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第十八節 : 蟲の巣穴

 第十八節 : 蟲の巣穴


「ねえ、この先に水の精霊さんを苦しめてる悪い奴がいるの?」

 ラブダのそんな質問にエナンは躊躇した。

 今二人は水を潜った先、あの堰の上にいた。



 エナンはラブダに背中を向けて一生懸命毛織物を絞っていた。

 この毛織物を着せたまま水を潜ったからだ。

 ラブダ自身は泳ぐわけではなかったので着せたままでも大して問題ならなかった。それ以前にラブダはこの毛織物以外今は何も身に付けていないのだ。脱がせたらすっぽんぽんになってしまうではないか。そっちのほうが色々な意味で大問題である。


 真面目な意味では毛織物を着ていた方が水の中でもラブダの体が冷えないという事があった。刺されたり乗っ取られたり、どうもラブダは災難続きである。食事は明け方食べたあのパン一個、残された体力を考えると少しでも消耗を減らしたかった。

 不真面目な意味ではエナンのメンタルへの影響が大きすぎるという事である。脱がしたりしたら下半身の水抵抗が大きくなり酸素消費量が増加するので着ているままの方が良いのである・・・非常に残念な事に。


 そんな訳で今、濡れた毛織物を絞っている。よく水を絞れば多少水気を含んでいても暖かい。それが毛織物を身に付ける最大の利点であった。

 自分を見てくれないエナンにむくれながらラブダはその背中に抱き付いていた。体が寒さで小刻みに震えているのがエナンにも分かった。自分の魔力で暖めてやれないかと一瞬思ったが、灰になった男の光景が脳裏に浮かんだので二度と考えない事にする。ミュリッタみたいに法囲ができればよかったのに、と改めて魔法の使える人間が羨ましく思えた。


 十分に水を絞った毛織物を最後にもみ上げて空気を含ませる。それをラブダに着せてやると思った以上の気持ちよさにラブダが驚いた。

「すごい! あったかいよ。」

「だろう? マニ羊毛の毛織物は濡れても暖かい、すごい服なんだ。」

 それは昔エナンが親方に教えてもらった思い出だった。


「この先に居るのは誰なんだろうな・・・」エナンは独り言のように呟いた。

 最初は人間なら誰でも大差ないと思っていた。

 大自然の迷宮の脅威に比べれば人間の存在など取るに足らぬと。

 しかし先程の水の精霊、ノアルの一件でこの先に待ち構える存在が何なのか、もしかしたらとてつもない悪辣な存在なのではないかという不安が急激に膨らんできたのをエナンも感じていた。まだ油断はできる状況ではなかった。

 出来れば今は顔を合わさずこっそりと地上へ抜け出したい、そんな気分になっていた。


 とにかく今は前に進むしかない、エナンはラブダをまた背負うと水脈の奥へと歩き出した。人の手で作られた用水路に沿って進んでいくと次第に水脈は広がり、今までとは違う様相を見せ始めた。

 天井から垂れ下がった鍾乳石が見えた。地面にも規模は小さいが鍾乳石が何本も生えてきている。地下水脈は石灰岩の地層を抜ける鍾乳洞へと変わってきていた。


 人の手で作られた水路に沿うようにして歩いていく。足元は時折人の手が加えられて歩きやすいように整えられていたので道を歩くように前に進める。程なく目指していた物がその姿を現した。

 それは洞窟を完全に塞ぐように作られた巨大な石造りの壁だった。人が通れるような部分はどこにも無く、ここに来て行き止まりかと普通の人間なら絶望したかもしれない。だがエナンは全くそうは思わなかった。

 背負っていたラブダを手頃な岩の上に座らせるとエナンは親方のランタンを取り出し壁を調べ出した。


 水路は壁の小さな穴の中へと消えていた。エナンはその壁の穴にランタンごと手を突っ込み中を覗く。水路は壁に入るとすぐにその方向を変え、奥まで見通せないようになっていた。やはりかなり用心深い人間が造った物のようだった。

 ならばと次は壁の造りを仔細に調べる。石材はやはりこの洞窟を削って調達したのだろう。周りと同じ石灰岩を切り出した物だった。一応高さは揃えてあるもののばらつきがあるのでその段差は同じ石灰を使った漆喰を厚塗りすることで調整しながら壁を積み上げている。

 水路は肘くらいの深さの所で曲がっていたので恐らく壁の厚みはその二倍以上。石材を二重に積みその間を漆喰や細かい石材の破片で埋めているのだろう。ちょっとした城壁なみである。

 だが・・・とエナンは不敵な笑みを浮かべた。

 腰に下げたブレードを抜くと石の継ぎ目の漆喰にそれを突き立てる。カツンと硬い音がすると漆喰の破片が剥がれ落ちた。


 そのブレードは赤竜亭の冒険者達にはスコップなどと揶揄されていたが、当たらずと言えども遠からずといった所である。主な用途は土砂の除去と岩石の掘削、だがそのブレードの先端には刃こぼれしない鋭利な刃が付いていた。

 エナンの魔力付与師としての傑出した特性、それは物質の強度強化、もしくは破壊耐性とも言える物だった。子供の時に親方に手取り足取りしてもらいながら作ったこの鍛冶の初作品にもそれはしっかりと現れていた。決して壊れない刃、それは穴を掘るにはうってつけの道具だった。

 普通の剣で穴など掘ったらすぐに刃はこぼれ切れ味は失われてしまう。石や土に多く含まれる石英は鉄などより硬いのだ。だがエナンの刃は硬い岩ですら切り刻み続ける事が出来た。

 それにこのブレードは石を割るタガネとしても使えるように造られている。鋭い刃を当てて柄の先端を石で叩けば大抵の岩などいちころである。一度ヒビを入れられてしまえば岩などあっという間に崩れていくのだ。

 この程度の岩壁など容易くぶち抜いてしまう自信がエナンにはあった。


 だがそれではクールではない。

 エナンは目地に使われている漆喰がごく普通の物なのを確かめるとブレードを鞘に戻した。そして替わりに取り出したのはあの鋼糸の糸巻だった。


 この先は何者かの根拠地だ。地下に城塞もどきを築いてまでいるとなれば相応の警備があってもおかしくはない。岩を割るのは簡単だが音が響き過ぎる。

 エナンはもっと静かな方法でこの壁を突破する事にした。


 右手に鋼糸の先端の錘を握ると糸を出しながら水路の穴に手を突っ込む。そして左手に持った糸巻を引いて糸を張るとそれを水路の穴の縁にある石材の下側の目地の角に当てて前後に挽きだした。

 鋼糸がみるみる漆喰の中へと食い込んでいく。ノコギリで切るように削れた粉を息で吹き飛ばしながら数秒で5センチ程角の漆喰に切れ目を入れる。次第に糸を横に寝かせながら目地を手前側から斜めに削っていく。

 石材一つ分の目地に前面から浅く切り込みを入れるとエナンは今度はガラス瓶を収納箱から取り出した。そしてその中身のどろっとした液体をスポイトで慎重に目地の切れ目に流し込んでいく。それはアシッドスライムの強酸粘液だった。

 シュワッという音を立てながら漆喰の目地が見る見る崩れていく。石灰岩の石材そのものも溶けてはいるが脆い漆喰の部分が早く崩れていく。エナンはそれを見ながら細い鋼の棒で溶けた部分の粘液をさらに奥へ押し込んでいく。思った通りの状況にエナンはよし、と小さく頷いた。


『丈夫な造りだが素材のチョイスを間違えたな』とエナンは心の中で呟いた。現地調達だから石材は石灰岩なのは仕方ないとしても、目地くらいはセメントを使うべきだった。そうすればこうも簡単に崩される事もなかったろうにと。

 アシッドスライムは間抜けな見た目とは裏腹の中位クラスの魔物だ。その強酸の粘液は幾ら物を溶かしても中和されて能力が低下する事がない。帯びた強力な魔力が酸性度を保つ働きをするからだ。

 その粘液は酸に弱い石灰岩くらいならあっというまにボロボロにしてしまう。だから少量で長く使えるアシッドスライムの粘液はエナンのみならず石灰岩を相手にする職人には重宝されている薬剤であった。

 そんな事を考えている間にも目地は崩れていき、石材の下側の目地は完全に溶け落ちた。エナンは最後の仕上げにかかる。

 今度は石材の上側の角を同じように少し鋼糸で削り隙間を開けた。そしてその隙間にあのブレードの先端を差し込むとその柄の先に上から全体重をかける。

 ゴトリ、という音がして石材が上側の目地から剥がれ落ちた。



 そんなエナンをラブダはまた吊り橋に揺られながらうっとりと見つめていた。

 たちまち壁の一角を崩して穴を開けたエナンにラブダは身をよじらせる。

 嗚呼・・・目の前に立ちはだかる悪の城塞に怯む事なく挑み打ち破っていくエナン様、素敵です。

 実際ラブダは目の前が壁で遮られてしまった時絶望を感じていた。だがエナンが笑いながらこんなの何も問題無いよと言ってくれたからパニックにならずにいられた。

 エナン様の知恵と力の前では悪の企みなど無力なのですわ、とラブダは誇らしげに穴を掘るエナンを見つめ続けるのだった。



 そんなラブダの声援を受けながらエナンは外した石材を引き摺り出す。

 大体幅60センチ、高さ30センチ、奥行き30センチ、重量は大体140キロ位である規格物の寸法だった。石材を引き摺り出した奥には土砂が詰められていたが漆喰やセメントの類は混ぜられていないようだった。道理で簡単に石材が剥がれたと思ったわけである。

 恐らく壁の間を充填するほどの材料は持ち合わせていなかったのだろう。エナンにはこの壁を造った人間の懐具合も次第に読めてきていた。


 そもそもあの堰には水に弱い漆喰ではなくセメントが使われていた。だがここでは漆喰が使われている事から見てセメントの手持ちを使い果たしたのだろう。残っていればわざわざ漆喰を使う事はない。

 どうやら潤沢に資材を調達できる存在ではなさそうだった。それは敵に回すかもしれない以上、重要な情報でもあった。


 エナンは同様にして隣の石材も剥がし始める。強酸粘液を丁寧にブレードで搔き集めて隣の石の下へ押し込む。数分で隣の石も剥がれ落ちた。

 次にエナンは剥がした二つの石の中間にある下の段の石をはずし始める。上の石より側面の目地を溶かしやすいからだ。強酸粘液を使って側面から下部へと目地を溶かし多少の時間はかかったがこれも問題無く取り外すことが出来た。

 これで最低限の作業スペースが確保出来た。さすがに腹這いでは穴を掘る事も出来ないので高さ60センチ位のスペースは必要だ。エナンは奥に詰められた土砂をブレードと素手で取り除き始めた。

 これは時間がかかりそうだった。願わくばこの土砂の厚みが薄い事を願っていた。上から崩れ落ちてこないように慎重に小さな穴を掘り進めていると幸いにも30センチ程度で二枚目の壁に到達した。ランタンで照らしながら穴を広げ石材の目地を探す。

 そうやって石材の位置を特定するとその幅の分だけ土砂を取り除いていく。この石の先が出口なら石材は一個だけ抜けばなんとかエナンでも通り抜けられる・・・と思う。さあラストスパートだ。

 ブレードで目地に傷を入れそこに粘液を摺り込んでいく、まずは上からだ。窪みが大きくなった所でさらに粘液を注ぐ。ゆっくりと鋼棒で目地を突き崩しながら深く掘り進むと棒が目地を突きぬけた。間違いなくこの向うには空間が広がっていた。

 上から横へ、そして下へ。早まる気持ちを押さえながら息を殺して慎重に目地を溶かしていく。そしてついに全ての目地を取り払った。


『よし!!』心の中で雄たけびを上げる。これで通路は確保出来たはずだった。

 さあ、最後の難問だ。この石を押すか、引くか。


 もし押し出した先に高低差があれば落下した石は凄まじい音を立てる事になる。それは危険過ぎた。こちらから見ればほぼ洞窟の地面と変わらぬ高さだが、この壁の先が同じ状態である保証は何もない。

 だが140キロもある石を指を入れるのもやっとの隙間から引き出すのは難しいが・・・エナンは良い案を思い付いた。

 鋼糸を出すと石材の上の隙間に差し込む。手を横に広げながら糸を伸ばして押し込んでいき、側面の隙間まで糸を周りこむように動かしていく。糸をたぐると石材の裏側に回り込んで引っ掛かった。

 決して切れないエナンの会心作だからこそ出来る芸当だが、これでこの石を手前に引き摺り出す準備も整った。エナンは背後のラブダを見た。


 開始からもう大分時間がたっていた。あまりに静かなので疲れて寝てしまったかなと思っていたら目を輝かせてストーリーのクライマックスを見守るラブダがそこにいた。

 エナンは小声で彼女を呼んだ。


「ラブダ、道が開くよ」もちろんこの先を警戒しているので大声は出せない。ラブダもしっかりそれは理解している。無言で頷くと立ち上がり足を引きずりながら走り寄るとエナンに全力で抱き付いた。

「エナンすごいよ・・・ありがとう。大好き!!」目を潤ませてしがみついてくるラブダの耳元でエナンも囁く。

「ありがとう、俺も大好きだよ。準備はいいね?」

 何度もラブダが頷く。

 エナンは糸を全力で引っ張り石材を引き摺り出した。


 鈍い音を立てながら石材が洞窟の地面に転がり落ちた。

 石の抜けた穴の先には真っ暗な空洞が広がっていた。

 エナンとラブダは喜びを爆発させ、しっかりと抱き合った。


 その時小さな音が穴から聞こえてきた。

 カサカサ・・・シャカシャカ・・・それは人間の出す音ではなかった。それに気が付いた二人の顔が恐怖にひきつる。

 次の瞬間、壁の穴から人間の胴体ほどもあるイモムシが何匹も這い出してきた。


「ぎゃーーー!!!」


 二人の絶叫が洞窟に響き渡った。


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