十三話 青い天使
「がぼっ……げほっけほっ!」
「ちゃんと立て、足がつくだろうが」
だ、誰ですか!?
水を飲んで混乱してしまっています、湯船の中には誰も居ませんでしたわ。事実沈んだ、私の目の前には青く沈んだ大理石の底しか見えませんでした。
しかし、湯船から引っ張り上げられると、目の前は肌色でした。厚い胸板逞しい腕、その後ろに青い、深く深く青い巨大な翼が見えます。
何とか足を付けて体勢を立て直しますと、頭二つくらい上にこちらを見下ろす美貌と交わります。
瞳は空色、髪は長く翼と同じ刺さるような青。面長で彫りの深い美丈夫で、一糸まとわぬ裸体は美術品として、王城に飾られていたどんな彫刻より、隆々として美しく……。
「きゃぁあああ!!」
は、裸ですわ!
何を私は確りと鑑賞してしまっているのでしょうか、掴まれた手を振り払うと、あっさりと離してはいただけました。
けれども、どうしたら宜しいのでしょうか?
突然現れたこの方は、神霊様でしょう。これは、私が……私……神霊様が、もしも私をお求めならば、お断りする事は出来ません。
政略結婚をする覚悟を、一度は決めた身ですが、心の準備が全く出来ておりませんでした。
「お許し下さい。お許し下さいませ」
どうしたら良いのか解らず、湯船の端に寄って顔を伏せておりますと、声が掛かります。
「おい! おい! 人種の女、止めろ。それを止めろ。そして良く相手を見ろ!」
「……っ」
「俺様が、番う相手に困っている様に見えるのか!!」
「!? ……も、申し訳ありません……?」
青い翼を広げ、腰に手を当て仁王立ち。私は視線を彷徨わせながら、動転する中で何とかそれだけ応えました。
あ、あ……あゎ……。
私慌てて、何を考えていたのでしょう。
「良いから浴槽からデロ」
「はい、すみません」
湯船から上がると、同時に重く身体に張り付いて居た修道服が、カラリと乾きます。チラリと全身を見ない様に振り返りますと、神霊様が水を操り、乾かしてして下さって居ました。
見掛けより、優しい方なのかもしれませんね。
後それとですね、今は寛いだ格好で座って下さっているので、色々と隠れていてこっそりと安堵してしまいました。
その場で正座し両手を突いて、私は頭を下げます。
「重ね重ね申し訳ありませんでした。まさか本当に神霊様が、ご利用になるとは思わず。勿論ご利用いただきまして、大変光栄の極みです! しかもお助け戴き、ご配慮戴き有り難うございます」
「ああ、そういやたまに来るが、俺様に気付いたのはお前が初めてだな」
そ、そうだったのですね。
誰も気付かないから、人が居ようが気にせず入ったっと言う事なのでしょうか。
私の所為で支度に手間取ってしまい、神霊様の入浴時間になってしまったのかと思っていましたが、そう言う訳ではなくて、良かっ。良くはありません。
どちらにせよ、入浴の邪魔をして仕舞いました。
「何かお前変だな、もっともっと驚いて慌てふためいても良いんだぞ?」
「とんでもございません、驚いております。申し訳ございませんが、作法など不勉強で、決して不敬を働こうという意思はありません。何卒ご容赦くださいますようお願いいたします」
更に深く頭を下げて、額を床に着けます。この神霊様の不興を、買う訳には参りません。
誰も気付いていなかったとしても、この修道院に立ち寄られていたのは事実、それが無くなればこの場の神聖性が失われるかもしれません。
新参者の私の所為で、そんな事態は絶対に起こしてはならないのです。
「そんな事を言っている訳じゃねぇんだけどな。お前は裸に驚いたのであって、天使に出会ってその反応って変だろう? あー、そうだ、俺様は守護天使のザハエルだ。他にも呼び名はあるが、面倒くさいからこの国ではザハエルと呼べ。あと頭を上げろ、アルマジロみたいだぞ?」
「は、はい。すみません」
命じられて顔を上げると、顎に手を当てて、こちらを見ている神霊様とどうしても目が合います。
元婚約者の王太子も、高位貴族の学友たちも、見目麗しい方々ばかりだと思っておりましたが、比べものになりませんわね。いえ、比べる事それ自体が失礼に値しますか。
無理に何かされると思ってしまったのは、本当に失礼でしたわ。確かに神霊ザハエル様は、望まれる側の存在でしょう。
切望され、しかもそれを選べる側。
「あぁ、何だお前、福者じゃねえか。既に加護持ちかよ!」
少しこちらを眺めてから、合点がいったとザハエル様は、手を叩かれました。
「河川の妖精キャディキャディか、あの子に会ったのか? 水に溶け込んでいる俺様の事も見付けるし、お前、余程水の神霊と相性が良いらしいな」
「有り難い事でございます」
私の何を見ておられるのでしょうか、解りませんが、神霊様は全て解っておいでなのでしょう。
それでいて、本当に必要な助けは差し伸べて下さらない。神霊とはその様な存在なのだと、キャディキャディ様との関わりで、心得ているつもりです。
っと愚痴っぽくなってしまいました。
「見付かっちまったからな、俺もお前に加護を付けとくか、流石に水属性の魔術はもう要らんだろうから、槍術か防御あたりがいいか? お前、何か希望は有るか?」
「!?」
急に何か希望の加護は有るかと聞かれて、私は焦りました。
私には、これ以上の加護は必要ありません。
何度も加護に助けて戴いた事は間違いありませんが、騒動の種でもあったのです。
家での扱いから、加護を戴かなくても結局何時かは、修道院に送られていたかもしれませんが。王太子の婚約者になったり、その後婚約破棄など、もし加護がなければこれ程大事になる事は、無かったはずです。
流石に私も、懲りております。
それに、真摯に信仰してきた者にこそ、神霊の加護は相応しいと思います。例えば神官長様などが、穏当なのでは無いでしょうか。
「有り難いお話なのですが……」
「ふむ」
「私は、その、今日初めてここの掃除をさせて戴いただけです。どうかザハエル様の加護は、私ではなく他の方に、日々ザハエル様に信仰を捧げ仕えてきた方に授けては戴けないでしょうか?」
私がザハエル様に懇願致しますと、ニヤリと彼は悪い笑顔を浮かべました。
それはまるで、悪戯心にケットシーが、コネズミを突き回す時の様なそれでした。
「それは無理な話だな」
「……何故でしょうか?」
「運も才能も理不尽なもんだ、チャンスは誰にでも訪れる物では無い。そして、人種の女お前が断ったからと言って、他にお鉢が回る事でもないぞ」




