なかったのだと思う。ごめんなさい、誰よりも大切にするべき君だけを想ってあげられなくて。」

 それ以上はもう言葉が出てこなかった。気が付けばエナンは誰もいない目の前に向かって深々と頭を下げていた。

 後ろにいたアルテの姿が消えている事にも気が付く事もなく。


 だがその言葉が閉ざされかけたミュリッタの心を揺さぶった。

 ミュリッタと真摯に向き合ってくれたエナンの言葉にやっと本当の気持ちを聞けた気がしていた。

 私はエナンのエナンである事を否定しない。大天使の愛は誰か一人に注がれる物では無いと分かっている。その愛の全てを差し出せなどと言うつもりは全く無かった。

 それでもエナンはミュリッタを彼女達以上の存在だと言ってくれた。その一言でミュリッタは救われたのだった。


「そんな事・・・謝らないでよ。ラブダを救わないエナンなんてエナンじゃない。私はそんなエナンだから力になりたいんだよ・・・」

 ミュリッタは弱々しく笑った。

「でもね、何もしてもらえないと切ないの・・・何の役にも立たなくたっていい、ただぎゅっと抱きしめてくれるだけで救われる気持ちもあるんだって、それをエナンに分かって欲しかった。」


 少しずるい言い方なのは分かっている。エナンだからこそそれだけで良いのだ、何の役にも立たない訳ではない。本当に愛してくれているのならば、そうしてくれるだけでミュリッタの魂は救われるのだから。

 今はただ、そうやって本当の気持ちを確かめさせて欲しかった。


「それじゃ魔法陣作るね。そのくらい造作もない事だから安心して。」

「・・・ごめん、本当にごめん。」

「もういいって言ってるでしょ。その代わりこっちに来たらまず最初に私のことぎゅっとしなさい! 絶対だからね!」

 かくしてこの勝負はミュリッタの完全勝利となったのだった。



「あれ・・・?」

 ペンダントをアルテに渡そうとしたエナンはようやくアルテの姿がそこに無い事に気が付いた。

 ミュリッタとの会話を聞いて気を使って席を外してくれたのだろうか。いきなり目の前で痴話喧嘩を始められたらそうもしたくなるかもしれない。彼女にまで辛い思いをさせてしまったかもしれないと思うと情けない限りだった。

 怒らせてしまったかな、後を追うべきか・・・と思っているとアルテが何やら巨大な旅行カバンのような物を持って館から出てきた。

「終わりましたか?」

 そう言って微笑む彼女の笑顔にプレッシャーを感じたエナンであった。


 今いる場所はあの庭園を望む中庭だった。

 アルテは新しい転送魔法陣をここに作成する事にしたのだった。


 既にこちら側の転送魔法陣は完成している。後は出口の魔法陣をミュリッタに作って貰うだけだった。

 エナンがアルテにペンダントを見せると彼女は頷いてそれを受け取った。

「初めまして、わたくしアルテュストネと申します。アルテとお呼び下さい、以後お見知りおきを。」

 少しよそよそしい挨拶から入ったアルテにミュリッタはいつもの調子でやり返した。

「初めてじゃないでしょ、昨日はよくもやってくれたわね・・・あんなに見事に出し抜かれたのは生まれて初めてよ、褒めてあげるわ。」

「あら、失礼致しました。昨日の事はお詫びいたしますわ。」

「いらないわ、遠慮は無用よ。あなたの遠い遠い親戚になるのだから。」

 その言葉はミュリッタが初代魔導皇帝の血筋である事を表すと共にアルテが何者かを既に理解している事を示していた。


「わたくしが何者なのかをご存じなのですか?」

「当たり前じゃない。神託に振り回された馬鹿達のせいで殺された可哀相な魔胎アルテュストネ、歴史上の有名人よ?」

「そんな風に伝わっていたのですか・・・複雑な気分ですね。」

「その後の歴史で貴方の事は都合よく使われたのよ。神は理不尽だ、神の言う事など何するものぞ・・・なんてね。」

「・・・それは神に対する不敬が過ぎるというものです。今のわたくしを見ればその意味が分るはずですわ。」

「ええ、だからあの帝国が滅亡するのも必然だったのよ。馬鹿よね、他者を貶めたところで自分は何も変わりはしないというのに。」


 そう言うとミュリッタは話題を戻した。

「昔話は後にしましょう。魔法陣、さっさと送って頂戴。」

「・・・行きます。」


 膨大な情報の波動が一気に押し寄せてきた。その密度と明瞭さだけでもアルテの魔導師としての力量がひしひしと伝わって来る。

 魔導師としての素質なら間違いなくミュリッタと互角、だが彼女は生まれ落ちた時にその肉体の成長を封じられてしまっている。もし彼女が此の世に正しく生まれてさえいれば長じては歴史の頂点に立つ存在に間違いなく成っていただろう。

 挑むようなその波動を受け止めながらミュリッタは高揚した。


『私を試すつもり? 上等よ、受けてあげるわ。』

 対峙する二人の魔導師は魔力の波動に身を委ね、いつしか同調し、調和していった。

 もう二人がお互いを理解するのに言葉は要らなかった。


 目の前の魔法陣が眩い光を放ち始めたのを見てエナンは道が開けた事を理解した。

 だが静かにミュリッタが再び口を開くのを待つ。

 暫くしてアルテとの邂逅を終えたミュリッタの声が再び聞こえた。

「終わったわ。戻って来てエナン、約束忘れないでね。」

 エナンはアルテに頷くと光の柱へと足を踏み入れたのだった。


 光を潜りその外へ再び足を踏み出すと目の前にはミュリッタが立っていた。

「おかえり、エナン・・・」

「ただいま、ミュリッタ。」

 はにかむように微笑む彼女をエナンは想いの限りを込めてぎゅっと抱きしめたのだった。


※ミュリッタの名前の由来

ミュリッタ神はアッシリア人でのアフロディテに相当する神の名です。文献ではアフロディテとしか書いていないのですが、ペルシャ人が“アッシリア人やアラビア人に学んで”ゼウスに続いてウラニア・アフロディテに献納するようになった、とありアラビア人はアリラットと呼ぶ存在なので多分ウラニア・アフロディテの要素が強いかと解釈しています。


ウラニア・アフロディテはアフロディテの二面性、肉体的な愛と精神的な愛のうち、精神的な愛を象徴する存在とされています。余り幸せな響きではありませんが『天国の彼女』などと表現されることも・・・ 

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