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第十七節 : 精霊の呼声

 第十七節 : 精霊の呼声


 エナンは堰の上に上陸した。

 堰は後方に大量の岩石が積まれていた。堰そのものも砂利と小石にセメントを混ぜた物で築かれ、大量の水の重量を支える為に岩石がスロープ状に積まれその隙間にもセメントと砂利を混ぜたものが流し込まれて固定されていた。

 堰の前方、水に浸かっている側は人工物である事を偽装するために自然の大岩がそれらしく積み上げられ、見えない部分で巧妙にセメントで固定されていた。かなり芸の細かい造りから見て明らかに侵入防止の目的もあった物と推測出来た。


 堰と水脈の天井の切れ目、竪穴の端までは4メートル四方くらいの水面が広がる。

 この堰を築いた人間は必要な岩石を天井部分を切り落とす事で確保し、それを使って水脈を塞ぐように堰を作ったものの、意図的にそれを潜れば抜けられるような造りに仕上げていた。何故そうしたかは分からないが堰の後ろに控える石積のスロープが道のようにも見えなくはないので隠し通路としてこちら側から大井戸跡方向へ抜ける事も考えていたのかもしれない。

 エナンはセメントの劣化具合を調べた。まだ造られてからそんなに時間は経っていなかった。せいぜい数十年といった所だ。旧市街地の造られた時代よりはるかに新しい。

 この堰は現役の設備である可能性が高かった。


 二種類の水音が聞こえる。一つは竪穴の上からしたたり落ちて来る水の音。もう一つは堰の排水口から流れ出す水の流れる音だった。

 エナンは排水口の先を覗き込む。水脈の壁沿いにセメントと石積みで造られた細い用水路が奥まで伸びていた。誰かは知らないがこの堰の水を利用しているという事だ。この用水路を辿れば使用者の元へ必ず到達するはずだった。


 上から水が浸み込んで来ている時点でエナンにはこの真上に何があるかも想像が付いていた。それは旧市街跡に残された大昔の貯水池である。

 谷間と呼ぶにはあまりにも浅い、緩斜面の凹みのような場所に集まる雨水を貯めるために造られたその貯水池は旧市街跡の住人にとっての貴重な水源だった。この水源の管理に関してだけは旧市街跡の住人が結束し自警団が水泥棒に目を光らせている。市街からも正規兵の巡回が出るほどの重要施設であるその貯水池はこの一帯の旧市街跡がかろうじて放棄されず人が暮らせている理由でもある、大変有難い施設なのである。

 一帯の斜面に広がる旧市街跡の雨水排水溝は完全に下水用の溝とは切り離され、網の目のようになってこの貯水池に水を送るように造られていている。だから廃墟でもこの雨水溝を壊したり汚したりすると本気で怒られる。泥やゴミを分別する一次濾過槽や飲料水を作る浄水塔も現役で稼働中の美しい緑地に囲まれたこの池の周りだけは今でも旧市街の風情と人の往来が残っていた。

 ちなみに年に一度の溝の共同清掃は赤竜亭の冒険者達まで駆り出される一大イベントでもあった。


 その大切な貯水池の水をちゃっかり下から抜いてちょろまかすとは・・・なかなか侮れない奴がこの堰を築いたようであった。

 早く戻らないとラブダが心配している、そう思ったエナンは鋼糸を糸巻ごと堰の岩に巻き付けると水の中を戻っていった。



 時は遡ることその数分前。

 ラブダは水の中へと入っていくエナンを締め付けられるような気持ちで見守っていた。

 こんな水の中へ入っていくことがどれほど危険な事か位はラブダにだって分かる。もしかしたら中に化物が潜んでいるかもしれない、祈るようにラブダはエナンを見送った。

 エナンのランタンの光がどんどん小さくなり、見えなくなった。真っ暗な水面を凝視しながら手を合わせ光が戻って来るのを待ち続ける。


 暫くすると水面がぼうっと明るくなった。水の底からゆっくりと光が浮き上がって来るのが見えたラブダは思わず立ち上がってそれを覗き込んだ。

 でも、あれ・・・? あんな青い光だったっけ。そう思った瞬間ラブダの背筋に冷たい物が走る。恐怖に立ちすくんだラブダに向かって光は水面から浮き上がるとゆっくりと動き始めた。


 あまりの恐怖に声すら出なかった。不死者の人魂か、魔物の目玉か。体が金縛りにあったように全く動けなくなったラブダの前にその光はゆらゆらと近付くと目と鼻の先で止まる。すると地獄の底から響いてくるような、見通す事も出来ない深淵から聞こえてくるような微かな声が聞こえてきた。


「妖精・・・妖精の子・・・あなたは誰・・・あの子はどこ・・・?」


 その声を聞いた瞬間、腹部に燃えるような熱を感じた。エナンが塞いだあの傷口の金の紋様が熱を帯びて輝き出し、その光が毛織物の下からあふれ出した。


「そこにいるの・・・やっと見つけた・・・」


 光はそう叫ぶと、ラブダに襲いかかった。

 青い光が輝きを増すとラブダを包む。そして何かが自分の中へと入って来るのを感じたラブダの意識はそこで途切れた。


「違う・・・」ラブダの姿をした何かは呟いた。

「これは魂のかけら・・・エナンじゃない・・・」



 水を潜りラブダの元へ戻ったエナンが目にしたのは岸辺の水面の上に立つ人影だった。

 それはラブダを包み込む青い光の人型、水面に長い髪を広げ立ち尽くす少女の姿をしていた。それはまるで御伽話に出て来る水の精霊のようだった。

 その存在はラブダの体を使って話しかけてきた。

「・・・あなたがエナン・・・本当に・・・?」


 ラブダが体を乗っ取られているのは一目でわかった。

 すぐに助けてやりたかったが方法が分からない。ラブダの体を攻撃する訳にもいかない。手出しが出来る状況ではなかったが、乗り移っている少女が凶悪な存在には見えないのがまだしもの救いだった。エナンはこの存在と会話してみる事にした。


「ええ、私がエナンです。」

 エナンは膝ほどの深さの水の中に立ったままそう答えた。するとその青い光は水の上を滑るようにエナンに近付いてきた。

 その光に触れた瞬間、エナンは自分の中に何かが入ってきたのを一瞬感じた。だがその存在はエナンの体に封じられた魔力に触れた途端に弾き飛ばされた。

「・・・!!」

 光はラブダの体ごと弾かれ水の上を後退りする。だが次の瞬間、満面の笑みを浮かべるとそれはエナンに抱き付いてきた。

「本当にエナンだ・・・やっと見つけた・・・」

 そこには悪意も敵意も感じなかった。エナンは戸惑いながらも訊ねてみた。

「貴方はいったい何者ですか?」

「ノアル・・・ノアルだよエナン・・・」水の精霊のような少女はそう答えた。全く知らない名前のはずなのに何か懐かしいような感覚を一瞬覚える。少なくとも相手はエナンの事を知っている、それを理解した。


 だが、次の瞬間少女の様子が一変した。突然苦悶の表情に顔を歪めると頭を抱えて絶叫しはじめたのだった。よろめきながら苦しそうに身をよじらせ泣き叫ぶ。

「うあぁああ・・・ひいぃいいあぁあっ!! ちがう・・・違うっ!!!」

 ラブダも一緒に苦しんでいた。おもわず彼女の体を抱きしめた。

「大丈夫か、しっかりしろ!!」

「わたしは・・・ちがう・・・にせもの・・・ああぁああっ!」

「しっかりしろ!! ノアル!!!」

 その言葉が発せられた瞬間、彼女の動きがピタリと止まった。痙攣していた体の震えは収まり、力尽きたように脱力した。エナンはそのまま彼女を岸まで抱えて運ぶと地面の上に横に寝かせる。


「大丈夫か、ノアル」そう声をかけると彼女は弱々しく微笑むと小さな声で囁いた。

「エナン・・・ありがとう。名前を呼んでくれて・・・」ラブダの体を包む光は弱くなり消えかけていた。最後の力を振り絞りノアルという名前の存在は告げた。


「私・・・この先にいるから・・・待ってるから・・・・・・」

「この先・・・水脈の事だね?」

「うん・・・助けて、エナン・・・」

 そう言い残すと青い光は完全に消え去った。


「うっ・・・ううっ・・・」

 ラブダが泣いていた。良かった無事だったとエナンは彼女を抱き上げた。

「大丈夫? ラブダ?」そう訊かれたラブダは無言でうなずいた。そして真剣な目をしてエナンに言った。

「エナンお願い、あの子を助けてあげて・・・」

 理由は良く覚えていない。だが、あの存在が今も苦しみながら助けを求め続けているという事だけはラブダの心に深く刻まれていた。体を奪われた時その魂に触れて苦しみを知ってしまったラブダには、それをもう他人事と思う事は出来なかった。

 エナンはそのラブダの願い、ノアルという存在の願いを叶えると約束したのだった。


「さあ、行こうか。」

 その為にも先に進まなければならない、当面のゴールはもう目前のはずだった。

 エナンは僅かな荷物を収納箱に押し込むとラブダを背負って水の中へと進む。そして沈めておいた鋼糸を手繰ると一気に水路を潜り抜けていった。



 あの子は一体なんだったのだろう。少なくとも姿は水の精霊そのものだった。

 エナン達はとりあえずノアルの事を水の精霊さんと呼ぶ事にした。

 なぜノアルと呼ばないのか。それはラブダには彼女の事をどうしてもノアルと呼ぶ事が出来なかったからである。体を乗っ取られた後遺症だろうか、まるで呪いでもかけられたかのようにラブダは彼女の名前を口にする事が出来なかった。

 ノアル自身もその名前を口にした時様子がおかしくなった。エナンは何か危険なものを感じて当面はその名前を使わない事にしたのだった。


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