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第二節 : 冒険者酒場の掟

 第二節 : 冒険者酒場の掟


 いわゆる“冒険者”を標榜する輩も、その生い立ちは様々である。

 軍や組織とそりが合わず、一匹狼を続ける武辺者。

 奸計に追われた流浪の貴種がいるかと思えば、その隣には脛に傷有る風来坊。

 どう言い繕っても財宝目当ての墓荒らしの類から、食い詰めた挙句戦場跡から拾ってきた長物を手に傭兵の真似事を始めた貧民まで、ありとあらゆるはみ出し者達が己が実力だけを頼りに“冒険者”を名乗り生きるために必死に足掻いていた。


 今赤竜亭に滑り込んだ若い男は“鉱石堀師”と言われる少し珍しい毛色のトレジャーハンターだった。鉱脈を掘り当て大儲けを狙う山師とは異なり、掘り尽くされて放棄された鉱山跡や洞窟などから貴重な鉱物や宝石を見つけ出す落穂拾いのような事を生業とする地味な連中で、敢えて誉め言葉を探すなら、他人に迷惑はかけない職業だ・・・と言えるかどうかといった所である。

 古井戸や水路の底で砂泥をさらったりしている姿が時々見られるので“井戸さらい”“石拾い”等と揶揄される事も多い。砂金取りと混同される事も多いが、総じて『無害で冴えない連中』という評価が一般的だ。

 もちろん、それだけで食っているとは限らない訳ではあるが。


 そんな冴えない男が酒場に入った瞬間、体中に穴が空くかと思われる程の鋭い視線が一斉に降り注いだ。そう、ここは歴戦の強者が集う赤竜亭。どんなに静かに滑り込んでも扉が開いて人が入って来た事に気付かないような間抜けな客はまずいない。

 視線を送って来なかった奴がいたとしたら、それは見る必要すらなく把握出来ていただけに過ぎない。魔術師の類なら珍しい事でもない。彼らは周辺に魔力を廻らし背後遠くまで気配を読む。

 容赦ない冒険者達の洗礼を浴びながら、背中を向けたまま酒をちびちび飲んでいる魔術師風の客のテーブルへと鉱石堀師の若い男はゆっくり歩き出した。


 注がれた視線は一瞬で霧散し、元の位置へと戻っていった。

 視線に敵意や悪意があるわけではない。ここにいる冒険者達にとっては単なる習性でしかなく、ああまたいつもの奴か・・・と認識するとすぐに意識は男から離れていった。

 酒場に陣取る他の冒険者と比べるといささか場違いな感もあるが、この若い男も赤竜亭の常連客だと皆が認める存在だった。

 冒険者の格とかそんな話じゃねぇんだよ、と誰かが心の中で呟いた。あんなに美味そうにシチューを食う奴を認められない野郎は赤竜亭の椅子に座る資格はねぇんだよ、と。


「よう石拾い、景気はどうだい。」

 魔術師まで数歩の所まで近づいた時、突然相手の方から声をかけられた。

 もちろん背中は向けたままだ。一度たりともこちらを見てはいなかった。それでもお前が誰かなどお見通しだぞと言わんばかりに出鼻を挫くような先制パンチを見舞って来る。

 だが石拾いと揶揄された男は全く動じる様子もなくにこやかにそれに応じる。

「今日も相変わらずの坊主ですよ、と言ってあげたい処なんですが・・・」

 思わせぶりに言葉を途切る様子に魔術師が舌打ちした。

「けっ! 勿体つけやがって。で、何の用だい。」

「鑑定お願いできますか?」


 それはある意味期待していた答えだったが、その答えを聞くと魔術師の顔から皮肉っぽいにやけた笑いが消えた。

「いいぜ、一回金貨1枚だ。」

 魔術師は初めて男の方を向くと真顔で法外な料金をふっかけた。周りのテーブルで二人のやり取りに耳をそばだてていた連中の数人が噴き出して一気に騒がしさが増す。

「いひーっひっひっ!! 足許見すぎだろこれ!」

「おま・・・正気か?おい。」

 そんな外野から一斉に入る野次に魔術師が怒鳴り返す。

「うるせぇ! 金貨一枚でどうこう言うような屑石なんぞ端から興味ねぇんだよ。手前らは黙ってろ!」

 そんな冒険者達のやり取りを静観していた男が頃合いを見て口を開く。

「金貨なんて手持ちありませんよ。もし引き取ってくれるなら代金から引いておいてもらえませんか。」


 飛び交う野次と怒号が一瞬で消えた。

 この若い男の物言いは口調とは裏腹に不遜だった。鑑定を頼んでおきながらその価値はもう金貨一枚など物の数ではないとでも言っているのか。ほぼ全員、格上の冒険者である彼らを目の前にしてのその余裕に思わず皆がある種の期待を抱いてしまう。

 そう、サプライズの始まりを。


 男が腰の小さな収納箱を開けると魔術師のテーブルへと近づく。

 魔術師と一緒に座っていた彼の相棒が、テーブルの上にあったジョッキや皿を手早く隣のテーブルの連中に押し付けてスペースを確保する。最後にそつなく手拭いでテーブルを拭くあたり、見事な手際でポイントが高い。

 最早周辺の冒険者は全員総立ちで見守る中、収納箱の中身がテーブルの中央にそっと置かれると驚嘆の声が一斉に上がった。


 薄水色の透明度の高い水晶に似た結晶。大きさは親指位だった。

 だが、何よりも特徴的なのは、その結晶自体が仄かに白く輝いている事だった。

 鑑定を頼まれた魔術師が声にならない唸り声を上げる。

「一級までなら何度か見た事がある。だがこいつは明らかにそいつらの上、特級か。」

 その結晶は“魔晶石”と呼ばれる魔力を大量に含んだ鉱物だった。


 魔晶石はかつて大量に存在していたが、掘り尽くされ今ではほとんど産出しない希少な鉱物だ。高品質の物は法外な値段で取引をされる為、鉱石堀師ではなくとも誰もが手にしたいと思う財宝としてトレジャーハントの定番アイテムにもなっている。

 彼らの言う鑑定とは、魔晶石と呼ばれる魔力を大量に含んだ特殊な結晶の、内に秘めた魔力の強さを測定する技法である『含有魔力測定法による鑑定』の事を言っていた。


 だが鑑定しなくとも、大抵の魔晶石の質はその石の放つ放射光で大体判断できる。

 屑石と呼ばれる低品質の物だと目で見る事は難しい。だが二級、一級と等級が上がると、光を遮断した暗室の中でなら微かにその光を見る事ができる。

 しかしテーブルの上の魔晶石は明るい室内ではっきり見える程の光を放っていた。とてつもない魔力量なのは間違い無いだろう。

 そんな一級の魔晶石を遥かに上回る魔力を秘めた石は、特級と呼ばれていた。


「とんでもない物持ち込みやがって・・・どこでこんな物拾って来やがった。」

 それは思わず口をついて出た言葉だったが、言ってしまった瞬間にしくじったと魔術師は思った。だが言われた鉱石堀師の若い男はさらっとそれを受け流した。

「堀師にそれを聞きますか? 勘弁してくださいよ。」

「すまねぇ・・・心の声が漏れただけだ。聞かなかった事にしてくれ。」魔術師は大急ぎで謝罪する。宝の出所は場合によってはその宝以上に重要な秘密なのだ。それを詮索する事は冒険者酒場の信義に反していた。


「すげぇ・・・俺特級なんて初めて見たぜ。」誰かがつぶやく。

「そりゃそうだ、この等級になると市場には絶対出てこないからな。自力で見つけない限り拝む機会なんざありゃしないさ。」そう応えた男も生唾を飲む。

「まだ特級と決まったわけじゃねえぞ。そこはしっかり鑑定しないとな。」そうそう、こういう時は必ず水を差すような事を言う奴もいる。別に間違った事は言ってはいないんだけどさ、お前は一言多いんだよと大抵の奴は思う訳だが。

「はあ? 光の強さ見りゃわかんだろ普通。」

「あるんだよ、魔法で放射光を偽装したりする手口がなぁ。見たら判るとか冗談だろ。」

「なに難癖つけてんだよ、この野郎!」


「手前ら、ちったぁ静かにしろや。」

 ヒートアップしてきた観客を鑑定を頼まれた魔術師が一喝する。

「ま、鑑定はするさ。そうしねぇとどれだけの魔力を持ってるか判らんからな。」

 魔術師が両手を肩幅位に開くと石を挟むようにしてテーブルの上に小指と肘をつける。そして大きく深呼吸すると鑑定の為の術を発動させる。


 テーブルの上を這うように、小指の先から肘の手前までほぼ等間隔に七本の光の糸のようなものが右手から左手に向けて真っすぐ放たれる、はずだった。

 だが、右手から伸びた光の糸は弾き飛ばされるように左手とは反対方向に捻じれると光の粒になって霧散した。


「あれ?」今まで余裕ぶっていた魔術師が動揺した。

 本当の事を言えば特級を自分の術で鑑定できるのかなんて何の保証もない。やった事がないんだから仕方ないだろうと心の中で言い訳をしてみるものの、さすがにこの状況で出来ませんでしたでは格好が悪すぎる。慌てて再度術を発動する。

 結果は同じだった。右手から左手に伸びる魔力の糸が石の魔力と干渉して起こす歪みの大きさを見て魔力の強さを判定する術式なのだが、その魔力の糸が正常に発生しない。

 原因はすぐに思い当たった。この石の魔力が強すぎるのだ。

 左手に行こうとする魔力の糸が石の力に負けて消滅してしまう。だが原因が分かった所でどうしようもない。手に余ると言うしかない状況だった。


「どうした~ 手震えてんぞ鑑定屋!」

「金貨一枚分の仕事、早く見せてくれよこの野郎!」

「ごめんなさい、僕静かにしてるんで早く鑑定結果下さい!」

 野次が再び沸き起こり、余裕の無くなった魔術師が追い詰められたその瞬間、魔術師の寡黙な相棒が、音もたてず動くとテーブルの上の石を手に持った。そしてあろうことかそのまま、すたすたとテーブルから離れて行く。

 周りにいた冒険者達も一瞬唖然として言葉を失う。この時点でこの寡黙な相棒が何を考えているか分かった者はほとんどいなかっただろう。だが、魔術師には自分の相棒が何を伝えているのかすぐに分かった。そう、奴は今まさにこの状況を打破する方法を教えてくれているのだという事が。

 こいつは何時もそうだ。いつも何かを考え出して俺を救ってくれる。そんな思いが魔術師の動揺を一瞬で消し去って行く。魔術師にとってこの男は物心ついた頃からつるんできた最高の相棒だった。そう、もう今では世界で唯一の心から信頼できる家族のような。


「そこ、間に立たないでくれるか。」相棒が珍しく少しだけ大きな声を出した。

 それは魔術師のテーブルと相棒の間の通路に立っている男に向かってだった。

 言われた男は、思わず通路から立ち退く。こいつが喋るなんて珍しいなと思いながら。

「いくぞ。」相棒は続けて言った。これは魔術師に対してだった。

 なんの説明もなく、まるで当たり前のように言ってくれる。俺の面子まで気にしてくれているのかよと魔術師は思った。


『本当にお前頭良いよな。ああ、いいぜ。何を考えてるのかはもう分かってる』と心の中で呟きながら魔術師は三度目の正直で術式を発動させた。今度は正常に術は発動し右手から左手へ七本の光の糸が真っすぐに伸びる。

「頼むわ、相棒。」相棒の気遣いを無駄にしない為にも、まるで慣れ切った様に合図を送る。相棒は無言で頷くとゆっくりと、魔術師の方へと歩きだす。


 魔術師は自分の手から伸びる光の糸を凝視した。見ているのは近寄ってくる相棒に一番近い指先の一本だけだ。全神経を集中してその一本の挙動を観察する。

 ゆっくりと、亀のような速度で相棒が近づいてくる。そして開始から半分位の位置まで来た時、突然光の糸が僅かだが曲がった。


「出たぞ!」鋭い声を上げて魔術師が相棒に知らせると、相棒はぴたりとその位置で静止した。その相棒に魔術師が次の指示を出す。

「相棒、そのまま少し石を前後に動かしてくれ。」

 一々相棒と呼ぶのはちょっとした自慢だった。その相棒は言われた通りその位置から動かず、手だけを動かして石を前後にゆっくりと動かした。

 手の動きに合わせて光の糸の描く弧が揺れた。石が近づくと一本目の光の糸だけでなく二本目の糸も同調して弧を描く。石の魔力が干渉し始めたのは間違いなかった。


「すまねぇな、堀師」魔術師が依頼人の鉱石堀師に声をかけた。

「相棒からここまでの距離を測ってくれないか。」

 そう言われた若い堀師は予想していたかのように素早く計測用の糸を取り出すとその先についた錘を魔術師のテーブルの上に置く。そしてそのまま小走りで相棒の所まで寄ると糸を張って印を付け、そのまま自分の体を使って糸の長さを計りながら戻ってきた。


「おおよそ2尋ですね。」堀師が結果を伝える。両手を広げた幅を1尋として距離を数えるのはもう習性のようなものだ。暗い坑道の中では定規など役に立たないから体の感覚で寸法を計るのだ。この男の身長なら1尋が180センチ位といった所か。

「もうちょっと正確な数字だしましょうか?」と聞くと魔術師は首を横に振った。

「いや十分だ。鑑定自体が目分量みたいなもんだからな。」

 鑑定は終了だ。魔術師は術を解いて一息ついた。相棒も無表情のまま戻ってくると石をテーブルの上に戻した。


 魔術師の肩幅は大体60センチ。その幅で一級魔晶石の鑑定は問題なく出来ていた。

 経験から言うならば一級魔晶石でも魔力干渉範囲は半径で手のひらを広げた程度、20センチを少し超える位の物だった。だがこの石の干渉範囲はその十倍を優に超えている、となれば・・・


「千倍以上だな。」魔術師が断言した。「どう低く見積もっても俺が鑑定した事のある一級石の千倍以上の魔力を持ってやがる。」

 その結論に周囲がどよめく。一級なら最低でも金貨数十枚はする代物だ。その千倍ともなれば一体幾らの値がつくやら、それを考えただけでも羨ましい限りだった。


 最低でも金貨数万枚。希少性を考えればその十倍の値が付いても不思議はない。残念だが俺が買えるような代物じゃないな、と魔術師は半ば放心状態でぼんやり考えていた。

 ま、拝めただけでも良しとするか。特級の鑑定経験も出来たしな、と心を整理する。


「鑑定料は付けでいいぜ。俺じゃ引き取れそうにないから気長に待ってやるよ。」

 魔術師の言葉に突っ込みをいれる奴はもういなかった。金貨一枚が文字通りはした金扱いになってしまうような代物が出たのだ。幸運を射止めた男は鷹揚に振る舞うのが当然、というより責務だった。


「引き取って貰えないのは困りましたね。幾ら位なら買い取って貰えます?」

 堀師の若い男はさして興奮した様子もなく、魔術師にたずねてきた。

「おいおい、冗談きついぜ。手持ちなんて金貨三十枚がいいところだぞ? 引き取れる訳ねぇだろう。」

 未練がない訳ではない。だが育ちが良いようには到底見えないこんな魔術師にも信念や誇りはある。人の弱みに付け込むほど落ちぶれたつもりも無かった。

 鑑定だって極力正確に、正直にあるがままを伝えていた。特級の鑑定など誰も見た事はなかったろう。嘘を言っても見破れる奴がいたかどうか、しかしこの魔術師はそんな事は端から考えてはいなかった。そう、そういう男だった。

 無口な相棒の前では恥ずかしいような真似だけは出来ない・・・こいつはそういうのが嫌いだから。それがこの魔術師にとって何より大切な事だった。


 この魔術師は信用できる、と若い男は心の中で呟いた。そして決めた。この石は今この魔術師に譲ろう。それが最良の選択だった。


「金貨二十枚でどうですか?」若い男は言ってみた。だがその言葉は、魔術師のみならず、居並ぶ全員の思考を停止させただけだった。

 全員が沈黙する中、魔術師がようやく聞き返した。

「・・・・・、何がよ?」

「その・・・この石金貨二十枚で買いませんかと。ああ、鑑定料はサービスしてもらえますか?」

 ようやく言葉の意味は理解出来た。だが皆全員、何処をどうしたらそういう話になるのかが全く理解出来ていない。


 一斉に怒号が巻き起こった。

「バカヤロー!!」

「すかしてんじゃねーぞ、この野郎!!!」

「ふざけんな! 価格破壊がしたけりゃ“ロバの騎士”にでも行って来い!!」

 ちなみに“ロバの騎士”というのは最近王都で話題の巨大雑貨店である。とんでもない掘出し物が中古品の山と一緒に二束三文で売られていた・・・なんて話が絶えず、行列の出来るほどの繁盛ぶりだとか。


「おい!手前どういう了見してやがる。本気で馬鹿にしてんのか?!」

 魔術師が椅子から跳び上がると胸倉をつかんできた。思わぬ儲け話に喜ぶどころか顔を真っ赤にして本気で怒っているようだった。

 何も悪いことをした訳でもないのに理不尽に浴びせられる罵詈雑言に、さすがに苦笑してしまいながら静かに堀師は言い切った。

「いいんですよ。こんな物持ってたら命が幾つあっても足りませんから。」


 納得のいく理由だった。身の丈を過ぎた財は身を滅ぼす。禍福の末路は己が身とは関係なくとも枚挙にはいとまがなかった。堀師はさらに続けた。

「それにここでの取引なら、誰が、何を、幾らで売った、なんて事が外に漏れる事もないでしょう?」


 過ぎたお宝を手に入れたばかりに冒険者が同業者に殺された、などという話は珍しい事ではない。そもそもが無頼の徒、粗野と自分勝手が服を着て歩いているような連中だ。一攫千金の機会と見れば人を狩る事すら躊躇しない奴も少なくはない。

 だがそんな有様では同業者は全て敵、どんな時も心休まる事はなくなってしまう。そんな殺伐とした境遇に疲れ果ててしまった者達が集い、暗黙の掟によってお互いの命や財産を守りあう場所、それが冒険者酒場の本当の存在理由だった。

 故に冒険者酒場には様々な掟が存在する。その内容・流儀は酒場によって様々だったが、『酒場で知った仲間の秘密や情報は、決して外部には漏らさない』というのはどこの冒険者酒場でも必ず守らなければならない当然の義務だった。


「そういう事か・・・」胸倉をつかんでいた手を放すと魔術師が得心がいった様子で呟いた。同様に周りの連中も皆、神妙な顔になっていた。


 もし誰かが大金を手に入れた、もしくは貴重な物を買い取ったなどと内輪での話が部外者に知れれば、その情報は回りまわって結局は関係者を命の危険に晒す事になる。だから故意か否かは関係なく、情報を漏らして誰かの命を危険に晒すような事態を引き起こせば同じ酒場の者達から制裁を受ける事になる。それが冒険者酒場の掟である。

 そして、冒険者酒場の“格”というものは、こういった掟がどれだけ的確に実施されているのか、そして掟破りがどれだけ少ないのか、といった観点からの評価によるところが大きい事も覚えておいた方が身の為だろう。

 どんなに厳しい制裁であっても、相手の方が強ければ返り討ちに遭うのが関の山。掟破りを制裁するのは口で言うほど簡単な事ではない。それを実行する実力を兼ね備えた酒場の裁定者が存在してこそ冒険者酒場の掟は機能し、掟破りをさせない抑止力となるのだ。


 その点において、この赤竜亭は唯一無二の“ここ数年、掟破りが出ていない酒場”として知られていた。この店が近隣では知らぬ者のいない冒険者酒場の名店だと認められている由縁である。


 赤竜亭が掟破りを出さない理由、その半分はこの店の主に対する恩義と信頼にあった。ここの主人は冒険者達から“おやっさん”と呼ばれ、本当の親のように慕われている。食うに困る者がいれば商売などそっちのけで面倒を見、厄介事に巻き込まれた者がいれば文字通りの剛腕で全てを解決してきてしまう、そんな人だった。

 そして残りの半分は、この店に集う凄腕の冒険者達の中にあっても別格の強さを誇る希代の冒険者がこの酒場の裁定者を務めているという事実だった。

 この国最強の冒険者との呼び声も高いその男は“銀翼”の二つ名で呼ばれていた。


「ああ、それなら約束するよ。この赤竜亭と“銀翼”の名にかけて。」

 今、まさにその最強の冒険者が目の前にいた。

「もし今日の事を邪な意図で利用した者があれば私が必ずこの剣で討つと誓おう。この世界の何処に逃げようともね。」

 冒険者というより騎士の口上にしか聞こえないその力強い声は、頼る者もなく怯える弱者にとっては福音のように聞こえる事だろう。輝くような金髪に整いすぎた精悍な顔、そして鍛え上げられた肉体に透き通るような青色の鎧を着けた大剣使い。イケメンを三乗したようなその男こそ赤竜亭が誇る裁定者筆頭の“銀翼”だった。


「ありがとうございます。」堀師の若い男は銀翼の言葉に謝意を述べた。本当に有難い言葉だった。これでこの場にいる者全員がこの石の顛末を漏らせば死を覚悟しなければいけなくなった。それに『この世界の何処へ逃げようとも』という言葉はただの修辞句ではない。この男にはそれを実行する能力があった。

 “銀翼”の名の由来、それはこの戦士が世界に数人しかいないというグリフォンライダーである事に起因する。正確に言えば先代、彼の父親の代からではあるが。この地上で彼から逃げおおせる者などまずいなかった、そういう存在なのである。


 この裁定者の驚異的な実行力と戦闘力、それが赤竜亭の掟を破らせないもう一つの理由であり、その恩恵は多くの冒険者達の命を守る結果となっていた。

 赤竜亭に集う冒険者は皆、彼を畏怖し、そして感謝する。この最強の冒険者が品行方正な誇り高い戦士であった事は本当に幸運な事であったのだ。

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