第三節 : 取引の条件
第三節 : 取引の条件
「しかし何だって俺なんだ。俺よりは金のあるやつなんぞこの酒場にだっていくらでもいるだろう。」
堀師の若い男に魔術師は囁いた。今彼は魔術師と相棒の陣取るテーブルを囲んで商談の詰めに入っていた。
それこそ銀翼ならこの石に見合うだけの金額を用意できたかもしれない。彼の身に着けている古代魔導帝国期の武具だけでもそれを上回る価値があるのだから。有難い話ではあったがあまりに美味すぎる話で何やら居心地が悪くてしょうがない。
それに対して堀師はど正論で切り返した。
「え、だってシガノーさんならこれを転売したりはしないでしょ?」
シガノーとはこの魔術師の名前である。といってもこの酒場での通り名で本名かどうかなど判ったものではないし詮索する者もいない。過去など知られたくない奴はこの酒場の中でも大勢いるのだ。
「まあな、強力な魔晶石を売り飛ばすなんぞ魔術師のすることじゃねぇ。」
魔術師は素直に認めた。人間族の持つ魔力などたかが知れている。それを補い、大幅に強化してくれる数少ない手段である魔晶石は魔術師にとってはまさに命綱と言えた。そして魔晶石の質によって得られる魔力の強さは大きく異なる。そういう意味で今日の石は二度と手に入れられる機会など無さそうな代物だった。
そう、シガノーの財力ではという意味において。
「そうしてくれると有難いんです。出所の話もありますからね。」
「現物よりそっちの方が問題か・・・」
納得せざるを得なかった。もし仮に強力な魔晶石の新しい鉱脈が見つかったなどという話にでもなれば、これはもう国一つでは収まらないレベルの話、有体に言えば多国間での奪い合いで大戦争が起きかねない次元の話になってくる。
そんなものに巻き込まれたらたまったものではない。良くて口封じの幽閉生活、悪ければ拷問で全てを吐かされそのまま闇に葬られるのが発見者の末路である。
もし権力者につてでもあればその情報を手土産に立身出世することも可能ではあるかもしれないが、それも相手と運次第である。
「鉱脈が出たという話になるのかな?」いきなり直球すぎる質問をしてきたのはかの銀翼だった。何故か、というより裁定者の責務として詳細を把握するためにテーブルに同席していたのだった。
「いえ、まだそこまでは。」堀師の若い男は正直に答えた。
「恐らく水脈を伝って流されてきただけでしょう。鉱脈はなかったです。」
「そうか、もし見つけてしまうような事になったら親父さんに相談するといい。」銀翼はそうアドバイスしてくれた。「あの人は国王様にも顔がきくからね。」
さらっと驚愕の事実が明かされる。古参の常連なら知っている者もいたが、まだこの酒場の常連となって日の浅い堀師や魔術師にとっては初耳だった。
「ま・・・まじですか。」魔術師が絶句する。相棒の方は元から絶句しているような物なので平常運転だ。
「それは・・・心強いですね。有難うございます。」堀師の若い男も驚きは隠せない。さすがは料理と情報通に関しては右に出る者はいないと言われている“おやっさん”と言うべきだろうか。料理の方は少し贔屓が過ぎる気もするが。
この店の看板の由来を知っている者なら、たまにこの店を訪れ主人と親しげに会話している貴族風の老紳士がかつてこの店の看板を彫った元宮廷彫刻家だという事を知っているかもしれない。彼は今、王領であるこの古代都市で王の名代として執政官を務めているという事も。
かつてこの国を圧政で地獄に変えた暴君を、若き王族の英雄が討ち取り新たな王となった事件があった。もうそれから二十五年が過ぎようとしている今、その戦いで最強の戦士として助力した異国の戦士がいた事を知る者はもう少ない。
だが現国王と、その腹心となった元宮廷彫刻家はその時の恩義をいまだ忘れてはおらず、変わらぬ感謝と親愛の気持ちを示してくれているという。
「状況は大体把握したよ。街中で変な噂が流れないかは気を付けておく。」そう言うと銀翼は席を立った。
「用心するに越した事は無いし、もう少し念を押しておいたほうがいいかもね。」そう言い残すと銀翼は自分の定位置の席へ戻って行った。だがその言葉を聞いた魔術師の顔が一瞬険しくなった。
「何はともあれ、支払いだな。」魔術師は普段の顔に戻ると取引の締めに入った。
懐から金袋を取り出すと中を覗き込み、綺麗な金貨から選んで取り出し始めた。
そんな様子を律儀な男だな、と眺めながら堀師の若い男は自分も収納箱に戻した魔晶石を再びテーブルの上に置いた。
「支払いの足しにもならんけどよ、これからは何時でも鑑定はタダで引き受けるぜ。」魔術師は金貨をテーブルの上に並べながら言った。「あと、俺で手伝える事があれば遠慮なく言ってくれ。その位の礼なら幾らでもするぜ。」
「俺たち、だ」無口な相棒が突然口を挟んだ。「俺たちで出来る事ならなんでも手伝わせて貰う。」
「すまねぇな、相棒」魔術師は照れながら相棒に礼を言った。本当にいいコンビだった。
「金貨二十枚だ、あらためてくれ。」
テーブルの上に金貨を並べ終わった魔術師が言った。堀師の若い男はそれを一枚ずつ数えながら積み上げていく。
「確かにいただきました。」確認が終わると堀師の若い男は魔晶石を魔術師の前に差し出した。魔術師はさすがに少し顔を上気させて嬉しそうにそれを受け取る。
「ありがとよ、あ~」魔術師が言葉に詰まった。この若い堀師の名前を呼ぼうと思ったのだが、普段から呼び慣れていなかったので度忘れしてしまったのだ。
「エナンだ・・・エナン=タラオス」無口な相棒が助け舟を出す。
「失敬! ありがとよ、恩に着るぜエナン!」魔術師は堀師と握手を交わすと言った。「本当に鑑定くらいなら幾らでもするからよ、遠慮なく言ってくれ。」
エナンと呼ばれた堀師の若い男はしっかりとその手を握ると礼を返した。
「こちらこそ、ありがとうございました。またお願いします。」
「はいっ! 鑑定依頼料金貨一万枚入りました!」様子を伺っていた周りのテーブルの何処かでまた余計な事を言っている奴がいる・・・と思ったらドスンと重い音がした。
そして何か重い物を引きずる音と共に数人の男が店の外に出ていく気配がすると店はまた普段と変わらない様子へと戻っていく。
だが、魔術師シガノーにとってある意味本番はこれからだった。
やるべき事があと二つ。一つは破格の値段で特級魔晶石を手に入れたラッキーマンとしての責務、そしてもう一つは・・・
「すまねえ、待たせたな皆の衆!」魔術師が声を張り上げた。
「今日は俺が奢らせてもらうんで、みんな好きにやってくれ!!」
お約束の歓声が巻き起こる。お裾分け程度であっても幸運は皆で分かち合う、酒場仲間の大切な儀式だった。せめてこの酒場の中でだけでは妬み嫉みとは無縁でいたいから、この大事な場所を失いたくはないから皆、酒で全てを洗い流すのだ。
『よし、上手くいった!』魔術師は酒場の盛り上がりの感触を確かめて思った。そして同時に、先程の銀翼の言葉の真意を理解していた連中が“意図的に”場を盛り上げてくれている事にも気が付いていた。
「あと、今回はかなりの大物だったんで・・・」魔術師は声が震えるのを必死で抑えながら続けた。「口止め料、金貨一枚全員に配らせてもらうぜ!」
更なる歓声が上がり、酒場の中は一気に祭りと化す。
先程の意図的な盛り上げはこの為の呼び水だった。魔術師にとっては自腹を切った大博打だったが、それも場が盛り上がらなければ意味が無かったからだ。おかげで首尾は上々といった処だったが、それでも魔術師にとっては胃が痛くなる思いだった。
費用を考えると魔術師の手持ちでは到底足りなかったが、無口な相棒は問題ないと一言告げていた。それでも酒場にいる数十人、全員に払えば二人の財産はほぼ全て飛んで消えるだろう。そう、全員に支払えば、だが。
「ひゅ~! 太っ腹だねぇ・・・いらねーよ!」
「気使い過ぎだぞ、魔術師! 水臭い事いってんじゃねぇよ!」
「酒代で一枚分は飲むからいらねーぞ!!」
格上の冒険者からは想定通りの野次が返ってきた。この手のベテランは銀翼の言葉の意味を良く理解していた。だが、問題はそうでは無い連中の方だった。
実際の事を言えばこのシガノーの三文芝居が金に困って掟破りをやらかしそうな奴を思い留まらせるためのあぶり出しだという事は酒場の常連客は皆分かっていた。もちろん分かっていても貰いたい奴は貰う権利があるし、それで秘密が守られれば結局安心なのは魔晶石を手に入れたシガノーなのだから別に遠慮をする筋合いもない。だが常連だけなら銀翼に斬られるなど真っ平だからそこまでしなくとも誰も掟破りなどするはずもなかった。
しかしここは一応店として開いている酒場である。時にはこの店の事も良く知らないままその場に居合わせた一見さんが紛れ込んでいる場合もある。こういう場合に本当に危険なのはそういう全く冒険者酒場にいるという自覚のない素人のような連中だった。
「太っ腹な兄さん達が多くて困っちまうんだが、要る奴はいないか!」魔術師は畳みかけるが、さすがにベテラン連中がこの調子では欲しくても欲しいとは言い出しにくいのは想像がついた。だが・・・欲しそうにしている奴は間違いなくいた。もう魔術師はその男に狙いを定めていた。
「よーし、太っ腹な兄さん達に負けてられねぇし、一人金貨五枚だ!」魔術師は最後の大芝居をぶち上げた。「どうだ! 逃すと後悔するぞ!!」
「えっ!!」と酒場の隅で小さな叫び声が上がった。見るからに若い子供のような新米冒険者だった。酒場の隅の床の上、一人で暗い顔をしてシチューを前に座り込んでいた。
最近酒場に出入りするようになった奴だったが、前はいたはずの連れの姿は今日はどこにもいなかった。
「おっと、ようやく一人登場だな! 遠慮は無用だぜルーキー!」
すかさず魔術師がその少年をショーの表舞台へと引き摺り出した。「金貨五枚進呈だ。そんな隅っこにいないでさっさとこっちに来な!」そう言われて覚悟を決めた少年がおずおずと近付いてくる。時宜を心得たベテラン冒険者達が拍手と歓声で場を盛り上げると引きつった少年の顔に少しだけ笑顔が浮かんだ。
「あの・・・本当に貰えるんですか?」少年は恐る恐る魔術師に確認する。
「あったりめぇだ。今日は俺の超ラッキーのお裾分けだ。お前さんもラッキーになるんだよ。」
それを聞いた途端に少年の顔が泣きそうになった。深々と頭を下げると涙声で叫んだ。
「ありがとうございます! めっちゃ助かります! 一生恩にきます!!!」
大体の事情は察していた。近くで見ると少年の体は傷だらけで服には大きな血の染みがあちらこちらに付いていた。だが確実を期すにはまだ情報が足りない。魔術師は最後に少年には残酷かもしれない質問をしなければならなかった。
「なあルーキー、相棒はどうしたんだ。」
その言葉を聞いて、ついに少年の感情が限界に達した。大声で泣きながら床に崩れ落ちるとそのままうずくまるように床にひれ伏す。まるでここにはいない誰かに許しを請うように。そして途切れ途切れに語り出した。
「遺跡にいったんです・・・でも全然歯が立たなくて、あいつ俺を庇って手と足に大怪我しちまって・・・施療院に連れてったんだけど・・・早く治さないとどっちもダメになるって・・・でも治癒術師頼むの金貨八枚かかるって言われて・・・」
それだけ聞けば十分だった。魔術師は言い放った。
「やっぱりお前はラッキーだぜ、少年。」何を言っているんだとばかりに少年が顔を上げて魔術師を睨みつけた。その目の前の床に魔術師は拳を叩きつける。
その拳には金貨十枚が握られていた。
「相棒、生きてんだな?」魔術師は真っ向から少年の視線を受け止めて言った。「ならそいつの分も合わせて金貨十枚だ。」
音を立てて金貨が重なり落ちる。少年はそれをしばらく呆けたように見つめていた。
そして肩を震わすと絞り出すような声で言った、
「兄貴・・・ありがとうございます、ありがとう・・・・」
その先はもう言葉にならなかった。
「なんか、本当にすみません。」魔術師は銀翼に恐縮していた。
少年冒険者は急ぎ宿屋で寝ている相棒の所へと戻る事になった。夜も遅く夜道は危ないという事で赤竜亭から一人付き添いを出す事になったのだが、あろうことかそれに名乗り出たのは銀翼だった。
「金を払った本人が夜道をついていくのは無しだろう?」含み笑いをしながら銀翼が陽気に振る舞う。「この子の連れの様子も見ておきたいしね。急ぐ必要がありそうなら門を開けてもらうよ。」
夜中に市街の門を開けてもらう、そんな芸当が出来るのはごく限られた人間だけだ。それが出来るのは自分位だろうと暗に言っていた。そう言われては魔術師も銀翼にお願いするしかなかった。
酒がわりだと言って酒場の主人が包んでくれた料理を持って二人は酒場を出ていく。見送る魔術師と相棒の横をすれ違いざま、銀翼が小声で言った。
「見事な対応だったよ、ありがとう。」
魔術師と相棒は無言で深々とお辞儀をした。それは銀翼も最初からこの少年が一番危ういと気付いていたという意味だった。
今回の魔晶石についての秘密を守る為にはどうしてもこの危険要素は取り除いておかなければいけなかった。それが魔術師シガノーに課せられたもう一つの責務だったのだ。
有能な裁定者というものは単なる処刑人ではなく、酒場の仲間を守る世話役としての存在でもあった。無神経では到底務まる物ではないのである。
そういう意味においても銀翼は裁定者として得がたい存在であった。