九話 二日目と筋肉痛
コンコン!
何度目かのノックなのか、ぼんやりとしていた頭では解りません。しかし、それが一回目ではないのは明らかで、その事実に一気に血の気が下がる思いがいたしました。
「もう朝ですよ、起きなさい!」
前日はきちんと起きられたと言うのに、二日目にして寝過ごしてしまうとは。
「す、すみません。今起きました」
扉の向こうに慌てて返事をして、起き上がろうといたします。しかし、私の身体は、まるで蝋でガチガチに固められたかの様に、動きませんでした。
無理に動かそうとすると、全身が軋んで激しく痛みます。
「あっ痛いたたぁ……」
これは、何でしょうか、社交ダンスの厳しい練習ででも、ここまでの筋肉痛になった事はありませんでした。
今まで全く使ってこなかった場所の筋肉が、ジンジンと嫌な存在感を示しております。
「ちょっとどうしたの、大丈夫?」
「だいじょ……いっぅ……」
「……開けるわよ!」
少し上体を起こしては、悶絶する私を心配してか、フェリスさんが扉を開けて中に入ってきました。
起きたは良いが、二つ折りにベッドに突っ伏す私に、彼女は慌てて背を摩ります。
掌が温かくて、泣きそうになってしまいました。
「全く、あの程度で筋肉痛とか弱すぎじゃない」
「申し訳ありません……」
「いいわ、今日は休みなさい。神官長様には言っておくから」
「いいえ、大丈夫です」
たった一日働いただけなのです。これで休んでは居られませんわ。
怪我でもないのに、力を使う事は躊躇われますが、このままでは職務を全うできません。
「豊穣をもたらす河川の妖精キャディキャディよ、私の祈りをお聞き届け下さい。私はあなた様に加護をいただく娘、魔力を捧げ御力を請い願います。私に宿りし水の力よ私の意志に従い傷を癒せ、大河の癒し」
少しだけ、神術で身体を癒します。
こう言う時に、完全に癒すと筋力が付かないと、言われていますので。
「貴女! 何で神術が使えるの!?」
「……え」
「嘘つき令嬢のマリーなのに……」
「神霊様は、お優しいですから」
「そんな理屈通らないわよ? 変だわ」
大変不審な目を向けられてしまいました、確かに変なのでしょうね。
私は偽の聖女、神聖な力があると偽った大罪人。普通その様な人物の祈りに、神霊様が答えて下さる事は、ありません。
しかし、貴族や王族が嘘つきと言ったのですから、私は嘘つきなのでしょう。
「ですがこれで、今日お休みせずにすみますわ。今はそれが大事だと思います、時間もありませんし」
「……そうね、取りあえず今は朝のお勤めに行くべきね」
手早く着替えを済ませまして、直ぐに宿舎の掃除に取りかかります。
先ずは掃き掃除からですわね……
「祈りの時間ね、また途中だけれど行きましょう」
また間に合いませんでしたわ。
激しい痛みは押さえましたけれど、掃除の動きをすると同じ場所を酷使するので、なかなか上手く出来ませんでした。
昨日よりむしろ悪くなっています。
特に雑巾が、絞れませんでした。
女神様には早く雑巾が絞れる筋肉が付くように、お願いいたしましょう。
その後は本日も仕事に従事いたしました。
変った事と言えば、今日は午前中は洗濯をした事ですね。これも初めての事で大変でしたが、水魔術の使用を許して戴けましたので、積極的に使いました。
皆様からも、作業が楽になったと喜ばれましたので、少しは役に立てたのでしょうか?
まだまだ出来る事は少ないので、早く色々な事が出来るようになりたいですわね。
神殿での生活は楽ではありませんが、身体を動かし、誰かと一緒に何かをするのは楽しい。交わされる何でも無い雑談、労いの言葉、感謝の言葉。
神殿の方々は最初私の事を避けたり、ちょっと忌避されていたようですが、何と言いましょうか。根が良い人たちなのでしょうね。
貴族の陰険な視線や陰口、悪質な嫌がらせからすれば、大したことがありません。
中でもフェリスさんは努めて厳しくしようとされているようですが、正しい注意しかされませんので、ただただ感心し、改善に努めさせて戴くだけで、得がたい立派な先輩としか感じません。
こんな場所が有ったのですね。
ああ、そうですわね。ここは、霊験あらたかな、修行の場なのでしたわ。