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第三十節 : 古の歌姫

 第三十節 : 古の歌姫


「その祈り、聞き届けさせてもらうわ。神ならぬ身ではあるけれど。」

 突然背後から声を掛けられた不死者の女性は腰を抜かすほど驚いてひっくり返った。

 いつの間にか、そこには淀んだ瘴気を消し飛ばすほどの白く輝く魔力をまとった少女と、金色のオーラに包まれた美しい神官が立っていた。


「あ・・あぁああ・・・!」

 言葉にならない叫びを彼女が上げる。今目の前に立っている二人が未来永劫に続くと思われた呪縛からの救い、彼女の終焉であろう事を直感した。

「御使い様、御慈悲に感謝いたします・・・」

 そう呟くと彼女は膝を付き手を合わせて首を垂れた。


 だが、ティモは何一つためらう事無く不死者である彼女の手を取って語りかけた。

「わたくしは必ず貴女の魂を救うと誓いましょう。でもそれは貴女の消滅を意味するものではありませんよ?」

 深淵の闇のようなその眼を覗き込み、目をそらす事なくその全てを受け止める。ティモを包む金色のオーラ、聖気が握りしめた手を伝って優しく彼女を包んでいった。

 人の言葉ほど軽い物は無い。だからティモをその心を言葉ではなく体で直接語りかける。それは呪いに縛られこの世で地獄の責苦に苦しみ続けた不死者の心さえ溶かしていった。

 気が付けば号泣する不死者を優しく抱きしめるティモの姿がそこにあった。


「私はどうなろうと構いません、どうか一つだけ私の願いをお聞き届け下さい。」

 彼女はティモにすがりつくとその慈悲に一縷の望みを託そうとした。それがラブダの救いであろう事は先程の祈る姿を見ていれば聞かずとも判る。ティモは厳かに彼女に告げた。

「ラブダの事ですね? 御安心なさい。彼女はすでに我らが救い出して安全な場所に匿っています。」

 その言葉を聞いて不死者の彼女は絶句した。今彼女には神の御使いが目の前に立っているようにしか見えていないだろう。彼女の望みは言葉にする必要すら無く聞き届けられたのだった。


 だがネタバレしているミュリッタからしてみればツッコミ所満載の茶番劇である。ティモに詐欺師の才能まであるのが分った事はともかくとしても、『ラブダを救い蘇生までしたのはエナンじゃボケェ! 何自分が救った事になってるんだよ、それを手伝ったのは私なんだからね! あと匿ってくれているのはおやっさんだからな!』と心の中で絶叫した。


 だがそれも安堵のあまり泣き崩れた彼女を見ているうちにどうでも良くなった。

 ティモの腕の中で号泣しながら何度も感謝の言葉を繰り返す。その姿を見てミュリッタは目頭が熱くなるのを感じた。

 嘘も方便とは言うが、彼女にしてみればそのような些細な違いなどどうでも良い事なのだ。ただラブダが救われた事が真実であるという事が心に伝わればそれで良い。言葉に重きをおかぬからこそティモはそれを何も間違った事だとは思わない。言葉に頼らず心に語りかけるとはそういう事なのだ。

 ティモは彼女の心が落ち着きを取り戻すまでの間、いつものように微笑みながら優しく抱きしめ続けたのだった。



 ようやく落ち着きを取り戻した不死者の女性にティモとミュリッタは話を聞く事にした。この館の事、ラブダを略取していた者達の事、ラブダの事・・・聞きたい事は山ほどあった。

「私はミュリッタ、魔導師よ。貴女のお名前をお聞きしても良いかしら。」

 ミュリッタはこの館に満ちる瘴気と呪法を断ち切る結界を法囲で作り出すと彼女の様子を伺った。彼女の存在が呪いによって維持されているのは間違い無いがこの館の呪いを絶っても短時間ならばとりあえず存在し続ける事には支障はなさそうだった。ミュリッタは法囲する事によってその事を確認する。彼女を救出するつもりならばこの館の瘴気や呪いへの依存を予め把握しておく事は非常に重要だった。


「わたくしはロドピスと申します。遥か昔には歌姫としてこの地で暮らしておりました。」

 彼女の返答にミュリッタは納得だった。道理でラブダの師匠が務まる訳である。ラブダが歌っていた唄の歌詞が今では普通には知られていない非常に古いものだった事も彼女の言葉を裏付けていた。

「魔導帝国は滅びたと聞いておりました。まだ魔導師様達は御健在なのですか?」

 ロドピスのその言葉は彼女が魔導師を見知っている事を物語る。ミュリッタは遥か昔というのがその時代を示しているのだと理解した。

「ええ、全ての人類に魔法の恩恵を・・・なんて馬鹿げた理想は夢に終わったけど魔導の極みに達する人間が絶えたわけじゃないわ。それより聞かせて、あなたをこんな目に遭わせたのはまさか昔の魔導師なの?」

「いいえ、わたくしを拉致しこの館に閉じ込めたのは邪神を信奉する邪教徒たちです。その教団は魔導師様達によって征伐されたと聞いておりますわ。ただこの地中深くに造られた邪教の祭壇だけは見つけ出されずに残されたとも。」

 その言葉を聞いてミュリッタは安堵した。かつての魔導師達がこのような邪法に手を染めていたのではないか、そう思っただけで悪寒に襲われたが杞憂だったようだ。魔導師達がこのような邪法を許していなかったというだけでも救いだった。



「貴女がラブダのお師匠様だと聞いているけどそれは間違いない?」

 ミュリッタはその後も積極的に質問を続けた。ティモは微笑みながら無言でそれを傍らで聞いている。

 こいつ・・・とミュリッタは腹の中で毒づいた。ティモは今全知全能の神の御使い様モードなのだ。的外れのトンチンカンな質問でもしようものなら一気に化けの皮が剥がれてしまう。だから質問はミュリッタに任せて狸を決め込んでいるのだ。

 その流れに乗らざるを得ない状況にされたミュリッタは仕方なく御使い様の手下としての役回りに徹する事となった。


「はい、せめて出来得る限りの芸は覚えさせてあげようと思って参りました。」

「私も見せてもらったわ。竪琴も歌もあの年頃の娘とは思えないほどの腕前だった。さぞかしお師匠様の腕が良いのだろうとは思っていました。」

「恐縮ですミュリッタ様。あの子は本当に筋が良いのです、教え始めて三年余りですがとても上達が早くて・・・」

 とても嬉しそうにラブダの事を語りだす。だがもしラブダを連れてきた目的が歌姫になる事ではないとしたら、彼女は自分が教えて来た事をどう思うのだろうか。

 いや、それ以前にいかに優れた古の歌姫だからといってこんな所に修行に来させる事自体まともではない。真っ当な歌姫など育てる気など無かった事は彼女も分かっていたはずなのに、何故そこまで親身になって彼女を育てたのかと思ってしまう。

 ふと感じたその疑問をミュリッタは訊ねずにはいられなかった。

「ラブダがここに連れてこられた目的が歌姫になるという事では無いと知った上で芸を教えていたのですか?」


 一瞬で場が凍り付いた。ロドピスが言葉を失い口を震わせていた。

 ティモの額に青筋が浮かぶ気配を感じる。色々な意味で残酷すぎる質問だった事を悟ってミュリッタは後悔した。

 だが気丈にも彼女はその質問に正面から向き合い、震える声で語り出した。

「はい・・・ラブダが生贄にするために連れてこられた娘だという事は悟っていました。でもラブダは芸を習うのが楽しいと言ってくれました。」

 迷いなく言葉を紡ぐ。その声は次第に力強く澄み渡っていった。

「芸は身を助けると申します。万に一つの幸運に恵まれあの娘が生き永らえる事が出来た時の為、生き抜く為の術となればと思って全力で教えて参りました。呪いに縛られ真実を伝える事も逃がす事も能わず、ならばせめて全力でわたくしの知る全てを学ばせようと思ってきました。この気持ち、この願いだけは揺るいだ事はありません。」

 頭を高く天に向かいて、高らかに声を響かせた。

 己が行いに恥じる事無し。彼女は天に向かってそう言い切ったのだった。


「ありがとう。貴女がとても立派な人だという事が良く分かったわ。」

 一瞬ミュリッタですらその魂に圧倒された。静かだがそれほどの確固たる信念が伝わってきた。幾多の呪いも、数多の年月も彼女の気高い魂を堕とす事は出来なかった事を、そしてそれこそがこの館の目的であろう事を理解した。

 もしかしたらラブダをわざわざ彼女の近しい存在にした事ですら、ラブダではなくロドピスを絶望させる為の罠なのかもしれない。邪教徒達にとって数千年を経てなお朽ちる事なきその魂はそれほどまでに重要な生贄なのだ。

 それほどまでの生贄を捧げる必要があるのは何故かなど最早愚問でしかない。彼らの目的は邪神の復活、もしくは降臨と思って間違い無かった。


 神を殺す方法、それはその神の魂を消滅させる事である。神ですら魂を失えば死ぬのだ。だが滅ぼされたと思われても僅かな残り火から再び神が蘇る可能性はある。

 残り火となった魂を再び燃え上がらせるには他の魂の力をそこに加えるしかないが、魂とは意思そのものだ。強大な魂には強固な意思が宿る。その意思が存在する限り魂の力を残り火に喰わそうとしても相反して魂を打ち消し合う事にしかならない。だから魂から意思の力だけを奪う・・・つまり絶望させるのだ。

 絶望した魂は弱い。力の弱い魂にすら容易く取り込まれてしまう。

 そうやって強大な魂を邪神の残り火に喰わせる事によって力をつけさせる為に造られたのがこの呪いの館であり、そして当時稀有の魂を持った存在だった故にロドピスはここへ幽閉されたのだろう。

 彼女は何としてもここから救い出さねばならぬ、そうミュリッタは認識した。


「大体からくりは読めた気がするけど、もう少し確認させてもらって良いかしら。貴女にラブダの手ほどきをするように命じたのは誰?」

「今の教団司祭のガルドーという男です。」

「やはりガルドーなのね・・・奴は表向きは奴隷商人という事になっているけど邪神教団の司祭が本当の姿なの?」

「はい、奴隷商人も表向きではなく教団の生贄を調達する為の本業です。そうやって身売りされた子供や怪我や病気をして働く事も出来なくなった奴隷達を安値で搔き集めて邪神の生贄にしているようです。」


 そう言ってから、驚いたようにロドピスは自問した。

「何故わたくしはこのような事を話せるのでしょうか。教団の事を言葉にすることなど呪縛によって制約されていたはずなのに・・・御使い様のお力なのですか?」

 ふふん、私の力だすごいだろう。ミュリッタがドヤ顔になったのを見て彼女は察してくれたようだった。

「今この周りを囲っている結界で呪いと瘴気を遮断しているわ。呪いの制約が効いていないなら問題なさそうね。」ミュリッタはそう言ってロドピスの状態を確認した。

「瘴気を絶たれて苦しかったり力が入らないような事にはなっていない?」

「はい、むしろ瘴気が消えて苦痛が和らいだ気がします。」

「なら外に連れ出しても問題なさそうね。」


 だがその言葉を聞いたロドピスの表情は暗く沈んだ。

「御使い様・・・わたくしはもう見ての通りの化物です。束縛を逃れたとて此の世に居場所など在りはいたしません。ラブダが救われたのであればもう思い残す事も無くなりました。どうか私の魂を無へと帰していただけませぬでしょうか。」


 確かに、望まずして不死者となり果ててしまった彼女を解放するという事は本来そういう事を意味するはずだった。ましてや本人がそれを願うとなれば拒む事など許される訳もない。なのに何だろう、なぜこんなに釈然としないのだろう。

 ミュリッタはその言葉に何も答える事が出来なかった。



 沈黙が訪れたその時、ティモが口を開いた。

「そんな事をお手伝いするつもりはありませんわ。それは救いでもなければ解放でもありません。ただの消滅です。」


 その物言い何たる横暴、何たる理不尽。

 おおよそ神官の言葉とは思えぬ無慈悲な物言い、辛辣な現実表現。

 だがミュリッタの心はその言葉に喝采していた。


 絶句するロドピスの前にティモは立つと厳かに告げる。

「最初に言った言葉が全てなのです。必ず貴女の魂を救うと、それは貴女の消滅を意味しないと。貴女の魂を救済しない事はわたくしの信念に反するのです。」

 ティモを包む黄金の輝きが増していった。

「ラブダの事を愛しているのでしょう? ならば生きて、生き続けてラブダを慈しむ事こそ貴女の望み、貴女の魂の救いではないのですか。」

「そんな事が私に許されるのでしょうか・・・」

 その問いに厳かに微笑むと彼女は答えた。

「誰に許しを請う必要があると言うのですか? ラブダが幸せになる姿をその目に焼き付け、彼女の歌声が人々を幸せにする姿を見て誇りなさい。それこそが貴女の愛が報われる瞬間、それこそが貴女の魂の真の救いとなるのです。」

 それが大天使テスの言葉でもある事をミュリッタは理解したのだった。



 再び沈黙が訪れた。だが古の歌姫は意を決すると立ち上がった。

「まだ多くの事を教えておりません。稽古を続けてあげる事が出来るのならばこの呪いを断ち切り自らの道を進むのみです。」

 それを聞いたティモは穏やかに微笑むと頷いた。

「お手伝い致しますわ。すぐにラブダの元へお連れしますね。」


 ミュリッタも彼女の決意に異存は無かった。早速撤収の準備に取り掛かる。

「楽器も譜面も、ここにある物は全て持ち出す事は出来ないわ。備品すら呪いを折り重ねて作り出した虚構でしかないみたい。そうでなければ何千年も保てる訳はないのだから。でもね・・・」

 ミュリッタは不敵に笑った。

「中身を写し取るくらいは容易な事よ。譜面は必要でしょう? 全部写し取るわよ。」

「本当でございますか? それは大変助かります・・・多分外に出ればもう二度と手にいれる事は出来ないでしょうから。」

「呪いだろうがなんだろうが、記された中身までは偽る事はできないわ。これでも先人の叡智には敬意をもって向き合う性質なの。過去の芸術を失うような真似はするつもりはないわ。」

「ここの広間の控えに置いてあるものが全てでございます。私はこの広間から出る事も許されない存在ですから。」


 ミュリッタは頷くとティモに伝える。もう神の御使いモードは強制終了だ。

「ティモ、一旦法囲を解くわよ。今の結界じゃ強力すぎて呪いで保たれている備品が消滅してしまう。」

「ええ、ミュリッタちゃんも随分とお節介になってきましたね。とても良い事だと思いますよ?」

「そんな余裕があるなら少し働いてもらおうかしら。解いたら一気に来るわよ?」

 その言葉を聞いてティモが凶悪な笑顔を浮かべた。笑顔で顔面吊りの刑にされたミュリッタにしか分からないだろうけど。

「不浄なる者共に世界の裁きを・・・望む所ですわ。」


「行け、行け、行け、行け!」法囲を解くと鬼教官のようにミュリッタはロドピスの背中を押し飛ばす。館の束縛を破った彼女に向かって押し寄せる呪いの邪霊を魔力で直接吹き飛ばしながらロドピスに並走する。一気に広間を駆け抜け控えへと駆け込んだ。

 そこに向かってさらに大量の邪霊が押し寄せて来る。だがそれをティモの聖霊陣が殲滅した。

「そっちは任せる!」ミュリッタはティモにそう言うと目的の譜面などが置いてある一帯に邪霊の侵入を阻むだけの障壁を展開する。

「さあ、さっさと済ませましょう。」

 ミュリッタが展開する魔力が一気に高まると辺りを満たしていく。譜面を開く事もなくその中身を認識するとその波動そのものを記録していく。文字や図形だけでなく書物の姿形から傷の一つまでをも刻みつけていった。


「その楽器、貴女の大切な物なのかしら。」

 瞬く間に全ての譜面や書物までも記録し終えたミュリッタは、楽器の一つを抱えその感触を確かめていたロドピスに声を掛けた。彼女はその楽器に最後の別れをしている所だった。

「はい、多くの想い出と共にあった物ですね・・・心の支えだったと言っても良いかもしれません。」

「ならそれも記録するわ。いつか再現できる人間に出会えれば良いのだけど。」

 ロドピスは楽器をミュリッタに手渡すと深々とお辞儀をした。

 ミュリッタはその楽器を仔細に認識するとその波動もまた記録したのだった。


「さて、これで持っていく価値のある物は全部かしらね・・・ティモ、先に行くわよ。」

 ミュリッタの言葉にティモは無言で頷く。ミュリッタがこれから何をしようとしているのかもう理解しているようだった。

 気が付けば結構いいコンビになってたじゃない、そう思いながらミュリッタは再び隠形術を発動させる。ミュリッタとロドピスの姿が掻き消え、呪いの中にティモは一人だけ残されたのだった。



「ここは・・・?!」

 驚愕するロドピスをミュリッタは椅子に座らせると窓をティモへと向けた。

「ここは私が創った異空間。どうやっても奴らには手の届かない場所よ。」

 ミュリッタも椅子に座るとロドピスの手を握った。彼女の状態が問題無く維持されている事を確かめる。

「さあ、聖女様の戦いぶりを御覧なさい。新しい唄が創れるかもしれないわよ。」



「許されざる者達よ、汝らの世界の終焉をここに宣告せん。」

 ティモはミュリッタ達が完全に消えた事を確認すると大天使テスの力を発動した。

 伝承の言葉を借りるなら、それは全ての魂を大地へと飲み込むとされた裁きの女神の如き力であった。

 金色の光に包まれたティモの目の前に色の違う光のようなものが現れた。それは光とすら呼べぬ何か、様々な色のように感じるかと思えば突然虚無か深淵の闇かと思うような目では捉える事すら出来ぬ存在へと目まぐるしく姿を変える。

 何かがあるのに何があるのか見定める事は出来ない、そんな光とも流れともつかぬ奔流が入り乱れ渦を巻きながら膨れ上がっていった。


 ミュリッタは意識を集中させて初めて目の当たりにするその何かの本質を探る。そして一つの結論へと到達した。

 それは『混沌』。万物の始原にして終焉となる無と有の境界線であった。

『とんでもない大技出してくれるじゃない・・・』ミュリッタは未だ人の到達する事の出来ぬ領域を顕現する神性の底知れぬ力に戦慄した。


「魂を大地に飲み込む・・・まさか、そういう意味だったの?」

 ミュリッタは霊魂の存在を信じている。いや、それは確かに存在している。今もミュリッタの中にも息づいているそれは時に肉体の檻すらをも打ち破り昇華する意思を持った力、そう信じている。

 だがあの『混沌』の前では全ては等しく無であった。物質も、力も、そして恐らくは魂ですらも。混沌に触れれば全ては『何物でもない何か』へと戻るのだ。

 世界の終焉の時、大地が全ての魂を飲み込む・・・心優しき大天使テスを知ってしまったからこそ、その言葉の意味する事が魂の救済ではないかとミュリッタは淡い幻想を抱いていた。しかしそれが幻想でしかなかった事を今はっきりと認識した。

 それは混沌によって霊魂すら意思無き土くれへと還されるという意味だと思い知らされる。

 世界の終焉とは、意思の一片すら残される事を許しはしないのだ。


「滅せよ!!!」

 高らかに響く無慈悲なる終焉。その言葉と共に顕現した混沌は弾けた。

 世界は一瞬無色に染まる。そしてそれが過ぎ去った時、その場を満たしていたのは吹雪の如く舞い踊る無色透明な結晶の奔流だった。

 館も、呪いも、邪霊すらも全てが透明な破片となって降り注いでいた。


 舞い散る結晶は彼女達が魔晶石と呼んでいるものに似ていたようにも思えた。

 その美しくも恐ろしい光景をただ茫然とミュリッタは眺めたのだった。


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