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第三十五節 : 隠者の館

 第三十五節 : 隠者の館


 静謐な大地の奥深く、地底の湖畔で天より注ぐ滝を見る。

 そんな壮大な自然の奇蹟を愛でる気持ちはエナンにも良く理解できる。かつて誰かがその光景を愛しこの地に住まいを建てたという事も驚くにはあたらない。


 しかしそのような事が普通の人間に出来るかと言えば全く別問題である。

 それを成し得た何者かはそれ相応の財力なり技能なりの力を持った存在であった事は間違いない。過去の偉人の遺した遺産、古代の遺跡が目の前にあると知ったエナンが俄然やる気になったのは無理もない話であった。

 元来、鉱石堀師というのはトレジャーハンターの一種ではあるが遺跡のようなあからさまな場所には手を出さない。そういう墓荒らしと紙一重の稼業は常に命の危険が伴うからである。

 だが据え膳食わぬは何とやら、目の前には恐らく長年誰にも知られる事もなく眠り続けていた地下遺跡がエナンを手招きして待っているのだ。地底こそ自らのテリトリーと自負するエナンにとってこの機会を逃すという選択はなかった。

 勿論それは地上への出口というもう一つの重要な目的を達成するための大きな足がかりでもあった。その為にも一刻も早くあの遺跡へと辿り着きたかった。


 エナンはテラスに登る為の方法を思案していた。

 とは言ってもあの光に照らされていた一瞬、その造りを見た時から方法は頭の中に浮かんでいた。まずは大前提をクリアする必要がある。エナンは再び糸巻きを取り出すとその錘を付けた先端を手に取った。


 少し距離を取ると糸の先についた錘を回転させて加速し頭上の暗闇の中へと投げ込む。何度か岩壁に弾かれ失敗したが続く一投が岩の隙間を抜けテラスを飛び越えていった感触がした。

 今まで出た糸の量を超える長さの糸が糸巻きから飛び出して行く。そして遠くで地面に錘が落ちる音がすると糸の動きは止まった。錘は岩壁の角をくり抜くようにして作られたテラスの上を通り抜け、岩壁の反対側へと落下したのだった。

 たるんだ糸を巻き取ると糸は上へと伸びていた。これで前提はクリアになった。


 あと必要な材料は適当な大きさの岩だけだ。岩といってもせいぜい一抱えもない小さな物で十分だ。エナンの体重より少し重い位で良い。

 幸い辺りは一面岩石だらけだ。すぐに適当な物が見つかるだろう。エナンは糸の余りを巻き取りながらテラスの真下へと移動した。

 まずは投げた錘を探す。手元の糸を大きく引っ張ると地面を引き摺られる錘の音が聞こえた。エナンは岩壁の角をまわって錘を見つけると糸がしっかりテラスの上を通っている事を再確認した後、その付近にある岩を漁り出した。

 なんとか転がせる程度の重さの細長い岩を見つけるとエナンは錘の付いている側の糸の先端をその岩に何度も巻き付ける。最後に岩の重心を見極めながら吊り上げる位置を決め糸巻きの柄の中に入っている小さな金属製の治具を取り出すと糸を固定する。


 それが終わるとエナンは糸巻き側の糸のたるみを全て巻き取った。糸が張りつめ指で弾くと音が鳴る位まで巻き取ると、自分の頭の上にある糸の部分を掌に巻き付けた。

 軽く深呼吸すると、飛び上がるようにして体を丸めると糸にぶら下がった。


 その細い鋼の糸はその気になれば人間の肉体などズタズタに切り裂く事が出来る。だがエナンは自分で作ったこの糸で怪我をした事は一度も無い。

『決して切れない』のと同然のこの糸にしてもエナンの意思によってのみ断ち切る事が出来る。製作者であるエナンの魔力を付与された物体はエナンにとっては体の一部と同然であり、製作者の意思によってその有様を変えるのだ。魔力付与というのはそういうものなのである。

 持ち主の意思によってその力の在り方を変化させたり、時に物体そのものが意思をもったように振る舞う。アーティファクトに代表される魔導工芸品の数々がそんな不思議な力を持っていたと伝えられている理由、それは魔力と共に練り込まれた製作者の意思、魂の力によって魔力が有様を変化させるからだった。


 そしてその力の源となる魔力においても、魂の力においてもエナンは稀有の存在であった。本人の自覚が無い事と製作技術の鍛錬をする機会に恵まれなかった事を除けば希代の魔力付与師となる下地はすでに用意されていたのだ。

 見た目こそ地味なその鋼の糸は、秘めた力だけなら既にアーティファクトに匹敵する魔導工芸品と言っても良い代物だった。



「・・・・・。」

 エナンは片手で糸にぶら下がってぶらぶら揺れていた。

 これはこれで何か楽しい気もするが今は遊んでいる場合ではない。


 糸で縛った岩はピクリとも動かなかった。これでエナンを支えるのに十分な重量がある事は確認できた。エナンは準備の最終段階に取り掛かった。

 収納箱の中から糸に取り付けるフックを二つ取り出す。良くある二つに折った糸を引っ掛けるだけの簡単な金具ではなくネジで締める万力タイプの物だ。糸の途中につけて荷物を揚げ降ろしする時などに使うもので、ネジの通っている軸に糸を巻けば相当の重量には耐えられるものだ。

 フックには糸巻きと同じ鋼糸で編まれた網籠が取り付けられていた。籠と言っても細い糸で編んだ目の粗いネットなので丸めれば一握り程の大きさしかない。

 まずは一つ、胸の高さあたりにそのフックと網籠を取り付ける。そして網籠を広げると足元に転がっている石を手当たり次第に放り込み始めた。


 ネットの網目からこぼれ落ちない程度の大きさがあればそれでいい。石を拾って入れ続けていると少し離れた所で音がした。

 ズリズリという岩が擦れる音と共に縛り付けた岩が動き始めた。それと同時に網籠が徐々に下へと下がり始める。更に石を加えると網籠は地面まで降りてきた。

 一旦エナンはその場を離れるともう一方の岩の確認に向かう。ランタンの光で照らされた岩は僅かに地面から浮き上がっていた。


 万事順調だ。エナンは無言で頷くと網籠の所へと戻る。そして二つ目のフックをまた胸の高さあたりに取り付ける。そして大きめの石を一個その網籠に入れると地面に降りた一つ目の網籠の中の石を二つ目の網籠に移していく。

 一つ目の網籠の石が無くなりかける頃、二つ目の網籠が地面に降りてきた。エナンは一つ目のフックと少し石の残っている網籠を外すと再び胸くらいの高さの位置に付け直して同じ事を繰り返す。

 胸の高さは大体1メートルちょっと。十五回も繰り返せば岩はほぼテラスの位置まで持ち上がるだろう。それで登る準備は完了だ。

「まあ・・・問題は登った後なんだけどね・・・。」

 エナンはその先に待ち構える重労働を想像して溜息をついた。

 そして気を取り直すと黙々と石を動かし続けたのだった。


 暫く後、岩はテラスのある張り出した岩壁に引っ掛かって止まった。

 まだテラスの上までには多少の距離があるはずだがそれも一応織り込み済だ。幸い場所が斜面の途中だった為にエナンの立っている側は多少の高低差がある。それとエナンの身長も加味すればほとんどテラスの高さと変わらぬ位置までは手が届くはずだった。

 エナンは最後の網籠を付けなおすと下の網籠から石を全部移した。網籠がこれ以上下がらないのは承知の上だ。そして空になった下の網籠をフックから外すと網をよじって綱のようにしてから再度フックに付けなおす。

 糸巻に余った糸をすべて巻き取りランタンの持ち手に腕を通す。身支度を整えるとエナンは下の網籠の上に足を置いた。


「よし、行くぞ!」

 そう自分に気合を入れるとエナンは上の網籠のなかの石をひとつずつ取り出して地面に捨てはじめた。

 幾つか石を捨てると網籠が軽くなり上に昇り始めようとする。しかしエナンが足をかけた下の網籠の重さがそれを阻止する。

「ほい! ほい! ほい! ほい!!」

 エナンが陽気な掛け声とともにさらに石を捨てる。次第にエナンを持ち上げようとする力は強くなり、そしてついにエナンの体がゆっくりと上昇を始めた。

 エナンは石を捨てるのを止め慎重に上昇速度を見定める。ここで制御不能な加速が付いてしまったら岩壁に叩きつけられる事になるのだ、速度は遅い方が良い。ゆっくりと、しかし確実に上昇を続けながらエナンは頭上を凝視した。

 ランタンの光があのテラスのある岩壁を捉えた。エナンは身体がオーバーハングした岩壁の下に回り込んでしまわないように糸の上でバランスを取りながら姿勢を制御する。徐々に上昇速度は加速し、岩壁が見る見る迫ってくるような感覚に襲われる。


 眼前に岩壁が迫る。エナンは片手をついて上昇速度を殺すとともにフックの金具が岩壁に削り取られないように防御した。岩壁の表面を引きずられるようにエナンの体はさらに上昇していく。

 上のフックをしっかり握ると腰を曲げて両足で岩壁を蹴る。すると糸が岩壁の表面から離れて一気に上昇する力が強くなった。

「うわっ?!」

 思わず叫ぶほど勢いのついたエナンの体は一気にテラスの角を乗り越えるとそのまま糸に引っ張られてテラスの手摺に激突してようやく止まったのだった。


「あははは、思ったより上まで持ち上がっていたのね・・・。」

 岩も地面に届いたのだろう。エナンを引っ張る力は消えていた。何とか無事にテラスに上がる事に成功したエナンはランタンを掲げて周囲を見回した。


 石の手摺は造り付けたばかりのように彫られた装飾まで鋭い陰影を映し出す。床と天井は鏡のように磨かれたどこまでも平らな黒い石で出来ていて、ランタンの光を浴びると中に含まれた何かの結晶がまるで星空のように浮かび上がって煌めいていた。

 たったそれだけを見ただけでエナンは身体が震えるほどの感嘆を覚えていた。間違いない、この遺跡は時の流れに抗うほどの強い力によって守られていた。そんな遺跡は地上の数ある遺跡の中ですら数える程しかなかった。該当するのは最も最近の物でも古代魔導帝国末期、今から数える事数千年の昔の物であった。


 エナンは糸からフックと網籠を取りはずすとたるみを巻き取りながらさらに周囲を観察する。

 手摺から岩壁の縁まではニメートル位の距離があった。不慮の事故を防ぐためなのだろうが随分と用心深いものだと思う。そして手摺の内側には人の背丈ほどの背もたれが付いた椅子が二つと対になった丸テーブルが一つ、悠久の時を経た今でもそこに置かれていた。

 周囲の黒一色のテラスと対比するような純白の椅子とテーブル。どちらも繊細な紋様が全面に刻まれ見事な造りは一見しただけでとてつもなく上質なアンティークである事が伺える。エナンはそれを見て目を輝かせた。

「これは・・・・使えるな。」


 五分後、椅子とテーブルはエナンの容赦無い仕打ちによって糸が巻かれたままの岩を引き揚げるための巻揚げ機に早変わりしていた。

 手摺を支えに椅子を逆さまに縛り付けると、その脚を軸受け代わりに丸テーブルを横向きにして上に載せる。そして丸テーブルの中心にある支柱に糸を巻き付けるとエナンはテーブルの端を持って回し始めた。

 誰かが後ろで溜息をついたような気がしたので振り返るが誰もいない。

 ゴリゴリと装飾が擦れる音が響いていた。

「いやー、どうやって持ち上げようかと悩んでいたんだよ。偉大なる先人に感謝ですね・・・」

 エナンは上機嫌で罰当たりな独り言を呟いていた。古代魔導帝国時代のアンティークの値段など知った事では無い、というか縁がなかったので知る由もないが多分古物商がこの光景を見たら卒倒しただろう。だがおかげで大切な糸を回収するための手間と時間を大幅に短縮する事が出来たのだった。

 岩は岩壁の表面を滑りながらテラスの縁から顔を出すくらいまで引き上げられた。エナンはフックと網籠を使ってテーブルに巻いた糸を固定するとテラスの縁から手を出して岩に巻いた糸を固定していた金具を外した。

 拘束を解かれた岩が回転しながら落下する。岩が地面に落ちる轟音が静寂に満たされた地下空間に響き渡った。

 軽くなった糸を引き揚げると先端の錘が無事に戻ってきた。エナンはテーブルに巻いた糸を外しすべて糸巻きに巻きなおすとテーブルと椅子を元の位置に戻して装備を整えると大きく深呼吸した。


「さあ、行こう!」

 エナンは抑えきれぬ興奮に息を弾ませて叫んだ。


 丸みを帯びた三角形に近いテラスはその内の二面が解放され手摺で仕切られていた。そして残る一面は床同様、鏡のように磨かれた黒い石の壁となっていた。

 その壁の前に明らかに出入口らしき二本の柱に挟まれた場所がある。エナンはそこへ歩を進める。

 近付くとその柱の間の床だけ他とは違い何か文様のような物が刻まれいる事が分かる。エナンがそっとその上に足を踏み入れるとコトリ、と微かな音がすると鏡のようにしか見えなかった石壁の上に扉の形が浮き上がると静かに内側へと開いていった。

 その先には漆黒の闇に包まれた通路があった。エナンが迷う事なくその中へと足を踏み入れ進み始めると背後で扉が閉まる微かな音が聞こえた。ランランの明かりを頼りに先に進み続けた。

 幾何学的な形状で構成された建物の廊下のような通路だった。床はテラスとは違い目地の入った滑り止めの床材が敷かれ天井は高く丸いアーチ状、壁には一定間隔で壁龕が設けられ、多分昔はそこに明かりが灯されていたのだろう。緩やかな登り勾配の通路はひたすら真っすぐに続いていた。


「ん??」暫く進むとエナンは何かランタンの光のむこうに違和感を感じて足を止めた。

 遠くに通路の出口が見えた気がした。いやこの暗闇で見えるわけがないだろうとは思ったが、エナンはランタンの明かりを完全に閉ざすと目を閉じた。

 暫く時間を置いてからそっと目を開け暗闇の先を凝視する。すると微かに暗闇の先に色の付いた領域が見えた。エナンはランタンの明かりを元に戻すと飛ぶように早足で歩きはじめた。

 出口が近付いてきた。新鮮な空気に混じって植物のほのかな香りが漂ってくる、それだけでも喜びだった。一気に出口を通り抜けた。

 通路を抜けた先、そこは列柱に挟まれた回廊になっていた。通路はまだ先へと続いていたが、向かって左側の壁は消え、そこには庭園らしき空間が広がっていた。

 その空間は薄明りに満たされていた。地面、壁、はるか頭上の天井に至るまで一面に燐光を放つ地衣類に覆われた幻想的な光景にエナンは驚嘆した。

 赤竜亭の地下で見た光る苔だけではない、シダのような葉の発光植物や星のように光る小さな花をつけたランらしき物も見える。何種類もの光を放つ植物が重なり合って地表を覆う光のヴェールを織りなしていた。

 しばらく足を止めその光景に見入っていた。そして再びエナンは歩き出す。


 ここがどういう場所なのか、次第に分かってきた気がする。

 地底の底に美を求めた孤高の隠者が丹精を込めて作り上げた理想郷、自分だけの美しき世界。

 いや、それならば椅子は二つはいらない・・・、多分“二人だけ”の美しき世界を求めた何者かがこの場所を創りあげたのだろう。

 それを成し得た絶大なる魔法力と財力、ここにはその名残が数千年の時を経ていまだ色濃く残されていた。まるで今朝掃除をされたばかりのように通路には塵一つ積もってはいない。この場所はまだ生きているのだという事を悟った。

 奥にはまだ誰かいる。エナンは自分をここに導いた存在がミュリッタではない事を理解し始めていた。


 背筋を伸ばし回廊を進む。暫く進むと回廊は左に曲がり、庭園の中央を通り抜ける橋となった。

 贅沢な造りだ。至高の庭園を抜け荘厳な滝を一望するテラスへと至る散策路。今の大貴族の城館でもここまでの物は数少ないだろう。ましてやここは地の底である。果たして奥におわすは大賢者様か不死の皇帝か・・・、とんでもないものが出てきそうで次第に背筋が強張ってくるのを感じた。

 だが敵意は感じない。周囲を満たす穏やかな空気に安堵すると同時にここがラブダと共に目指していた場所ではなかった事を受け入れた。まあ、そんなに簡単に見つかる訳はないさと、むしろ今はほっとした気持ちであった。


 庭園の放つ光に照らされ橋の先に館の姿が浮かび上がっていた。

 そこに辿り着いたエナンは館の扉の前に立ち迷っていた。


 館そのものは思ったほど壮大な物には見えなかった。

 岩壁に埋もれるように造られたその外観は背の高い平屋の邸宅、その正面に彫刻で覆われた四本の柱で支えられた高い屋根の付いた四阿のようなエントランスと館の扉があった。

 なんか裏口っぽいな、という印象を受ける。まあ庭に面した勝手口といったところであろうか。変な部分で親近感の沸く造りであった。

 その扉の前に立ったエナンは迷っていた。


 いやこれ普通の住宅じゃん、どうしよう。

 壮大な宮殿でもあるかと思ったが予想外の展開で対応に苦慮していた。

 とりあえずノックしてみる事にした。

「ごめんくださーい・・・」

 恐る恐る声をかけると、カチャリとドアノブが音をたてて静かに開いた。廃屋につきものの軋み音などは全く無い。エナンは覚悟を決めると扉を開け放ち中へと足を踏み入れた。

 ちょっと待て、いやこれ何か絶対いるだろ既に! さっきのテラスの出入口はそういう仕掛けという事で何とか納得できた。だけど何よこの扉、ノックして声かけたら勝手にドアノブ動いて扉開きます? 古代魔導帝国人シチュエーションこだわりすぎでしょそんな魔法とか仕掛けますか普通。

 すでに何かに取り憑かれてるかもしれない現実に愕然とするエナンであった。


「お邪魔いたしま~す、次はどこに行けばいいでしょうか・・・あ、独り言です。」

 館の中は真っ暗だった。

 普通こういうのは人が入って来ると明かりが点灯するものだと思っていたのだが何か知らんが真っ暗なままである。

 外がほのかに明るかったせいでかえって不気味に思えた。


 ランタンを掲げて内部の様子を確認する。

 外観からの印象は完全に裏切られた。エナンが今立っているのは石張りの床の上に分厚いカーペットが敷かれたエントランスホールであった。天井は高く吹き抜けかと思うほどの高さにあったが、どうやらこれで一階分のようである。正面にはその天井を抜けて上へと続く大きな階段が見えていた。

 階段の左右には立派な扉のついた部屋があるところまではランタンの光でも見えたがその奥までは見通せない。すると、今度は右の部屋の扉が開く音がした。


 両開きの大きく分厚い扉の錠が開き、ゆっくりと開け放たれる。

 すると今度はその部屋の奥で明りが灯るのが見えた。

「うっ・・・・」

 あまりにあからさまな反応にこいつ隠すつもり全く無いんだという事だけは理解した。分かりましたよそっちに行けばいいんですね、ともうやけくそで誘われるままに部屋へと向かった。


 そこは誰かの居室だった。

 広い部屋を埋め尽くすように大小いくつものテーブルやデスクが置かれ、その上には乱雑に書物が積み重ねられている。幾つもの書類やメモの束が机の上に散らばり壁際は本棚で埋め尽くされていた。

 その奥に大きな天蓋つきのベッドが見えた。どうやらこの書物の山の中で眠る類の人間だったようである。明かりが灯ったのはそのベッド横のサイドテーブルに置いてある燭台だった。

 燭台といってもエナンのランタンと同じような魔晶石をつかった光源である。だが周りを見回すと同じような光源はそこかしこの机の上にもいくつも置いてあった。エナンはその一つに近付くと点灯させようとした。


「魔力切れか・・・」

 まったく点灯しない燭台の原因はすぐわかった。光源にセットされている魔晶石の魔力が尽きているのである。それならばとエナンは収納箱から魔晶石の入った袋を取り出した。

 それらはエナンが今まで拾い集めてきた魔晶石、屑石と呼ばれるような石の中では高品質のもので二級魔晶石にかなり近い。ランタンの貴重な魔力源として今まで処分せずに蓄えてきたものだった。

 魔晶石を交換するとエナンは魔晶石の入ったガラスの筒を回転させる。すると燭台は白い光を出して明るく輝きだした。

 エナンが他に二つ燭台の魔晶石を交換すると、部屋の中は全体が見渡せる位に明るくなった。とは言え見える物は書物やメモ書きの山ばかり。エナンにはさっぱり意味が分からない魔法関係の書物ばかりなので理解するのは諦めてエナンはベッドに腰かけた。

 普通だったら触れた途端に塵となって崩れるであろう数千年前のベッドの布地はしっかりとした手触りがした。滑らかで分厚くて柔らかい、これもとても上質な物なのはエナンでも感覚で分かる。思わずベッドの上に身体を投げ出した。

 体験した事のない沈んでいくような寝心地がエナンを襲う。ろくに仮眠も出来ていなかったエナンはあっという間に深い眠りに落ちていったのだった。


 暫しの間心地よい眠りの中でエナンは癒された。

 不安が消えたわけではない、だがもう悪夢に襲われるほどではなかった。

 ここが人間の世界と繋がっていた事は明らかだった。ならば戻る道も残っているかもしれない、今はその希望に賭けてみようと思った。

 いつまでも眠ってはいられない、そう夢の中で呟くとエナンは目を覚ました。


 まだ眠気が残る頭に活を入れながらエナンは深く呼吸し身体を伸ばした。

 するとまだ目を開けられないエナンの耳にかすかな声が聞こえてきた。

「お目覚めですか、エナン様?」

 一気に眠気が覚めてエナンは身体を起こした。


 目に入ってきたのは、ほとんど後ろが透けて見える綺麗な女性の姿だった。

 まるで話に聞く幽霊のようにうっすらとした人影に驚くエナンに向かって彼女は深く頭を下げると話しかけてきた。

「御来訪いただき大変嬉しく存じます、いきなりの不躾お許し下さい。」

 その声は誰かが遠くで話しているようなかすかな声だった。姿だけでなく声まで今にも消えそうな印象を受ける。

「いえ、こちらこそ。突然お邪魔してしまい申し訳ありません。」

 エナンは慌てて起き上がって答礼すると居住まいを正した。

「エナン様、突然ですが時間がないのでお願い致します。私についてきていただけませんでしょうか。事情は移動しながらご説明致します。」

 何か切迫した様子だったので、エナンは詮索することは考えず了承した。

「ありがとうございます。あと申し訳ありませんが明かりはお持ちいただけますか。」

 彼女はそう言うとこちらですとエナンを案内する。急いでエナンはその後を追った。


「この姿を保つ魔力がもう残っておらず、お話する事も出来ませんでした。大変申し訳なかったのですがお持ちになっていた魔晶石を幾つか拝借させていただいて今なんとかお話する事が出来る状態なのです。」

「事情は理解しました、それで私は何をすれば?」

 エナンは収納箱から出した魔晶石の袋をテーブルの上に置いたままだった事を思い出していた。結果彼女の助けになったのなら幸いだった。

「エナン様は希代の魔力付与師とお見受けします。それを見込んでお願いなのですがこの館の魔力貯留用クリスタルに魔力を補充していただきたいのです。」


「へ・・・?!」

 エナンは思わず間抜けな声を上げてしまった。

 訝しむ彼女にエナンはあわてて取り繕った。

「いや、私なんかで役にたつのかと・・・ははは。」

「御謙遜が過ぎますよ。今の私ではそのお力を計る事すら難しいのですが・・・」

 彼女は一瞬拒まれるかと思って焦ったのだろう。エナンの言い訳を聞くと怯えさせられた事にむくれたような顔をして見せた。

「一体なんですか、あの糸は。あんな出鱈目な魔力を込めた物で削られたらこの館の保護魔法なんて紙みたいな物なんですからね! あれはエナン様の御業でございましょう?」

「え・・・ええ、あれは私の作品ですけど。」

「おかげで椅子もテーブルも傷だらけです。テラスなんか手摺が割れるかと思いましたよ本当に。あの椅子、神代に造られた総ミスリル造りの逸品なんですよ?」

「ぐはっ・・・ほんとにすみません。」


「兎に角です! 修復作業分くらいは魔力を絞らせていただきますからね?」

 彼女はそう言ってにっこりと微笑んだ。

 助けてミュリッタちゃん、俺一生この人の奴隷にされるかもしれない・・・そんな事を思ってしまったエナンであった。


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