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第十二節 : 跛行の少女

 第十二節 : 跛行の少女


 エナンは崩れかけた石段に座ると膝の上に少女を乗せて温めようとしていた。


 薄い布切れを一枚被っただけに等しい少女の体は冷え切っていた。だが、何か着せてやれる上衣でもあれば良かったのにと思っても今エナンは何も持ち合わせていなかった。せめて体温で温めてやろうと自分の体を椅子にして座らせるとその体を覆うように抱きしめてやる。

 火を起こしてやろうにもこの燃料の乏しい石積の廃墟の中では草など生える傍から引き抜かれて持っていかれてしまう。周りに燃えそうな物など何もなかった。

 他に何かできる事はないか、そう思って収納箱を開くと、そこにはエナンが押し込んだシチューを詰めたパンがあった。思わず今日の自分の巡りの良さに感謝した。

「これ、食べられるかい?」エナンはそう言うと少女にパンを差し出した。

 本当に衰弱すると人間は食べる事も出来なくなる、エナンにはその経験があった。せめてまだ物を食べる力位は残っていてくれと願う。


「!!」少女が反応した。硬くて乾ききったパサパサのパンではない。中に何やら良い香りのする具がみっちりと詰まった塊だった。少女は差し出されたパンを恐る恐る掴むとエナンの顔色を伺った。

「俺の残り物だけど食べてごらん、全部あげるから。」エナンには彼女がそのパンをどの位までなら食べて良いのか戸惑っているように見えた。そしてその言葉を聞くと少女は顔をくしゃくしゃにして頷くとパンにかぶりついた。


 パンにはまだ少しだけ赤竜亭の温もりが残っていた。

 少女はそのパンを口元に押し付けて中に詰めたシチューを食べはじめた。

 まるで子猫が餌を食べている時のように何か言葉にならない声をあげながら夢中で食べている様子を見てエナンはほっと一息ついた。よし、物を食べるだけの体力はまだ残っていたと。まだ油断は出来ないがとりあえず食欲が残っているならあとは吐き戻してしまわなければ大丈夫だろう。

 エナンはその様子を見守りながら、今は体を温めてやる事に専念する。さてこの次はどうするか、まずは赤竜亭へこの子を連れていくべきだろうか、と思考を廻らした。


 いくらおやっさんでも浮浪児が店に居座っているのは嫌がるだろう。それにその以前に冒険者酒場の何たるかを理解できていない子供が座れる場所はあの店には無い。子供だから冒険者でないからと言って酒場の掟から無縁でいられる訳はないのだ。だがそれすらも理解出来ていなければいずれ取返しのつかない事態となる。

 まさか銀翼に罪の自覚もない子供を斬らせるのか、そんな事が許されるはずも無い。斬られるとしたらその事態を招いたエナンも諸共だろう。

 どう考えても赤竜亭にこの子を連れていく事には無理があった。


 だがエナンは赤竜亭以外でまともに食料を手に入れられる場所を知らなかった。

 エナン自身、市街には滅多に入れる身ではない。まともな市民から見ればエナンなどただの流民、戦災で故郷を追われた事には同情される事はあっても歓迎されるような事など有りはしない。市街に入るには高い通行税を納めてやっとの事で許して貰える身分なのである。馴染みの店などあるわけが無かった。

 市街の外にも人は住んでいる。だから店は無いわけではないが馴染みのない客は売って貰えないか、ぼったくられるのが普通だった。貴重な食料を敢えて見ず知らずの人間に売る理由も無いのである。

 そういう意味では酒場の客に食料を気前よく分けてくれる赤竜亭に頼る以外の選択肢は無かった。


 そうなるとこの子を店の前まで連れて行ってエナンがシチューを運んでやる位しか手段が思いつかなかった。外で食べる位は許して貰えるだろうか。

 おやっさんが住める部屋を貸しているという話もあった。その部屋を貸して貰えばなんとかなるだろうか。まさか銀翼の為に無料で用意してくれた部屋にこの子まで住まわせる訳にはいかないだろうが、もし許してくれるのならば・・・そんな淡い期待を抱く。

 まずはこの子の分のシチューを譲ってもらう事からお願いしよう。昨日まではお情けで席を貰っていたような立場だった人間がいきなり調子に乗ったら何を言われるか分かったものではないのだから。


 そこまで考えるとエナンは意識を少女の様子へと戻した。

 もうパンはほとんど少女の胃袋の中に入ってしまっていた。もうちょっとゆっくり食べないと胃が、と少し心配になってきたエナンを後目に最後のパンのかけらを口に押し込むと少女は潤んだ目でエナンの顔を覗き込んだ。

 もうないぞ、いまので終わりだからなと何か責められているような気になってくる。そうだ、と思って収納箱から小さなボトルを取り出す。

 親方は魔法の瓶と呼んでいたが、飲み物が中々冷たくならない水筒だった。赤竜亭で詰めたばかりの香草茶が入っていた。ボトルの蓋を器にして少女にまだ温かい茶を差し出すと、びっくりしながらも美味しそうにそれを飲むのを見て何か幸せな気分になれた。本当にほっと一息ついた少女の口から湯気の雲が飛んでいく。気が付けば少女の体は大分温かさを取り戻していた。


 身体は大丈夫?と訊ねようとしたその時、突然少女が体を動かした。

 エナンの膝に横向きに座っていた少女は跳ね上がるように立ち上がると肩にしがみ付くようにエナンの胸に跳び込んできた。その時やせた膝がエナンの股間に突き立てられる。ぎゃーと内心悲鳴を上げて仰向けにのけ反るエナンの上に覆いかぶさる様に抱き付いた少女は体を密着させると無意識のうちに腰を摺り寄せていた。

 生きる為、生き延びる為に本能のなせる業なのだろうか。それは少女がエナンを選びたいと訴える求愛行動だった。


 違う、そうじゃない、そういう事がしたいんじゃないんだ。なんてけしからん事をおっ?! おおぅ・・・このままではいかん、いかんぞエナン!

 少女の肉弾突撃に思わず反応してしまう男のサーガを必死にクールにエレガントに取り繕いつつエナンは少女の気持ちだけはしっかり受け止めてやろうと紳士に対応する。仰向けに倒れそうになった体勢を戻すと抱き付いてきた少女をしっかりと受け止め背中やら尻やらを優しく愛撫していた・・・おい、何やってんだお前は。

 それでもまだ、この状況で無下にするよりは余程ましな対応だったのかもしれない。受け入れて貰えたと感じたのか、泣いてばかりいた少女も少し落ち着きを取り戻していた。

 ようやくまともに会話が出来そうな状況になったようだった。


「俺はエナン。君の名前は?」

「・・・ラブダ」

 少女と初めて会話が成立した。そうかラブダちゃんか、エナンはしっかりとその名前を記憶に刻みつけた。愛称はラブでどうだろうか。

「ラブダは俺の仲間になってくれるのかい?」

 そう問われると少女はエナンにぎゅっとしがみ付くと小さな声で答えた。

「なりたい・・・エナンと一緒に居たい。」

「そうか、ありがとう。それじゃ今からラブダは仲間だ、よろしくね。」

 それを聞くと少女の顔がぱっと明るくなった。

「これからどうしようか、さっきのパンの中身のシチューとパンなら多分毎日食べさせてあげられると思うけど・・・赤竜亭って知ってるかな? 店の前で大きな篝火を燃やしている店なんだけど。」

 少女はこくりと頷く。さすがのあの篝火は目立つからこの近辺に居れば皆知っているだろう。それを知っていてくれただけでも話が早かった。

「俺は毎日夜にあそこの店で食事をしてるんだ。おいしいシチューが銅貨五枚で食べられるんだよ。だからラブダも赤竜亭に連れて行ってあげたいんだけど・・・」

 エナンが言葉を濁したのを見て少女が不安そうな顔をする。慌ててエナンは安心させようとフォローする。

「多分大丈夫だとは思うんだけどまずは酒場の親父さんに話をしないといけないんだ。あそこは冒険者の怖いおじさん達がいっぱいいるから普通は子供は入れないんだ。」

 銀翼様、怖いおじさん呼ばわりして御免なさい。今だけはそういう事にさせて下さい、と心の中で土下座をしながら状況を説明する。


「だから今日の夕方、赤竜亭に一緒に行こう。中には入れて貰えないけどシチューを持ってきてあげるから外で一緒に食べよう。」

 仲間になったからには一人だけ外で食べさせるような真似は出来ない。これからは俺も外で食べる事にしようとエナンは覚悟を決めた。あの酒場の温もりと賑わいを失うのは辛いがこの少女の気持ちを思えば諦めるしかなかった。


 どこかに雨風をしのげる場所を探そう。赤竜亭の近くにねぐらを造る冒険者は多い。大抵は放棄された建物跡に勝手に棲みつくのだが、時々持ち主の子孫だなどと言う奴が出てきてトラブルになる事もあった。嘘か本当か定かですらないが人の弱みにつけこんで金を巻き上げようとする奴だけはこんな廃墟になりかけた街でも珍しくはないのである。

 その点、この街に二十五年以上住んでいるおやっさんはそういった怪しげな連中相手には滅法手慣れていた。一軒一軒の過去の持ち主の名前から親族の有無までどこでどうやったか知らないが調べ尽くしていて、もし詐欺師が小銭をせしめようとゆすりにでも来よう物ならたちまち化けの皮を剝がされて天日干しに吊るされる事となる。不動産業も多分その延長なのだろう。エナンはその事をまだ知らなかったが、そういったトラブルはおやっさんに相談すれば良いという話くらいなら聞いていた。

 まずはそれも併せておやっさんに相談してみる事が第一歩だろうと思った。


 さて、一応の現状は説明した。

 喫緊の問題は今この少女の居場所をどうするかだった。

 本当だったらこれから戻る予定のエナンのねぐらに連れて行くべきなのかもしれない。だがエナンのねぐらは本当に人の棲家とは呼べる場所ではなかった。

 今いる場所は崩れた瓦礫の山の中に人が一人ねそべれるだけの穴を掘っただけの獣の巣のような場所、用を足すのはねぐらから離れた人目につかない物陰に穴を掘ったような場所、といった有様で狸や狐と変わりないような生き方をしている。寝る以外のほとんどの時間は地下水脈跡の洞窟の中、まともな食事は一日一回赤竜亭で食べるシチューだけの生活だった。

 寒さが酷い冬場には地上に近い穴倉は寒いので大井戸の底に避難する事もある。火を焚くのでなければまだそちらの方が温かいのだ。

 そんな日の光さえ当たらない場所に連れていっても今の場所より環境が悪くなるのは間違いなかった。エナンだって仕事でもなければあんな地下の闇の中で過ごすのは勘弁して欲しいと思っているのだから。


 それにエナンの棲む大井戸跡まではまだかなりの距離があった。当然、そこから今度は赤竜亭まで毎日通うとなると子供の脚ではかなりの負担だろう。この場所からならばそう遠くは無いのだが、と考えると連れて帰るメリットはほとんどなかった。

 この辺りで待ってもらって夕方に迎えに来てやれば良いだけの話だった。だが一人で置き去りにされる事を望むとは到底考えられない。ならばエナンが今日は仕事を諦めてここで夕方になるまで時間を潰すとするか。

 昨夜はほとんど寝ていないので今はとにかく眠りたかった。だが、懐には久しぶりの収穫である金貨二十枚が入っていた。不用心に廃墟の中で眠りこける訳にもいかなかった。

 判断が付かなくなったエナンは少女の希望を聞いてみる事にした。


「ラブダは夕方までどうする? 俺は一度棲家に戻らないといけないのだけど。」エナンがそう言うと少女はまた少し不安そうな顔をした。

「私は・・・エナンと一緒に居たい。」そう、彼女は最初からそう言っていた。もう一人になるのは嫌だと。ならばあの穴倉まで付いて来て貰うしかない、大分歩く事にはなるのだが。

「そっか、じゃあ一緒に行こう。ちょっと遠いけど大丈夫?」エナンが立ち上がりそう言った瞬間、少女の顔が泣きそうになった。それは、お願いだから怒らないでと少女が懇願していたのだという事を次の瞬間理解した。


 エナンに抱き上げられて立った少女は素足だった。冷たい石の上を歩いていくのは痛い位に辛いだろう。だが、それよりもさらに大きな問題にようやくエナンは気が付いた。

 両足で立たされた少女がよろめいた。エナンに近寄って来た時のようにふらふらと数歩歩いた少女の左足は、足首から先がほとんど動いていなかった。

 そう、少女は足にかなりの障害を持っていたのだった。

 それはとてもエナンの棲家まで歩いていけるような足ではなかった。


 もしかしたらラブダはこの動かない足のせいで捨てられたのかもしれない。

 まともに歩く事も出来ない彼女がエナンの負担になる事は目に見えていた。ラブダ自身がその事を誰よりも良く分かっているはずだった。だから彼女はエナンが彼女の足の事に気が付いたのを感じ取るとまた泣き出してしまったのだった。


 だがそれがどうした。エナンは親方のあの言葉を思い出した時からもう決めていた。損得も迷惑も関係はない、俺はこの子を助けるのだと。泣き出したラブダをしっかりと抱きしめるとエナンは精一杯の気持ちを込めて語りかけた。

「大丈夫、怖がらなくて大丈夫だから・・・。俺は君を助ける、どんな事があっても助けてみせるから信じてくれないか。」

 その言葉を聞いたラブダが息を飲んだ。そして次の瞬間、また火がついた様に一層激しく彼女は泣き出したのだった。

 静寂の廃墟の中にその泣き声だけがいつまでも響き続けていた。



 また膝の上にラブダを座らせ温めてやりながらエナンは二つの方針を決めた。

 まず一つは、今日はここで夕方エナンが迎えに戻ってくるまで待っている事。

 もう一つは、今後エナンがもし現れなかったら赤竜亭に一人で行ってそれをおやっさんに伝え、シチューを食べさせて貰えるようにお願いする事。


 都合が良い事に銅貨がたっぷり詰まった革袋が手元にあった。

 中を開いて確認してみると、数百枚はあろうかという銅貨の上に気前良く銀貨が一握り載せてあった。見るからに銀翼が入れてくれた物と分かった。

 シチューを一日一杯食べるだけならこの冬を十分越せそうな金額が入っていたその革袋を丸ごと、一人で食べにいく場合に備えてラブダに渡した。


 それでもラブダはまだ不安が隠せなかった。エナンを信じると決意はしたものの、エナンが突然いなくなってしまう不安はまだ消えていない。そんな様子の彼女にエナンは一つプレゼントをする事にした。

 とは言っても気の利いた物など持ち合わせていない。エナンが彼女に贈ったのは一枚の金貨だった。


 この王国の通貨制は百進法を採用している、銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚となる。国としての貨幣はこの三種類しかない。

 他の国では金貨銀貨の交換比率は五十枚以下の場合が多いのだが、なまじ歴史の古いこの国は伝統的な古来の通貨法を守る事に固執している所があり、そのせいで金貨が他の国の物より大きく地金の質も高いので大金貨とも呼ばれている。銀貨は経済の基本なので各国が重量や寸法をほぼ同じ物を作っている為、この国の金貨はどこの国へ持ち込んでも銀貨百枚程度の価値で取引して貰える良質な貨幣として知られていた。

 つまりは銅貨一万枚の価値がこの金貨にはある。銅貨五枚のシチューなら二千食分、優に五年は食べられるという事だ。それだけでもシガノーの鑑定料のぼったくりぶりが判ろうというものである。もちろん赤竜亭以外で同程度の物を食べれば十倍以上の値段を取られるのは間違いないのだが、それでも優に半年位は飢えなくて済む価値があった。


 そんな大判の金貨の輝きと重量感は人を魅了する物がある。黄金には魔力があるなどと良く言われるのだが古来よりこの輝きを見ると人々は喜びを感じてしまうのである。それはラブダであっても同様だった。

 金色の輝きが良く見えるようにランタンを灯して照らしてやるとラブダは夢中で金貨の質感を確かめる。その金貨一枚で何か月もの食事が出来る価値がある事を教えてやるとラブダの不安もかなり治まったように見えた。


「気に入った?」エナンは笑顔の戻ったラブダを撫でてやりながら御機嫌を伺う。エナンとしては体を温めてあげているつもりなのだが無意識のうちに微妙な所に指先が行っているのは何故だろう。もっともそれに気付いているラブダはもう余裕の表情である。

「うん、すごくうれしい。私の宝物、初めての。」すでに身を委ねているラブダにしてみれば瞳を潤ませ秋波を送っているのに反応してくれないエナンがむしろ物足りない。もう自分を受け入れてくれたのだから何をされても良いのに、と少しむくれる位にはわがままを思えるようになっていた。


 独りきりは辛いから誰かと身を寄せ合っていたい、もし貴方がそれを受け入れてくれるなら・・・そんな気持ちをどう相手に伝えたら良いのかもどかしい。

 今はまだ繋がったばかりの細い絆の上でふらふらと揺れるそんな二人だった。

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